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1942: 繁忙期明けの探訪 孫右衛門 4月 6日(月) 21:29
この土日に鳥取県を訪ねてきました。未訪問の町並を数箇所と、三朝温泉にある古い湯治旅館に泊ることを目的としたものです。
これは日吉津村の町並です。周囲を米子市に囲まれた狭い面積の村で、日野川を挟んだ反対側は皆生温泉です。詳しく調べていないのですが立派な豪農集落が残り驚きました。
辰巳屋さん、七ちょめさんの情報もあり4・5箇所新しい町並も訪ねることができました。

当初3月20・21日に予定したところ年度末の余波でやむなくここに伸ばしましたが、その間に事態が急速に悪化し、情勢を連日睨んでいました。
繁忙期明け一番の探訪ということで中止はしたくないと思い、ぎりぎり実行できた探訪と思います。今週末なら厳しかったですね。

孫右衛門 4月 6日(月) 21:50
三朝温泉は、少し前にこの方面に現場出張が頻繁にあった時期があり、何度か泊ったことがありますので勝手はわかりますが個人目的で初めてでした。
泊った「桶屋旅館」は大正期創業の老舗旅館で、通りを挟んで建つ登録有形文化財の大橋旅館には譲りますが源泉が浴槽の底から自噴する浴場を持つことでも結構知られた宿らしいです。

孫右衛門 4月 6日(月) 21:51
桶屋旅館の浴室です。半地下のような造りになっており、浴槽には石が敷き詰められており静かに源泉が湧きだしていました。

Yasuko 4月 7日(火) 21:34
今の時期、貴重な探訪ですね。三朝温泉は何回か行ったことがありますけど、桶屋旅館には昔は目が言ってなかったです。よさそうな宿ですね。浴室も風情があって一度は行ってみたいです。近頃色んなところが倒産いているのでこの時期をどこも耐えてほしいです。

孫右衛門 4月 8日(水) 20:43
桶屋旅館は湯治目的で連泊する客も多いと聞きます。料金も比較的手ごろなのでお勧めです。

これは倉吉の保存地区内ですが、重厚な商家が連なるだけでなく洋館風や小規模町家が挟まったりしている情景にまた魅力があると思っています。数年ぶりに訪ねましたが地震により修理中の建物も見られなくなり、かつての姿を取り戻したようです。

私とYasukoさん・辰巳屋さん以外は非常事態が宣告された地域にお住まいですので、かなり情勢は緊迫したものになっていると思います。
その点でちょっと温度差があるのかもしれませんが、私も当面の間宿泊を伴うものは見合わせです。
様子を見ながら市街地以外のエリアを訪ねられればと思っています。ただ瀬戸内の島といっても、船に乗って高齢者が多い離島を訪ねることになるので、それもどうかというところですね。
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1939: 重伝建選定を控える宮島 孫右衛門 3月20日(金) 21:31
今日、思うところがあって宮島に行ってきました。最近は外国人客の急増もあって混雑を極めていたので足が遠のきがちでしたが、今日は外国人客に加え団体客もほぼ皆無で、子供の頃の記憶からすれば、これが旧来の姿に近いといったところです。
一般の観光客は余り足を向けませんが、町家群や門前町としての裏通りは重伝建地区としての要件を満たしていて、後は地元住民の一定率の賛成を取り付けられればといった最終段階です。ここで頓挫する確率もないわけでないですが、ほぼ間違いないものと思います。
保存地区でなくとも住民の方々は高い意識を持たれているので、伝統的建物は保持されていくものとは思いますが、重伝建地区となることによって確実なものになってほしいものです。

孫右衛門 3月20日(金) 22:00
この辺りが一番町並らしいところです。

Yasuko 3月22日(日) 17:12
昨日竹原へ行く機会がありました。格子も見てきました。結構道の駅に車の渋滞が出来ていて三連休は賑わっていました。
バス旅行などでは、岡山からはお手軽な、宮島にも行く機会があります。重伝建になる価値はじゅうぶんですよね。

