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1610: 旧山陽道海田宿の町並 孫右衛門 10月 2日(日) 20:48
訪ねられたことがある方もあると思いますが、これは旧山陽道海田宿の風景です。この元本陣を勤めていた旧千葉家は、老朽化著しかったのを海田町が引き取り、時々公開しています。
二回目の訪問ですが、この建物が残るということは、旧海田宿の歴史を語継ぐものとしていかに大きいものかを痛切に感じます。

孫右衛門 10月 2日(日) 20:58
自宅から数kmの極近所ですが、今回訪ねたのは海田町の町制施行60周年記念行事の一環で、この千葉家住宅から西へ50mほどのこの建物が初めて公開されたのがきっかけです。
この旧家も、しばらく空き家になって一時は取壊しの可能性もあったといいます。地元紙の情報で訪ねたのですが、危ないところでした。この旧家が失われると旧宿場町らしい古い佇まいとはとてもいえるものではなく、ただ旧千葉家だけが残るといった状態になってしまうところでしたから。


新聞記事と訪ねた様子の一部は以下でもUPしています。
http://machiissue.exblog.jp/23526533/

urano 10月 4日(火) 20:37
海田の町並みは行ったことがないですが、立派な家が残っているのですね。
旧千葉家は孫右衛門さんのサイトで拝見しました。あの浴室はいいですね! 掛け軸のある浴室は、聞いたことがないです。一時期流行したのでしょうか。

ところで少し前に、山陽旅行を8月から10月にスライドする計画だと書いたと思いますが、残念ながら今月も行けなくなってしまいました・・・。
中国地方は町並みの密度が濃いうえに、めったに行ける場所ではないので、行きたい町並みは溜まる一方です。
というか、全国的に行きたい町並みってどんどん増えてしまって、先月の旅で「もうしばらく行かない」と決めた下北&津軽半島にも、またよさげな集落を複数見つけてしまいました。
旅の楽しみが増えるのはいいですが、ゴールが見えないというのもどうかな、という気がしています。

万訪 10月 5日(水) 01:27
たった今、論文を投稿してスッキリしたところです。また、4ヶ月目に苦しむことになりますが、、、

海田はいい町並みですね。近くにいい町並みがあって、時折訪れては微妙な変化を味わうのもまたいいものでしょう。しかし、中国地方はみんなして相当な数が掘り起こされていますので、私には到底全てを訪れることは難しく思っています。
uranoさんの言われる終わりのない町並み探訪の話。ノーベル賞とった大隅教授が「ノーベル賞が到達点だとは思っていない。謎が解明できてもそこからまた新たな謎が生まれる。研究には終わりがない」とおっしゃっていましたね。同じにしちゃおこがましいですが、集落町並み探訪も全くその通りと思いました。

孫右衛門 10月 5日(水) 20:53
名前もパスワードも未入力の状態で不用意に茶六本館と打ってしまって変な投稿が挟まってしまいました。
というのも七ちょめさんも先日泊られた茶六本館を来月予約しました。この秋は遠征ができなかったので、もう一回泊りがけをしておきたいと思っていたところ、久々の地域でもあり未訪問の町並もある丹後エリアが面白そうだと思いました。
食事はないようですが風呂は温泉のようで、建物ともども楽しみではあります。

私は町並としてはじめて訪ねる地域では、あえていくつか残したりする事もありました。町並に限らず、一度慌しく訪ね歩いただけでは判らないでしょうし、2回目以降も必ず新たな発見があります。それがまた楽しいものですね。
再訪する地区でも、別のテーマと合わせて訪ねるのも味わい深いですし、旅館や食事にこだわるのも良い。私も徐々にそのような段階に入るのも面白いと思っています。

七ちょめ 10月 6日(木) 10:08
海田町の町並、私にとっては暗くなってから訪ねた印象の深い町並です。
今でもよく写ったと感心しています。暗い中写したのですが、ちゃんと千葉家も写っているし、多くの伝統的な家屋も写っている。当時の印象からよく写ったなあと感心した町並です。

京都北部の探訪を計画され、そして宮津市の茶六本館に泊られるのですね。この宿一人だと夕食を作ってくれません。
二人以上だと夕食が付きますが。町中にありますが案外外食には苦労します。
宿と提携している料理屋は和食の店は高級すぎてダメ。もう一軒は安いですが洋食のみで結局提携食堂には行きませんでした。近くに魚善といる料理屋があるのですが、最低料金でも4000円からとあり、一人旅ではと思いやめました。前もって300m程の所にある小銭寿司という店をネットで探していました。明るい間に営業していることを確認し、夜になって訪ねるともう閉店していてダメ。困りましたね。
そこで探したのは市民体育館の横にある大きなショッピングモールの5階にある食堂街でチョットした和食を注文し夕食としました。古い宿に泊る旅で洋食はチョットと思いますので。
でもビル5階の食堂街での夕食 目的からするとチョット場違いの様でした。

孫右衛門 10月 6日(木) 21:51
食事の件を詳しく教えていただきありがとうございます。
あの規模の町では、外来客向けの店を期待するのはちょっと難しいのでしょうね。国道沿いに出れば、それなりのチェーン店もあるのかもしれませんが、そんな店に入るくらいなら道の駅や地場のスーパーなどで土地のものを求めて部屋で酒をたしなみながらいただく方がよさそうです。
町並探訪としては丹後半島や先日七ちょめさんが茶六本館に泊られた際に訪問された周囲の町並、但馬地方の町並などを組合わせようと考えています。宮津市内も10年以上振りになるので再度折りたたみ自転車を用いて詳細に廻りたいところです。
主なところは訪問済の地域ではありますので、旅館にもある程度重きを置いて町並を欲張らないように心がけたいところです。
p351174-ipngn200405niho.hiroshima.ocn.ne.jp
1609: 京都北部の探訪と宮津で泊る 七ちょめ 9月28日(水) 14:09
写真は京都府宮津市の漁村小田宿野の町並です。
宮津の茶六本館に泊ろうと昨日昼頃出発するつもりが、自動車道は通らないで行こうと思い、午前9時ころ自宅を出ました。
近くまで行きましたが、時間がたっぷり余る。それじゃと近くの栗田半島を一周しました。宮津市の由良・中津・小田宿野・矢原と廻って、旅館に着いたのが午後2時半、チェックインは午後4時からと聞き、今度は北に上って京丹後市大野町周枳集落を訪ねました。
比較的小田宿野集落(写真)の町並は良かったです。
そして今日、28日も少しは探訪の予定を立てたのですが、宿を出る9時頃から酷い雨になり、結局、探訪を予定していた、宮津市を含む日本海側の探訪は一切中止して直行で国道を帰ってきました。南に下がるにつれて天気が良くなり、瑞穂辺りでは雨がやみ、自宅近くでは太陽が出ていました。自宅に着いたのは正午丁度でした。
カーナビの自動車道で約2時間、下の国道を通っても3時間で帰れました。


