Home 406710
Name:
Email:
Homepage:
Title:
Message:
Icon: view
Image: 5MB
Color:
Password:
 cookie


大原 村木美彦 6月21日(水) 19:36
先日の大原での浪漫会スケッチ、3枚目を描こうと皆さんの描いている寂光院近くで好きな景色に逢いました。時間がなかったので、帰ってから写真を見て描きましたが、Kさんのホームページを見ると、同じ場所で3回も描かれていたのですね。家で描くと時間の制限がないので、ついつい塗りすぎてしまいます。恥ずかしながら添付させて貰います。

Kさん 6月21日(水) 21:46
大原も結構広いですが、何回も行くと結局、気に入った同じ場所で何回も描くことになりますね。実は前回も寂光院へ行く途中で、このポイントが目に止まりました。でも「もう何回も描いている」と思い止めました。屋根の並びが面白い場所ですね。
熊本城のスケッチの感激 kazz 6月21日(水) 11:34
熊本城の石垣は加藤清正が造った当時の部分は崩れなかったことが報道されていますが、崩れなかった理由は武者返しの構造にあるようですね。
今回崩れた部分は明治になって改築された個所らしいですね。
信長が築城した安土城が地震で崩れたのを見て、数年後に築城した熊本城の石垣は「武者返し」にしたそうです。このことは地震というノイズに強い「ロバスト設計」を行ったということです。

Kさん 6月21日(水) 13:06
Kazzさん、ありがとうございます。熊本所のスケッチはあと2枚あります。もちろん被害の全容は伝えられませんが、6月10日現在の姿をスケッチしておいて良かったと思っています。
「ロバスト設計」は??ですが、石垣の崩れも新しいものに多いようですね。建物の方も古い時代に建てられた宇土櫓は被害が少なく、新しい時代に再建された天守閣の方が崩れが大きいのも、何だか示唆するものがあるようです。

kazz 6月21日(水) 13:37
貴方のスケッチは素晴らしいものですが、短時間に詳細まで書かれていることに感心しています。
私は品質工学の専門家として熊本城のロバストネス(頑健性)に興味があるのです。
加藤清正が理屈をご存じだったとは思いませんが、地震があっても圧力が加わる方向を直感的に分かっていたのだと思います。
中山道・妻籠宿(南木曽町) 岡本崇 6月17日(土) 15:33
昨日、中学の同窓会が奈良県吉野町の宮滝温泉元湯「まつや」でありました。信州出身の恩師を橿原市のご自宅まで送迎させてもらいましたが、「長野学」という本と、45年前に発行されたパンフを頂きました。

Kさんが13年前に描かれた「妻籠宿2」は、このパンフの写真位置より少し手前からでは無かろうかとタブレットを見ながら皆で眺めて来ました。

中山道は、江戸日本橋 - 熊谷 - 高崎 - 軽井沢 -下諏訪 - 塩尻 - 奈良井 - 妻籠 - 馬籠 -垂井 - 関ヶ原 - 草津 - 大津 - 京都三条大橋 まで530km程ですが、垂井〜妻籠間は120km位で徒歩だと25時間コースでしょうね。

岡本崇 6月17日(土) 18:34
兵庫の秋2(高取町兵庫)・田植えのころ
同窓会で先生と1泊した翌朝、伊勢街道を西に進み、やたがらす北岡本店→本善寺→北村酒造→大師山寺を経て、越部から中街道を北上。教恩寺のある私の母の故郷、「兵庫」へ寄りました。先生はこのルート周辺勤務もあるし、亡母については共通の思い出話がありました。

シンガーソングライターでもある「やなせなな」教恩寺住職の「ありがとうありがとう さようならさようなら」という本を読んでいたら、「学校の行き帰りに通る家の前の犬がものすごい勢いで吠えるので猫派になった」とある。Kさんのコメントにも、「犬におもいきり吠えられて断念した」というコメントがありましたね(笑)。3年前の9/26は黄金色でしたが、今日は田植えが済んだばかりでした。

