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郡山天守台から 4月23日(日) 20:09
 郡山城へ早速出かけたようですね。風が強くて苦労をされたようですが、今の時期でないと日差しが強くなると画けない場所ですね。今日落語会のついでに池田の呉春のスケッチをしてきましたが日差しが強くなっていることを実感しました。顔が少しヒリヒリしています。スケッチに画かれている移設された図書館の前に少し見えている池の淵からこの天守台を画いています。そのスケッチを添付させてください。
   歩さんでした。

Kさん 4月23日(日) 21:14
先日はありがとうございました。その時にも郡山城が話題に出たので、暑くならないうちにと思い、早速行ってきました。京は池田の呉春ですか。確か近くに寄席がありましたね。

私は今日は珍しく鈴鹿サーキットへ行ってきました。天気も良かったので楽しんできました。一応スケッチもしましたので、後日アップします。
ピット内には入れるチケットだったので、レースカーを間近に見てきました。まだタイヤは付いていません。

Kさん 4月23日(日) 21:21
レースが始まる前にはコースに出ることもできました。
郡山城天守台から 自転車野郎 4月22日(土) 23:21
 早速行かれましたか。手前に緑地が多いのでKさんには物足りなかったでしょうね。

 強風と言えば、私の時も雨交じりの強い風で自作の傘をさして描いていたら絵ではなく飛んでいかない傘を褒める人がいました(笑)。

 画像は本町の大正10年築洋館です。

Kさん 4月23日(日) 05:51
桜はすべて葉桜になっていましたが、花が咲いているときだったら華やかでしょうね。緑の表現には失敗しました。
私の時は体ごともって行かれそうな風でした。紙が「ブロック」なので、何とか描けました。

珍しい洋館ですね。
祗園の料亭 野窓 4月21日(金) 03:13
建築途中のスケッチはこれから始まる料亭の歴史の一ページ目に相応しい作品ですね。
祗園から木屋町は学生時代のおしぼり配達のルートでした。週6日間を一日110件前後の店を周って居ました。
今も貧乏画家ですが、当時の祗園は学生にとって別世界の様でした。
ボージョレは今日明日は氷点下の朝です。

その節は大変ご心配をお掛けしました。
次男も順調に回復しております。
明日から兄弟で南仏のモンペリエと言う町へ2泊の空手研修会に出掛けます。
日本の高段者の先生達が10人程来られるそうです。
写真は千メートルの高原からアルプス方面を見た構図です。
中腹の小さな町が住んでる場所で、丁度向うにモンブランが視える筈でしたが、霞んで見えませんでした。・

Kさん 4月21日(金) 07:29
昨日、野窓さんがブログを休むと書かれていたのを見つけ、ちょっと心配していました。お元気のようでそれは安心ですが、唯一、生のフランス情報を得る手段かなくなり残念です。
京都で働いていたころ(2回にわたり計5年間)には無理して祇園で飲んだこともありましたが、今でスケッチで訪れる以外は、全くの別世界です。ご存じ、白川に架かる巽橋の辺りは、今外国人観光客で大変なことになっています。国籍に関係なく、レンタルの和服を着た人が多くいます。また結婚式の「前撮り」といって、あの辺りで記念撮影する人がたくさんいますが、これも外国の人が多いそうです。日本人もいるかも知れませんが、日本語は聞こえてきません。
料亭の経営者は学生時代からの友人です。よくうろつく場所ですから折を見て、1枚の紙に順次スケッチしました。ご存じと思いますが新門前通(絵)は骨董屋も多い落ち着いた通りです。道が一筋違うだけで、ここには観光客はやって来ません。
彦根3(彦根市) 岡本崇 4月19日(水) 20:53
伊勢市に住む学友が10月になったら8人で旅行しようとスケジュール表を送って来ました。彦根城・虹岳島温泉・比叡山坂本駅・比叡山・琵琶湖グランドHT等2泊3日です。

2日目の昼飯は、Kさんが描かれている、そば処「鶴喜」ですが、1日目は車中で済ませよとなっています。そこで、Kさんの絵を見て彦根市の「たねや」で昼飯をしたいと提案しました。

Kさんが描かれた「彦根3」の家は、まだありますかと「たねや」さんに聞くと、添付のような写真を送ってくれました。自動車のある所から手前の家が建替えられているようです。名柄の末吉家もそうですが、Kさん好みの古民家が次々と姿を消していくのが寂しいですね…。