七ちょめ 9月28日(水) 14:58
泊った旅館は「茶六本館」という旅館で、町並探訪で訪ねられた方は多分写真は撮っておられると思います。

孫右衛門 9月28日(水) 22:41
宮津のこの旅館は知りませんでした。町並を訪ねたのは2004年ですので、まだ少々粗い探訪だったのかもしれません。
今週は明日まで仕事で倉吉にいます。山間部の現場仕事ですので、今日夕方辛うじて町並を少しだけ歩けました。

万訪 9月29日(木) 03:17
宮津から下を走って僅か3時間なんですね。やはり関西は日本海が近い。
この旅館、記憶にもうないですが、記録にはありました。宮津の町並みもさすが北前船で栄えただけあり、なかなか良い町並みですね。写真を見て改めて思います。

万訪 9月29日(木) 03:35
今、クルマで入れない密集した集落をGooglemapで拾い上げる作業をしていまして、本州の海岸線を一周したところですが、丹後半島の西側「丹後町竹野」という面白そうな集落を見つけました。海岸線に対して短冊状に屋敷地が延びていて、海岸線にそって舟屋(日本海に見られる舟のガレージ)が並んでいます。ご存知の方がいらっしゃれば、どんな町並みか教えていただけませんか。

万訪 9月29日(木) 03:42
ストリートビューでみるとこんな感じ。ちょっと珍しい集落です。

Kさん 9月29日(木) 07:43
兵庫県の豊岡市・竹野海水浴場は有名で、行ったこともありますが、丹後町にも同じ名前の海水浴場があるのですね。知りませんでした。

絵は兵庫県の方の竹野町です。海水浴場ではありませんが・・・。

七ちょめ 9月29日(木) 09:20
竹野海水浴場、会社時代にも海水浴に、また、子どもを連れて泊りがけで海水浴にもたびたび訪ね、5〜6年前にも町並を訪ねているが、でも、よく見ると豊岡市竹野町の竹野海水浴場でない。
丹後半島に竹野海水浴場??地図を見ると 有る ある 。「かに」で有名な間人の北側。全く知りませんでした。航空写真でみると舟屋の恰好をした家屋ですね。

実は一昨日栗田半島先端の田井を訪ねたのも、昔海水浴場だった辺りに舟屋があった写真を覚えていたので、訪ねたのですが全く痕跡がありませんでした。そのことを聞こうと集落を歩いたのですが、人と出会わないので聞くことも出来ないままでした。

万訪 9月29日(木) 23:45
そうですよね、兵庫県の竹野はみなさんよくご存知ですが、丹後町竹野はみなさん初耳ですか。しかし、写真で見ても面白いですよね。古くはなさそうですが、どういう成り立ちなんでしょうか。

urano 9月30日(金) 02:01
小田宿野の切妻の家並み、いいですね。
北近畿もいい町並みが多くて、何度でも行きたくなります。
宮津は重文の旧三上家住宅あたりをざっと歩いただけで、この旅館は知りませんでした。

万訪さんの投稿された京都府の竹野はおもしろそうですね。
これだけ舟屋が並んでいるのは見事だと思います。
(LIXIL出版の『舟小屋』なら載っているかもと思いましたが、実家の本棚所蔵のため確認できませんでした…)。

万訪 10月 1日(土) 10:26
竹野(たかの)。なぜこのような珍しい集落が形成されたのか推測。地図をみると「丹」の字のところに海岸線と平行な道が走っていて、そこから海側に短冊状の家がならんでいます。おそらくかつての舟屋が並んでいた位置はそこで、徐々に砂浜の上を侵食していったのではないでしょうか。あるいは舟屋の位置まで短冊状に敷地割がなされていて、その間に家が建てられていったのか。
何れにしても、海に建てられる舟屋を建てて、徐々に宅地化していったものと思います。伊根と似てますね。
i60-43-49-28.s30.a048.ap.plala.or.jp
1608: 青森・岩手の旅 urano 9月22日(木) 22:26
先週の三連休は当初、隠岐旅行を計画していましたが、往復の交通手段を確保できずに断念。
行先を青森・岩手に変更し、JRの「三連休東日本・函館パス」と駅レンタカーで探訪しました。
全体の半分くらいは重文民家の見学にあてたので、町並みめぐりは正味1.5日ほどでした。

まず17日は重文・平井家住宅(写真・岩手県紫波町)を皮切りに、盛岡市内の3軒の移築民家を見学。その後、紺屋町あたりを散策しました。
紫波は平井家のほかにもポツポツと町家が残っていましたが、古い町並みは見られませんでした。

urano 9月22日(木) 22:41
18日は野辺地を起点に、下北半島を時計まわりに一周。さすがにこの半島は大きかったです。しかも最大の目的地としていた佐井村の古佐井(こざい)を行程の最後にあてたため、日没後の薄暗い中での散策となってしまいました。

この写真は古佐井の民家で、たぶん能登家住宅だと思います。
本陣を務めた家柄ですが、無住のようでした(本陣の建物は、これとは別にあったというウェブ情報もありますが・・?)。
「写真を撮り直しに行ったらなくなっていた」なんてことのないよう祈ります。
万訪さん、この家が残っているうちに、ぜひご訪問を!

urano 9月22日(木) 22:56
むつ市永下。
倉庫のように大きな平屋の農家建築がたくさん残っていて、迫力のある集落でした。

旅程は、永下のあとで脇野沢、九艘泊を見学し、国道338号線を北上して佐井村の福浦、佐井&古佐井という順番でした。事前の時間計測でも分かってはいましたが、この338号線が延々と続く山道で少々疲れました。

urano 9月22日(木) 23:08
19日は津軽路。黒石や弘前は冬に2回行っていますが、今回初めて雪以外の風景を堪能しました。
黒石では春〜秋に営業する重文・高橋家住宅の喫茶スペースで一服。
そのあと弘前仲町へ行くと、町並みの背後に岩木山が大きく見えました。

urano 9月22日(木) 23:18
平川市金屋。りんご農家の集落です。40棟の土蔵が登録文化財になっていて、町おこしをしています。
この近くでは津軽尾上に町家群が残っているのを車窓から確認しましたが、時間の都合で泣く泣く通過。また、行かなくては。

七ちょめ 9月23日(金) 09:06
uranoさん青森県の多くの所を探訪されましたね。
いとも簡単に下北半島を訪ねられる。羨ましい限り。
特に下北半島は行きたい行きたいと思いながら、足を入れていません。むつ市佐井やむつ市脇野沢など早くからリストアップしているのですが。

観光で下北半島を訪ねる人の99パーセントは恐山を見てお終いですが、恐山のことが書かれてないので、観光客じゃない証拠。
流石に「いらかぐみ」のメンバーと思います。

万訪 9月23日(金) 19:09
写真から文面から、いい旅をなさったと伝わってきます。下北半島は付け根から100kmありますからね。大きいです。
佐井の民家いいですね。北前船など廻船の港町。改めて下北へ行かねばなりません。

先日、航路の港町のリストアップしたと書きましたが、どうも面白そうではない。今、Googleマップで海岸線を全て眺めながら、密集系集落をかたっぱしからリストアップしております。どうなることやら、、、

辰巳屋 9月24日(土) 07:32
平川市金屋の土蔵群は、私は青森に行った時、見残してしまいました。uranoさん情報で再度行きたいものです。蔵を活用した町おこしが盛んなようですね。

