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1705: 万訪様にお願い。 JUDAS / CHRIST 7月15日(土) 10:26
万訪様、はじめまして。
JUDAS / CHRISTと申します。
初めて書き込みさせていただきます。

万訪様の「集落町並みWalker」を拝見し、是非訪れてみたい場所を発見致しました。
コメント欄がございませんでしたので、こちらでお尋ねさせていただきたいと思います。

「集落町並みWalker」の‘東京・青山’の頁の、最上段(1枚目)の写真の場所は、どの辺りでしょうか。
http://www.shurakumachinami.natsu.gs/03datebase-page/tokyo_data/aoyama/aoyamafile.htm
町名でいうと、おそらく港区南青山・西麻布辺りだと思うのですが、具体的に何丁目何番地までご指南頂けますと幸いです。
私、外苑前・表参道近辺は学生時代(’80年代)に非常に馴染みのある土地だったのですが、すぐ傍の南青山・西麻布辺りは、あまり行った事がありませんでした。
そこに、これほど昭和レトロ(’70年代以前)の香りのする場所があると知らず、お写真を拝見して感銘を受けました。
20年前の12月撮影との事で、今は風景が変わっている可能性もありますが、是非訪れてみたいのです。
宜しければ、町名・番地をご教示頂ければと思います。
何卒、お願い申し上げます。

七ちょめ 7月16日(日) 11:18
万訪さんは今、旅に出て居られます。しばらくお待ちを。


七ちょめ 7月16日(日) 11:38
前の投稿で「大きな画像の投稿テスト」して上にあがってしまったので、この投稿を再度上にあげようとしたら、おかしなことになってしまいました。
この投稿文は正常に出るか。

万訪 7月19日(水) 14:29
JUDAS/CHRISTさん、私のサイトの掲示板がとまっていてすいませんでした。
場所は下記の周辺になります。ピンポイントで思い出せません。
〒107-0062 東京都港区南青山4丁目13−2
よろしくお願いいたします。

JUDAS / CHRIST 7月19日(水) 22:58
七ちょめ様、こんばんは。

万方様ご旅行中の旨をお伝えいただき、ありがとうございました。
七ちょめ様のサイト「古い町並みを歩く」も、是非、拝見させていただきたいと思います。

JUDAS / CHRIST 7月19日(水) 22:58
万訪様、こんばんは。

ご教示いただきまして、誠にありがとうございます。
Googleマップのストリート・ヴューで周辺を見てみました。
新しめの建物や建設中の建物も多いものの、かなり古い個人宅やアパートも、ぽつりぽつりと残っていますね。
件の写真の場所は、ストリート・ヴューでは見られない狭い道の風景の可能性もありますね。
そっくりそのまま残っている可能性は低いかもしれませんが、時間のある時に現地を訪れ、なんとか見つけ出したいと思います。
変貌具合を見届けるのも、また一興かと思います。
改めまして、この度はありがとうございました。


万訪 7月23日(日) 10:39
JUDAS / CHRISTさん是非行って見てください。そして、レポいただけたら幸いです。
私も「どの変だったかなぁ」とGoogleマップの空中写真で確認しましたがわかりませんでした。主要な道は階段で残っていますので、あの写真は私道だったかもしれない、再開発の中で無くなってしまったかもしれません。しかし、行って見るとおそらく何かがわかるはず。
ちなみに、あの場所から西麻布にかけての低地は戦災に遭っていないエリアで、西側の斜面との間の階段などがまだ他にもあったと思います。


太泉八雲 7月26日(水) 08:17
掲示板のソースコードを見たら変な記述があったので削除しました。表示は直っていると思います。
p5942075-ipngn27701marunouchi.tokyo.ocn.ne.jp
1710: 富山に行きました 辰巳屋 7月25日(火) 06:26
1週間以上遅れた報告になりましたが、7月の連休に富山に行きました。富山市内の製薬業の金岡邸、富山一の豪農の内山邸、岩瀬、滑川、上市、伏木、内川界隈(射水市)、砺波の散居村、井波などです。
画像は、金岡邸です。富山の製薬業と薬売りについて改めて知識を吸収できました。そして我が家にも置き薬があり、大きな風呂敷を担いで来て、帰りに紙風船をもらったことを思い起こしました。

辰巳屋 7月25日(火) 06:31
射水市の内川界隈(昔は「奈古)と呼ばれ、現在は放生津町)は、街並みが海に近く、このような大面積で海と運河(内川)に囲まれ、住居も一帯となっている街があっただろうかと思いました。


七ちょめ 7月25日(火) 09:39
この運河の風景、見たことあると思ったら射水市放生津でした。この船は何でしょうね。
富山県を訪ねられて成果があったようですね。なによりです。
富山の置き薬は戦後我が家にも置かれていましたね。昭和30年〜40年頃は全盛期だったと思います。今でも続いているようですね。
もう少し経ったら、徳島県の旅??(泊るだけ?)に出ようと思います。発信はブログとフェイスブックで!!

