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美空ひばり 金子一朗 2012/ 3月25日(日) 20:10
 音楽の素晴らしさを知っている人は理解しやすいと思うが、どの音楽が好きなのかについては、その人それぞれであり、その点について善し悪しや上下などない。なぜならば、音楽は、それを聴く人の感情に直接訴えるものであるべきで、ある人の感情に訴える音楽が他の人の感情に訴えるとは限らないからだ。美空ひばりの演歌に感動し、人生を重ね合わせる人もいれば、キース・ジャレットやビル・エバンスの演奏するピアノを至高のものとする人がいても良い。誰がどれを好むかは嗜好の問題だが、その絶対数はそれぞれの音楽で大きく違うだろう。「薔薇の騎士」が商業的に易しいと思えないのは、優れた数学や物理の専門書がミリオンセラーにならないのに似ているだろう。だからといって、商業的に成り立たないから価値がない、つまり上演されないということにしてしまうのはどうだろうか。バッハの作品は、難解である、その他の理由で、彼の死後、長い間忘れ去られていたが、19世紀前半に復刻されて以来、現在はクラシックのみならず、あらゆる音楽ジャンルでその素晴らしさが理解され、応用されている。しかし、その、忘れられた期間によって、彼の偉大なカンタータを始めとした多くの作品が完全に失われてしまった。
 数学や物理の専門的な理論は、自然科学分野のみならず我々の社会生活の根底を支えている。たとえば、インターネットを使って買い物をするときに個人情報を入力したときに、多くの場合、その安全性が保証されているが、それにはある数学の分野を用いられていることを知っている人は少ない。多くの便利な技術の中には、我々の目に見えないところで数学や物理の理論が用いられている。つまり、現在の多くの人が興味を示さない分野があったとしても、商業的に成り立たないものをすべて削るというのは危険な発想である。だから、学校の教科書で、現在売れ筋の知識だけを扱うのは危険である。しかし、市場はボランティア活動の場ではない。その乖離をどう埋めるのか。(続)
乱入 金子一朗 2012/ 3月25日(日) 11:32
19世紀以降のクラシックの世界は、結局、絶え間なき向上心をもって多くの音楽家が作曲や演奏表現などに取り組んできた結果、複雑になり過ぎて、いわゆるポピュラー音楽との間の溝が深まり、多くの作品が商業的に成り立たないものになっていったという歴史ではないだろうか。若い女の子達が集団で踊りながら歌う曲も、この「薔薇の騎士」も同じ音楽というカテゴリーであるが、前者の方が圧倒的に商業的に成功している。前者は、多くの繰り返しがあり、メロディーラインはわかりやすく、誰でもまねられるから、カラオケなどでも歌えるだろう。しかし、たとえば、モーツァルトのオペラ「魔笛」の「夜の女王のアリア」など、和声やメロディーはわかりやすいが、専門家ですらたじろぐほどの難曲で、カラオケで歌えるような代物ではない。ましてや薔薇の騎士など、使われている作曲語法はモーツァルトよりも複雑きわまりなく、状況はもっと悪い。だから、クラシックの声楽作品やオペラをカラオケで歌えるようにしても商業的には成り立たないだろう。ピアノ作品など、もっと状況は悪い。カラオケボックスにピアノがあって、カラオケで協奏曲を演奏することができる人など、もっと少ないだろう。EXILEのライブに乱入して踊ることのできる芸人はいても、「薔薇の騎士」のライブでそれができるか疑問である。だから、純粋に音楽的な観点だけで商業的に成り立たないのは、需給関係から理解しやすい。(続)
脳内 金子一朗 2012/ 3月24日(土) 22:33
あのオペラを魅力的に上演するには、世界最高のオーケストラ、指揮者、ソリスト、演出、その他が必要だ。安価で再現できるものではない。ただし、演奏行為をしたことがある人なら誰でもわかることだが、結局、自分が楽譜やスコアから読み取った世界よりも、現実に表現される世界の方が、レベルが同じか低い。つまり、読み取ったこと以上のことは表現できない。だから、恐らく、史上最高の「薔薇の騎士」の演奏は、カルロス・クライバーの脳内にあるだろう。いや、彼は、過去の偉大な芸術家、つまり、バッハやモーツァルトらと同様に、その理想の世界に近づきすぎた結果、神に召されたのかもしれない。しかし、彼の脳内に鳴っていた世界を何らかの形で保存できたら最高だっただろう。そう遠くない将来に、実音で表現できなくても、脳内で鳴り響いた世界が脳波などの分析で実音化できるかもしれない。
 話はだいぶ逸れたが、どんなにこの「薔薇の騎士」が素晴らしくても、それを楽しもうとする人が少なければ商業的に成り立たないだろう。おそらく、「薔薇の騎士」が、いくつかのミュージカルなどのようにロングランとなることは想像できない。しかし、1回や2回だけの上演では、舞台セットその他の経費が入場料で吸収できないだろう。(続)
ロングラン 金子一朗 2012/ 3月23日(金) 22:38
「薔薇の騎士」はあらゆる意味で複雑で巨大であり、一度でとてもすべてを感じられない。少なくともぼくはそうだった。ということは、このオペラを観ても、感じられない人がほとんどであるのだろうか。しかし、ヨーロッパでは、EC特急の名前に「Rosenkavalier号」(薔薇の騎士号)という列車があり、以前乗車した。であれば、ヨーロッパでは多くの人がこのオペラを、日本人が愛するミュージカルや演劇と同じように楽しんでいるのだろうか。少なくとも、日本ではそうであるようには見えない。
ちなみに、とてもこの件について、素敵なページがあった。

http://train-trip.net/rail/archives/433

この方は、宝くじに当たったようなとてつもない幸運に巡り会った方だ。クライバー指揮の薔薇の騎士のライブを観ているのだから。ちなみに、ぼくは、まだ、この演奏より良いと感じられるものを知らないが、このDVDは必聴、必見だと思う。値段が仮に3万円しても購入の価値があると思う。

http://www.amazon.co.jp/R-シュトラウス-歌劇「ばらの騎士」-DVD-クライバー-カルロス/dp/B0000677GJ

ちなみに、これはクライバーの若い頃の別のものもあるが、それぞれは好みだろう。アンサンブルとしては上記のものがより完成されていると思う。(続)
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