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1717: 伊豆諸島の建築 urano 8月20日(日) 10:56
お盆休みを利用して5日間、伊豆諸島へ行ってきました。上陸したのは八丈島、三宅島、大島、式根島、新島、神津島(上陸順)です。伊豆諸島は範囲が広いわりに、町並みという観点では見どころがやや乏しいのですが、八丈島・大賀郷の玉石垣集落、新島・本村(ほんそん)のコーガ石建築群、大島・波浮の町並みは見ごたえがありました。

この写真は本村の古い農家です。集落のほぼ全域で、石造りの主屋や付属屋が見られました。

urano 8月20日(日) 11:00
八丈島では大賀郷の玉石垣集落だけでなく、高倉も見たいと思っていました。伝統的な高倉は柱の数が4本、6本、12本の3種類があります。12脚倉として現存するのはこれ1棟だけだそうです。

urano 8月20日(日) 11:09
伊豆諸島は、北部(利島〜新島〜式根〜神津)と南部(三宅〜御蔵〜八丈)を連絡する船がなく、これらを行き来するには大島で乗り継がなくてはなりません。そんなわけで、大島は乗り継ぎのため1泊したのみでしたが(16:10着、翌日5:00発)、ただ泊まるだけではもったいないと思って波浮の町並みに寄りました。

この3階建ての建物は万訪さんも掲載されています。残っていてホッとする一方、町並み全体で見ると、古い建物はやや減っているように感じました。


七ちょめ 8月20日(日) 19:13
uranoの伊豆諸島訪問、そして万訪さんの北海道の何処に行くか判らない旅など、フェイスブックで発信されていて、楽しませてもらっています。
圧巻は万訪さんの娘さんの無茶苦茶な企画と云いながら、楽しく親娘旅を楽しんでおられるのが羨ましいです。
お二人とも町並や集落は殆ど無いとのことですが、楽しかった様子の投稿をお願い。

伊豆諸島の石造りの家や12脚の高倉など見応えあります。
8月中にどこかの旅館に泊まりに行こうと、懸命に探しているのですが、希望する条件の旅館は何処も八月・一人と云うことで泊めてもらえないので困っています。

Kさん 8月20日(日) 22:11
2日間に亘り、黙々と宛名を書き続けていました。この間に、皆さんはずいぶん行動的な日々を過ごされていますね。今日は絵の下につけるコメントを1日がかりで仕上げました。すべての絵のコメントを同じ字数でというこだわりです。後は額を買ってきて、額装作業。個展って、案外体力勝負です。あと何回できるかなと思いながらの作業をしています。

孫右衛門 8月20日(日) 23:06
伊豆大島・波浮と聞くと旅情が湧いてきます。
ここはいつか訪ねたいですね。各地の主な町並の探訪が一段落してからに成りそうですが。
uranoさんのレポートは少し切り口が独特で、そこのところがいつも新鮮に感じています。
時に新しい町並情報の提供もありますし。一例を挙げると、先日のオフ会時の余興でいえば、玉名市大浜地区などの熊本県中北部の町並がそうでした。

七ちょめさん、この時期は宿泊も泊る側からすると悪条件に満ちていますね。暑い上に上乗せです。
先日、香川県の探訪では琴平のホテルに泊まりましたが、最近では珍しく日にちが迫ってから急に決定した探訪でしたので意のままにならず、素泊まりとしてはかなり高額な室料で、盆休期では仕方ないとはいえ不満足な宿泊でした。

urano 8月21日(月) 22:58
東京は8月に入ってから雨天・曇天続きで、せめて伊豆諸島では夏らしい晴天を望みたかったのですが、あまり天気はよくありませんでした。
諸島航路は、夏は運賃が高く、冬は波が高くなるので、行きやすい時期は限られそうです。むしろ飛行機のほうが行きやすいかもしれませんね。

八丈の高倉も、群になっていたり、屋根が茅葺きだったりすると「おぉ!」と思うのでしょうが、そうではないので、人におすすめしにくいところです。

万訪 8月23日(水) 17:28
Uranoさんの行動力には恐れ入ります。私が4回に分けて訪れたのを1回の旅で回っちゃうのですから。お疲れさまでした。
青ヶ島行きたいですね。ただし、行ったら最後、下手したら1週間から1ヶ月帰れないリスクがありますので、定年退職後になるでしょう。

urano 8月29日(火) 22:23
万訪さん、例によって「行ける時に、一気に巡ってしまおう」というプランニングでした。
個人的に優先順位が中位だった三宅島と神津島を見た限りでは、「古民家&集落を求める東京の離島旅は、これ一回切りで十分かなぁ」といった印象です。
青ヶ島も行ってみたいですが、集落的な観点での収穫が少なそうで・・・。
もちろん、行ってみないことには何とも分かりませんけどね。

利島と御蔵島も行き残しているので、いずれ行きたいとは思います。でも、当分先になりそうです。
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1716: 香川県の町並 孫右衛門 8月15日(火) 10:11
13・14日で香川県を訪ねていました。観音寺市豊浜町、観音寺市伊吹島、観音寺市室本町、詫間町、琴平町(再)、善通寺市、多度津町(再)、丸亀市本島笠島集落(再)、坂出市与島。
主目的は3つの島を訪ねることでした。観音寺沖の伊吹島、前回から14年も経過している本島の再訪、瀬戸大橋の橋脚下にある与島の探訪です。
それから良い写真のなかった琴平、多度津も再訪しました。琴平は朝一に参道を登り金比羅宮を参拝しました。
猛暑中の探訪を覚悟していたところ幸いなことに朝晩を中心に、比較的凌ぎやすかったです。そういえば昨年も松山沖の島をこの時期訪ねていました。

写真は伊吹島です。ここは印象的には、家島諸島の坊勢島と似たところを感じました。坂上に展開する集落、また島の規模も似ていて原付が多い。そして住民の姿が多く見え若い人も多い。盆休みだったからかもしれませんが、その後他の島を訪ねた印象からも明らかに活気がありました。