万訪 7月25日(火) 17:32
金岡邸は知りませんでした。中心市街地から東の方にあるんですね。暗くてわかりづらいですが、登り梁で一階の庇が草葺きでしょうか?富山の町家は一階の庇が白木の場合が多いですが、草葺きは珍しかったように思います(他にもあったかなぁ)。

孫右衛門 7月25日(火) 21:34
この放生津付近は、地図を見ると港湾地帯のような殺風景な風景しか想定できないのですが、そこに古い町並があるという点では珍しい町並ですね。
極めつけはその西側にある庄西町という島のような地形上にある町並です。
置き薬は祖父母のところにあって定期的に営業の方が交換に訪れていた記憶がありますが、あれも富山売薬だったのでしょうね。

辰巳屋 7月26日(水) 06:15
内川の船は、定置網漁の漁船でしょうか。このあたりは定置網が盛んに行われています。
内川の南側は放生津新町(現在の本町3丁目)と呼ばれていたようである。本町には、海商「宮林家」の広大な邸宅がある。

画像は、立町の見越しの松の見事な料亭のある飲食街です。このあたりに、料亭、割烹、スナック、クラブ、ラーメン屋などの飲食店が密集していて、湊町の繁栄を今に伝えているようでした。
210163222007.mcat.ne.jp
1708: 隠岐の集落と船小屋 urano 7月20日(木) 22:49
他のスレッドで七ちょめさんが書かれているとおり、7月15、16日の2日間で隠岐に渡ってきました(facebookは主に知人に向けた速報用と位置付けておりますので、ご了承ください)。

これにて、古民家・集落的な観点で外せないと個人的に思っていた日本海の四大離島=佐渡・隠岐・壱岐・対馬=上陸達成です。隠岐の風景の印象は、対馬と壱岐を足して2で割ったような感じで、急峻な山がち地形を基本としながら、開けた土地には田んぼもあって驚きました。

今回は三連休の3日目に所用を予定したため、2日間の探訪となり、知夫里島には行きませんでした。
滞在時間は、島後が21時間、中ノ島(海士町)が2時間30分、西ノ島が3時間ほど。それでも、予定した場所はおおむね廻れました。

町並み・集落として見学したのは以下の通りです。

島後=西郷(西町・東町)、大久(おおく)、卯敷(うずき)、飯美(いいび)、西村、久見、油井、那久、都万釜屋
中ノ島=菱浦、海士
西ノ島=別府、浦郷、三度(みたべ)

写真は卯敷の船小屋です。傷んだ船小屋もありましたが、半壊のものも含め16棟確認できました。

urano 7月20日(木) 22:56
飯美の船小屋。なんと22棟もあって驚きました。これは道路拡張後に復元整備された都万釜屋の船小屋(21棟)をしのぐ数です。
船小屋の前の浜では子どもたちがサザエ採りをしていて、とてものどかな光景が広がっていました。
宿泊したホテルのオーナーに聞くと、「島の子どもはサザエを民宿などに売って小遣い稼ぎをしている」とのことでした。

urano 7月20日(木) 23:05
那久の板壁集落。見越しの松が見事です。
島後の北西海岸には、冬の季節風から家を守るための垣根が発達しました。今回、垣根の集落としては久見、油井、那久を訪ねました。それぞれに違いがあり、興味深かったです。

urano 7月20日(木) 23:13
中ノ島、海士の村上家。ここに流された後鳥羽上皇の生活を金銭面で支援したといわれる豪族の家柄です。現在の建物は明治33年。この付近は島の中でも古い地区のようですが、町並みはそれほど歴史的ではありませんでした。
同じ中ノ島では、現役の港である菱浦のほうが断然、見ごたえがありました。

urano 7月20日(木) 23:23
西ノ島の三度集落。島で唯一、外海に面した集落です。三度は隠岐に特有の農法である牧畑を営んだ集落で、周囲の山中にはその痕跡が顕著ということで訪れましたが、中心集落も古民家が多く見応えがありました。
大棟を石で造作するのは隠岐民家の特徴です。今回の旅でそれを最も多く見られたのが三度でした。

七ちょめ 7月21日(金) 10:54
短時間で隠岐の多くの所を訪ねられましたね。
nranoさんのレポートを見ていると、同じ所を訪ねても、見ているものは私とは異なるのが面白いです。
そう云うと、私は町並しか見ていないですね。それしか見られない偏見があるのかな。