Kさん 6月17日(土) 20:16
木曽路から奈良の兵庫へと広範囲の話題を提供いただいていますが、私の絵の方は、熊本へ飛んでしまいました。熊本城が元通りに復旧するのは20年後の2037年だそうですが、天守閣だけは2年後には元の姿になるそうです。

奈良の兵庫(ややこしいですね)の絵を添付しておきます。

岡本崇 6月18日(日) 15:39
がんばれ 熊本城(熊本市中央区)  Kさんの速い更新にはついていけません。京都府相楽郡は「さがなかのこおり」と云って、いまでも相楽台(さがなかだい)と読む地名があります。熊本に本拠を置いた相良氏(さがらし)が、福岡県→畿内→南山城へと移住してきたという説もあります。お茶の生産面積が、静岡県・鹿児島県・三重県に次いで、熊本県は京都府と同じ位とか。

熊本では県庁や九電勤務の後輩にお世話になりましたし、陸自熊本駐屯地も訪問した事があり、磯村みどりさんと夕食を共にさせて頂いた思い出の地です。昨年4月の大地震以来、毎朝地震情報を見ていましたが、最近落ち着いたようで何よりです。早期復興を願っています。

Kさん 6月20日(火) 07:39
熊本城の被害は深刻です。列車の窓からも、ブール―シートを掛けたまま放置されている家がたくさん見え、心が痛みました。
熊本城 6月18日(日) 09:45
 工事に着手している熊本城を見に行きたいと思っていました。クレーンと足場を見て想像しています。この工事があるので退職時期を延ばしたという後輩がいます。工事中に一度は行ってみたいです。11日の日曜日から3日間東京に行ってきました。横浜の港でkさんの画かれたというか座った場所、クジラの背中を確認してきました。良いとこですね。時間がなく(腕もないのですが)スケッチはできませんでした。東京タワーのスケッチを添付させてください。
            歩さんでした。

Kさん 6月18日(日) 11:28
東京、横浜へ行かれましたか。広すぎて的を絞るのが大変ですね。
熊本城の復旧工事は大林組が担当しているようですね。連休明けから足場ができると聞いていましたので、どの程度見られるのか心配していました。カバーがすっかりかぶってしまうとやはり、スケッチ材料としては魅力がないですからね。クレーンで臨場感を出したつもりです。
後日、佐賀県の唐津城にも行きましたが、ここにもクレーンが建っていました。今全国で耐震工事ですね。
大原 ひまつぶし 6月15日(木) 09:49
久しく大原に行ってませんがKさんの絵を見ると行きたくなりますね。
三千院近くとのことですが2010年6月に描いたところの近くかなあと思いながら拝見しました。ただ、私の絵は建物が雑駁なので判別できませんが・・・!(^^)!

Kさん 6月15日(木) 12:19
この場所に間違いありません。三千院の参道の途中、漬け物屋などが並んでいる道を上っていくと、右向きに「大原が一望」と書いた案内看板があります。そこを入ればこのポイントへ行きます。村木さんが描かれたのもこの場所で、杉の木立があり、これからのシーズンでも涼しく描けます。

私が描いたのはその場所から2〜30メートル手前で、以前、この絵を描いたときは最高の環境だったのですが、今度行ってみると、目の前に獣防止のフェンスができていて、邪魔になります。私はフェンスを無視して描きました。

なぜか3枚、同じ投稿がありましたので、削除させてもらいました。
中山道・垂井宿 2(岐阜県不破郡垂井町) 岡本崇 6月14日(水) 23:34
今日、西吉野へ柿摘蕾に同行した堺市の坂東氏とは40数年前、東京で知り合いました。彼は関ケ原出身で、南宮大社の横の不破高校をS32に卒業しています。関ケ原から垂井までの東海道線通学は汽車ポッポ。母上の生家には東海道別線の新垂井駅があって下り列車のみ停車したそうです。高校の帰路はKさんの座っていた場所を左に折れて、中山道を関ケ原まで歩いた事もあるらしい。

