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2036: 秩父市小鹿野町両神小森煤川を探訪 太泉八雲 12月11日(日) 15:56
今日は、以前から気になっていた秩父市小鹿野町両神小森煤川へ行ってみました。
平成の合併で長い地名になりましたが、旧小鹿野町にある天界の里の一つで、偶然GoogleEarthで見つけた集落でした。

太泉八雲 12月11日(日) 16:02
山の中腹斜面に形成された集落ですが、特徴は等高線に沿って、民家が長屋の様に密集して建っています。各段には細い生活道路で通じています。集落に入るとあまりに狭く密集していて、全体像が撮れない為、今回動画は撮影しませんでした。

かつては今よりも多きな集落で、神明神社の下の駐車場に煤川分校があったそうです。
あ、ちなみに煤川(すすかわ)集落は下の川沿いにもあり、そちらを下煤川、この天界の里を上煤川と呼ぶそうです。現在は5世帯が暮らしていました。


七ちょめ 12月12日(月) 08:56
やはりGoogle Earthで探されていますか。
坂道を登るのが極端にシンドクナリ、循環器の医者に見て貰うと、心臓が歳と共に老化しているからと言われましかた。
古い写真をスキャナしてYouTubeで公開すると殆ど見て貰えない、新しく古い町並を公開すると少し見て貰えるが、名もない小さな近くの集落の動画を公開すると、私にとっては多くの方に見て貰える現象です。
よって最近はGoogle Earthで集落をさがし、坂道の程度を見極めて、訪ねるところを探しだしました。
訪ねるのはシンドイですが、訪ねるところを探すのは楽しいので、もっぱらGoogle Earthで探し続けています。

太泉八雲 12月12日(月) 12:22
Google Earthは地域によって拡大率や斜めから俯瞰できる機能の有無がいろいろあるのですが、実際に行ってみて予想以上の高低差があったりする事がありますね。

今回の煤川集落はかなり高い高度からの写真しか確認できなかったのですが、訪れてみるとかなり標高の高い場所にあり、また集落内の高低差もありました。
衛星写真では、集落内の道が見えないほど密集していましたが、果たしてまさに玄関前の僅かな道が横に一本通っているだけ。家々は隣通しの屋根がほぼ繋がっているか重なっていてこんな天界集落は初めてみました。
YouTube動画ではガイドブックに載っているような知名度のある町並みよりも、ほとんど周知されていない山間集落の方がアクセス数は多いところがありますね。

孫右衛門 12月12日(月) 21:41
少し前までは南牧村に焦点を当てられていたように、テーマを定めた活動を貫き太泉八雲さんの活動には芯を感じますね。
煤川の集落は、ちょっとした扇状地のような地形になっているのでしょうか。水を得られないと集落は立地しえないでしょうし。しかしこんな山肌の中腹に密集した家々は不思議ですね。

太泉八雲 12月13日(火) 20:55
最近群馬県から埼玉県の養蚕集落や天界の里を巡っているのは、特にテーマを定めている訳ではなく、なかなか遠出出来ないので、泣く泣く近県をさまよっている状況です。
でも、南牧村など群馬の山間部は仕事の疲れが癒やされます。

煤川集落は林業な盛んな時期に群馬県などから移住者が多く、山の中腹だけでなく、下の小森川沿いにも集落が形成されていきました。その後通称で川沿いを「下煤川」山の中腹を「上煤川」と称したそうです。

太泉八雲 12月13日(火) 21:00
万訪さんはすでにだいぶ昔に訪れていたそうです。
昭和59年の「日本の集落」という全三巻の本に掲載されていたとの事。
私も集落に訪れた際に、お住まいの方からいろいろ話を聞きました。現在は植林されてその姿は全ぼう出来ませんが、当時は広大なほぼ平坦な耕地があったそうです。
しかも陽当たり通い!群馬県ほど山の斜面が急峻では無いので、石垣を築いての段々畑では無く平坦な土地が(緩やかな傾斜はあるものの)あったようです。

万訪 12月16日(金) 09:03
煤川掲載してたんですね!私が行ったのは25年くらい前で、私の集落探訪のバイブル「日本の集落」(大泉さん掲載の最後の写真)を参考に訪れました。こうして、ドローン空撮みると栃本と同じくらいの天界度ですね。今週末、太泉さんと行くことになりました。よろしくです。