孫右衛門 8月15日(火) 10:28
14年ぶりの笠島集落、町並自体は保存地区ですので大きく変ったところはありません。但し、フェリーは満席だったにもかかわらず、笠島集落に帰省する客はほとんど居ませんでした。前回冬に訪ねた時と同様の静かな状態で、わずかに集落を後にする頃になって数組の探訪客を見ただけです。
公開されていた旧家のご主人に聞いてみると、住んでいる家はわずかとのことです。保存地区とはいえ、ほとんど博物館状態のようです。

孫右衛門 8月15日(火) 10:37
与島の集落です。瀬戸大橋では最も四国寄りでPAが設けられ、万訪さんの情報でその脇から集落に向うことができるとのことで、その方法で訪ねました。
ここも多くが無住で、架橋により便利になったにもかかわらずかえって寂れてしまったようです。
頭上の長大橋には頻繁に車両や列車の走る音が響き、一方で集落内は人影がない。石垣の見事な箇所などもあっただけに何だか空しい気分になりました。

七ちょめ 8月15日(火) 10:51
孫右衛門さんは比較的近場を宿泊してたずねられたのですね。
笠島集落
私が訪ねてからもう20年近く経ちます。重伝建の制度化で来てから間もなくでしたが、人が住んでいないから簡単に整備・修復ができたのでしょうね。当時から博物館状態でした。

それに比べて三重県の関宿は割に活気があり、今のように整備は殆どされておらず、普通の古い町並と変わりませんでしたが、関宿は今では博物館のようで、住人は他の所に住んでおられれるか、屋敷の奥に新しく家を建てて住んでおられる状態です。

与島
ここも瀬戸大橋開通時には潤いましたね。京阪フィッシャーマンズワーフができて、自動車道から降りてきても、駐車場に車が停められなかったこともありましたね。今は「つわものどのの夢の跡」ですね。

孫右衛門 8月15日(火) 22:02
琴平の参道沿いに当たる榎井の町並です。この街道沿いと日中は参拝客で賑わう参道沿いを分けて掲載しようかとも考えています。

与島のフィッシャーマンズワーフは賑わっていましたね。実は与島集落とは逆方向に歩いてしまって、かつての駐車場を目の当たりにしたことにも、侘しい思いを抱きました。ここから瀬戸大橋クルージングといって漁船のような小型船に乗って周囲の橋梁を見学したことを覚えているのです。
就職して以後の話で、瀬戸大橋は私が高校に進学した年に開通していますので、それからでも10年近くは経っていたはずですが、まだその頃は橋そのものが観光資源でしたね。
島の集落が開通の頃はまだ活気を示していたかどうかはわかりませんが。

万訪 8月16日(水) 02:15
伊吹島は活気がありますね。お盆なので尚更かもしれませんが、そうでない時も活気があります。私も坊勢島といい勝負だと思いました。カタクチイワシ工場が海岸沿いに並んでいますね。
与島は石が採掘された島らしく集落の造りは良かったと思います。でも、おっしゃる通り橋との対比で過疎化が強調して意識されます。

孫右衛門 8月16日(水) 20:27
伊吹島はイリコ生産で栄え、それが今でも続いているのが寂れていない要因でしょうね。
フェリーに土産ものとして積込まれるのもほぼ全てイリコでした。ここをはじめ西日本ではイリコといいますが、煮干と言うのが一般的かもしれません。
ここで驚いたものの一つに、路線バスがあることでした。軽自動車くらいしか通る道がないのにと思っていたのですが、どうもそのバスも軽自動車のようなのです。

urano 8月17日(木) 20:45
瀬戸内の町並みはいいですね。このお盆休み、伊豆諸島をめぐってきましたが、まったく違う風景です。そもそも海の穏やかさが違いますし、これほど立派な町家が島々にも連なっているのは、やはり瀬戸内だなぁと感じます。

笠島は、私が訪れたのは2008年なので9年前です。そのときは空き家が気になりませんでしたが、町並みめぐりを本格化する前だったので、まだ目が肥えてなかったのでしょうね。
伊吹島はトリエンナーレの会場として知りました。ここも面白そうな島ですね。

孫右衛門 8月18日(金) 07:38
わたしの理想は、生活感のあり、かつ見応えのある古い町並なのですが、この人口減少時代に地方の町並に活気というわけにはなかなか行かないでしょう。博物館状態であれ、建物が保存され良い町並景観が保持されていれば十分としないといけないと思いますね。
トリエンナーレとは何かと調べると美術の祭典みたいなものですか。そういえばそのような看板も見かけましたが、時間がなかったこともありパスしました。

伊豆諸島はなかなか訪ねようという対象地にはなりにくいところですが、大島くらいは行ってみたいですね。

urano 8月18日(金) 20:59
トリエンナーレ(瀬戸内国際芸術祭)は3年に一度の芸術祭で、昨年第三回が行われました。もっとも、会場には会期外をとおして常設展示されている作品もあります。
古民家や蔵、耕作地を活用した作品も多く、島おこしの好例だと思いますが、最近は全国各地で「アートで村おこし」が見られ、やや飽和状態になっているような気もします。いつまで続くのか、早くも気がかりです。

伊豆諸島で「歴史的な町並み」として見られるのは大島の波浮くらいでしょうか。ほかは集落で、街村のようなものもありますが、町家群は見られません。
建築的な観点でいえば八丈島と新島が圧倒的に面白くて、私でしたらこの2島を何よりもおすすめしたいところですが、そこは皆さんそれぞれ関心が違うので、何とも決めつけがたいですね。