向こうに見える山は不破の滝のある池田山でしょうか。その遥か向こうが、坂東氏が大学生活を過ごし、私も勤務した事のある金沢市方面。郡上市は信号機の延長線上か。Kさんの背後が南宮大社⇒津市方面。途中に愛宕神社もあるようですが、南宮大社まで徒歩だと20分はかかったでしょうとの事でした。

Kさん 6月15日(木) 09:25
垂井の中心部でスケッチ後、北西部の山中にある「不破北部ダム」へ行き、そこから俯瞰を1枚描きましたが、そのダムへ行く途中で、東海道本線下り線(単線)の踏切を渡りました。垂井付近で、東海道線が上りと下りで別の線路を走っていたことは、昔の経験で知っていましたが、最近、在来線に乗ることもなく、忘れていました。帰宅後、ネットで検索して詳しく調べました。今は廃止になった新垂井駅のことも知りました。

岡本崇 6月15日(木) 10:20
不破北部ダムは、坂東氏が卒業してから28年後に完成したので全く知りませんでしたが、南宮大社(なんぐうたいしゃ=美濃国一宮)は、全国の鉱山の総本宮の為、鉱石が寄進されていたらしく、隣地の高校生だった坂東はそれを見て鉱石に興味を抱いたとの事。

五條市西吉野町西新子の私の曽祖父は、裏山で銀峰鉱山(添付写真が産出した鉱石)を経営。S20年代には廃鉱となっていたが、私は幼少期、トロッコで遊んだ思い出があるし、最近、坂東氏とも探訪した事がある。彼からは三尾の自然銅や、針道の黄鉄鉱を見に行こうと誘われている。特異な趣味だなあと思っていたが、Kさんの1枚の絵のお陰で、40数年ぶりにその謎が解けました。
白百合 Kさん 6月 8日(木) 18:41
「道行く人に幸せを」シリーズの「チューリップ」に次ぐ第二弾です。家の前の「白百合」がほぼ満開になりました。「今年は花の数が少ない」と栽培者のFさんは不満なのですが・・・

七ちょめ 6月 8日(木) 20:53
白百合がこれだけ咲けば立派です。
よく手入れができているのでしょう。葉っぱも黒々としていますね。
ユリは満足・満足と咲いているようです。

Kさん 6月 9日(金) 06:50
一株当たりの花の数が昨年の半分だそうです。葉っぱ黒々は、夕方に撮ったから?

岡本崇 6月 9日(金) 17:36
Kさんがアップされたその日に、我が家のダイニングにも期せずして庭白ユリ(マドンナリリー)が飾られました。庭白ユリの花言葉は、「純潔」「汚れない心」で、7月 17日の誕生花(たんじょうか)とか。 

私の誕生日は7月10日で、トルコキキョウ(ピンク)が誕生花らしいです。今日は西大寺を参詣した帰路、菅原町の「ディネット」でランチをしましたが、お店に飾られていた絵がトルコキキョウ(ピンク)でした。この店の奥様が自ら描かれたお気に入りのスケッチです。花言葉は「優美」「希望」とか。

Kさんの掲示板のお陰で、誕生花なるものの存在も学びました。感謝感激です。

Kさん 6月 9日(金) 21:24
岡本様、いろいろ役立てていただき、ありがとうございます。
浄土ヶ浜 6月 2日(金) 21:13
 東北の旅楽しく拝見しています。5月末にスケッチ教室で郡上八幡へ行ってきました。kさんのスケッチをコピーして持参、現地で場所を確認してきました。又kさんの名前を使わさせて頂きます。その前にお断りと思い投稿しました。HPにUPする前のスケッチですが同じところを画いてきましたので添付させてください。 歩さんでした。