青森には、他にも土蔵群や古民家が残っているように思えてなりません。


孫右衛門 9月24日(土) 07:40
紹介された画像、それぞれに個性的ですね。
青森県と秋田・岩手県の北部は余り訪ねられていません。特に青森県は鉄道の旅では何度も訪ねているのに、町並目的では黒石と深浦を訪ねた1度しかありません。このあたりは結構広いですから、本格的な探訪を計画しないと満足に廻れません。来春あたり狙いましょうか。

urano 9月24日(土) 22:51
七ちょめさん
東北地方ではJR東日本が週末や三連休のトクトクきっぷを設定しているので、西日本方面よりも行きやすいです。
青森では恐山も魅力ですが、どうしても優先順位は下になってしまいます。下北半島は、2回目となった今回の旅でようやく主だった集落をまわり終えたので、次回は恐山観光の時間ももてそうです。

万訪さん
下北半島は最低1泊2日あてなくては無理ですよね。しかも付け根部分と半島奥地とで道路状況が異なるため、最初のうちは「大きいわりに簡単にまわれそう」と誤認してしまうのも厄介です。(私だけかもしれませんが...)

辰巳屋さん
金屋は辰巳屋さんのサイトでもリストアップされていますね。「町並み」ではありませんが、独特の風景が見られてよかったです。津軽の町場では、独特の切妻造りの大型商家もけっこう残っていますし、農村では茅葺き民家も多数見られました。(金屋にも茅葺きが2棟ありました)

孫右衛門さん
東北地方は畿内から遠いせいか、個々の町家を比べると「西日本には叶わないなぁ」と感じることも多くあります。それでも、見ごたえのある町並みや集落は結構ありますし、仰るとおりそれらが広域に点在しているので、毎回探訪の効率化には悩まされます。

万訪 9月25日(日) 08:59
下北は野辺地大湊間はほんと何にもないですよね。だけど先に町がある。風景はほとんど北海道ですものね。

urano 9月25日(日) 12:10
陸奥湾側の真ん中あたりに横浜の町がありますが、ストリートビューで見ても古い家が少なかったので、今回は旧道には入りませんでした。風景は本当に北海道のようです。

七ちょめ 9月26日(月) 16:49
また大問題が、地図のリンクが。
古くからの地図リンクで、biglobe地図のリンクが切れているのを見つけました。
最近のbiglobe地図のリンクは大丈夫ですが、古くからのリンクが全て繋がらない。
リンクの貼り直しをしようと思いますが。大変な作業を強いられる。
もう、リンクを貼るのを辞めようかとも思うが。

滋賀県と京都府の町並は全てですが、後はチョコちょとと全国に散らばる。最大200ヶ所の町並位と思うが。

2年に一回程度、どこかの会社が変更するのでのリンクの貼り直しをやっていると思う。まあ、無料でリンクを貼っているのだから仕方ないとも思えるが。

明日から明後日にかけて京都府宮津市の茶六本館という古い旅館に泊ってこようと思っています。何処か町並はと探している時に自分のホームページのリンク切れを見つけました。

万訪 9月27日(火) 10:05
リンク作業にかかる時間はバカになりませんし、モチベーションがわかない作業。それも地図リンクをひたすらするというのはしんどいです。やはり、住所をある程度細かく記載するのがいいのでしょうね。しかし、町村合併で住所も変わってる。一度やってしまえばいいんでしょうが、やる気が起こりません。
pw126254132071.8.panda-world.ne.jp
1607: 珍しい民家 Kさん 9月21日(水) 18:29
先日、兵庫県の神鍋高原で煙出しが3つも付いた珍しい民家を見かけました。多分、昔、養蚕をやっておられたのだろうと思います。(写真)

それよりも興味深かったのが、玄関脇に掲げてある「大阪探駆倶楽部」の看板です。ネットで検索してみると、龍神温泉に昔「大阪探駆倶楽部指定旅館」との看板があったとの記事が出てきましたが、詳しいことは分かりません。もし「大阪探駆倶楽部」についてご存じの方があればお教えください。

Kさん 9月21日(水) 18:32
こちらが玄関先にあった看板です。大阪探駆倶楽部は大正12年創立とあります。

七ちょめ 9月21日(水) 21:19
気抜きが三つもある珍しい家屋ですね。大概は大きな家屋でも気抜きが大きくなるだけですが、三つに分かれているのも珍しい。
大阪探駆倶楽部でしたね。探検と読んでいました。
右からの文字と左からの文字の琺瑯看板がセットであるのも、珍しくここまで来れば、文化財級ですね。


万訪 9月21日(水) 21:55
兵庫県の養蚕農家は群馬県と近しいといつも思います。形態分布を認識するほど歩いていませんので。
この大阪タンク倶楽部というのは知りませんでした。ネットで調べると、必ず大学目薬と一緒みたいですね。名所巡りの旅行会社?


孫右衛門 9月22日(木) 07:50
探駆とは聞きなれない言葉で、検索してもこの大阪探駆倶楽部がらみのことが数件でてくるだけです。今で言うトレッキングみたいなものなのでしょうか。
この看板は非常に価値の高いものですね。聞くところによると、琺瑯看板が激減しているのは古い建物の更新だけでなく、盗む者がいるということですが、よく残っているといえるでしょう。

Kさん 9月22日(木) 11:49
木が茂って見えにくいですが、近くには煙出しが二つ付いたお宅もありました。

urano 9月22日(木) 20:21
空気抜きの小窓を2つ、3つあげた家は、関東の養蚕集落ではよく見ますが、関西では珍しいのですね。
左右対称の看板もおもしろいです。
七ちょめさんの仰るとおり、これは文化財クラスと思います。

Kさん 9月22日(木) 21:49
Uranoさんの埼玉県のページを見ると、山沿いの養蚕農家には同じような形態のものがたくさん見られますね。私の故郷も含め、兵庫県北部はかつて養蚕がとても盛んでしたが、空気抜きが複数ある家というのは初めて目にしました。果物の保管庫で同じようなものを奈良県で見たことはありますが・・・
180-146-206-206f1.shg1.eonet.ne.jp
1606: 上関の二集落 孫右衛門 9月19日(月) 21:56
この連休は先週のこともあり加えて連日悪天候のため、特に探訪予定もなく更新作業を進めようと思っておりましたが、やはり一切どこにも行かないというのは耐えられないようで、今日は雨の止み間を上手く突いて、山口県上関町の長島にある二つの集落を手早く訪ねて来ました。
これは万訪さんの先日のレポートを見てのものです。四代と白井田という集落でしたが、特に後者は斜面上密集漁村集落、平地の路地風景という2つの顔を存分に見ることが出来ます。町並度6は十分と思いました。