孫右衛門 7月21日(金) 21:27
隠岐は私にとっては隣県なのですけどね。しかもその前に壱岐や佐渡を訪ねているのに今ひとつ候補に挙がりにくいところです。
町並がないわけではないのですが、やはり近い割に手間や時間がかかることが、足を向いにくくしている要因でしょう。遠い方々の方が思い切りやすい。

町並だけでなく、ダイナミックな海岸の景色や地物の魚を味わってみたいものです。

今年は春以降比較的順調に探訪を実行したので、盛夏の時期は本格的な探訪は控える予定で9月頭の京都までは予定はありません。但し、結局盆休みに1泊程度の探訪を入れる可能性もありますが。
というようなことで隠岐はいつになるか。晩秋以降は海が荒れるので、来年になりましょうか。といいながら結局先延ばしになるのでしょうね。

urano 7月21日(金) 22:38
七ちょめさん
島後は外周をまわるだけであれば、意外と探訪しやすかったです。
私は単体の民家にも関心があって、島後は億岐家住宅と旧佐々木家住宅という2件の重文民家があるという点でも見逃せない場所でした。

孫右衛門さん
隠岐は広島からでも拠点港までのアクセスが難ですね。
しかも道中に魅力的な町がたくさんありますし・・・。
私も東京都の離島にはなかなか足が向きません。竹芝桟橋はすぐ近くなのに、そうこうしているうちに八丈島の高倉も減ってしまうのでしょうね。
というわけで、こちらも「今年こそは」と計画しているところです。

辰巳屋 7月22日(土) 06:21
隠岐の島は良い所ですね。学生時代に訪問しただけで、その後は訪問していません。その時は、フェリーで渡り、自転車で廻りました。
船小屋は、日本海側の漁村には広く分布しているものでしょうか。若狭湾には多いとは知っていますが。

松江の近郊にも残っていました。画像は、松江近郊の船小屋です。船小屋というのかどうかは分かりません。

万訪 7月22日(土) 08:27
飯美の舟屋は知りませんでした。私が行った時は全く情報がなかったですが、今地図を見ると案内が出ていますね。集落町並みはやはり増えていくもんだとつくづく思います。また行かねば。
画像はローソク岩。荒れた岩場の海を小さな船に乗って見に行きました。ものすごく怖かったのを覚えています。

七ちょめ 7月22日(土) 08:55
このローソク島のローソクの点火した風景。良いですね。
この画像は黙って著作権侵害で他人に使われそう。そう簡単に撮れるものではありませんのでね。
私は隠岐島の島後を訪ねたときには、ローソク島の観光は初めから諦めて予定にもいれませんでした。
万訪さんの確か二日に亘る粘りでの撮影のページを見て諦めたと思います。

urano 7月23日(日) 08:06
飯美には案内が出ているのですか。現地ではまったく気づきませんでした。
INAX出版の『舟小屋』(2007年)には25棟とありました。10年間で3棟しか減っていません。お住まいの方が大切にされているのでしょうね。
卯敷については、2000年発行の別の書籍に28棟とあり、こちらは約20年でほぼ半減しています。今後、少しでも維持・整備されるのか気になります。

辰巳屋さんの松江の舟小屋も素朴でいいですね。この付近では大芦という集落にも立派な舟小屋があったようですが、現存するかは未確認です。
INAX出版では青森から島根までの本州の日本海側と、佐渡・隠岐に舟小屋があると紹介されています。

万訪 7月23日(日) 09:33
舟小屋は日本海の砂浜の集落に見られますね。ちょっと思い出したところでも佐渡で見ました。北のほうで比較的大きいのは筒石ではないでしょうか。かなり厳しそうな場所だったんで、現在どうなっているかわかりませんが。Googleマップの空中写真で海岸沿をずっと舐めて見ていくと確認できます。
i60-43-49-30.s30.a048.ap.plala.or.jp
1709: 松山佐田岬半島沖ノ島鵜来島 万訪 7月22日(土) 08:47
先週末はタイトルの集落町並みに行ってまいりました。一週遅れにレポです。
松山:戦災後の復興都市。戦後の町並みが見どころ。また、昭和初期の愛媛県庁が良かった。
佐田岬半島:青石の石垣集落が見どころ。今回2回目で事前のGoogleマップで拾い上げていた集落をしらみつぶしに歩きましたが、どこもgood!
沖ノ島:地形が対照的な2つの集落を22年前と比較しながら定点観測的に歩きました。懐かし半面、ついこの前きた感じがしました。
鵜来島:念願の鵜来島。釣師には憧れの島だそうですが、町並み探訪する人はいないでしょう。過疎化の極みですが、何とか守ろうとされている方々の熱い思いを聞きました。
遊子:重要的景観の段畑集落。漁業が不振だっった時代に開発した農地。先人の魂を感じました。メンテが大変だそうです。

画像は佐田岬半島

万訪 7月22日(土) 08:47
佐田岬半島の天界の村

万訪 7月22日(土) 08:48
佐田岬半島の天界の村2

万訪 7月22日(土) 08:49
佐田岬半島の天界の村3

万訪 7月22日(土) 08:51
沖ノ島弘瀬
3割くらい家が減ってました。カラフルな景観は変わらずですが、定点観測すると結構色が変わっていることがわかった。

万訪 7月22日(土) 08:52
鵜来島
ガンバレ!