報告は後日アップさせていただきます。
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1715: 暑い中で展覧会 Kさん 8月13日(日) 18:39
暑い日が続きますが、皆さん盆休みを楽しまれておられるようで、何よりです。
このくそ暑い中で、私は8月から9月にかけて2つの展覧会です。1つは2年に1回の「河内を描く美術展」(8月30日〜9月5日、大阪上六・近鉄百貨店上本町店)、もう1つは11回目を迎える個展「岸本信夫町並みスケッチ展」(9月11日〜16日、大阪西天満・マサゴ画廊)です。
万が一、この期間に大阪へ出張でもあればお立ち寄りください。もっとも個展の方は連日会場におりますが、河内展の方は会場にるのは1日午後と5日ぐらいです。

Kさん 8月13日(日) 18:40
マサゴ画廊は裁判所の西隣です。

Kさん 8月13日(日) 18:43
河内を描く美術展は2年に1回、これまで八尾市の西武百貨店で開催していましたが、西武閉店につき、大阪の百貨店に「ランクアップ」です。

万訪 8月14日(月) 00:19
9/5にけいはんな、9/10に大阪に行きます。Kさんの個展に行きたいが、1週間ズレてればなぁ。

孫右衛門 8月14日(月) 20:47
9/2・3と京都です。個展でしたら100%時間を作って伺いますが・・・。
私の予定が2週間ずれていればよかったですね。

Kさん 8月14日(月) 21:25
孫さん、9月3日は私も京都で飲み会です。個展の場合は100%会場にいる予定ですが、河内展はたった1点の出展ですから・・・

個展には熊本城のスケッチも、2点出展します。

七ちょめ 8月15日(火) 09:03
Kさんの個展は必ず訪ねるようにしているのですが、今回は多分??行けそうにありません。丁度9月11日から東北を訪ねますので。最終日にでも訪ねられたらと思っていますが、どうなることかその時になってみないと。
若い時と違い、旅の疲れが長引きますので。

万訪さんが訪ねられた秋田県の強首温泉の樅峰苑にも一泊します。
M014010098160.v4.enabler.ne.jp
1714: お盆休みは近江の酒蔵めぐり 太泉八雲 8月13日(日) 07:10
今年のお盆休みはなんとか6連休とれる事になりましたが、前日になって休みが確定した為に何のプランも立てず。お盆ラッシュを考えると遠出するのも躊躇するようになってしまった。

とにかくゆっくり休みたい思いと、希少な連休を旅で満喫したい思いが拮抗。

ダメ元で電話したお馴染みのレンタカー屋で、新型のAudi A6アヴァントが借りられたので、シーズン料金もあってちょっと奮発しましたが、48時間借りて近江の酒蔵巡りをしてきました。

昨日に宿泊したのが、鈴鹿市の神戸宿にある「加美亭旅館」です。
七ちょめさんの情報を元に電話したら、もう90歳になる女将さんがOKしてくれました。

今日も夕方ぐらいからラッシュが始まるようなので、この後尾張地域の酒蔵を廻って東京に帰ります。

七ちょめ 8月13日(日) 08:55
何時もの定番、高級外車のレンタカーで酒蔵巡りですね。それも遠い距離の探訪。
ご苦労様です。「加美亭旅館」確か入ったところの階段の前に大きな柱がある旅館でしたね。この宿では翌朝、この旅館の奥の新築の家に住んでおられる息子さん(50歳代)に、資料を見せて貰って、町並を少し案内してもらったことを思い出しました。
この宿は神戸宿の一番端だったと思います。

私は今日午後から京都府舞鶴市にある「舞鶴館」と云う旅館に泊まりに行こうと準備しています。

万訪 8月13日(日) 12:09
太泉さんからの久々の探訪レポだ!輸入車と酒蔵めぐりも定番となりましたね。鈴鹿のこの古宿は一番端っこの坂道の手前にある家でしょうか。90歳の女将とはすごい。伊勢オフ会の時に見ましたが、ちゃんと維持メンテされている印象でした。近江&尾張の旅レポお願いします。
七ちょめさんは舞鶴へ行かれるとのこと。これからお盆休みの旅レポが皆さんから出てくることでしょう。

私は水曜日から北海道です。札幌に夜入って来週日曜日の夜まで4泊4日。北海道で残っている場所は渡れない厚岸町小島を除いて札幌の商店街と留萌だけですので、今回は「おバカな父娘のくじ引きの旅」です。画像にある市町村のカントリーサイン179コをクジのように引いて、出た町へ行き、着いたらまた引いて次に行くというのを繰り返します。例えば、函館で稚内を出すと600km移動しなけれなりません。当然、どこに行くかわからず、宿も取っていないません。ただの移動では面白くないので、途中の町並みも紹介していこうと思っています。さぁ、どうなることやら。

七ちょめ 8月13日(日) 18:49
舞鶴市の舞鶴館に泊まっていますが、余り古い感じはしません。しかし繁盛している旅館のようです。でも、明治34年創業だそうです。
早く着いたので、レンガ倉庫群を訪ねました。
なんかイベントが行われていて、全棟公開されていました。

辰巳屋 8月14日(月) 06:04
太泉さんは滋賀の酒蔵、万訪さんは北海道、七ちょめさんは舞鶴の旅籠、Kさんは個展と皆さん忙しいですね。お盆は、家族と地域のために過ごすものと思っていただけに、何とも羨ましい限りです。

私も、やっと休暇がとれたので、8月20(日)から東京に行きます。万訪さんメール送りましたのでみてください。

万訪 8月14日(月) 09:14
辰巳屋さん東京に来られますか!
すいません、メールアドレスが変更になって居ります。@の前のkをsに変更して再送いただけませんか。