孫右衛門 3月22日(日) 22:41
宮島もほぼ国内の個人客ばかりでしたが、そこそこお客さんの訪れがあるという印象でした。ここ数年、外国人客や団体客で異常な状態でしたので、逆にこれが本来の姿というべきかもしれません。
竹原も同じように賑わっていましたか。
私もひとまずは来月頭に山陰の小さな宿に泊る探訪を計画しています。
これは宮島の老舗旅館ですが、泊る縁はなかなかないでしょうね。


Kさん 3月23日(月) 06:30
宮島には強烈な思い出があります。会社の西部支社(九州)に勤務していたころ、中国支社(広島)と野球チームの交流試合を宮島の裏手にあった野球場で行ないました。ところがその辺をうろつく鹿は、奈良の鹿と違って食欲がとても旺盛でした。昼食の弁当を失敬されるのはまだしも、九州から行ったメンバーの帰りの新幹線のキップがカバンから覗いていたため、それを鹿に食われてしまいました。
「改札口までこの鹿を連れて行って、この鹿がキップを持っていると言おうか」などと相談しましたが、結局、皆でキップ代をカンパしました。


孫右衛門 3月23日(月) 20:48
裏側の海岸は観光客は行かないので、餌ももらうことなく飢えていたのでしょうか。とんだ災難の思い出ですね。
確かに手にしている案内書のチラシなどを鹿に食われるといった光景は目にしがちでしたが、最近は野生動物であることが内外に認識され、餌も売ったり与えなくなったりした結果、ある程度の個体は山地に上っていったようで町中で見る数は少なくなりました。
奈良公園の鹿は客から餌を与えられ色々問題になっているらしいですが、外国人客が激減した今は様子が変わっているのでしょうね。

Yasuko 3月23日(月) 22:35
Kさんの切符のお話面白いです。鹿が紙を本当に食べるんですね。

私は何年か前に孫右衛門さんと万訪さんと歩いた、大久野島へうさぎ目当てに行く孫に付いて行っただけですが、三連休でフェリーは一杯でした。うさぎも来た人が皆えさを持ってくるので初めは喜んで餌をねだってくるのですが、最後にはもう欲しくないという顔してました。私たちが帰る便に次に待っている行列です。皆が餌持って来たらどうなるんだろうと話している、人もいました。
竹原はぼつぼつの人出、竹鶴酒造には人が大勢集まっていました。
鳥取、島根はまだコロナも出てないようなので狙い目ですね。

Kさん 3月24日(火) 13:43
鹿は紙を食べますよ。鹿せんべいなどの餌をたっぷりもらっている奈良公園の鹿ですが、スケッチしていたらその画用紙を食われてしまったという仲間もいます。

辰巳屋 3月25日(水) 11:22
孫右衛門さんは、宮島ですか。宮島の重伝建は間近いのですか。もう、随分と時間が経過したような気がします。重伝建に指定されると宮島が神社だけでなく、町家の魅力で奥が深くなるといいですね。

Yasukoさんは、竹原を訪問されたようですが、竹原格子は綺麗で魅力的ですよね。
大久野島は、人が多いですね。私は、人の少ない場所を選んで訪れているようです。

私は、先週、御手洗と三之瀬に行きました。ほとんど観光客はいなくて、古い住宅等も休館になっていました。
画像は、御手洗の若胡子屋です。湊町の細い路地と賑わいのあった場所は趣がありいいですね。

辰巳屋 3月25日(水) 11:23
画像は、三之瀬の港です。中央の桟橋左が朝鮮通信使の案内役である対馬藩専用の対馬雁木と呼ばれている雁木です。雁木は、上部3〜4段は新しいもので、その下部は江戸時代からの雁木です。

孫右衛門 3月25日(水) 20:30
宮島の重伝建選定は、住民の同意が得られれば実現という段階になっているそうです。
住民相手ですのでその分不確定要素があるのですが、条件的にはほぼ確定といっていいのでしょう。
そういえばYasukoさん・万訪さんと訪ねた大久野島は早出が功を奏しましたね。少し遅れると写真のような長蛇の列に加わる必要があったかと思うと良い判断でした。