万訪 7月22日(土) 08:54
遊子
これを作り上げた先人達もすごいですが、この状態を維持している現在人達もすごい!

七ちょめ 7月22日(土) 16:36
あまり多くの画像を投稿されるのでどれにコメントして良いのか迷いますが、一番感銘を受けた最後の画像から。
宇和島市の遊子水荷浦の段畑と云うらしいですね。
以前万訪さんに聞いた時には耕作物が無く土のままとのことだったので、調べるとジャガイモ畑だそうで、収穫直後だから土のままだったようです。
そんな耕作物よりも、この急斜面の石垣は凄いですね。それも今も維持されているのはもっと凄いと思います。

孫右衛門 7月22日(土) 21:26
佐田岬半島は一部の港町しか訪ねていませんし、半ばまでしか足を踏み入れていません。
こちらも私にとっては隣県ですね。山口や岡山は山陽筋で近隣という意識は強いですが、山陰はワンクッションあり、愛媛やuranoさんの訪ねられた隠岐はもう1ランク遠い地となってしまいます。そのためやはり、佐田岬半島のようなところは足が向いにくくなってしまうのでしょう。
天界の村とは言いながら、意外にも町家風の建物もあるのですね。

万訪 7月23日(日) 01:32
佐田岬半島から沖ノ島までの豊後水道沿はとにかく石垣が素晴らしいの一言です。佐田岬半島は四国山地の稜線の延長線上と行っていいほど急峻な地形で、斜面にへばりつくように集落が形成されていて、かつ海からちょっと離れたところにありますので、天界の村と位置づけています。いらかぐみ掲示板ということで、町家っぽい建物を選んで載せました。そんなに多くはありませんでした。

辰巳屋 7月23日(日) 05:38
愛媛の南予地方の海側は廻っていなかったのですが、素晴らしい景観があるのですね。特に遊子の段々畑は素晴らしい。遊子のあたりには、リアス式海岸の半島や入江が多くあり、大変興味をもっております。

urano 7月23日(日) 08:19
遊子の石積みは見事というほかありませんね。ここはサツマイモとジャガイモの二毛作のようです。これはミカンが普及する前の愛媛県南部の耕作形態だそうで、この習慣自体、文化的な価値があると思います。

佐多岬半島の集落では4枚目の手すりのある家がいいですね。
この半島は地形が思いのほか複雑で、探訪は大変だと思います。私も一度だけ、3時間ほどしか滞在しませんでしたが、とても時間が足りませんでした。
また行ってみたい場所のひとつです。

万訪 7月23日(日) 09:24
佐田岬半島は付け根から先端まで直線距離でも40kmありますので、北側南側の主要な集落だけでも丸1日、ガッツリで1日半から丸2日はかかるでしょう。私も今回で3回目、ずっとやらなきゃと思って実行しました。しかし、暑さもあって途中で流し状態になってしまった。まだまだあります。ちなみに最奥の見どころは串集落です。尾根上の幹線道路が整備されている半面、海岸沿は細くクネクネですので、かなり移動に時間を要します。
i60-43-49-30.s30.a048.ap.plala.or.jp
1707: 美濃・飛騨紀行(+下伊那+奥三河) 孫右衛門 7月17日(月) 22:31
岐阜県を中心とした探訪、全く予定通りに終えて帰りました。
全くというのは、追加で訪ねたところも、パスしたところもなく全て行程表通りだったからです。

岐阜県美濃地方:各務ヶ原市鵜沼宿、川辺町中川辺、白川、付知、福岡、中津川(再)、上矢作、岩村(再)、恵那(再)
岐阜県飛騨地方:金山、下呂、萩原、小坂
長野県:根羽村
愛知県:稲武町

今回は久々に多くが街道系となりました。
この中で印象的だったところを挙げよといわれると、意外にも岩村でしょうね。13年ぶりの再訪でした。当時は公開されていなかった旧家を見ることが出来たり、そこで新たな発見があったり。
それに町並度を6しか評価していなかったのが不思議に思います。どこか訪ね忘れていたのでしょうね。今回更新時に8に修正予定です。

これは、鉄砲鍛冶の加納家です。ここも今回は公開されていて見学しました。

孫右衛門 7月17日(月) 22:40
岩村での発見、といっても小さいものかもしれませんが各町家の敷地を貫くように数本の疏水が引かれているという点です。
暑い中での探訪だったこともあって印象的な風景でした。