太泉八雲 8月14日(月) 09:15
今回の近江の酒蔵巡りは彦根から出発して南下し、甲賀郡エリアで1日目を終えました。

今回は蔵での購入率は高く、購入したお酒は13本です。翌日の尾張の酒蔵は不振でしたが...。

すでに何度も訪れた町が多く、町並み歩きはほとんど割愛しましたが、水口宿は建物の取り壊しと空き地が目立っていましたね。

それよりも発見。と、言うかついに発見。

東海道「石部宿」です。

「土山宿」〜「水口宿」と旧東海道は鈴鹿峠を越えてJR草津線の北側を走り、町もその道筋にありました。現在の国道1号線も同じです。

なので「石部宿」及び旧街道も同じく国道1号線に併走しているものと思い、石部駅北側界隈を何度も探しましたが、宿場町らしきものは遺構すらない。

駅の南側も見てみたがそれらしきものは、まったく無い。
完全に消滅?と諦めていました。

が、今回偶然にも発見しました。「石部宿」

まあ、目的は清酒『香の泉』を醸す竹内酒造だったのですが。

JR草津線の南側、県道を越えたさらに南の段丘上に旧街道と宿場町があったのです。

町並みもありました。となりの旧・甲西町も同じで、この町にもある有名な酒蔵『御代栄』を醸す竹内酒造も街道沿いにありました。

野洲川の氾濫を避けて高台走っているのでしょう。
車が辛うじてすれ違えるほどの道です。

水口宿を出た街道は横田橋を渡ってJR三雲駅あたりから国道を逸れてJR草津線を越えて丘陵上に入っていくようです。

このルートはまた今度ゆっくり、自転車でも使って走りたいですね。



七ちょめ 8月14日(月) 13:32
舞鶴に泊って、昼前にはもう帰ってきました。

石部宿を掲載していると思い、自分のページを見てもありません。なんかの都合で掲載をやめたのでしょうね。名前を忘れましたが重要文化財になっている薬屋の大きな建物が有名ですね。
石部宿から水口宿にかけて造り酒屋も2軒ありましたね。
その内の「竹内酒造」だったと思いますが、自宅の近くにあった旧造り酒屋の娘さんがこの竹内酒造に嫁がれていて、もう5〜6年も前に近所の女性グループが、見学を兼ねてこの酒蔵を訪ねたと云っていました。

私もこの竹内酒造の写真を撮っていますが、フイルム時代でそのフイルムを探しだすのは無理でしょうね。

Kさん 8月14日(月) 21:39
「名前を忘れましたが・・・薬屋の大きな建物」はこれですね。石部宿と草津宿の「間の宿」だった「六地蔵」にあります。うまく描けなくて、何回も通いました。「和中散」という道中薬を扱っていた大角家住宅です。

孫右衛門 8月14日(月) 23:30
太泉八雲さんのレポートはいつも個性的で新鮮です。しかし王道の東海道でもメンバー内で新たな発見がある。これはやはりフィールドワークあってこそです。
春から比較的良く出かけられていた事もあって、盛夏の時期はおとなしくしておくという思いもあったのですが、結局香川県の離島を中心に昨日今日と訪ねていました。
こういった時期に企画するのにはある意味、良い機会ともいえました。泊りがけとしては近場なので気合は余り入らなかったのですが、なかなかどうして色々ありました。改めて明日にでもレポートします。
p600130-ipngn200601niho.hiroshima.ocn.ne.jp
1713: 金沢⇨魚津⇨飯山⇨飯田 万訪 8月 6日(日) 18:18
昨夜、仕事の関係で飯山・野沢温泉村の北竜湖花火大会に行ったんですが、その前後に消化試合やってきました。まず金沢に行って寺台町と里見町、富山県魚津に移動して大火後の復興の町を取材、今日は午前中、飯山を再訪し、長野県を縦断して飯田へ行き、大火復興の町と偶然見つけた旧遊里の探訪です。今、帰りの高速バスに乗ってます。画像は、飯田城址に建つ合同庁舎から北側を見たところ。谷を挟んで市街地が広がっていますが、斜面の町がなんかあやしい。

万訪 8月 6日(日) 18:23
谷に面して崖屋造りで建ち並ぶ木造三階建て群は、「くつわ小路」というかつての夜の飲食店街でした。つまり、ブルーライン。となれば、レッドラインがあるはずとググったら、丘の上に遊郭=レッドラインがあったそうです。私の遊里の臭覚も衰えておりませんでした。

万訪 8月 6日(日) 18:29
飯田の中心市街地は、先の遊郭のあった北側の丘上を除いて、昭和22年の大火で焼失しており、その後の復興の町並みです。大通りを十字に通して、町の延焼を防止したほか、画像のような幅員2メートルの通路「裏界線」がつくられました。避難路です。

そのほか魚津では、中央通りの防火建築帯の町並み、飯山では仏壇屋が並ぶ雁木通りなど、新しい取材ができ満足満足!

七ちょめ 8月 6日(日) 19:32
飯山市の仏壇屋街(愛宕町)はグーグルでみると、焼ける前の糸魚川の市街地と似たような雁木の町並ですね。訪ねる価値がありそう。

孫右衛門 8月 6日(日) 22:23
1枚目の写真の風景は、私も何かあると足を踏み入れますね。
消化試合といわれていますが、仕事に絡められるからそれができるのでしょうね。
県内とはいえ、飯山から飯田の移動は大変です。新幹線事情から金沢から飯山よりも大変かもしれない。先日の探訪で、岐阜・愛知県の探訪途中に根羽村を組み込んだのですが、ここと野沢温泉村も同じ長野県かと思うと、改めて信州は広いですね。

太泉八雲 8月 7日(月) 01:34
私がブログにリンクしている隼人さんのブログにレポがあり、私も近々(思ってから月日が経ちますが)南信の再訪を検討していました。

『ぬけられます』あちこち郭探訪日記
http://blog.goo.ne.jp/erotomania_2006/e/cf4523504dd5035c1f9805110136917f