状況次第ですが、来週末に1泊探訪を行った後は、当面泊りがけは見合わせになるかもしれませんね。事態が短期間で収束するようには思えません。今回は車での探訪、都市部を訪ねない、未発生の山陰への探訪という点で取りやめる要素がないのが救いです。
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1936: 大和郡山洞泉寺町 Kさん 3月 3日(火) 17:19
メンバーには遊郭建築や3階建ての建物に関心をお持ちの方もおられますので、現地からの報告です。
大和郡山に2カ所ある元遊郭のうち、洞泉寺町のこの一画の建物4棟が近く取り壊されるそうなので、昨日、スケッチに行ってきました。取り壊されるのは絵に描いた3棟と手前の路地を左に入ったところにある3階建ての1棟です。いずれも現在は町内にあるお寺の持ち物なので、空き地は墓地の拡張と駐車場に使われるそうです。

市内のもう1カ所にある東岡町の方は、昨年春に行きましたが、遊郭建築はほぼなくなり、普通の住宅地と空き地になっています。

万訪 3月 3日(火) 20:03
本当ですか!こっちは文化財だったような。遊郭建築は価値の位置づけが難しいためなかなか残らないのだと思います。

Yasuko 3月 3日(火) 20:11
ええつ、近いうちに取り壊しですか。再度写しに行きたいですねえ。全部なくなるそれはショックです。このコロナのご時世、出かけるのも後ろめたいような風潮がありますのでどうするべきか。

孫右衛門 3月 3日(火) 23:08
洞泉寺町の旧遊郭建築が取り壊される件、そして一部が公開されていたようで、SNSに盛んに流れてきていました。
ここは遊郭建築が保存される貴重な例と思っていたのですが、一転?解体に向ってしまったようで驚いています。

Kさん 3月 4日(水) 06:25
昨日から奈良版に載った新聞記事を添付しようとしているのですが、なぜか写真が逆転します。工夫して読んでください。Yasukoさん、多分、再撮影は間に合わないと思いますよ。

Kさん 3月 4日(水) 06:49
新聞記事によると、この絵の右手前の3階建ては取り壊されるが、正面に見える3階建ては、すでに公開家屋になっておりそのまま残ります。また少し離れたとこにある2棟も残るようです。

Kさん 3月 4日(水) 16:34
新聞記事の画像をこちらで180℃回展させました。

Yasuko 3月 5日(木) 09:13
逆転している記事では、何時の記事かわからなかったのですが、2月10日の記事なんですね、もう1ヶ月前では遅すぎますね。教えていただきありがとうございます。
岡山ではそのようなニュースは入ってきませんから・・・・・

Kさん 3月 5日(木) 10:43
大阪に住んでいる私もこの記事は知りませんでした。毎日新聞の奈良版2月19日付けのようです。友人の歩さんがご自身のHPの掲示板に投稿されました。実は3月1日と2日に一部の建物を最後の一般公開したようです、私はそれを知らずにただ描いていましたが、いつも通りに人影なんかないのに、今日はずいぶん人が多いなと思っていました。
180-144-83-213f1.nar1.eonet.ne.jp
1934: 村岡 Kさん 2月20日(木) 17:56
七ちょめさん、動画で故郷の村岡を取り上げていただきありがとうございます。私自身は故郷と縁遠くなってしまいましたが、それでも記憶にはよく残っており、懐かしく拝見しました。田舎の何でもない町並みですが、こうして動画で見るとずいぶん立派な町並みに見えます。

万訪 2月25日(火) 12:42
七ちょめさんチャンネルは登録していますので、アップされるたびに更新のお知らせが来ます。毎日欠かさずのペースでアップされていて驚いています。
pw126035212115.25.panda-world.ne.jp
1932: 立春 Kさん 2月 5日(水) 16:12
暖冬が続くと思ったらもう立春。今日は寒いですが、昨日は文字通り春のような温かさのうえ、実は私の誕生日でもあったので、両方の記念にスケッチに出かけてきました。