Kさん 4月19日(水) 21:33
HPに掲載している絵を描いてから彦根へは行っていません。絵を描いたのは2000年ですから、もう17年も経っています。古い家も消えるわけですね。珍しい写真をありがとうございます。私の絵と比較すると、自動車から向こうは以前のままですね。「彦根3」を添付しておきます。
最近、彦根で「河原町・芹町」という地区が重要伝統的建造物群保存地区(重伝建)に選定されました。私も行ったことがありませんが、駅から少し離れた南の方です。お城の周辺ではないところに古い町並みが残っているのです。
上村牧場 4月19日(水) 11:09
 今回の悠彩会のスケッチ、馴染みの場所なので楽しく拝見しています。市街地の中にある牧場、前を通っていましたがスケッチはしていませんでした。Kさんのパスした、般若寺の山門を添付させてください。歩さんでした。

Kさん 4月19日(水) 17:39
当日、門の中の桜は満開でした。描きたかったのですが、何しろ雨。後ろのアパートに雨が掛からない場所があったのですが、定員は一人なので、仲間に譲りました。雨の中で写真だけ撮りました。
植村牧場は私も初めてでしたが、食事されるなら「レディースランチ」がお薦めですよ。
植村牧場(奈良市般若寺町) 岡本崇 4月19日(水) 07:31
Kさんがパスされた般若寺こそ、私がKさんを知るご縁となった寺です。この寺で買った本「かぎろひの大和路」葛城の道(御所市)@ の中に添付のような写真がありました。Kさんが15年前の今頃、第一回個展の招待状に使われたスケッチの家です。

ある日、私がスーパー温泉に着いてからふと思い出し、東京の先輩に電話して、昔の会社のKB氏の電話番号を聞き出し、近くに住むKB氏を呼び出しました。すぐに来てくれたのですが、これが何と面識のない同姓同名のKB氏。所が、彼が教えてくれたのが般若寺にあると云うこの本でした。御縁とは本当に不思議なものですね。

Kさん 4月19日(水) 17:30
このお宅は懐かしいですね。単に第1回個展の案内状に使ったというだけでなく、この建物に惚れ込んで何回も通いました。普段は家を閉めておられましたが、たまたまご主人が帰ってきておられたことがあり、家の裏にあった素晴らしい庭を見せてもらったこともあります。
上田秋成の親戚だったのですね。
大阪造幣局桜の通り抜けに行きました 岡本崇 4月17日(月) 12:29
13日に行った友人から2分咲きと聞き、16日に行きましたが天満橋駅から目的地までは,今まで体験したこともない長蛇の列。桜は130種類(350本)もあるそうで見事でした。16日だけでも18万人近く来た様ですがどのようにして数えるのでしょうか?

私の関心は桜もさることながら、Kさんが描かれた「泉布観」・「旧桜の宮公会堂」と、「藤堂家の大坂屋敷跡」でした。泉布(せんぷ)とは流通貨幣の事とは知らなかった。

藤堂藩は木津川市(上狛四ケ村)にも領地があり、天誅組が白銀岳に本陣を置く前日に大日川で対峙していました。藤堂藩京屋敷跡は堀川高校の場所で、江戸中屋敷は上野(語源は伊賀上野)にあった。江戸下屋敷(駒込)付近では植木の栽培が盛んに行われ、染井村の植木商と藤堂藩の関係が深かった事から大坂蔵屋敷にも「ソメイ吉野」等の多くの桜が植えられていて、その桜が明治になって造幣局に受け継がれたとか。


Kさん 4月17日(月) 18:00
造幣局の桜の通り抜けのついでにも、私の絵を思い出していただいたとかで、恐縮です。泉布(せんぷ)とは流通貨幣のこととは私も知りませんでした。泉布観という名前は明治天皇自らがお付けになったみたいですね。

絵は季節外れの造幣局(右端)です。
郡山城跡 自転車野郎 4月16日(日) 22:57
 久しぶりに奈良へ。今年3月26日オープンの郡山城天守台の展望所でスケッチしてきました。笑覧ください。 


Kさん 4月17日(月) 07:18
自転車や楼様、俯瞰好きの私へのプレゼントをありがとうございます。実は先日、郡山城へスケッチに行かれた友人からこの展望台のことを聞いていました。
素晴らしい展望ですね。ただし、急に暑くなりましたから、出かけるなら今のうちですね。
私の絵は調べてみたら1994年に描いた古い絵でした。前に止めてあるのは当時私が乗っていた車です。
北山十八間戸(奈良市川上町) 岡本崇 4月16日(日) 11:11
般若寺の南側にあるとは初めて知りました。恭仁京を起点とすれば、その昔の「上津道」沿いですね。