半日あれば行って来れるところですが、まだまだ知らない事も多いものです。近くには平郡島もありますので。

孫右衛門 9月19日(月) 21:59
万訪さんもレポートされていたと思いましたが、白井田集落では祝島と共通の練り石積を壁に用いた家屋が数棟見られました。

七ちょめ 9月20日(火) 09:02
孫右衛門さんが、近場の古い町並を探して訪ねられる努力には敬服いたします。
また、瀬戸内から山陽・山陰・中国山地は西廻り航路の北前船のもたらした影響が強く残っているのでしょう。経済活動の蓄積・文化の継承が凄かった様子がひしひしと感じられます。
中国地方や瀬戸内は経済活動の歴史の蓄積の一番の宝庫でしょうね。

urano 9月20日(火) 20:16
半日で瀬戸内の島旅に行けるというのが、とてもうらやましいです。
2枚目の写真の家は屋根が傷んでいるようですね。
いつまでも大切に伝えてもらいたいものです。

孫右衛門 9月20日(火) 21:31
昨日訪ねたところは、万訪さんが訪ねられたのを見て訪ねる気になったもので、そうでなければずっと訪ねず仕舞いになっていた可能性があります。
近場と言っても交通の便は良いとはいえず、2時間はかかりますので、こういう中途半端なところは後回しになりがちです。
uranoさんで最近驚いたのが沖縄を大量にUPされていますね。離島が充実していますし、あれは相当滞在するか何度も訪ねないと訪ねきれないですね。
私もぜめて渡名喜島と伊是名島は訪ねたいのですが。

万訪 9月20日(火) 23:33
祝島は特殊な練塀の集落です。でも、その島だけというのは、それはそれで不思議。長島にも探せばあるかもということで見つけたのが白井田集落でした。孫さんにも認められて町並み度6は、見つけたものとして嬉しいですね。
さて、七ちょめさん言われる北前船の港町。その前の西廻り東廻り航路を含めて港町を、先週末リストアップしてました。
※リストをコピペしたら大変なことになってしまいました。大変失礼をいたしました。


urano 9月21日(水) 00:10
孫右衛門さん、もしも長島のような風景が湘南あたりで見られるのであれば、関東地方では確実に優先順位の高い探訪地になります。
そこが後回しになるとは、それだけ瀬戸内は町並みの密度が濃いということなんですね。

沖縄はめったに行ける場所ではないので、「もう二度と行かなくてもいい」というくらいの思いで、9日かけて一周してきました。2年以上も前のことです。渡名喜島は集落も大きくて見ごたえがありました。

万訪さん、こうしてリストアップされると壮観です。青森県では川内も歴史的な港町だったのですか。実は先週末、この付近を旅していました(詳細は後日)。祭礼のため迂回路を示され中心街は通りませんでしたが、失敗でしたね。



万訪 9月21日(水) 05:16
祝島周辺は濃いですね。帆船時代に栄えた痕跡と気候風土に対する造り。まだ、八島と牛島にもいい集落がありそうです。
海道の町をピックアップしたら、下北半島から北海道太平洋側にかけても北前船の港町があったことがわかりました。日本海側だけだと思ってましたが、、、。また行かなければならず、ガックリ&嬉しく思ってます。

孫右衛門 9月22日(木) 07:45
私も以前「北前船おっかけ旅日記」(無明舎出版)という本を読んで、北前船の寄港地は思っていたより非常に沢山あったことを知りました。
北前船の航跡を辿るといったテーマも面白いでしょうね。
万訪さんがここ数年で瀬戸内の島を徹底的に訪ねられているので、私も逆に助かっています。

孫右衛門 9月22日(木) 08:54
そういえば今この本をパラパラと読み返していて、「上関郷土史学習にんじゃ隊」の存在はこれを見て知ったことを思い出しました。
p351174-ipngn200405niho.hiroshima.ocn.ne.jp
1605: 奈良県の探訪 孫右衛門 9月12日(月) 21:32
土曜日に奈良公園内で行われるライブに参加するのを足がかりに、1日半ほどを町並探訪にあてました。新規訪問は近鉄奈良駅より北側の界隈一帯、橿原市の伊勢街道沿いと近鉄橿原神宮前近くの見瀬町、五条市野原町界隈。それに奈良町や橿原市八木町・今井町、五条市新町界隈の再訪でした。また、レンタサイクルで早朝奈良公園界隈を走っていると、東大寺の南側当りにも隠れた町並を見つけましたので、こちらも恐らく掲載する予定です。
八木町の街道の辻にある旅籠が改築され、一般公開されていました(写真右側)ここは今井町の陰に隠れてか、良い町並なのに全く手付かずなのが貴重でありまたもったいなくもありました。

孫右衛門 9月12日(月) 21:46
東大寺南側(というより西側)の町並

孫右衛門 9月12日(月) 21:48
帰りは五條から橋本に出て、南海電鉄で帰路に着いたのですが、幸か不幸か橋本で多少接続時間がありました。
うわさには聞いていましたが、町家建築の並んでいた商店街は文字通り跡形もなくなっていました。

孫右衛門 9月12日(月) 21:54
更地となったところに仮設店舗で営業されている姿もありました。
これだけ根こそぎなくなっているなら、私の町並ページはむしろアーカイブとして今のままにしておこうと思いました。
ちなみに、駅前付近の古びた雑然とした界隈、それから時間の関係で足を向けませんでしたが、消えた商店街を過ぎた川向こうは残っているように見えました。

万訪 9月12日(月) 22:52
これは衝撃ですね。なんでここまで区画整理する必要があるのでしょうか。私には全く理解が出来ない。災害のあった町のようです。

こうなると日本の集落町並みを見尽くさなきゃならない気持ちに駆られます。

現在リストアップしている数が、3177ヶ所。今日現在で2438ヶ所。来年いっぱいまで島旅が続きますが、その後からリストアップした未踏地を全て行こうとしたらどうなるか試算しました。今までのペースの年間平均を取ると129ヶ所/年。西日本が多く残っているので、年間100ヶ所として試算すると、60歳になる2024年に達成されます。

まだまだと思っていましたが、そろそろ昔みたいにコンプリートの旅を始めようかとも思い始めています。追っかけテーマの完結も大事にしたいし、どうしようかなぁ。

孫右衛門 9月12日(月) 23:26
後ろめたさがあって書かなかったのですが、まさに万訪さんの通り災害後の町並のようだというのが眼にした正直な感想でした。
恐らく、路地も狭く古い建物が密集しているし、自治体も商店主たちも厄介なものという認識しかなかったのでしょう。
この橋本は、偶然ネットの情報で得たのでしたが、ここまで極端なものではなくとも、再訪すると負のものも含めて必ず新たな発見、認識が再構築されます。
やはり訪ねるところは尽きません。

辰巳屋 9月13日(火) 06:44
橋本の本町商店街は再開発で古い町並みのあった商店街は消えたのですか。たしか木造3階建ての料亭やまちなみ博物館という交流施設もあったと思いますが、残念です。

「橋本市旧大和街道沿いの歴史的町並みに関する研究〜建築物の現状と所有者の意識に関する考察〜」というレポートがあるのですが、それによれば、商店街としての活気もなく、年配の方がよく目につき、古い建物は保存されずに、取り壊されるのを待っている。歴史的町並みを保存しない背景に、まちに活気がなく、建物所有者が年配の方であることが原因であると考えられる。
まちへの歴史への意識が少なく後世への継承の意識がないことから、建築物を残すという意識がない。この原因に跡継ぎがいないことなどが考えられる。

「住民の歴史的町並みに対する意識が低いことが最大の問題であり、(略)これにより、後世への文化的継承さえもが、一度途絶えてしまう危機にある。」と結論付けています。

しかし、跡形もなく整理事業を実施するとは、思い切ったことです。

七ちょめ 9月13日(火) 09:10
奈良の遺跡でのライブ 楽しみましたか。良かったようですね。

橋本市の古い町並は綺麗に無くなっている。ここまでくると見事。
この橋本も、大阪市内への通勤圏ぎりぎりの所ですので、古い街道筋に建ったと思われる家屋も、全くの住宅街の様相ですね。新規開発の住宅地と全く同じ。

万訪さん やりたいことが多い。これもやりたい あれもやりたい 結構 結構!!

