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会津・五色沼・大内宿のスケッチ kazz 5月25日(木) 14:29
5月22日から3日間会津若松・鶴ヶ城から大内宿の旅でスケッチしてきました。
まず1日目は鶴ヶ城のスケッチです。


Kさん 5月25日(木) 15:46
Kazzさん、ご無沙汰しています。会津3日間の旅ですか。たくさんスケッチができて良かったですね。
私も1週間前に秋田、青森、岩手を巡る5日間の旅に行っていましたが、パック旅行だったので時間的にあまりスケッチできませんでした。写真から描いたものも含め、順次掲載していきます。
五色沼の毘沙門沼のスケッチ kazz 5月25日(木) 14:45
五色沼はたくさん沼がありますが、ホテルから500メートルのところにある毘沙門沼をスケッチしましたが、バックに裏磐梯が聳えていて圧巻な風景でした。
大内宿のスケッチ kazz 5月25日(木) 14:38
最後の日は大内宿をスケッチしました。
今回最も期待した風景ですから熱が入りました。
浄土平パノラマスケッチ kazz 5月25日(木) 14:36
浄土平の吾妻山のスケッチです。
雪が残っていましたが、雪景色は難しいですね。
裏磐梯のスケッチ kazz 5月25日(木) 14:33
ホテルの窓から眺めた裏磐梯山のスケッチです。
表からも見ましたが裏からの風景が絶景でした。
「瀬田唐橋」あたり(大津市瀬田) 岡本崇 5月24日(水) 08:53
添付写真は、故郷の銀峯山を福井福山人さんが2001年秋に描いてくれた物に私が文字を入れました。天誅組が山頂に本陣を置いた時は、我が家で忠光卿の馬を預かり宿舎となる。岸本信夫さんは2009年秋に、竹居和彦さんは2010年夏に同じ様なアングルで描いて下さいました。

神功皇后が三韓征伐の帰途立ち寄り、波宝神社のある山頂の地名を「夜中」と命名。そこから分村したのが「西新子」。奈良市押熊町の「ゆららの湯」の下には「カゴ池」があり、隣の森の中には、香坂皇子と忍熊皇子の墓石がある。皇后軍は銀峯山から出陣したのであろう…。

和束町観光案内所から真北に直線で20kmに「瀬田唐橋」がある。Wikipediaを見ると、唐橋が架けられた年代は不詳であるが、神功皇后の時代にはすでにあったといわれ、摂政元年、香坂皇子と忍熊皇子が反乱。忍熊皇子は神功皇后(応神天皇の母)の家来である武内宿禰の軍に攻められ、瀬田で自害したという(『日本書紀』 気長足姫尊 神功皇后)。

岡本崇 5月24日(水) 15:56
湯谷山(ゆやさん)京都府相楽郡和束町大字杣田(そまだ)
Kさんが添付された「白いカラス」の上と下の写真の奥に見える山は、湯谷山(ゆやさん・380m)で、地元では「和束富士」と呼ばれているそうです。湯谷さんの語源は地元の方も知りませんが、福井県と岡山県の場合は下記の通りです。

湯谷山(ゆやさん)は、平安時代に将軍坂上田村麻呂が訪れた際「湧き出る冷水が湯に変わった」という伝説が名前の由来になっているところで真言宗のお寺、般若院(岡山県倉敷市)の奥の院として信仰を集めている。

福井県大野市金山(きんざん)には、湯谷山(ゆのたにやま1276m)がある。火山だった経ヶ岳のすぐそばなので、昔は近辺で温泉が出たのではないかと云われている。

Kさん 5月24日(水) 18:18
和束へはたびたび出かけていますが、そう言われてみると、杣田の谷へは入ったことがありません。今、ストリートビューで見ると湯谷山の山容は確かに三角形でした。
ありがとうございました タマちゃん 5月24日(水) 07:01
先日は「タマちゃんのスケッチ展」にようこそ。
ありがとうございました。
沢山の方に見ていただいてにぎやかに終り嬉しいひとときでした。
終ってすぐ、ふるさと出雲で法事があり行ってきたりで後始末もこれからです。25日からはギャラリー唐橋で生徒展「なぎさスケッチ倶楽部展」が始まります。引き続きバタバタしていてまだお礼状も書けていません。

Kさん 5月24日(水) 07:27
ブログで故郷の絵が続いていましたが、法事でしたか。私もあの後、珍しく旅行を足し飲んできました。
個展では楽しませてもらいました。ちょうどその時に瀬田で描いた絵をトップページに掲載中です。また展覧会なのですね。ご盛会をお祈りします。
白栖中谷  5月23日(火) 09:31
 和束、新緑のスケッチを楽しませて貰っています。昨日追っかけで、行ってきました。天気が良すぎて日影が無く狭い道を上がったり下りたりポイント探しに多くの時間を使いました。途中この春にオープンしたという観光案内所に立ち寄りました。釜塚が目の前に見えるいい場所に建っていました。室内の窓辺にカウンターが設えてあり絶好の条件です。スケッチをしてもいいですかと了解を得て、冷房完備の窓辺からか釜塚の茶畑を画いてきました。係りの人もkさんのhpに今、和束のスケッチが載っていることを知っていました。帰りに同好の士が一人我々のスケッチを見て横に座って画いていました。いい条件でスケッチが出来ますねと言って別れました。
追伸
浄瑠璃寺の話題も楽しく拝見しています。
              歩さんでした。

Kさん 5月23日(火) 20:36
歩さんも和束へ出かけられましたか。急に暑くなり、スケッチも日陰でないとつらくなりました。

先日、和束へ行ったときに、観光案内所ができているのに気づきました。あの場所は空き地で、最高のスケッチポイントだったのですが、今度は悪天候でも描ける場所になったのですね。下に同じ場所から真冬に描いた絵を添付していますが、室内からだと寒い思いをしなくても済みますね。