私が4月12日付で掲示板に投稿した松のある「歌姫街道」は、「上津道」ではなく「下津道」でした。訂正する方法が分からなかったので、そのままになっていますが、陳謝します。「下津道」は大和郡山市の「下ツ道ジャンクション」を経由して五條市方面に向かう道です。

Kさんが以前描かれた塚田米穀店は「中津道」の真上でした。添付の恭仁京図面(奈良の良の字の上が京奈和自動車道)の、左から渋谷道(2は高の原駅)・下津道・中津道・上津道です。

Kさん 4月16日(日) 18:18
奈良市(平城京)より北の部分の、上ツ道、中ツ道、下ツ道についての認識がありませんでした。

絵は塚田米穀店付近です。恭仁京付近はウロウロしましたが、スケッチはありません。


Kさん 4月16日(日) 18:21
下の投稿の、歌姫街道のところは「下ツ道」に直しておきました。
咲いた咲いた・・・ Kさん 4月13日(木) 10:54
今年も我が家のチューリップが満開になりました。外からよく見える場所に植えてあるので、道行く人が褒めて通ります。我が家が他人様から褒められるのはこの花ぐらい・・・

Kさん 4月13日(木) 10:55
外側から見ると・・・

七ちょめ 4月14日(金) 20:30
チューリップの花をこれだけ咲かすのは大変な努力でしょうね。球根をこれだけ買うのは高額になるし、球根は自家増殖でしょうか。見事な栽培ですね。

Kさん 4月14日(金) 21:11
毎年、外側から見える部分の50球ほどを新しく購入、残り200球ぐらいは古いものを使っているそうです。お陰さまで、見知らぬ人も声を掛けていきます。

Toshiko 4月16日(日) 07:40
見事ですね。Fさん描かれているでしょうか?
案内状をあまり出していないと書かれていましたが重点を置かれてなかったのかな?
何時もの如くすっきり仕上がっていて素敵でしたよ〜
台湾展の画像を大分以前にHさんに送っているのですがお返事ありません。パソコンがおかしくてメールがどこかへ行ってるのかな?
もしもお会いになる機会が有ればよろしくです。

Kさん 4月16日(日) 08:40
事務局からもらったはがきの枚数が極めて少なかったので、スケッチ会で出会った人に手渡ししただけでした。ご来場ありがとうございました。写真も撮ってもらっていたのですね。
台湾展は案内も来ていないし、ひょっとしたらパスします。はらしんさんも何かとお忙しいのだと思います。
河内を描く美術の会スケッチ展 akko 4月12日(水) 22:25
本日11時のオープンと同時にお邪魔してきました。
今回は交野市の絵を出展されている方が多く
元交野市民の私にとって
楽しい展覧会でした。

Kさん 4月13日(木) 07:29
私が世話役となって昨年11月に交野市でスケッチ会を行いました。このため出展作の半分は「私部」です。わざわざ遠方からお越しいただきありがとうございました。どなたか知りませんが私の絵を熱心にご覧になっている方がいますね。ありがたいことです。
極楽橋から大阪城(大阪市中央区) 岡本崇 4月11日(火) 01:28
「極楽橋」とは、阿弥陀如来のいます御堂にいたる橋という意味で、石山本願寺時代の本願寺のご本尊(現在の本丸)への通路で、欄干は、四天王寺六時堂石舞台と勝鬘院多宝塔の欄干を参考にして作られているとか。私は「極楽橋」から出て鶴橋へ行き、焼き肉屋の梯子をして極楽気分を味わいました。

私の先祖は高野山に眠っていますが、南海電鉄「極楽橋駅」で降りて「極楽橋」を渡り不動坂を登って行くと、女人堂を経て山内の中心部へ行けます。極楽とは「幸福にみちみちている世界」と云う意味だそうですが、四天王寺で「極楽浄土の庭」へ、福島区では「極楽寺」へ行きました。Kさんのスケッチを見ていると極楽へ行けますね。


Kさん 4月11日(火) 07:03
岡本さん、きっちりフォローいただき、感謝しています。絵を描く励みになります。

あまりお寺は描きませんが、こんな場所はいかがですか。長岡京市・浄土谷です。

岡本崇 4月11日(火) 18:04
極楽と云えば浄土(仏の住む世界)ですが、お陰様で、浄土谷「柳谷観音」の事を初めて知りました。32kmありますが高速を使えば40分で行けます。帰路、浄土谷から10分位で大山崎へも行けますね。私の14代前の祖が山崎の合戦で戦死していますので、6月末のアジサイの頃、両方とも行ってみます。

独鈷水(おこうずい)は、811 年弘法大師「空海」が眼病に悩む人々の為に霊水にされた、霊験あらたかなる湧き水で、今も眼病平癒の霊水として信仰を集めており、眼の観音様として有名らしいですが、娘が眼科医だけに興味深いです。