いろいろ参考になる事があると思います。

孫右衛門さんも三遠南信地域を廻られたようですね。まだこの地方は奥が深いので、関東組の私と万訪さん、それにURANOさんで追探求したいと思っています。

なので、近々ミーティングしましょう。

万訪 8月 7日(月) 12:19
飯田は今まで「ないな」でスルーしてましたが、ありますね。中々面白いです。
隼人さんのサイトの写真で行ったてないところがありましたが、北側の崖下ですね(添付画像)。上から眺めてあるなと思いましたが、とても降りていく気が起こりませんでした。行っときゃよかった。

万訪 8月 7日(月) 12:22
補足
飯田は崖線の縁が眺めがよく、旅館や遊郭があります。その場合、崖下の街がまた面白そうです。

太泉さん、東京オフ会日程を提案くださいね。

Yasuko 8月 8日(火) 08:25
すごい、行ってみたい・・・・・

辰巳屋 8月 9日(水) 07:20
飯田に良いところがありましたね。
私は、善光寺参りの後に飯田市にある元善光寺にお参りし、飯田市本町付近の三連蔵や蔵の街を見ただけで帰ってしまいました。リンゴの街路樹のある並木道が綺麗な町という印象でした。
飯田には、現在は取り壊されてしまったようですが、「久保田楼」という有名な遊郭建築があったのは、このあたりだったのでしょうか。また武家屋敷の風情の残る地域もあるようですね。

万訪 8月 9日(水) 09:19
飯山の雁木通りは旧飯山街道ですが、川沿いの町並みを歩いてそこだけが旧街道だと思い込んでました。山側に思いっきりシフトしています。
飯田も同様で、台地上が旧市街だと思い込んでいると崖線の斜面や崖線下の街を見落としてしまいます。旧街道は崖を下って外へのびていますので、古い町並みが続いておりかつ大火にあっていないということ。現に私は見落としてしまいましたので、もう一回リベンジに行かないとなりません。
辰巳屋さんご指摘の久保田楼はトップ写真の台地上の二本松遊郭=飯田遊郭にありました(2002年解体)。他にも妓楼があったそうで、そこへ行く途中に夜の飲食店街(ブルーライン)があった模様。現在、遊郭の名残はなく、夜の飲食店街の面影がくつわ小路と馬場町通りに残っています(もっとたくさんあったようですが)。
もっとも、台地縁のこの現象は二本松遊郭のみならず、他の縁と崖線にあるようです。もしかすると、河岸段丘上の町の遊里の共通点なのかもしれませんね。
pw126199206198.18.panda-world.ne.jp
1712: 鞆の重伝建選定が目前に 孫右衛門 7月30日(日) 20:36
昨日の地元紙に、福山市が鞆地区の保存方針を告知したという記事が出ました。
後は文化庁に答申し、認証を得ることが必要ですが、これでようやく重伝建選定に向けての動きも大詰めといったところです。

重伝建地区に匹敵するレベルであることは間違いないのに、長らく架橋問題が足枷となって実現を阻んでいました。ひとまずは安心ということになりそうです。

新聞記事の内容はこちら http://machiissue.exblog.jp/25113914/



七ちょめ 7月30日(日) 21:15
鞆の重伝建の件は20年以上揉めにもめてやっと振り出しに!!
でも、一応は良かった 良かったという所ですね。

孫右衛門 7月31日(月) 22:24
鞆の重伝建選定は私にとっても長年の願いでした。
重伝建以前に、映画等の影響で探訪客が急増したことも私は余り面白くないものと思っていました。
まだ確定ではありませんが、これで可能性がかなり高まったことは間違いありません。
以後も課題は山積ですが、とにかく保存地区指定を受けないと町並の観点では話が始まりませんので。

urano 8月 2日(水) 21:52
鞆の重伝建選定、実現すれば本当に「やっと」という思いですね。町並みはもちろん、港湾施設の保存状態のよさは、瀬戸内のすべての港町を代表しうるものでしょう。関係者のこれまでのご尽力に敬服いたします。

孫右衛門さんの「映画等の影響」というのが分かりませんでしたが、改めてネット検索してみると、某アニメ映画の舞台になり、注目されたことを思い出しました。
私は、古い町並みのように本来の役目を終え、時代遅れになりつつあるものを残すには、まずは知られることが大事だと考えています。増加する観光客への対策など、新たな問題も生まれるでしょうが、鞆の場合はそれがきっかけとなり、架橋中止に傾いていった印象があります。(あくまで個人的な印象です。違っていたらすみません)。

ひるがえって我が地元の月島は、もんじゃ目当ての観光客は多いものの、路地や長屋、近代建築が注目されているわけでもないし、次から次へと再開発事業が生まれては実行に移されています。来訪者の関心の数パーセントでもいいから、長屋に向けられたらなぁと思います。

孫右衛門 8月 3日(木) 21:46
架橋問題は、私も注目していましたが新聞記事等でしか触れることがなく本当のところはわかりませんが、「イコモス」の視察・進言といった出来事もあり、撤回・中止に向う流れになったという側面があったようです。
アニメの影響による訪問客増が架橋の中止につながったということはないと思いますが、間接的には後押しになったかもしれませんね。
私も本当は多くの人に知られ、認識してもらい、そのことで古い町並全体が活気を持った状態で保存されるのが理想です。ただ、大手資本などに眼をつけられ観光地的に画一化されることを恐れているのです。
ただ、重伝建地区になればその問題はある程度は回避はされるでしょうが。

月島を訪ねたのはもう10年以上前になりますが、いつかuranoさんが変化を報告されてましたね。随分変っているのでしょうね。

孫右衛門 8月 3日(木) 22:24
月島からも近い築地場外市場。先ほどニュースを目にして驚きました。大規模な火災に見舞われているようで、ほとんどの訪問客には着目されませんがここも古い町並ですので、どの程度の被害状況なのか気がかりです。
p600130-ipngn200601niho.hiroshima.ocn.ne.jp
1705: 万訪様にお願い。 JUDAS / CHRIST 7月15日(土) 10:26
万訪様、はじめまして。
JUDAS / CHRISTと申します。
初めて書き込みさせていただきます。