Kさん 6月 2日(金) 21:55
郡上八幡へ行かれましたか。私も1日過ごし、楽しいスケッチでした。この絵の場所、行きませんでしたか。一番気に入っています。

歩さんのページに掲載中の和束の茶畑、いいですね。

6月 3日(土) 09:14
↑この場所は案内所でkさんの絵を見せて教えてもらいました。同じ処と思われるところに座り画いたのですが、電信柱に城が重なり上手くいかなく
困りました。後日UPします。又見てください。

岡本崇 6月 5日(月) 09:40
2010年7月に私も行きました。駐車場という看板の左上に郡上八幡城が見えますね。Kさんが描かれた場所から東へ1km行った愛宕公園辺りに「東殿山城」があり、1409年には私の18代前の祖が住んで居たとの事。その後、郡上市大和町牧の「篠脇城」へ移転したのですが、郡上八幡城が築城された1559年頃には滅亡したようです。

Kさんのスケッチポイントから10km北に走ると「東氏館跡庭園」があり、素晴らしいレストランもあります。次回は是非スケッチして下さい。

岡本崇 6月 7日(水) 12:07
<郡上八幡A(郡上市八幡町)>
「東殿山城」から「篠脇城」へ移転ではなく、築城時代順では、1篠脇城→2赤谷山城(東殿山城)→3犬吠山城→4郡上八幡城となります。マップ検索すると、5愛宕公園の隣の6の位置に「東殿山城」と表示されます。9郡上市役所の位置に「東氏館跡」があったとも云われるので、平常時は平地に住んで居たのでしょう。7が「宗祇水」で東常縁が宗祇に「古今伝授した所」。Kさんが描かれた8辺りも1559年の「赤谷山城の戦い」では戦場だったかも。

東常縁の曾孫の東行澄が1582年の「愛宕百韻」で執筆を勤めています。常縁の6代前の東胤行(美濃東氏初代)の妻が藤原定家の孫ですから、歌人の血が流れていたのでしょう。Kさんのお陰で上記の事を学びました。「古今伝授の里フィールドミユジアム」へは行きましたが、5の愛宕公園には行っていません。是非行ってみたくなりました。日本に愛宕山が900もあるとは驚きですね。

Kさん 6月 7日(水) 13:09
私のつたないスケッチを、歴史研究のきっかけにしていただき、恐れ入ります。私の方はそんなことには無頓着で、ただ、絵になりそうな景色を求めているだけなのです。

絵は「宗祇水」です。ホームペーの郡上八幡のページには載せていませんが、おいしい水でした。贅沢にも、この水を汲んで絵を描きました。
浄土ヶ浜A(岩手県宮古市) 岡本崇 6月 2日(金) 21:05
4月初めは大阪城の極楽橋でしたが、いよいよ浄土まで行かれましたか。私は釜石までは行った事がありますが、浄土ヶ浜は知りませんでした。

昨年5月に行った和歌山県串本町の橋杭岩に似ていますね。双方とも流紋岩のようですが、浄土の方が白っぽいです。常安寺住職命名の浄土ヶ浜の方が、岩がダイナミックで、弘法大師伝説のある橋杭岩の方が岩の数が多い様です。橋杭岩は、紀伊大島方面へ岩が横一列に、およそ850mにわたって連続してそそり立っていました。

Kさん 6月 2日(金) 21:51
今回の東北旅行では、まず「仏ヶ浦」へいき、次に恐山で「賽の河原」をわたり、極楽浜や多くの地獄も訪ねました。最後が「浄土ヶ浜」でした。風景として迫力があったのは、仏ヶ浦でした。やはり頼りにすべきは仏様。絵は「仏ヶ浦」です。
大山崎 村木美彦 6月 1日(木) 21:15
今日は浪漫スケッチ会ご苦労様でした。天候にも恵まれ楽しかったですね。東北旅行のスケッチ拝見しています。今トップページにある北山崎の写真懐かしいです。24年前個人旅行でこの海岸を船から眺めました。その当時はまだスケッチはやってなく、ビデオ撮影に凝っていました。この北山崎の断崖を長い階段で降りてゆき水辺に行ってみましたが、帰りの登りは大変でした。久慈駅のホームも懐かしいです。ではまた。