集落にしろ、古い町並にしろ、時間との勝負だから先の延すのはそれだけ価値が落ちますので、何時になっても 訪ねるのは ”今でしょう”。

古い旅館など、昨年まで営業していたのにと云うのが…… 当たり前のことになりつつあります。  これも訪ねるのは ”今でしょう” の世界です。

万訪 9月13日(火) 10:29
ホントやりたいことが多すぎる。どこでまとめに入るべきか悩みます。所詮、研究じゃないのでまとめようと考えることが間違ってるのか。
僕には、七ちょめさんのようにご高齢でも全国を飛び回るようなことは、そいでありたいと望みますが、出来る自信がありません。本当、先輩方は凄いです。
島旅でも一区切りつけるのに、これだけハイペースでやってて3、4年かかりますし、遊里の時もそうでした。コンプリート目的で片っ端から片付けようとすると、テーマがボケるし、荒っぽくなる。5年で500カ所と考えると、何に時間と金を注ぎ込むべきか、ちゃんと考えなければなりませんね。趣味を継続するのは大変です。

孫右衛門 9月13日(火) 21:25
辰巳屋さんの引用されている論文、何時頃発表されたかはわかりませんが零細な商店、それも経営者が高齢者ばかりでは、外部の力による更新をむしろ望んでいる。今のままでは発展性もなく後退するばかりだという認識なのでしょう。
確かに以前の商店街からはその雰囲気が感じ取られました。そのような住民とそれを取り巻く自治体だけでは、建物の保存という考えは選択肢には微塵もなかったんでしょうね。
しかしここまで見事なのは他には知りません。何やら潔さすら感じます。
少し話題を変えて、これは奈良少年刑務所です。以前から一度見たいと思っていたのですが、ちょうど入所者の作品展が行われていて大勢の人でした。しかも現役の刑務所としては間もなく幕を閉じるとのことで、建物がどうなるのか気になるところです。
万訪さんのストイックさは、適当な私には真似はできませんね。それが日常業務へのバネにもなっているのではと思います。

太泉八雲 9月13日(火) 22:11
孫右衛門さんの「奈良で衝撃的な光景」とあったので、もしかしたら「大和郡山」あたりかな?と思いましたが、橋本でしたか。

橋本も2〜3度訪れていますが、町並み写真を探してみると...無い。
結構、枚数を撮った記憶があったのですが、無い。こ、これは....。

と、ふと思ったら、橋本は奈良県ではなくて和歌山県でしたね。写真も無事残っていてホッとしました。

しかし、橋本の衰退はかつての藩政時代から明治期の交通体系が大きく転換して、和歌山、奈良、大阪圏のどこに属しているのか不透明で宙に浮いた存在にあるかも。
一気に区画整理と再開発を行ったところで、どこの都市圏のベッドタウンになりうるか。なりうるならば、もっと早い段階でその兆しが見えていたかも知れませんね。

話は変わって、万訪さんの言われるコンプリートの旅。

私はもうそれは卒業したつもりでいましたが、最近やはり酒蔵巡りで気がついたら再燃していました。

これも、町並みと、そして七ちょめさんの行われている「旅館・旅籠」巡りと同様に、日々衰退・廃業の一途をたどっている中で、「いつやるの?、今でしょ!!」であります。

孫右衛門 9月14日(水) 00:06
和歌山県では和歌山市周辺とは別に、紀ノ川沿いの最奥に位置する橋本市が南海電鉄によってストローのように大阪の通勤圏になっているようですが、その象徴が田園林間都市ですね。一方昔からの市街地もこうして容赦なく更新するのですから、大阪近郊都市として変貌させようとする魂胆があるのでしょうか。
奈良盆地南部あたりでも近鉄で大阪と直結しているところとそうでないところで差があるように感じますね。桜井線沿線は長閑な大和盆地の片田舎ですが、橿原市あたりは古い町並が残る地区を除いて大都市近郊の雰囲気です。そしてまた五條あたりになると、その匂いが全くしなくなりますので。

urano 9月14日(水) 23:25
橋本は、私が行こうと計画したときには、すでに歴史的な町並みが消えていました。
2002年には『橋本の町と町家』という詳細な調査報告(調査自体は1999年開始)が刊行されたので、「近いうち重伝建になるんだろう」と思っていましたが、とんでもない! 残された町家を記録し、心置きなく区画整理するための調査報告だったんです。
逆にいえば、報告書にもとづけば、いつでも町並みを復原できるということにもなるのですが。

ちょっと話がそれますが、先週末、福島県の大内宿と前沢で開催された「全国町並みゼミ」に参加してきました。
そこで、新潟県村上市の町人町の保存を牽引されている方に出会いました。その方の話では、20年近く前の町人町は俗にいうシャッター通りだったこともあり、住民の95%が道路拡張と町並みの改造を望んで要望書を提出したのだそうです。しかし、残り5%の中から「古いものこそ価値があるのではないか」という声があがり、とりあえず道路拡張は回避。その後、修景事業(黒塀プロジェクト)がはじまり、現在では重伝建の選定を目指した運動が本格化していると仰っていました。

このような意識の変革は、若干の時間差はありますが、全国各地で見られると思います。大規模開発は一過的なものであるし、近年の旅行ブームや、将来的なインバウンドの増大可能性から、歴史景観を大切にしたほうが経済的には有利だろうという認識が広まっていると感じます。
実際、重伝建の選定数も2000年代後半から増えています。
(※ただし重伝建の選定は、準備・調整も長期間に及ぶため、意識変革を示す指標と言い切れない部分もあります)

場所により、1軒、また1軒と空き家が増えたり、耐震・耐火性の問題から、少しずつ町並みが変質していくことは、ある程度仕方のないことと思います。
しかし、橋本のように歴史景観を意図的にごっそりなくすのは、20世紀までの発想なんだろうなという気がします。

長文失礼しました。

万訪 9月15日(木) 13:47
われわれの活動は町並み保存には大変役立っていると思いますよ。実は、日本人より外国人の方が興味持ってる。サイトも英語にした方が良いのでしょうね。

