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1891: オフ会前後の報告遅れました 辰巳屋 6月13日(木) 16:22
今回は、オフ会の前後に中山道を中心に訪問しました。長い旅行になってしまい、報告も遅れました。帰ってみると、畑や家の周囲は雑草だらけで、草刈り機(エンジン付き)で雑草との戦いでした。
中山道は、私が訪問していないだけで、皆さんは既に訪問していますので、中山道以外では、
街並みではありませんが、中津川市加子母の「かしも明治座」を報告します。
「かしも明治座」は、今から100年以上も前に岐阜県中津川の加子母の人々によって作られ、現在も脈々と守られている劇場です。
間口約20m、奥行き約25m。明治27年に建てられた芝居小屋は、建設当時のままの姿を保ち、今もなお現役です。毎年9月に、加子母歌舞伎保存会による公演会をはじめ、クラシックコンサート、落語会など、様々な催しが行なわれています。
岐阜県には、かしも明治座を含めて10棟が芝居小屋として現存しているようです。

辰巳屋 6月13日(木) 16:24
これは外観です。

辰巳屋 6月13日(木) 16:25
烏江(からすえ)・栗笠(くりがさ)・船附(ふなつけ)は、濃州三湊と呼び江戸時代に繁栄した川湊です。伊尾川・牧田川・九里半街道(琵琶湖(米原)と揖斐川(濃州三湊)を結ぶ)沿いに位置して、江戸や尾張・伊勢・美濃の諸国と関西・北陸間の物資輸送上主要な拠点であったようです。

画像は、栗笠の堤防上の街並みです。妓楼のようにも見えます。養老町の情報によると、昔の堤防町の街並みは無くなったと書かれています。この堤防上の街並みの下にも家並みがあります。

辰巳屋 6月13日(木) 16:26
画像は、船附の街並みです。現在は商店街の機能はないようですが、看板等に往時の繁栄がしのばれます。

孫右衛門 6月13日(木) 21:45
岐阜の玉井町界隈を皆で訪ねたあと、堤防下の町並に引き込まれてそのまま解散となった出来事から、辰巳屋さんの町並探訪に対する執念を感じました。私はあの時暑くて少々適当な感じになっていたものです。
中津川市旧加子母村に残る劇場は全く知りませんでした。文化財になったりして知名度の高いものはごくわずかであり、保存状態などを問わなければ実はまだまだ多くの芝居小屋・映画館建築が残っているのではと感じます。
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