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走ること 2019年 1月 1日(火) 23:52
自分の周りにはピアノをはじめとした楽器を扱う知り合いが多い(歌も含む)ので、なぜ楽器を演奏するのかにについては、日常の生活の一部となっているために、話題にならない。ただし、練習がきついとか、本番が迫っているとか、そういうときに、なぜ楽器を演奏しているのかということを考えることはなくもない。これは登山する人、陸上競技をする人、絵を描く人、ゲームをする人など、およそ何らかの行動をとる人はすべて同じだろう。
これらは、職業でない限り、絶対に必要とは言えないかもしれないが、そもそも必要であるかどうかの定義は難しい。数学は様々な分野に分かれているが、その中に、変化の仕方を分析する手法(解析学)がある。世の中のほとんどの現象は時間と共に変化しているから、その状況を把握するのに数学はかなり重要な道具となる。従って、そういった観点から数学は必要であると言う人はいる。しかし、数学について習熟していない人にとっては、その必要度や有用性を知らないために、自分には数学は必要ではないという人もいる。英語などの語学は、その点、有用性がわかりやすいので、必要だと思う人の割合は数学よりは多いかもしれない。
しかし、人間は、そういった、実学的な価値観だけでは生活できない。高いお金を払って旅行したり、高価な食材を使った食事をしたり、高価な車を所有して運転したりする人もいるが、これらは、万人に必要とは言えない。
つまり、「必要である」「重要である」は、人によってその内容は異なる。
言語は、様々な意思の疎通に便利であるが、すべての意思の疎通ができるアイテムではない。どんなに語彙を持っていても、優れた絵画を言葉だけで表現することはできない。美しい風景、音楽、踊りなどすべて同じだ。人間が表現したり受容したりする内容のすべてを1通りで表現することはできない。また、人によって表現したい内容も異なる。
すべての人間は言語を用いているが、こういった理由から、どの人間も必ず言語以外の表現能力をもっている。
自分の場合、ピアノ、ないし鍵盤楽器は、自分が言語で表現できないことを表現するのにある程度役に立っているが、どれが一番役に立っているかは人によって異なる。

さて、ピアノについて、ピアノを弾ける人もそうでない人も、ピアノを指で弾くと思っている場合が多いが、それは、おそらくは200年ほど前くらいまでであって、現在のピアノ技術はまったくそうではないということを知らない人はかなりいるようだ。そのことが、自分の表現したいことをピアノで表現するのに支障となっている場合がかなり多いようだ。
これを説明するのに、現代では様々なピアノ技術の教則本が出版されているが、どの本も端的に述べている場合は少ない。端的に説明するのには、「走る」ということと比較しながら説明するとよくわかってもらえる。
簡単に言うと、次の通りである。
走るときには足の裏が地面に接地するが足首から先だけで走っているわけではない。身体全体を動かして走っている。
ピアノを弾くときには指が鍵盤に接地するが指の付け根から先だけで弾いているわけではない。身体全体を動かして弾いている。
この、かなり当たり前の事実を理解すると、鍵盤楽器というものはかなり簡単に演奏できるわけだが、まだまだこういった理解は一般的ではない。理解が進んでメソッドが学校教育レベルまで普遍化して浸透するには、AIなど、現代の様々な技術が必要かもしれないが、そのためには仕様を明確に整えることも必要だ。需要があれば、いずれ、誰でも鍵盤楽器を自由に扱える時代が来るかもしれない。


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