「採燈大護摩供」という厄除けと招福の祈願には、吉野の大峰山より山伏を招くそうですね。写真は、金峯山寺大阪別院天龍院(東大阪市)の「採燈大護摩供」ですが、煩悩を焼き尽そうとする中央のヒノキ葉は、西吉野の拙宅の山の木です。

Kさん 4月11日(火) 20:35
私は宗教的行事には知識と関心がなく、話題に乗れず、申し訳ありません。

浄土谷へはその名前につられて出かけましたが、途中に素晴らしいスケッチポイントがあると聞いたので、高槻市の北側の島本町から入り、長岡京市へ抜けました。

岡本崇 4月12日(水) 08:35
2年前にJR山崎駅で降りてエゴマ発祥の地(離宮八幡宮)行っていたのを思い出しました。八幡宮は駅の南で、京都府乙訓郡大山崎町にあるアサヒビール大山崎美術館は駅北で、大阪府三島郡島本町尺代は駅から北西方向ですね。

西国街道とは、京都(東寺口)から大山崎、高槻など、淀川右岸を通り、大阪市内を経ないで西国(下関、九州まで)へ至る江戸時代の重要な幹線道路とありますが、Kさんがスケッチされた西国街道から(京都府大山崎町)は、JR山崎駅の北側でしょうか?


Kさん 4月12日(水) 09:56
「西国街道から」は西国街道に面している離宮八幡宮の門前に座って描いたものです。ちょうど三叉路になっており、絵に描いてある道は西国街道ではありません。向こうの方に新幹線の架線が見えています。JR山崎駅の南側ですね。岡本さんの上の写真のところから京都方面へ街道がカギ型に曲がっていて、2度角を曲がった場所です。

岡本崇 4月12日(水) 11:25
お陰様で位置関係がよくわかりました。Kさんのスケッチの左手前の家は建て替えられていますね。突き当り新幹線の向こうが、桂川・宇治川・木津川の合流地点の淀川で、京阪橋本駅を超えて遥か向こうが奈良市方面です。

添付写真は、油祖像の説明を受けている団体ですが、ここの鳥居も奈良方面を向いています。西国街道脇に座っておられたKさんのすぐ斜め左後ろです。

岡本崇 4月12日(水) 15:21
柳谷観音は長岡京市浄土谷ですが、かっては、長岡京市も乙訓郡でした。現在は大山崎町だけが乙訓郡として残っていますが、下記のような説話があります。

垂仁天皇は、丹波から五人の姫を召し出したが、五人目の竹野媛は故郷に帰された。 媛は帰される理由が、容姿が醜い故と聞かされ耐え切れず、丹波に向かって帰路についた時、山代の相楽(さがらか)に至り、このまま故郷に帰り恥じを曝さらして生き長らえる事が出来ようかと、木の枝に腰紐を掛け死のうとしたが、供の者に見つかり死に切れなかった。この地を懸木(さがらき)といったが、今は訛って相楽(さがらか)となり、現在の京都府木津川市相楽(さがなか)となる。添付写真がその木があった場所ではないかとも云われています。写真の奥の京奈和高速道路の向こうが奈良の平城京で、左の道路が歌姫街道(下ツ道)です。

姫はその後、山城の国の乙訓(おとくに)に辿り着いた時、悲しみに耐えきれず、深い淵に身を投げて自らの命を絶った。この地を堕国(おちくに)と呼ばれるようになり、これが訛って乙訓(おとくに)となった、という説話があり、大和は丹波・丹後と縁が深かったらしい。Kさんの故郷の但馬も、684年頃に丹波国から独立したようですが…。

Kさん 4月12日(水) 17:05
「相楽」の読み方は難しいですね。「ソウラク郡」があり、木津川市では「サガナカ」。普通に読めば「サガラ」ですよね。「サガナカ」という読み方は何度聞いても覚えられません。懸木(さがらき)から来たのですか。


岡本崇 4月12日(水) 18:51
以前は一時、相楽郡(そうらくぐん)相楽村(さがなかむら)と云ったそうですが、現在は木津川市相楽清水(さがなかしみず)に、相楽神社(さがなかじんじゃ)があります。

先に紹介したのは古事記に出てくる説話ですが、そのほかにも諸説あります。相楽郡を「さがなかのこおり」とは読めないので、相楽郡だけ「そうらくぐん」と東京から来た?お役人が読ませたのでしょうか。古事記に出てくるというプライドから?地元の人が昔の読み方を残すように頑張ったのかもしれませんね…。


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