私の町並みスケッチの原点ともいえる、富田林の寺内町へ行ってきました。何年ぶりかな。しかも、富田林で最初に描いたポイントで描きました。

Kさん 2月 5日(水) 16:17
私が座った場所の左後ろにはかつて「中井家」という家がありましたが、2018年9月に全焼してしまい、今は空き地になっていました。
2013年9月に描いた「中井家」(左側)です。

Kさん 2月 5日(水) 16:22
写真は火災直後の中井家です。どこかに掲載されていたのを保存していました。
水害や地震も怖いけど、火事も悲惨ですね。


このところ皆さんからの投稿もないので、賑やかしに投稿しました。


Kさん 2月 5日(水) 16:32
ついでに昨日描いたのと同じ場所で1994年に描いた絵も添付しておきます。右側の木口家のショーウインドも現役でした。

Kさん 2月 6日(木) 21:20
この絵は1992年のスケッチでした。

孫右衛門 2月 6日(木) 22:41
富田林はKさんのスケッチの原点ですか。わたしは確か3度ほど訪ねていますが、最初の雨の中での探訪が一番鮮明に覚えています。訪ねているときは不自由しますが天気が悪かったり何か問題が発生した時の方が、後になると良い思い出になることが多いですね。
関西都市圏の町並はある時期まで定期的に日帰りで弾丸探訪をしていました。多くは再訪どきになっています。
古い旅館など泊まるところにも重心を置いている今は日帰りではもったいないと思いますので、計画してみるのも面白そうです。
p445191-ipngn200406niho.hiroshima.ocn.ne.jp
1929: 奈良県橿原市今井町を訪ねました。 七ちょめ 12月23日(月) 09:43
久々に今井町の環濠集落を訪ねました。
どう見ても「日本一」の見事な古い町並です。
約2時間集落内を歩き回って動画を撮影しました。
この掲示板には動画のURLを挿入しても、動画が再現
出来ませんので、私のホームページから見てもらうと
嬉しいです。
チョット長編になっていますが、余りにも見事な町並ですので、
カットするのが忍びなく、仕方なく長編になってしまったのです。
私のホームページの新着情報から見てもらえばと願っています。
http://matinami.o.oo7.jp/mati7/sintyakujyouhou.htm


孫右衛門 12月23日(月) 14:54
橿原市今井町は、学生時代にふと立ち寄って感銘を受けたところで、古い町並に興味を持つきっかけになったところといえるかもしれません。
私も町並度でいうと満点を付けているのはここと奈良井だけですね。
妻籠も満点ではありますが、「非俗化度」が低得点ですので、総合的にはこの2箇所には及びません。
帰宅してからゆっくり拝見します。

Kさん 12月23日(月) 16:49
今井町もしばらく行っていません。知り合いになり、親しくしてもらっていたった同い年のカステラ屋さんが亡くなられたことも足が遠のいている理由の一つです。動画を見て、また出かけるかも知れません。

今日は暖かくて良い天気だったので、今年最後のスケッチと思い、薬師寺へ行ってきました。境内はもちろんスケッチ禁止ですが、「東塔」に長いこと修理のためのカバーが掛かっていましたが、それが外れました。背中に太陽を受けて、気分よくスケッチです。来年4月と5月に落慶法要だそうです。

万訪 12月26日(木) 19:19
今井町と妻籠は町並みの原点のように思います。私もしばらく行っていませんで、修復後の姿を見ていません。出張にかこつけて歩いてみたくなりました。七ちょめさんの動画もいいですね。歩いている気分になれます。
私は今、因島の土生にいます。朝早く入って佐木島と細島を歩きました。細島では久々の雨で難儀しました。今日から5泊6日、しまなみ海道の小島を全島制覇する予定です。


七ちょめ 12月27日(金) 08:57
万訪さんは瀬戸内の島旅ですか。年末年始の期間思い切りましたね。
私は家庭の事情で活動・行動が制限されていて、当分は旅館に泊まる旅は出来ないので、近場の動画撮影で納得しています。次回オフ会には参加できるようになればと願っています。