万訪様の「集落町並みWalker」を拝見し、是非訪れてみたい場所を発見致しました。
コメント欄がございませんでしたので、こちらでお尋ねさせていただきたいと思います。

「集落町並みWalker」の‘東京・青山’の頁の、最上段(1枚目)の写真の場所は、どの辺りでしょうか。
http://www.shurakumachinami.natsu.gs/03datebase-page/tokyo_data/aoyama/aoyamafile.htm
町名でいうと、おそらく港区南青山・西麻布辺りだと思うのですが、具体的に何丁目何番地までご指南頂けますと幸いです。
私、外苑前・表参道近辺は学生時代(’80年代)に非常に馴染みのある土地だったのですが、すぐ傍の南青山・西麻布辺りは、あまり行った事がありませんでした。
そこに、これほど昭和レトロ(’70年代以前)の香りのする場所があると知らず、お写真を拝見して感銘を受けました。
20年前の12月撮影との事で、今は風景が変わっている可能性もありますが、是非訪れてみたいのです。
宜しければ、町名・番地をご教示頂ければと思います。
何卒、お願い申し上げます。

七ちょめ 7月16日(日) 11:18
万訪さんは今、旅に出て居られます。しばらくお待ちを。


七ちょめ 7月16日(日) 11:38
前の投稿で「大きな画像の投稿テスト」して上にあがってしまったので、この投稿を再度上にあげようとしたら、おかしなことになってしまいました。
この投稿文は正常に出るか。

万訪 7月19日(水) 14:29
JUDAS/CHRISTさん、私のサイトの掲示板がとまっていてすいませんでした。
場所は下記の周辺になります。ピンポイントで思い出せません。
〒107-0062 東京都港区南青山4丁目13−2
よろしくお願いいたします。

JUDAS / CHRIST 7月19日(水) 22:58
七ちょめ様、こんばんは。

万方様ご旅行中の旨をお伝えいただき、ありがとうございました。
七ちょめ様のサイト「古い町並みを歩く」も、是非、拝見させていただきたいと思います。

JUDAS / CHRIST 7月19日(水) 22:58
万訪様、こんばんは。

ご教示いただきまして、誠にありがとうございます。
Googleマップのストリート・ヴューで周辺を見てみました。
新しめの建物や建設中の建物も多いものの、かなり古い個人宅やアパートも、ぽつりぽつりと残っていますね。
件の写真の場所は、ストリート・ヴューでは見られない狭い道の風景の可能性もありますね。
そっくりそのまま残っている可能性は低いかもしれませんが、時間のある時に現地を訪れ、なんとか見つけ出したいと思います。
変貌具合を見届けるのも、また一興かと思います。
改めまして、この度はありがとうございました。


万訪 7月23日(日) 10:39
JUDAS / CHRISTさん是非行って見てください。そして、レポいただけたら幸いです。
私も「どの変だったかなぁ」とGoogleマップの空中写真で確認しましたがわかりませんでした。主要な道は階段で残っていますので、あの写真は私道だったかもしれない、再開発の中で無くなってしまったかもしれません。しかし、行って見るとおそらく何かがわかるはず。
ちなみに、あの場所から西麻布にかけての低地は戦災に遭っていないエリアで、西側の斜面との間の階段などがまだ他にもあったと思います。


太泉八雲 7月26日(水) 08:17
掲示板のソースコードを見たら変な記述があったので削除しました。表示は直っていると思います。
p5942075-ipngn27701marunouchi.tokyo.ocn.ne.jp
1710: 富山に行きました 辰巳屋 7月25日(火) 06:26
1週間以上遅れた報告になりましたが、7月の連休に富山に行きました。富山市内の製薬業の金岡邸、富山一の豪農の内山邸、岩瀬、滑川、上市、伏木、内川界隈(射水市)、砺波の散居村、井波などです。
画像は、金岡邸です。富山の製薬業と薬売りについて改めて知識を吸収できました。そして我が家にも置き薬があり、大きな風呂敷を担いで来て、帰りに紙風船をもらったことを思い起こしました。

辰巳屋 7月25日(火) 06:31
射水市の内川界隈(昔は「奈古)と呼ばれ、現在は放生津町)は、街並みが海に近く、このような大面積で海と運河(内川)に囲まれ、住居も一帯となっている街があっただろうかと思いました。


七ちょめ 7月25日(火) 09:39
この運河の風景、見たことあると思ったら射水市放生津でした。この船は何でしょうね。
富山県を訪ねられて成果があったようですね。なによりです。
富山の置き薬は戦後我が家にも置かれていましたね。昭和30年〜40年頃は全盛期だったと思います。今でも続いているようですね。
もう少し経ったら、徳島県の旅??(泊るだけ?)に出ようと思います。発信はブログとフェイスブックで!!

万訪 7月25日(火) 17:32
金岡邸は知りませんでした。中心市街地から東の方にあるんですね。暗くてわかりづらいですが、登り梁で一階の庇が草葺きでしょうか?富山の町家は一階の庇が白木の場合が多いですが、草葺きは珍しかったように思います(他にもあったかなぁ)。

孫右衛門 7月25日(火) 21:34
この放生津付近は、地図を見ると港湾地帯のような殺風景な風景しか想定できないのですが、そこに古い町並があるという点では珍しい町並ですね。
極めつけはその西側にある庄西町という島のような地形上にある町並です。
置き薬は祖父母のところにあって定期的に営業の方が交換に訪れていた記憶がありますが、あれも富山売薬だったのでしょうね。

辰巳屋 7月26日(水) 06:15
内川の船は、定置網漁の漁船でしょうか。このあたりは定置網が盛んに行われています。
内川の南側は放生津新町(現在の本町3丁目)と呼ばれていたようである。本町には、海商「宮林家」の広大な邸宅がある。