孫さん、奈良少年刑務所行かれましたか。すごいでしょ、残り方が。法務省で発表していますが、利活用する方向で検討が進んでおります。

七ちょめ 9月15日(木) 18:31
奈良少年刑務所の門 なんか違うなあと見ていたら、孫右衛門さんの写真は門の内側からでした。
通常は入れませんので。貴重な写真です。
私の摂ったのは2003年とありますので、随分前ですね。

Kさん 9月15日(木) 21:29
奈良県や橋本市は馴染みのある地域だけに私も論議に参加したかったのですが、たまたまパソコンがダウンし、修理に出していたので、タイミングを失いました。パソコントラブルはマイクロソフト関係のソフトの不具合とかで、立ち上がらなくなりましたが、おかげさまで大きな影響なく、リカバリーできました。お気に入りのリストとがなくなってしまいましたが・・・。

18日にグループで奈良少年刑務所周辺にスケッチに行くことになっています。11日と12日は作品展が開かれていたようですが、今回が最期に作品展みたいですね。本館をホテルにする案もあると新聞で読みました。以前スケッチに行ったとき、門から内部を覗いていたら、守衛さんに「面会ですか」と聞かれました。年齢のこともあり「入所希望」とは言えませんからね。塀の外から描いた本館です。

七ちょめ 9月15日(木) 21:38
今日 中秋の名月です。撮った写真です。

孫右衛門 9月16日(金) 07:14
奈良少年刑務所は当日大変人が多かったですが、今は現役なのでこういうときしか敷地内には入れないですね。ただ、門は一応撮影できましたが、本館周辺は人が写るため無理でした。ちょうど杉良太郎氏などが来られて挨拶をされていましたので。
ホテルとして活用する案があるのですか。
uranoさんは町並ゼミに参加されていたのですか。私はかなり前鞆で開催された時、最後の総括会みたいな部分のみ傍聴しました。このような活動で町並保存の気運が高まれば言うことなしですが、実際どうなのでしょうね。
言われるように、橋本の再開発は高度成長期やバブル期的な発想ですね。最近の流れなら、全てとはいわなくとも曳き家で残すといった手段もあるはずです。それだけ住民の意識も低かったのでしょう。
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1604: 新潟県・長野県の宿 七ちょめ 9月10日(土) 09:35
写真は長野県小谷村小谷温泉山田旅館の夕景の一部です。
新潟県上越市の直江津駅前の駅前旅館附船屋と小谷温泉山田旅館に宿泊してきました。
山田旅館の対象になる部屋は余りに多くて、思うように電気を点けてとは言えなかったです。
この写真から見ると古い古い旅館のように見えますが、内部は大変綺麗に改装や改修がなされていて、快適に過ごせるのにはビックリしました。
何度も訪ねて行きたいと思う温泉旅館でした。
江戸期の建物も立派に残っていましたが、平成26年11月26の震度6の地震で少し傷んだので、今は客室として使ってないとこことでした。
でも、頼んで中を見せてと大女将に頼み案内してもらいました。この大女将は20代目と云うことですが、今は21代目がしっかりやっているので、自分では女将じゃないとの言い訳を何回もしていました。
この江戸期の建物の客室を見せて貰いましたが、地震で少しは痛んでいるかもしれませんが、今でも立派に客室として使える状態でした。只古い形式の建物のためトイレを近くに設置できないので、客室としての使用を控えているのだろうと思いました。
今回の行程では雨に合っても不思議でない状態でしたが、一度も雨に合いませんでした。
雨が降ったのは帰る日の電車の中で糸魚川から金沢そして福井位の間でした。
山田旅館は海抜850mだそうで、雨が降ってませんが夕方にはガスがかかっていました。

太泉八雲 9月11日(日) 08:41
おお、山田旅館はやっぱりいいですね。
以前から目をつけていた旅館でしたが、近いうちにいってみたいですね。

近況としては、とりあえず先日の山形酒蔵めぐりの旅をブログにアップしました。
今月はいそがしくて休みが無く、今日も出勤です。
また、週末は体力作りとダイエットを兼ねてジムで汗を流していたりして、ぶらり旅にも出ていません。

あと、山形で大量に買い込んできた地酒を日々飲みながら、旅の記憶にふけっていたり。

http://tztom.exblog.jp/

万訪さん、また近々飲みませんか?


七ちょめ 9月11日(日) 16:17
小谷温泉の山田館の写真ですが、奥の3階建ては大正3年建築、手前の2階建ては明治期に他所から移築したそうです。江戸期の建物はこの写真の右側にあります。一番奥に見えるベージュ色の建物は平成に入ってから建築された鉄筋コンクリート造りの3階建てです。この部屋は私にとっては対象外。
一般にこの様な建物を見ると内部は相当傷んでいると思うでしょうね。
でもこの小谷温泉の山田旅館は期待に反して、見事に整備・改修されていました。外観からはとても想像できません。
でも、流石に部屋にトイレは無かったですが、廊下に出ると最新型の設備のトイレや洗面場所がありました。
そして廊下を歩いても音がしませんでした。夜間トイレに行くのに気を使いますのでね。
月に何軒かの古い旅館を訪ねていますが、この旅館は外観と云い内部の造作といい、私にとっては評価外の温泉も食事も最高でした。そのうえ宿代もこれで良いのと思う値段でした。
その上ビックリするのは、手前の広い場所、真ん中にコンクリートの帯が奥に走っているでしょう。このコンクリートの建物側の土砂を冬前に全て取り除き温泉の流して、除雪するそうです。
この場所が池になっている写真が多く見られますので、女将に訪ねると毎年土を除いて温泉水を流し融雪するのだと云っていました。凄いことです。


万訪 9月11日(日) 18:58
山田旅館とてもいい宿ですね。実は行ったことがあるのですが、デジカメ時代では無かったからか、写真が見つかりません。何軒かが集まった集落ではないでの撮影しなかったのかなぁ。一軒でもこれだけの建物があれば立派な集落と言っていいのに。

施設も食事もよかったようですね。信州北部の未踏地とともに行きたいです。

太泉さん、相変わらずお忙しそうですね。東京分科会やりましょう! 太泉さんほどではないですが、私も忙しく、10/10以降であれば大丈夫です。よろしくお願いします。

太泉八雲 9月11日(日) 19:21
山田旅館は関東甲信越地方では今や希少となった「自炊」の出来る「湯治旅館」なのですよ。
できれば連泊したい。でも宿の豪華な夕食はちょっと...。と言うとき。
あと、連泊する時の昼食は?最寄りの食料品店まで車で20分。
でも、私が行くときは電車とバスの公共交通機関かな。食材は持ち込みかな。
東北の湯治温泉では購買部(販売部)のある旅館もあるのですが。

いずれにしても、夢と妄想が膨らみますね。

万訪さん、10月中旬ですね。了解しました。ぜひやりましょう。

七ちょめ 9月11日(日) 19:56
私が泊った日にも湯治客に近いお客さんが一人おられました。
旅館として利用する客は大体 一ヶ所に集めて、食事場所も同じでしたが、湯治客には別の食堂で料理の内容も違うようでした。自炊の料理する場所などはありましたが、湯治客は男性一人だったので、自炊するのは困るというのでしょうね。長期にわたって逗留されているようでした。泊っている建物も別の棟でした。