万訪 12月27日(金) 19:21
瀬戸田と宮浦に古そうな旅館がありました。七ちょめさん泊まってるんだろうなと思いながら眺めていました。

七ちょめ 12月27日(金) 20:31
案外、離島じゃないところも訪ねて居られるのですね。
生口島の瀬戸田にある古い感じの旅館住之江は未だ泊っていません。もう一つは瀬戸田で一番立派の豪商の家は、今、旅館に改装中だったと思います。
大三島宮浦の旅館茶梅は江戸末期創業ですが、泊った感じではあまり古さが感じられなかったです。

孫右衛門 12月28日(土) 16:30
万訪さんの言われていた年末瀬戸内紀行、何度も訪ねられているのにさらに6日という長い探訪なのですね。島は本当に時間がかかります。
私は例年28・9日頃まで仕事で、最終日に忘年会があるのが通例ですので、年末に探訪はできません。
今回は年始側が長いので、4日間探訪に出かけます。

瀬戸田の豪商宅(堀内家)は外国人向けの宿泊場所として準備されているという情報を少し前に新聞で見ました。
余りわれわれの意にかなうタイプの宿泊施設ではないようです。

Kさん 12月29日(日) 20:40
今、「ぽつんと一軒家」という番組を見ていて、”長崎県の黒島”というのが出てきたので、たしか万訪さんが取り上げていたなあと思い、ユーチューブを見てみました。しかし
同じ「長崎県の黒島」でも別の島でした。テレビで取り上げられていたのは、五島列島の福江島のすぐそばにある黒島で、週1回定期船が通い、71歳の女性が1人だけで住んでいるそうです。

Kさん 12月29日(日) 20:52
グーグルマップで「長崎県 黒島」と入れて検索すると、何と5の黒島が出てきました。

万訪 12月30日(月) 00:18
そうなんです、黒島は長崎のみならずあちこちにあります。福江島の近くにある黒島は、1人だけ住んでいます。予約すれば船を出してくれます。船がなくならないうちに行かねばなりません。
さて、今回の旅はしまなみ海道ですが、船でしか渡れない離島としては
佐木島、小佐木島*、細島、岩城島、弓削島*、佐島*、生名島*、高井神島*、大下島、小大下島、鵜島、馬島、小島
の13島になります(*は明日明後日)。
6日間で13島に渡れるのも船便が整っている瀬戸内ならではです。行った島で津島のような掘り出し物がいくつかありました。大下島と鵜島です。それに続いて小島。孫さん是非行かれよ!
そして小大下島の農家の方からいただいた採れたてのミカンが美味しかった!


七ちょめ 12月30日(月) 10:28
今日30日は雨で大変ですが頑張って下さい。
と思って雨雲をみると、しまなみ海道辺りは雨は降っていないようですね。大阪は雨が降っていますが

万訪 12月30日(月) 18:32
弓削島では雨に降られましたが、高井神島では上がって空撮できました。高井神島は全然期待していませんでしたが、違った意味で面白い集落でした。あとでレポします。明日は最終日。小佐木島一つで帰ります。

孫右衛門 12月30日(月) 21:31
大下島は岡村島の先にあることで知っていましたが鵜島は知りませんでした。宮窪の沖ですか、そういえば宮窪も良い町並がありますね。確か弓削島などは確かかなり前に一緒に訪ねたように思います。
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1836: 津久見市保戸島などを訪ねました 孫右衛門 11月25日(日) 09:50
23・24日で大分県を探訪しました。中でも万訪さんをはじめお勧めの保戸島に4時間滞在し集落の隅々まで歩きました。
典型的な密集漁村集落ですが、建物がほぼRC造3階で占められているというのはやはり他では見ることができません。人によってはエーゲ海などの島をイメージされるようですね。古いという点ではちょっと違うのかもしれませんが
いたるところ猫だらけで、外来者のない島特有の看板のない商店、坂と階段ばかりで荷物を運ぶのは押し車でもなく背負い籠などと、色々発見することも多かったです。
姫島を入れるか迷っていましたが今ひとつといわれていましたし、移動距離が長くなって効率が悪くなりますので、中南部のみとしました。そのため車を使わずとも行程が組め、楽に往来できました。
他に津久見市の市街地、佐賀関、大分市西大分駅前界隈、別府市浜脇、鉄輪温泉、別府駅東側〜南側界隈などを歩きました。