孫右衛門 7月17日(月) 22:58
uranoさんからはじまって七ちょめさんが頻繁に訪ねられていることで話題の付知もしっかり訪ねました。街道集落とはいえ、この規模の町でこれほど長々と連なるところは珍しいと思いました。
七ちょめさんが泊られた2軒の旅館のほかにも数軒現役らしい旅館が見えました。泊られた旅館は意外にも街道に面した部分だけを見ると小ぢんまりした印象でしたが、奥行方向を見るとさすが老舗らしい構えというところです。
しかし反面、町並としての中心的な場所が特定できず、古い町並としては今ひとつ捉えどころがない印象ですね。

七ちょめ 7月18日(火) 09:01
暑い中、多くの町並を訪ねられましたね。ご苦労様です。
岩村ね。重伝建になり整備されて綺麗になったのでしょう。
私が訪ねたのは随分前と思い調べると、平成10年でしたもう20年近くも経ちますね。
でも、この鉄砲鍛冶の家は覚えています。

孫右衛門 7月18日(火) 21:06
新規で訪ねたところで印象的だったのは稲武でした。奥三河の中馬街道沿いで、足助のさらに奥に位置していますが大きな商家の建物も幾つか残っていました。
岩村は、前回とは異なって多くの建物が見学できたことで新鮮な印象を得たのでしょうね。


孫右衛門 7月18日(火) 21:29
飛騨金山も町並として良かったですね。緩やかに曲線を描く旧街道が良い雰囲気です。私の町並度では6は付けます。
ここでは朴葉寿司という郷土料理もいただきました。

万訪 7月19日(水) 21:37
冒頭の古民家大変珍しい。二階(中二階)の外壁が斜めですよね。今まで見たことがありません。

孫右衛門 7月20日(木) 07:15
私もこの建物以外で町家建築の中二階部分が斜めになっているのは見たことがないですね。
前回訪ねた時と違って内部も見学できたのですが、この中二階部分への階段は立ち入り禁止でどのようになっているのか確認できませんでした。

urano 7月20日(木) 23:29
私も岩村を訪ねたのは10年以上前で、細部はあまり覚えていません。1枚目の町家も見ているかどうか怪しいです。外壁が斜めになっているのは万訪さんのご指摘で気づきました。面白いです。

稲武の商家は大きくて見ごたえがありますね。
飛騨金山は鉄道で通過しているのみで、町並みが残っていることは知りませんでした。先の見通せない道がいいですね。行ってみたいです。

孫右衛門 7月21日(金) 20:53
飛騨金山は町並としてお勧めです。国道沿いの食事どころで郷土料理も手軽に味わえますので、機会を見て訪ねられてはいかがでしょう。

前回探訪から10年以上経過しているところである程度町並のまとまりがあるところ、特に一眼デジカメで撮影し始める前の2003〜2004年にかけて訪ねた町並は、再訪する必要があると思っています。
岩村のような重伝建地区なら心配要らないのですが、更新されて古い町並として残念な状態になっているところもあり、幾つかそのような事態となっているところも漏れ聞いています。いつかレポートした和歌山県の橋本は極端な例ですが、京都府の須知宿などもかなり失われているようです。
そのような町並を訪ねる時には少し不安な面持ちになりますね。
p484168-ipngn200504niho.hiroshima.ocn.ne.jp
1706: 老化した頭で? 七ちょめ 7月16日(日) 15:21
写真は次に泊ろうと思っている愛知県新城市大野の若松屋さんです。多分一人でも泊まれると思います。この大野を訪ねた写真を撮ったのは2004年10月とありますので、随分前の写真ですが、今でも同じ姿で営業されているようです。

➀ 前回カメラが上手いこと動かないと云っていたタブレットのカメラがダメと思い、次のタブレットを注文しました。ない頭でそれなりに考えました。

➁ フェイスブックへの投稿がここ二日ほど出来ません。理由はどういう訳か、セキュリテイの問題と云って改めて私の写真を送れと云ってくるのです。送って二日ほどすると通常に繋がり、フェイスブックで云う友達とも繋がるのです。
いらかぐみの中でも私を含め4名の方がフェイスブックを使っておられ、何だか「いらかぐみ掲示板」よりも情報の伝達や交換が活発のようです。
フェイスブックを廃止しようかと考えていましたが、ちょっと考慮します。

➂ 新しいタブレットに備えて、大きな画像を掲示板に投稿するテストをしていて、別の投稿がうえにあがってしまったのです。そこで万訪さんに問い合わせの投稿が下にさがったので上にあげようとして、ちょっとhtmlを上手く読めずに変な形になり申し訳ありません。 

