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ルイ14世 金子一朗 2012/ 3月30日(金) 00:18
 また、演奏家の活躍する場は減少していると思う。たとえば、音響機器がない時代は生演奏しかあり得なかった。ルイ14世は、常にBGMとして自分の周りで音楽を演奏させていた。しかし、今は、ipodを始めとして、誰でも、どこでも、自分のお気に入りの音楽を聴くことができる。そして、至る所でBGMが流れている。また、演奏のレベルは今の段階では超一流の演奏家にはかなわないにしても、ほとんどの歌い手が歌うことができない難曲を、たとえば、「(初音)ミク」のように、パソコンの音楽ソフトで、自分の気に入ったように間接的に演奏することができる。これも自分で演奏することの中に含めれば、自分で演奏できる喜びは、人の演奏を聴く喜びよりも遙かに大きいと思う。また、少なくとも、著作権の関係で、60年以上前に亡くなっている作曲家の作品のほとんどは、楽譜も音源も、自宅で、インターネット環境さえあればほとんどが無償で手に入るのだから、もし演奏会に行く価値があるとすれば、それ以降の作品を知りたいという欲求がある場合などに限られてくるのではなかろうか。
 もし、ぼくが考えているようにクラシック音楽の環境が変化していったら、その先に何が起こるだろうか。すでにその流れは、静かに、着実に始まっているように思う。もちろん、読み書きなどと比べ、ピアノは生活上の必須のアイテムではないので、ある割合の人しか学ばないことから、識字率と同様に扱うことはできないだろう。しかし、少なくとも、演奏家には、今後、現在ある状況に加え、何か、ある、抜本的に異なる付加価値を持つことが必要であるということになるだろう。少なくとも、一日中、黒と白でできた重たい塊と狭い部屋で格闘しているだけでは難しいだろう。

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