画像は、立町の見越しの松の見事な料亭のある飲食街です。このあたりに、料亭、割烹、スナック、クラブ、ラーメン屋などの飲食店が密集していて、湊町の繁栄を今に伝えているようでした。
210163222007.mcat.ne.jp
1708: 隠岐の集落と船小屋 urano 7月20日(木) 22:49
他のスレッドで七ちょめさんが書かれているとおり、7月15、16日の2日間で隠岐に渡ってきました(facebookは主に知人に向けた速報用と位置付けておりますので、ご了承ください)。

これにて、古民家・集落的な観点で外せないと個人的に思っていた日本海の四大離島=佐渡・隠岐・壱岐・対馬=上陸達成です。隠岐の風景の印象は、対馬と壱岐を足して2で割ったような感じで、急峻な山がち地形を基本としながら、開けた土地には田んぼもあって驚きました。

今回は三連休の3日目に所用を予定したため、2日間の探訪となり、知夫里島には行きませんでした。
滞在時間は、島後が21時間、中ノ島(海士町)が2時間30分、西ノ島が3時間ほど。それでも、予定した場所はおおむね廻れました。

町並み・集落として見学したのは以下の通りです。

島後=西郷(西町・東町)、大久(おおく)、卯敷(うずき)、飯美(いいび)、西村、久見、油井、那久、都万釜屋
中ノ島=菱浦、海士
西ノ島=別府、浦郷、三度(みたべ)

写真は卯敷の船小屋です。傷んだ船小屋もありましたが、半壊のものも含め16棟確認できました。

urano 7月20日(木) 22:56
飯美の船小屋。なんと22棟もあって驚きました。これは道路拡張後に復元整備された都万釜屋の船小屋(21棟)をしのぐ数です。
船小屋の前の浜では子どもたちがサザエ採りをしていて、とてものどかな光景が広がっていました。
宿泊したホテルのオーナーに聞くと、「島の子どもはサザエを民宿などに売って小遣い稼ぎをしている」とのことでした。

urano 7月20日(木) 23:05
那久の板壁集落。見越しの松が見事です。
島後の北西海岸には、冬の季節風から家を守るための垣根が発達しました。今回、垣根の集落としては久見、油井、那久を訪ねました。それぞれに違いがあり、興味深かったです。

urano 7月20日(木) 23:13
中ノ島、海士の村上家。ここに流された後鳥羽上皇の生活を金銭面で支援したといわれる豪族の家柄です。現在の建物は明治33年。この付近は島の中でも古い地区のようですが、町並みはそれほど歴史的ではありませんでした。
同じ中ノ島では、現役の港である菱浦のほうが断然、見ごたえがありました。

urano 7月20日(木) 23:23
西ノ島の三度集落。島で唯一、外海に面した集落です。三度は隠岐に特有の農法である牧畑を営んだ集落で、周囲の山中にはその痕跡が顕著ということで訪れましたが、中心集落も古民家が多く見応えがありました。
大棟を石で造作するのは隠岐民家の特徴です。今回の旅でそれを最も多く見られたのが三度でした。

七ちょめ 7月21日(金) 10:54
短時間で隠岐の多くの所を訪ねられましたね。
nranoさんのレポートを見ていると、同じ所を訪ねても、見ているものは私とは異なるのが面白いです。
そう云うと、私は町並しか見ていないですね。それしか見られない偏見があるのかな。

孫右衛門 7月21日(金) 21:27
隠岐は私にとっては隣県なのですけどね。しかもその前に壱岐や佐渡を訪ねているのに今ひとつ候補に挙がりにくいところです。
町並がないわけではないのですが、やはり近い割に手間や時間がかかることが、足を向いにくくしている要因でしょう。遠い方々の方が思い切りやすい。

町並だけでなく、ダイナミックな海岸の景色や地物の魚を味わってみたいものです。

今年は春以降比較的順調に探訪を実行したので、盛夏の時期は本格的な探訪は控える予定で9月頭の京都までは予定はありません。但し、結局盆休みに1泊程度の探訪を入れる可能性もありますが。
というようなことで隠岐はいつになるか。晩秋以降は海が荒れるので、来年になりましょうか。といいながら結局先延ばしになるのでしょうね。

urano 7月21日(金) 22:38
七ちょめさん
島後は外周をまわるだけであれば、意外と探訪しやすかったです。
私は単体の民家にも関心があって、島後は億岐家住宅と旧佐々木家住宅という2件の重文民家があるという点でも見逃せない場所でした。

孫右衛門さん
隠岐は広島からでも拠点港までのアクセスが難ですね。
しかも道中に魅力的な町がたくさんありますし・・・。
私も東京都の離島にはなかなか足が向きません。竹芝桟橋はすぐ近くなのに、そうこうしているうちに八丈島の高倉も減ってしまうのでしょうね。
というわけで、こちらも「今年こそは」と計画しているところです。

辰巳屋 7月22日(土) 06:21
隠岐の島は良い所ですね。学生時代に訪問しただけで、その後は訪問していません。その時は、フェリーで渡り、自転車で廻りました。
船小屋は、日本海側の漁村には広く分布しているものでしょうか。若狭湾には多いとは知っていますが。

松江の近郊にも残っていました。画像は、松江近郊の船小屋です。船小屋というのかどうかは分かりません。

万訪 7月22日(土) 08:27
飯美の舟屋は知りませんでした。私が行った時は全く情報がなかったですが、今地図を見ると案内が出ていますね。集落町並みはやはり増えていくもんだとつくづく思います。また行かねば。
画像はローソク岩。荒れた岩場の海を小さな船に乗って見に行きました。ものすごく怖かったのを覚えています。