七ちょめ 7月17日(月) 09:20
この連休 万訪さんは四国西部、孫右衛門さんは飛騨辺り、URANOさんは隠岐の島を訪ねられています。Kさんは展覧会などで忙しそう。私は休息休み(何時も)。他の方は云われてないので判りません。
でも、各自のブログやフェースブック・ツイッターなどで発信されていますが、この仲間内の「いらかぐみ掲示板」は寂しいまま。

チョット位 投稿を願いたいものです。

Kさん 7月17日(月) 20:48
フェイスブックやらツィッターが主流になり、ホームページと掲示板の組み合わせは、どこかへ置いていかれたような雰囲気ですね。フェイスブックはスマホがメーンの端末のためか、反応が極めて早いですね。その点、掲示板もスマホでアプローチできると思うのですが、人気がないですね。私の掲示板も閑古鳥が鳴いています。
この掲示板も私の掲示板も、確か仙台近郊にある小さな会社が運営していたと思います。無料掲示板もほかにありますが、「がんばれ東北」で続けたいと思っているのですが・・・。

孫右衛門 7月17日(月) 21:59
先ほど探訪から帰りましたので、後でレポートします。

私は、この掲示板はいらかぐみの正規の掲示板ですので、レポートは探訪から帰って全体の感想をまとめてからというのが基本と考えています。
(現地にPCを持ち込んだ時などに投稿したことはあると思いますが)
この掲示板内で各人がSNSと同じように即時投稿を繰り返しては、逆に秩序が保てなくなるのではないかとも思います。

ちなみに、私のツイッターアカウントは町並関係以外の人に薦められて開設したもので、私の意識の中ではいらかぐみとは無関係です。つぶやく内容も半数は別のことですし。
閲覧されるのは全くかまいませんが・・・。

七ちょめ 7月18日(火) 08:51
この掲示板は「いらかぐみ正規の掲示板」正式な報告だけをしよう。
確かにそのような考えもありますね。
でも、投稿自体が少ないことを思い、余計な無駄な投稿も、枯れ木も山の賑わいと思って投稿をしているのですがね!!。
M014010098160.v4.enabler.ne.jp
1704: 残念無念、、、 万訪 7月14日(金) 21:39
いらかぐみの皆さん、聞いてください!
松山→宿毛と旅をしていますが、八幡浜で大ショック! 八幡浜の町並みを代表する二軒が無くなっていました。2015.11に来た時は健全でししたが、、、ちなみにストリートビューでも残っているので、ホント最近解体されたのでしょう。

万訪 7月14日(金) 21:40
左の家

万訪 7月14日(金) 21:41
左の洋館

孫右衛門 7月15日(土) 09:52
八幡浜は広範囲に町並が残っているとはいえ、この2軒はその中でもシンボル的建物でしたからね。前後の景観を考えると、1軒なくなった以上の影響があります。

佐田岬半島や島を巡る旅のようですね。暑い時期ですので無理な体力を消耗しないようにされて、充実の探訪になることを祈ります。

私も明日明後日で東濃・飛騨南部を中心に下伊那と奥三河の端部をを少し加えた探訪を行います。今日大阪での別の用件に絡めてのもので、昼から出発です。
ここでの全体の報告は帰ってからとさせていただきます。

七ちょめ 7月15日(土) 10:18
八幡浜の古い伝統的な様式の家屋が取り壊されていく……
残念、残念と思いますが、当事者となると取り壊して「せいせい」と思っておられるでしょうね。

今日の昨日の読売新聞だったかに、今まで届け出などを提出すること無かった京都の京町家を取り壊すのに届け出制にしようという案が出ているようです。
年間5〜6000棟が取り壊されているそうです。

そこで一番の問題は、京町家に住んでいても、普通の木造住宅と思われて、自分の住んでいる家が京町家と認識している人は25%程しかいないのが一番問題だそうです。

京町家と云われている京都でもその様な状態ですので、日本全国一般には、伝統的な様式の家屋=取り壊したい住み難い家 と認識されているのでしょうね。


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1703: 中津川市の上付知の町並 七ちょめ 7月12日(水) 11:07
前回訪ねたのは中津川市付知町でも、下付知地域だったので、今回は上付知地域を歩いてきました。上付知地域の方が古い形式の家屋の繋がりが多いともいました。

七ちょめ 7月12日(水) 11:10
泊まった付知町の中程にある亀利屋旅館で泊まった部屋の天井です。
木材の殆どを「こぶし」の樹を用いた部屋で、床柱や天井までこぶしの樹で造られていました。

urano 7月12日(水) 21:20
付知は町並みが長く断続的なので、端から端まで歩くのは大変そうです。私も昨秋、偶然通りがかったときは夕暮れどきで「近いうちに再訪しよう」と思いながら、もう8カ月が過ぎようとしています。その間に七ちょめさんは二度も出かけられて、フットワークの軽さには驚くばかりです。