添付の絵は先日、観光案内所の隣で暑い思いをして描いたものです。
浄瑠璃寺 竹居和彦 5月22日(月) 08:01
お孫さんはすっかり成長され、思わぬ再会でした。小さなお寺なのですが、お参りする人は絶えず、気持ちのいい緑陰で楽しんできました。出会い、再会、戸外スケッチは楽しいですね。

Kさん 5月22日(月) 10:25
偶然の出会いは面白いですね。しかし、大阪の街中ではどなたにも出会わなくなりました。皆さん、自宅におられるか、観光地へ行っている歳になりました。

真冬に紙を節約するため、むりやり2つの塔を1枚の紙に描いた絵です。
奈良坂A(奈良市興善院町)17.04.29 岡本崇 5月21日(日) 16:45
大柳生で描いていると突然空が真っ暗になり、ポツリと雨が降りだした。…「奈良坂」はとても歴史のある坂で、…急いでスケッチを終え、坂を下りたところの手貝町で開かれている「ぶらり・すけっち展」を訪問した。(Kさんの絵のコメントより抜粋)

今朝は当尾(とうの)の石仏見学に行きました。岩船寺⇒わらい仏⇒アタゴ灯籠⇒浄瑠璃寺⇒加茂山の家と5km歩きましたが、浄瑠璃寺でスケッチをしておられる「ぶらり・すけっち」の竹居和彦さんを偶然見掛けました。竹居さんとは7年前にも偶然、初めてお会いしたのですが、その時、「Kさんをご存知ですか」と私の方から問いかけたのが、ご縁の始まりでした。

Kさん 5月21日(日) 21:41
よく知っている竹居さんの顔が掲示板に登場してびっくりしました。確か西新子にも行かれたのでしたね。
私も竹居さんとは祇園祭のスケッチをしているとき偶然出会ったのがご縁の始まりでした。
「原山」の春(京都府相楽郡和束町原山) 岡本崇 5月20日(土) 22:38
18日午後4時20分ごろ、京都府和束町白栖の水田で「羽をばたつかせている白い鳥がいる」と通りかかった人から町に連絡が。連絡を受けた町の職員が捕獲したところ、体長35センチほどのカラスで、目は黒いが、羽だけでなく、くちばしから足まで全身が真っ白。けがをしている様子はなく、羽をばたつかせて大きな声で鳴いていたが、飛び上がることはなかったとか。18日夜は水を与えるなどして様子を見て、19日に山へ逃がされました。

白いカラスは、「神の再来」の時に出現するスピリチュアルなメッセージの意味を持つと聞くので、19日は、釜塚や原山へも行かずに、半日かけて、白栖中を探し回りましたが、黒いカラスが1羽、時々姿を見せただけ。添付写真は、カラスが保護された下方の道路から反対側を写したのですが、柿の木がありました。

今日は午後から、「宇治茶の歴史」という文化講演会を聞きに行きましたが超満員。質問時間に、宇治茶の郷と九州との関係を話しました。

Kさん 5月21日(日) 21:37
私は18日には自宅にいませんでしたので知りませんでしたが、白いカラスの話はテレビや新聞でずいぶん話題になっていたようですね。「和束、白いカラス」で検索すると、こんな写真が出てきました。

添付いただいた写真、感じの良い場所ですね。和束には魅力的な場所がいっぱいありますね。
春の釜塚山 その2(京都府相楽郡和束町釜塚) 岡本崇 5月20日(土) 10:35
水田と茶畑の素晴らしいコラボを見に行こうと、Kさんの絵を30数枚コピーしている最中に、和束町白栖で「白い烏」を保護したというニュースが飛び込んできました。翌日、出かけたのですが白栖地区は広過ぎてわかりません。住民も知りません。半日かけて探し当てた捕獲地点は、白栖田中の「しらす茶房」の下辺りでした。試飲させて頂いた新茶を私も購入して、朝から美味しく頂いています。

相楽郡(さがらかのこおり)の地名の由来の中に、熊本県の相良(さがら)からの移住説があるし、福岡県には釜塚古墳や八女茶があり、神功皇后が出産した地とか。佐賀県には鳥栖市があり、ヤマト政権時代は「鳥巣(とりのす)」と呼ばれていた。白栖は「白い鳥の巣」だから、古代より「白い烏」が居たのだろうか。神功皇后が西吉野の銀峯山から奈良市押熊方面まで攻め込んで来たので、忍熊王は、瀬田の渡し場付近まで逃げて入水死したと伝わるから、和束町を経由して行ったのだろうか。生まれて初めて和束町を訪問し、Kさんの絵に秘められた奥深い歴史も満喫してきました。

「釜塚」の語源は、釜塚古墳の場合は古墳の姿からで、和束町の場合は鎌を研ぐ砥石が多く取れたから と申される人も居られますが??。

Kさん 5月20日(土) 18:59
いつも私の絵に望外の解説を加えていただき、恐縮です。
気に入っている「釜塚山」は本当にそう呼ぶのか、よく知りません。いつだったか、スケッチしているところを通りかかった、近くのお寺のお坊さんに聞くと「さあ、釜塚にあるから釜塚山ではないでしょうか」と言われたので、このサイトではそのまま使っています。役場にでも行って、確かめればよいのですが、面倒なのでそのままにしています。
この絵を描いた場所は道路沿いの空き地だったのですが、今度行ってみたら観光案内所の建物が建っていました。次回行ったとき、そこで聞いてみます。


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