七ちょめ 9月11日(日) 20:22
山田旅館ではなく、新潟県上越市の直江津駅前の駅前旅館の附船屋の玄関前の雁木の天井です。
この雁木は全て個人の所有ですので、この旅館がこの様な立派な雁木の天井を造ったのです。
でも、最近は雪が少なくなり、雁木の部分にも家を建てる方が多くなっているようです。
雁木の通りの外側に歩道がありその外側に車道がありますのでね。
雁木を無くされても文句が言えないそうですが、この旅館の辺りは雁木を残そうとの申し合わせがあるそうです。
それにしても立派な雁木の天井です。

孫右衛門 9月12日(月) 00:01
小谷村付近は昨年晩秋に地震がありましたね。私も青鬼集落などを9月に訪ねた後だったので、非常に心配になりました。でもそれを乗り越え営業を続けられているようでなによりです。
それにしても、このような過疎の山間豪雪地区での元気さには色々陰の努力あってのことなのでしょう。その辺を含めて解説いただけるとありがたいです。

私はこの週末奈良県を訪ねていました。町並探訪だけが目的のものではなかったのですが、色々感じることもあり、最後には衝撃の光景も眼にしました。また報告します。
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1602: この窓は何でしょう。 七ちょめ 9月 5日(月) 19:12
この写真は新潟県糸魚川市筒石の町並です。
「いらかぐみ」の多くの方が訪ねられていますが。
右側の町並の手前から2軒目の家に、道路に接するような下の方に窓がありますね。
何のための窓か?? ご存じでしょうか。

今日の昼の番組で筒石の町並を歩いていた番組のレポーターが、中を見せてと訪ねていたのです。
筒石の写真を改めて見ると、この一軒だけじゃなく結構多くの家に、この様な窓が備わっています。 何のための窓と思われますか。

万訪 9月 5日(月) 19:53
いい問題ですね。私の写真にもいっぱい写ってました。必ず上の窓が高くて小さい!

万訪 9月 5日(月) 19:54
こんなものまで!


七ちょめ 9月 5日(月) 20:59
このお宅では下の窓が少し開いていました。
目的があって開けているようです。
明日から新潟県と長野県の宿に泊りに行きます。帰ってから何のための窓かを云います。
それまで頭の体操をしていてください。

それと私は早くから銀行関係はネットでやっているのですが、セキュリテイを強力なものにするため、あるソフトをインストールして下さいと来たのです。
セキュリテイが強力になって、万一本人の知らない間に預金などが他人に操られることが無いようにと。
殆どの買い物はネットやネットのカード使用、また銀行のダイレクトバンキングを使っていますので、普段から万一と思っていました。まあ、ネットで使う口座には多くの金額を置かないようにはしていますが。
セキュリテイが強力になると安易にインストールしたのです。そうしたらインターネット等の画面が開くのが遅くなるわ、この掲示板に投稿するにも、セキュリテイ―が甘いのであなたの情報が漏れる可能性がある。設定をやり直してくださいと表示されるのです。
パソコンが重くなったのはチョットこたえます。

孫右衛門 9月 6日(火) 22:15
昨日もこの記事を見たとき考えてましたが、どうにも降参です。
近くに蛇口や流しがあるのが多少気になります。漁具を収納する場所か何かなのでしょうか。
それにしても七ちょめさんが銀行や買い物などでネットを大いに活用されていると聞いて驚きです。私はアマゾンで時々買い物するくらいですが。後は楽天トラベルやレンタカー予約などを探訪時に活用するくらいでしょうか。

urano 9月 6日(火) 23:56
ゴミを掃き出す窓にしては大きいですね。
筒石は漁村でもあるし、中が漁具の洗い場になっていて、そのまま水を流すための窓だと予想します。
最後の写真で「目的があって開けている」のは、風を通して中を乾燥させるためかなぁ、と。
でも路面が濡れていませんね。

Yasuuko 9月 7日(水) 09:50
私も、筒石には行きましたが、わかりません。明かり取りとか、道具入れとか考えましたが何なんでしょう。

万訪 9月 7日(水) 22:03
最初はお風呂場のたき口かなぁと思いましたが、そうだとすると外から開閉できなければなりませんね。そうなっていない。
一見、通風のための地窓かと思いましたがそれも違う。その上の窓が高すぎる。
そこでいろんな写真、ストリートビューを見ていたら、一階がおやおや不思議な感じ。入口こそ道路と同じレベルにあるのに窓の高さがまちまちではないですか。そして、中には入口に階段がある家もある。
これは半地下室ですね。つまり、一階がメゾネットのようになっていて、一階の床が高いところがあって、その下が納屋になっているのではないでしょうか。木造三階建てが多い筒石では、限られた敷地の中でできるだけ床を増やそうとした結果に生まれた家の形式なのではないでしょうか。斜面にたつ密集系漁村集落で見るような形態が、さほどの傾斜でもないのに生まれたものではないでしょうか。
筒石は舟屋の残る漁村でもあります。伊根町のように船を収納する家屋の形式から発展したものかと妄想が膨らみます。何れにしても珍しいですね。

万訪 9月 8日(木) 09:00
もう1つ気になるのが、上が台所かな?ということです。窓の上にガスメーターついてる家が多い。まさか、冷蔵庫だったりして。氷室という奴。まさかね、、、

七ちょめ 9月 8日(木) 17:12
先ほど、新潟県と長野県の旅から帰ってきました。
流石に万訪さんは、建築設計の方面からの目ですね。

完全に正解です。

と云っても私が確かめた訳ではないのですが、テレビの番組で遣っていた受け売りです。
テレビでは地下室と云っていました。通気・換気と明かり取りらしいです。
明かりの大部分は電気らしいですが、一部換気も兼ねてのものらしいです。
狭い土地に、床面積を広げるために、3階建てになったり、地下室を作ったりの様です。地下室や半地下室は少々に湿気でも平気なものを収納するらしいです。

万訪 9月 8日(木) 18:24
新潟⇨長野の旅、お疲れ様でした。
筒石は漁業で相当栄えたのですね。大分県の保戸島との共通点を感じます。いくら土地がないといっても、地下室や三階建てというのは、そうそうあるものじゃないですからね。いろいろと妄想できて楽しかったです。たまにはクイズもいいですね。

urano 9月 9日(金) 04:29
七ちょめさん、クイズの解説ありがとうございました。
万訪さんのご推察もたいへん説得力がありました。
なるほど、筒石は土地が限られていて民家が高層化したのであれば、地下にも伸びて不思議ではないですね。
ただ、海岸・河口近くにあって、浸水の心配がないのか気になりました。
海抜5メートルくらいありそうなので、大丈夫なのかな??