村木美彦 6月 1日(木) 21:16
タイトル間違えました。北山崎でした。

Kさん 6月 1日(木) 21:42
今日は一日ありがとうございました。ゆったりとスケッチした後のビールもうまいもんですね。

東北旅行のスケッチもあと少しです。写真から描いたものもありますが、まあ旅の記録ということで、私自身が目をつぶっています。
北山崎は素晴らしい景色でしたが、この写真を絵にするのはやはり少し抵抗がありますね。今日は更新を見送りましたが、明日は「浄土ヶ浜」を掲載します。
青森県上北郡野辺地町(2日目の宿) 岡本崇 5月31日(水) 21:51

2日目は野辺地町で宿泊されたのですね。学友が卒業した野辺地高校のグランドがHTから2km程下方にありますよ。分校があった横浜町から、陸奥湾越しに釜臥山(恐山)を写した写真を添付します。左の鉄塔の奥で、斜面にスキー場が見えます。

野辺地港には野村治三郎(廻船問屋)が建てた日本最古の常夜灯がありますが、彼と私の叔母の嫁ぎ先の廣海家(貝塚市の廻船問屋)とのやり取りの書状が現存します。幕末までは貝塚市から野辺地迄、明治に入ると小樽や函館まで行ったとか。学友が小学生の頃、古い商家のおばあさんが、「有難う」を「おおきに」と上方風に喋っていた事を覚えているそうです。野辺地町は上方に近いので、上北郡と呼び、上方からより遠い北の方を下北郡と呼ぶのは、千葉県の南が上総で、北が下総というのと同じですね。

八戸市にはゼミ仲間の学友が居たので、Kさんのレポートを楽しみにしていましたが、青森県三沢市のホテルからバスで岩手県久慈市まで直行されたようで残念でした。

岡本崇 6月 1日(木) 19:06
<野辺地町愛宕山展望台から陸奥湾を望む>
Kさんが泊った宿からも陸奥湾が見えたそうですが、学友が毎日眺めたという陸奥湾越しの恐山の写真が奇跡的に見つかりました。次の手順で「グーグル検索」して下さい。「野辺地町愛宕公園展望台」と入力してクリック⇒下段の「地図」をクリック⇒出てくる地図の中の「愛宕公園展望台」をクリック⇒左上の写真をクリック。

Kさんや私の母校は廃校になりましたが、彼が小学生の頃、2000人居た生徒が300人に。西脇市の学友の母校も全く同じ数の推移とは偶然。

序に「宇和島愛宕公園展望台」と入力して、上記と同じ手順でご覧下さい。出てくる写真は、添付写真と同じ宇和島城。これは2013年3月に行った時の写真ですが、Kさんも同年の6月に近くまで行って居られますよね。11月には、宇和島出身のゼミ仲間が幹事の「難波田会」が道後温泉であります。後半年もすれば道後温泉本館全面改修工事が始まるそうです。

Kさん 6月 1日(木) 20:13
お教えいただいた手順で検索すると、確かに陸奥湾越しの恐山の写真が見られました。雄大な景色ですね。
渋沢邸のスケッチ拝見しました kazz 5月31日(水) 15:36
今回の旅で描かれた作品の中では秀逸ですね。
Kさんも恐山も賽の河原を見物されたそうですが私も乙ずれたときのスケッチがありましたので添付します。


Kさん 5月31日(水) 18:54
Kazzさんは幅広くしケッチされていますね。この絵とほぼ同じ場所でみなさんと記念写真を撮りました。
恐山はあまりにも有名で、もう少し「霊場」らしいかと思っていましたので、正直言ってちょっと期待外れでした。スケッチ用に写真は撮ったのですが、そのままになっています。
渋沢栄一邸はスケッチ環境抜群でとても快適でした。今の季節の朝早く、森の中でのスケッチは気分も高揚します。


1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20