七ちょめ 11月25日(日) 10:19
天気が良かったようですね。良かった、よかった。
保戸島 エーゲ海の島の感じ ホントにそのように見えます。
車でなくどうして佐賀関まで行かれたのかな。

私は同じ様な時間に東北に行っていましたが、太平洋側に来ると天気が良いのに、奥羽山脈の西側は雨か雪でした。山一つ越えると天気がこうも変わるのかと思いました。

孫右衛門 11月25日(日) 14:33
天気は良かったですが、風と波が強く保戸島への船は島に近づくと横波を受けました。半島の先にあるように見えますが海域的には豊後水道に出ていますのでね。
なかなか写真では伝わりにくい集落です。足を向けるのが一番という典型です。

佐賀関は幸崎駅から比較的便数多くバスが出ていまして20分弱で到着できます。

孫右衛門 11月25日(日) 14:40
路地は平地部の一部以外は人がすれ違うのがやっとの幅しかなく、いつの間にか行き止まりになったりして引き返すこともしばしばでした。
このような建物もありますが、ほとんどRC造です。どうやって鉄筋等の資材を運び上げたのか不思議です。

孫右衛門 11月25日(日) 16:03
当日、保戸島には私のほかにも外来者が見られましたがまだまだ外向きになっておらず、店舗に看板はありませんでした。左側が雑貨店と煙草店、右が酒屋で、これでもちょっとした商店街のようになっています。少しはなれたところに一番大きいスーパーマーケット風の店(但しこれも看板なし)がありました。歩いているうちに他にも商品を置いた御宅があり、店の数は少なくないと思いました。

辰巳屋 11月27日(火) 06:40
保戸島へは、行ってみたいですね。そうとうな密集集落でおもしろそうですね。

私は、今年、8月に保戸島の対岸の津久見市四浦の間元という所に行きました。本当に、保戸島へ渡って行けそうな、すぐそばでした。

画像は、間元からの保戸島です。
実は、私も先週大分を訪問していました。整理できたら報告します。

孫右衛門 11月27日(火) 07:43
辰巳屋さんも大分を再訪されていたのですか。保戸島は半島先端からすぐ近くなのに、アプローチできないのが不思議で、現地で聞こうと思っていましたが忘れてしまいました。
これは佐賀関の町並です。小さい頃親戚が一時住んでいて何度か訪ねたようですが記憶にありません。町並としては良かったです。この付近は町並目的で何度か訪ねており臼杵などは2度も訪ねているのにスルーでした。

万訪 11月27日(火) 09:22
孫さん、行ったんですね!あの集落は後で調べてみると情報が全くなかったわけではないですが、行ってびっくり系です。
橋がないのは離島で無くなるからだと思います。補助金が出ないとか。

万訪 11月27日(火) 09:24
あるいは利便性でしょうか。四浦までも大変ですから、船の方が便利がいい。

孫右衛門 11月27日(火) 23:55
私は随分予備知識が入ってからの探訪ですので、驚きというのは少なかったです。
そうですね補助の問題などもあるのでしょう。それに橋でも渡し船でも、半島先端まで来るのが一苦労ですね。

これは別府市街地の外れの浜脇地区にある共同浴場です。浜脇地区の歓楽的温泉地の名残も印象的でしたが、無数にある共同浴場・温泉銭湯の密度はさすが別府といったところです。しかも入浴料はほとんどが100円高くても200円です。中には無料のところもあります。
ほぼ地元の人にしか知られていないものも多くあるようです。
鉄輪温泉と別府駅前で渋い共同浴場に入ってきました。
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