亀利屋さんは外観をだいぶ直しているご様子ですが、中はいい感じですね。2枚目の天井もおもしろいです。

万訪 7月12日(水) 22:37
面白い和室ですね。唐傘の間。材の本数ピッチから全くの正方形、^_^八畳間とお見受けしました。

孫右衛門 7月12日(水) 23:58
上付知地区は古い町並として良い物が残っているようですね。付知町を訪ねるにあたって、時間が割けない場合は、上付知の町並だけを訪ねることにします。

七ちょめ 7月13日(木) 08:51
付知町を端から端まで歩くのは大変です。
車で訪ねられ、要所要所車から降りて撮影されるのが一番良いと思います。
約5kmに亘って町並が所々に現れます。
車を置いて歩かれると、長さが5kmありますので、往復10kmともなりますので。
私の場合は結果2回に分けて、往のばあいは2度とも女将に送ってもらい、歩いたのは帰りだけです。そして上付知の方が良い町並が残っていました。
亀利屋のご主人にも女将にも、一年ほど前に私の仲間の方(uranoさん)が奥の座敷に案内してもらって説明を受けたことを話しても、思い出されませんでした。
写真は泊まった部屋の隣の隣の「さくらの間」の天井です。
全て桜の樹で構成されていました。
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1701: 次の宿泊?? 七ちょめ 7月 9日(日) 10:27
旅籠宿に泊る次の宿泊旅館は中津川市下付知町の亀利屋にしようと思っています。
uranoさんに教えてもらった宿です。
写真は亀利屋で今年3月頃に下付知町の上利屋に泊った時に撮った亀利屋の写真です。

それから、Kさんのフェースブックを見るために登録した私のフェースブックです。
ブログと同じようなもので、フェースブックにしようか、ブログを続けようかと思案中。
只ブログは10年以上続けているし、わざわざフェースブックに乗り換えるメリットは??。
でも、当分はフェースブックは内緒で少しは投稿しようと思っています。
https://www.facebook.com/profile.php?id=100014529904873

万訪 7月 9日(日) 19:45
下付知町は私も行きたいです。最近、どなたかがいかれてレポしてましたね。
Urano さんと辰巳屋さんのサイトから、新たな場所を拾って、リストに加えました。すでに完了していた関東地方はじめとする県も未到地が加わって、未踏地が900ヶ所くらいになってしまった。それをGoogleマップに落としましたので、いつでも立ち寄れます。
論文が終わると同時に島旅と復興の街が終わります。そのあと、いよいよ全国制覇に動こうかと考えはじめている自分がこわい。

ところで、七ちょめさん、最近FB始めたんですか。今日、私のFBに七ちょめさんが出てきてびっくりしました。

七ちょめ 7月 9日(日) 20:22
万訪さん、多くの行きたいところを洗い出したのですね。

中津川市下付知町を話題にしていたのは私です。下付知の上見屋と云う旅館に泊まった時です。でもuranoさんの情報で付知に亀利屋と云う旅館があることを知らせてもらい、その内に泊まりに行こうと思っていました。
今日、改めて亀利屋さんから上付知にかけてグーグルで町並を見ると、下付知よりも遥かに良い町並が残っています。只、2km程の間に町並が点在していますので、歩くのは暑い中大変と思いますが、歩いて来ようと思っています。

以前からフェイスブックに登録はしていたのですが、顔写真を出したのは二日ほど前です。少しは投稿しようと思っていますが、ブログと同じような物との認識ですので、続けるかどうかは不明です。ブログもフェイスブックもどうなっているのか判らないことばかりです。とか言いながらブログはもう10年以上使っていますが、成るだけ知らない方との交流は控えるようにと思っています。

Kさん 7月 9日(日) 20:58
FBを初めてびっくりするのは、「この人知り合いでは?」とか問い合わせてくることですね。その人はほんとに知り合いなのです。どんな仕組みになっているのでしょうね。
それと、とにかく反応が早い。投稿後、数秒で反応があります。ブログ(私はやっとことはありませんんが)や掲示板とはえらい違いですね。

万訪 7月 9日(日) 22:14
お知り合いでは?
は、もしかして個人情報が漏れているのではと心配したこともありますが、そうではなく、自身のiPhoneの電話帳から知ってる人を探して表示しているそうです。ご安心ください。七ちょめさに友達申請しちゃおうかな。

七ちょめ 7月 9日(日) 23:09
万訪さんに友達申請しているのですが、もう一つどうなっているのか理解が出来ません。
万訪さんから私に友達申請が来ましたので、OKした筈ですが、もう一つ理解できないのは、そのことが反映されないのです。なんかコメントをしないといけないのかな。