七ちょめ 9月 9日(金) 09:06
この地の説明によると、日本でも有数の地滑り地帯らしいです。
昔の鉄道はもっと海岸寄りを走っていましたが、地滑りの多発により、今では海岸から離れた所をトンネルで通過しています。7日にこの筒石の地下深い駅を通りました。
筒石駅で降りて、長い階段や坂道を登り駅の外に出て、一人山道を海岸沿いまで1.5km程を下り集落を訪ねることも出来たのです。でもタクシーもないし帰りには山道を1.5km程登ることを考えると、時間的余裕は十分でしたが、辞めました。この辺りは年齢のためでしょうね。
M014010098160.v4.enabler.ne.jp
1603: 幻の「カツ丼」 七ちょめ 9月 8日(木) 18:44
長野県南小谷駅前の食堂のカツ丼。万訪さんと太泉八雲さんの推奨のカツ丼でしたが。
直江津の旅館の朝食の「おかず」だけを食べて飯類を食べずに、南小谷駅前のカツ丼に挑戦するはずで、一目散に食堂に向かいました。そうすると水曜日は定休日とありました。なんたることか。
手前の雑貨屋さんで他に食べる所は無いかと聞くと、川(姫川)を渡った所に一軒あるが、遣ってるかな??。
行ってみると、玄関は開き店の中は冷房されているのですが、声をかけても誰も出てきません。
さて、駅前に無かったら、とても食べる所など有る筈がないと、何か食料品店でもないかと歩いていると
、小谷村役場の近くに小谷村資料館と物産館がある。物産館内に蕎麦屋があることが判明し、注文したのが小の「ざる蕎麦」でした。少ししか食べる気がしないので「小のざる蕎麦」を注文した次第。


万訪 9月 8日(木) 19:26
あらぁ、定休日でしたか。カロリー調整までされたのに、残念だったですね。せっかく行ったのに休みだったり閉店だったりする経験は私もしょっちゅうあります。ガックリしますよね。
i60-43-49-28.s30.a048.ap.plala.or.jp
1601: 九州の旅 辰巳屋 9月 4日(日) 06:00
先々週、夏休みを利用し妻の実家の宮崎に帰り、往路で唐津(中町・大石町・高取邸・呼子・殿ノ浦・名護屋城跡・星賀・浜玉)、伊万里(本町・船屋町・大川内山)、武雄(武雄温泉)を訪問しました。また帰路に宮崎県(都濃町・日之影町・高千穂町(三田井・河内))、熊本県では高森町(高森・津留)・阿蘇市(坂梨)、大分県では竹田市(長湯・久住・城原・玉来)・九重町(筋湯)、日田(咸宜園)、玖珠町(北山田)、福岡県では東峰村(宝珠山・いぶき館・小石原皿山)を訪問しました。

画像は、唐津本町竹屋(うなぎ屋)さんです。木造3階建で旅館かと思いましたがずっとうなぎ屋だと聞きました。城下町としての風情が多く残されているように思えますが、地元の人によると、やっと古い建物の保存に力を入れる気運が上がってきている状態で、古い建物は残り少なくなっているようです。

辰巳屋 9月 4日(日) 06:01
画像は、阿蘇の南・高千穂町に隣接している高森町の本町です。熊本地震の影響は外見的にはあまり見受けられないようでした。

辰巳屋 9月 4日(日) 06:06
画像は、長湯です。
竹田市直入町の長湯は、日本一の炭酸泉で有名です。小さな商店街とともに湯治場としての風情が残っています。

万訪 9月 4日(日) 15:30
数えたら29か所もありました。凄いです。唐津本町の木造三階建ての鰻屋さん、記憶にないなと写真を調べたら撮ってました。2003年だから13年前。亡くなったカミさんが写った写真を発見したりして、懐かしく思いました。竹田の長湯温泉も行ったことはないですが、よさそうな温泉場ですね。地図でみたらラムネ温泉館なんていうのが出てきました。シュワーって感じの湯なのでしょうか。温泉地は、伝統的な町並みとしては最も発掘の進んでいない分野だと思っているのですが、戦前にこだわらなければ追っかけ甲斐のあるテーマだと思っています。

七ちょめ 9月 4日(日) 20:56
辰巳屋さん 多くの町並を訪ねられましたね。私も訪ねた所も少しはありますが、殆ど知らない所ばかり。
宿を訪ねた企画で九州も検討しています。成るだけ早くUPして下さいね。町並も検討せねばなりませんのでよろしくお願い致します。

早速 長湯の紅葉館を調べましたが、昭和に入ってからの創業で、ちょっと対象外でした。残念。

辰巳屋 9月 4日(日) 21:57
画像は、筋湯です。
大分県は温泉が多いですよ。湯治場の街並みも魅力的です。九重町の筋湯は、ここも湯治場としての温泉街が残っています。学生時代から利用していた温泉なので立ち寄ってみました。全体としてキレイになっているので驚きました。もっと鄙びた湯治場のイメージでした。
付近には、壁湯、川底温泉、宝泉寺温泉などがあります。

辰巳屋 9月 4日(日) 22:02
画像は、鷹島の阿翁の「吉乃や」です。看板によると創業は明治元年となっています。建物は建て替わっていると思います。
最初の訪問地には記載していません。長崎県松浦市のようです。鷹島には近年橋が架かっていますので、自動車で渡れます。

旅籠宿の選考には、尾道の「魚信」、「竹村屋」、「住之江旅館」もよろしくお願いします。

Kさん 9月 5日(月) 07:29
九州にいるころ、筋湯には何回か行きましたので、懐かしいです。打たせ湯の後ろに見える旅館に泊まり、打たせ湯に入ったこともあります。このほか、無料で男女混浴の公衆浴場がありましたし、何と近くにあるスキー場で滑ったこともありました。

七ちょめ 9月 5日(月) 09:09
辰巳屋さん 旅館の情報ありがとうございます。
鷹島の「良乃や」さんは検討致します。実は平戸市の北浦旅館を入れた3泊の計画を立てているのですが、まだ計画段階ですので。
それと尾道市の3軒の旅館の情報を頂きありがとうございます。
何れの旅館も料理をメインにした高級料理旅館で、一人客を受け入れてくれる可能性は殆どありません。家内がヒョンな機会に”一緒に行っても良いよ”と受け入れてくれれば、3軒とも可能性はあるのですがね。
と云う家内も今日から友達とまた旅行に行きました。「曰く、部屋にトイレの無いのはイヤ」「温泉でないのはイヤ」。古い旅館で部屋にトイレがあるのが??

孫右衛門 9月 5日(月) 22:09
辰巳屋さんのフィールド?である九州各地を多数回られたようですね。私は未訪問のところが多いです。
その中で触れられている唐津ですが、私ももう少し早く町並や建物に気付いて対策していれば、良い町並が保存されていたはずと少し残念に思いますね。
それからやはり温泉の多さですね。7月に日田の安い旅館に泊まりましたが風呂は温泉ではないとのことでしたので、天ヶ瀬温泉の露天風呂が少し頭にあったのですが余りに開放的だったので、結局温泉に浸かる事も出来ず帰ってきました。

urano 9月 6日(火) 23:40
唐津は割と時間をさいて見学したのですが、「竹屋」には気づきませんでした。すぐ近くの唐津迎賓館(赤レンガ)までは行っているのに。駅周辺は町並みも更新されていると思い込んで、あまり歩かなかったようです。
温泉町も多いですね。九州本土は福岡を除き、だいぶ廻ったつもりでいましたが、こうして伺うと行きたい町並みは増える一方です。
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