七ちょめ 7月22日(土) 08:55
このローソク島のローソクの点火した風景。良いですね。
この画像は黙って著作権侵害で他人に使われそう。そう簡単に撮れるものではありませんのでね。
私は隠岐島の島後を訪ねたときには、ローソク島の観光は初めから諦めて予定にもいれませんでした。
万訪さんの確か二日に亘る粘りでの撮影のページを見て諦めたと思います。

urano 7月23日(日) 08:06
飯美には案内が出ているのですか。現地ではまったく気づきませんでした。
INAX出版の『舟小屋』(2007年)には25棟とありました。10年間で3棟しか減っていません。お住まいの方が大切にされているのでしょうね。
卯敷については、2000年発行の別の書籍に28棟とあり、こちらは約20年でほぼ半減しています。今後、少しでも維持・整備されるのか気になります。

辰巳屋さんの松江の舟小屋も素朴でいいですね。この付近では大芦という集落にも立派な舟小屋があったようですが、現存するかは未確認です。
INAX出版では青森から島根までの本州の日本海側と、佐渡・隠岐に舟小屋があると紹介されています。

万訪 7月23日(日) 09:33
舟小屋は日本海の砂浜の集落に見られますね。ちょっと思い出したところでも佐渡で見ました。北のほうで比較的大きいのは筒石ではないでしょうか。かなり厳しそうな場所だったんで、現在どうなっているかわかりませんが。Googleマップの空中写真で海岸沿をずっと舐めて見ていくと確認できます。
i60-43-49-30.s30.a048.ap.plala.or.jp
1709: 松山佐田岬半島沖ノ島鵜来島 万訪 7月22日(土) 08:47
先週末はタイトルの集落町並みに行ってまいりました。一週遅れにレポです。
松山:戦災後の復興都市。戦後の町並みが見どころ。また、昭和初期の愛媛県庁が良かった。
佐田岬半島:青石の石垣集落が見どころ。今回2回目で事前のGoogleマップで拾い上げていた集落をしらみつぶしに歩きましたが、どこもgood!
沖ノ島:地形が対照的な2つの集落を22年前と比較しながら定点観測的に歩きました。懐かし半面、ついこの前きた感じがしました。
鵜来島:念願の鵜来島。釣師には憧れの島だそうですが、町並み探訪する人はいないでしょう。過疎化の極みですが、何とか守ろうとされている方々の熱い思いを聞きました。
遊子:重要的景観の段畑集落。漁業が不振だっった時代に開発した農地。先人の魂を感じました。メンテが大変だそうです。

画像は佐田岬半島

万訪 7月22日(土) 08:47
佐田岬半島の天界の村

万訪 7月22日(土) 08:48
佐田岬半島の天界の村2

万訪 7月22日(土) 08:49
佐田岬半島の天界の村3

万訪 7月22日(土) 08:51
沖ノ島弘瀬
3割くらい家が減ってました。カラフルな景観は変わらずですが、定点観測すると結構色が変わっていることがわかった。

万訪 7月22日(土) 08:52
鵜来島
ガンバレ!

万訪 7月22日(土) 08:54
遊子
これを作り上げた先人達もすごいですが、この状態を維持している現在人達もすごい!

七ちょめ 7月22日(土) 16:36
あまり多くの画像を投稿されるのでどれにコメントして良いのか迷いますが、一番感銘を受けた最後の画像から。
宇和島市の遊子水荷浦の段畑と云うらしいですね。
以前万訪さんに聞いた時には耕作物が無く土のままとのことだったので、調べるとジャガイモ畑だそうで、収穫直後だから土のままだったようです。
そんな耕作物よりも、この急斜面の石垣は凄いですね。それも今も維持されているのはもっと凄いと思います。

孫右衛門 7月22日(土) 21:26
佐田岬半島は一部の港町しか訪ねていませんし、半ばまでしか足を踏み入れていません。
こちらも私にとっては隣県ですね。山口や岡山は山陽筋で近隣という意識は強いですが、山陰はワンクッションあり、愛媛やuranoさんの訪ねられた隠岐はもう1ランク遠い地となってしまいます。そのためやはり、佐田岬半島のようなところは足が向いにくくなってしまうのでしょう。
天界の村とは言いながら、意外にも町家風の建物もあるのですね。

万訪 7月23日(日) 01:32
佐田岬半島から沖ノ島までの豊後水道沿はとにかく石垣が素晴らしいの一言です。佐田岬半島は四国山地の稜線の延長線上と行っていいほど急峻な地形で、斜面にへばりつくように集落が形成されていて、かつ海からちょっと離れたところにありますので、天界の村と位置づけています。いらかぐみ掲示板ということで、町家っぽい建物を選んで載せました。そんなに多くはありませんでした。

辰巳屋 7月23日(日) 05:38
愛媛の南予地方の海側は廻っていなかったのですが、素晴らしい景観があるのですね。特に遊子の段々畑は素晴らしい。遊子のあたりには、リアス式海岸の半島や入江が多くあり、大変興味をもっております。

urano 7月23日(日) 08:19
遊子の石積みは見事というほかありませんね。ここはサツマイモとジャガイモの二毛作のようです。これはミカンが普及する前の愛媛県南部の耕作形態だそうで、この習慣自体、文化的な価値があると思います。

佐多岬半島の集落では4枚目の手すりのある家がいいですね。
この半島は地形が思いのほか複雑で、探訪は大変だと思います。私も一度だけ、3時間ほどしか滞在しませんでしたが、とても時間が足りませんでした。
また行ってみたい場所のひとつです。

万訪 7月23日(日) 09:24
佐田岬半島は付け根から先端まで直線距離でも40kmありますので、北側南側の主要な集落だけでも丸1日、ガッツリで1日半から丸2日はかかるでしょう。私も今回で3回目、ずっとやらなきゃと思って実行しました。しかし、暑さもあって途中で流し状態になってしまった。まだまだあります。ちなみに最奥の見どころは串集落です。尾根上の幹線道路が整備されている半面、海岸沿は細くクネクネですので、かなり移動に時間を要します。
i60-43-49-30.s30.a048.ap.plala.or.jp