万訪 7月10日(月) 00:33
承認すれば手続きは終わり、繋がっているはずです。FBは、仕事で使っている人もいれば(個人経営や大学の先生のPRツール)、日々の出来事をとめどなくアップする人など様々で、最近ちょっと違和感を感じています。旅に出た時以外はあまり自分からは発信しないようにしています。


7月10日(月) 20:59
今、中津川市付知町の亀利屋旅館に泊まっています。
タブレットで前回はネットに繋がらなかったし今回はカメラが機能しません。
何か受難続きです。
七ちょめでした。



七ちょめ 7月11日(火) 17:19
中津川市付知町の亀利屋旅館の夕景です。
前回訪ねた付知町は丁度下半分で下付知と呼ばれている所で、今回の分は上半分で上付知として見られている所と判りましたので、改めて二つに分けて掲載しようと思います。


孫右衛門 7月11日(火) 20:58
亀利屋に泊られたのですか。それにしても付知の町並は広範囲のようですね。この東濃を中心としたエリアは、この連休に訪ねる予定にしています。
但し、宿泊は下呂温泉の旅館ですが。

SNSに位置づけられるものとしてはある人の影響でtwitterアカウントは持っていますが、FBは開設していません。
本名開示が原則といった事も私は抵抗を感じますので、今後もアカウントを持つことはないでしょうね。第一ネット活動エリアを広げすぎておろそかになるのも心配ですし。

七ちょめ 7月12日(水) 08:34
何の気なしに使いましたが、そう云えば本名ですね。
広げ過ぎが一番気になる所で、理想は仲間内だけならよいのですが。
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1702: 唐津 Kさん 7月 9日(日) 20:42
先日のオフ会の帰りに立ち寄った唐津での最後のスケッチです。実はこの家の風情が気に入っていて、かつて福岡にいたころ何回も描いています。今度「残っているかな」と思い、行ってみると、ちゃんと残っていました。杉玉があるから造り酒屋だったのですが、とっくに酒造りは止めたようで、門はぴったりと閉まっていました。以前は酒蔵の名前などに関心がなくただスケッチしていただけなので、何という酒屋だったのだろうかと疑問に思い、ネットで「唐津 魚屋町 酒蔵」と入れて検索してみました。ヒットしたのは、なんと太泉八雲さんの「一路一会」のサイトで、「東木屋酒造場」といい「松浦佐世姫」という清酒を造っていたそうです。「さすが、いらかぐみ」との思いを深くしました。

Kさん 7月 9日(日) 20:49
せっかく七ちょめさんの投稿があったのに、横割して済みません。唐津の話には続きがあります。
この酒蔵を経営していた「木屋」という家は太閤秀吉の朝鮮出兵のころからの家だそうで、酒蔵の「東の木屋」のほかに「西の木屋」というのが唐津にあるようです。それで分かったのですが、以前、この酒屋をスケッチしたときに架かっていた暖簾が、「丸に”き”の字」なのです。どういう意味かなと思っていましたが、木屋の「き」なんですね。岸本の「き」ではありませんでした。

Kさん 7月 9日(日) 20:54
さらに。
皆さん、唐津のリポートで、この家を取り上げられていますが、場所が「大石町」になっています。しかし、家があるのは大石町の西側の「魚屋町」です。11月の唐津くんちには町ごとに曳山が出ますが、魚屋町から出る「鯛」の曳山が一番目立つ存在です。

勝手な投稿で、失礼しました。太泉さんにお礼です。

七ちょめ 7月 9日(日) 21:37
旧唐津街道に沿ったこの造り酒屋さんの写真も、私のHPに掲載していますね。覚えは残っていません。
大石町じゃないのですか、魚屋町ですか。当時はまだGPS機能の無いカメラだったので
大石町としていたのでしょう。

Kさん 7月10日(月) 07:13
この家の写真を掲載している皆さんのサイトをチェックさせてもらいました。太泉さん、辰巳屋さん、Uranoさんが「魚屋町」、七ちょめさん、孫さん、万訪さんが「大石町」になっています。地図で見ると、魚屋町は大石町の西側に続く狭い範囲の町名のようです。どうでもよいことですね。

それにしても皆さんか取り上げておられるこの家、それだけ存在感がありますね。何年か前に、文化財にならないか調査したという地元新聞の記事もありましたが、続報がないところを見ると、ダメだったのでしょう。

万訪 7月10日(月) 08:16
魚屋町でしたか。旧町名を使っている町では、街区ごとに小刻みに町名が変わります。それを全部載せるとめんどくさいので、エリアを示す代表的な町名(◯◯界隈的に)を使用しています。このいい加減なノリで各地を掲載しているので、このままで行っちゃいます。

Kさんのこの手のスケッチが、いらかぐみ掲示板に新作として掲載されるのは、最近はあまりないような気がします。俯瞰だったり、結構引いた視点が多いと。懐かしさを感じました。
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