太泉八雲 12月18日(日) 18:34
近況報告も兼ねて。
昨日から1泊して、万訪さんといっしょに秩父の小鹿野町両神へ、万訪さんの愛車「ジムニー」(フルカスタム)で行ってきました。
メインは先日訪れた「煤川」の撮影。そして、小森川及び薄川流域の集落をローラー作戦で周りました。

途中見つけた両神薄『出原』(いでわら)という集落が素晴らしかったです。
126.76.232.153.ap.dti.ne.jp
1789: オフ会前後レポート 孫右衛門 6月15日(金) 22:02
1週間前は既に出発して今頃秩父の旅館でしたので、早いものです。
私の個人的探訪部分の概略を報告しておきます。
まず池袋から西武線で飯能を訪ねました。町並度は甘めに見て4でしょうか。
4評価も、というのは連続性はないものの質的に良い建物が残り、また商店街の佇まいなどに昭和の面影も濃かったことが一因です。
この出桁商家建築が公開されていたので、中で案内の方とも色々お話しました。このような重厚な商家をはじめ商店が連なっていたとのことです。
訪ねられた方の写真をみると、この左側に平入りの建物が見えますが、更地になっています。

孫右衛門 6月15日(金) 22:14
飯能から秩父盆地に入る前にある吾野宿、秩父鉄道の西側の終点である三峰口から徒歩で訪ねられる贄川宿の2つの宿場町を訪ね秩父に宿を取りました。宿は幹線道路沿いから5分余り歩いた閑静なところにある「だいます旅館」で、創業100年といわれる老舗旅館でした。料理屋であった時期もあったとのことですが、外観上・内部ともに伝統的な感じはそれほど受けません。しかし随所に古い旅館であることが伝わってくる風景がありました。

孫右衛門 6月15日(金) 22:18
秩父の町並は先に投稿した秩父神社門前のほかにも、商家建築が連なり裏手にも味わいのある町角風景があって、泊ってじっくり歩けてよかったと思いました。

孫右衛門 6月15日(金) 22:23
翌日は秩父鉄道で寄井に出、寄井・児玉と八高線沿線の町を歩き高崎へ。ここではやや範囲が広いので一番遠い旧中山道沿いの常磐町までタクシーを使い、そこから徒歩で戻る作戦としました。
町の風景としての伝統的な姿は風前の灯といった感じを受けましたが、昭和レトロ商店街に癒されました。

孫右衛門 6月15日(金) 22:28
その後万訪さんYasukoさんと落ち合い三国街道の宿場町などを巡りました。
利根川上流域は雄大な地形というのがやはり印象に残りました。河岸段丘上の市街地を象徴するこの階段はやはり印象的でした。その上にある坂道の方が長く、私も登り甲斐がありました。

孫右衛門 6月15日(金) 22:40
最終日に訪ねた富岡製糸場は、それでも世界遺産登録のほとぼりが少し冷めた頃合だったのかもしれませんがまあ世界遺産=観光資源という認識のわが国ではしょうがない部分もあると思いました。しかしこのような風景に接することができたのは良かったです。純粋に建物だけ見ても十分価値があります。

辰巳屋 6月17日(日) 05:45
飯能市の店蔵は、公開されているのですか。私は未訪問ですので、一度見学したいですね。秩父方面と合わせて訪問したいです。

富岡製糸場は、昨年、訪問しましたが、改装中のエリアが多かったようです。地元の皆さんは、やる気満々で、ガイドの皆さんも、意欲的でした。なによりも、この製糸工場が、現在まで、保存されてきたことに感動いたしました。

孫右衛門 6月17日(日) 17:50
最終日は富岡製糸場を訪ねなければ小川町や越生、東松山を訪ね、さらに川越を再訪する予定にしていましたが、こういう機会が無かったら製糸場は訪ねず仕舞いになっていたかもしれませんね。
私は利用しませんでしたがガイドツアーもありました。
言われるように工事中の箇所があるのが少々残念でしたがそれでも満足でした。
飯能の店蔵は案内の方も常駐されています。今回、思いがけず公開されたり外部の客を受け入れる体勢を整えている建物を何軒か見ました。
これは秩父往還沿いに残る昔の商人宿を利用した「ほっとすぽっと秩父館」という拠点施設です。

辰巳屋 6月18日(月) 05:14
秩父には、随分と古い公開されている建物があるのですね。調べてみるとこの建物は、明治時代初期に建築された商人宿「秩父館」を改装したもののようです。まだ、秩父のことを詳しくは調べていないのですが、是非、訪問したいと思っています。
秩父の養蚕農家にも興味があります。
120050197164.mcat.ne.jp


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