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冬の予感 管理人 11月 9日(火) 22:49
今年は大雪だろうか、ともっばら村では話題に上る。
ここ数年、冬らしい冬ではなかったので、このままで終わるはずがない、というのがむらびとの共通の感覚。

1981(昭和56)年の所謂「56豪雪」の厳しさは今でも焼き付いている。交通が遮断され、自衛隊のヘリによる食料投下も行われた。
あの冬は、2学期終業式が行われた12月26日の朝までは、積雪ゼロだった。それが、終業式の最中に激しく雪が降り始め、昼には膝を越す積雪でラッセルしないと歩けないほどとなった。

明けて1981年1月の3学期始業式を予定通り行ったのは、徳山村では徳山小学校塚分校だけ。私一人で始業式を行った。
徳山小学校本校も、塚分校以外の徳山小学校の櫨原・山手・戸入・門入の4分校も、徳山中学校も含めて始業式はできなかった。年末に帰省した教員が戻ってこられなかったからだった。
そういえば私は、気象情報を睨み、小康状態となった1月4日に、8時間かけて雪崩を掘り起こしながら塚まで戻ったのだった。

来年で徳山村廃村から35年。
私も村を離れて35年。

今、本を作っている。
その作業中、大雪の記録に目が留まった。

1936(昭和11)年も大雪だったらしい。

今年1月、コロナウイルス感染症のため逝去された大牧冨士夫さんが、以前に「昭和11年冬の徳山」と題する一文を発表している。

それによると、昭和11年2月4日の「名古屋新聞」(中日新聞の前身)の見出しは「警官九名の踏査隊 けふ雪を衝き出発」「飢うる西濃奥地」「議会解散も総選挙も知らず」「死寂の底の四ヶ村」とある。四ヶ村とは、徳山村、藤橋村、坂内村、久瀬村のこと。

この年の豪雪をめぐる報道については、かつて桜田勝徳氏によって疑問が呈されている。また大牧さんも桜田氏の指摘に賛意を示している。このことについては、稿を改めて紹介したい。

村で雪の話題が出るようになる季節は、冬の到来を思わせる北風が吹く頃である。
昨日は11月とは思えない暑い日だっただけに、今日の北風は冷たさが身にしみた。

やがて雪がちらつき始めると、あきらめ気持ちと、雪の季節がやって来たという落ち着きの気持ちが交錯し始める。
山に雪がいつ来てもおかしくない季節が、今年もやってきた。

大牧冨士夫さんと初めて会ってから、48年。
あの頃、私は18歳の若造。
今では信じられないほど歳を重ねたが、果たして私は成長できているのだろうか。
追悼本を、万難を排して完成させなくてはなるまい。

画像は今日の揖斐谷。
晩秋はすぐそこに。
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