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1993: チョット動き出したかな 七ちょめ 11月 8日(月) 10:03
赤穂城下町の町並
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1992: 続大山道 辰巳屋 11月 7日(日) 06:30
大山の麓の大山道の宿場を訪問しました。

画像は、鈑戸(たたらど)です。大山道のうち坊領道にあります。
この坊領道には、所子、坊領を既に訪問していますが、今回は、今在家と鈑戸を訪問しました。
坊領道は、現在の県道33号線に沿っています。県道33号線からみると鈑戸集落は森にさえぎられ、集落がなかなか見つかりません。鈑戸山の麓の谷沿いの細長い集落です。
昔、鈩で栄えた集落なのでしょう。
この鈑戸には、王身代(おうしんだい)家という旧家があります。後醍醐天皇が隠岐の島から上陸したとき、影武者のように警固に当たった武士(糟谷(かすや)九郎左衛門)が賜った姓のようです。地元の人によるといざというとき王の身代わりになる役割というお話でした。なるほどと頷く苗字です。
また、この鈑戸集落には両墓制の風習があり、土葬とは別の場所にお墓を建てるという風習があるようです。

辰巳屋 11月 7日(日) 06:31
画像は、赤松です。
大山道のうち、尾高道の宿場です。大きな集落で、長い塀のある家がありました。
鳥取県は、街並みが少ないと思っていましたが、こうしてみると自然のまま残っている街並みが多いように思われます。

辰巳屋 11月 7日(日) 06:31
画像は、栃原です。大山道のうち溝口道に属すると思われます。大山のなだらかな麓の段丘に位置しています。

孫右衛門 11月 7日(日) 22:03
尾高・赤松という地名を聞いて、前者は町並として訪ねていますし、後者は業務の関係上何度か目にした地名です。訪ねてみたいですね。
鈑戸という集落の風景は、重伝建地区になった大山町所子集落にも通じる雰囲気を感じます。
p5900134-ipoe.ipoe.ocn.ne.jp
1990: 岡山の大山道 辰巳屋 10月22日(金) 10:08
非常事態宣言も解除され、少しずつ日常を取り戻しています。
8月に体調を壊し、元気を取り戻すため、近くの街並みを訪問しています。
先週は、以前廻ったことがある鳥取の「大山道(大山往来)」、これが岡山県南部まであると言うので、訪問しました。岡山県には、郷原や延助という有名な大山道(横手道、出雲街道ともいわれている)に宿場があるのですが、それから南に西国街道(山陽道)までの間に大山道があるというので、訪れました。
西国街道の備中一の宮あたりからわかれ、足守から郷原に到るまでの間です。南から、(足守)、大井、西山内・広石、東山内・福谷(以上岡山市北区)、加茂市場、下土井、井原、新山(以上吉備中央町)、(鹿田)、落合、久世、三坂、(釘抜小川)、(土居)、(藤森)、(郷原)以上真庭市)までです。( )は、今回は未訪です。

小さな街並みが多いです。街村集落といった方が適当な所もあります。しかし大山道として栄えた痕跡は見つけられたように思います。

画像は、井原です。吉備中央町井原にあり、八幡宮の登リ口からの景観です。小さな街並みですが、道筋もはっきりしており、古い建物も点在しています。

辰巳屋 10月22日(金) 10:09
画像は、尾原(新山)です。吉備中央町尾原の新山にあり、街並みは新山(にいやま)と呼ばれているようです。

Yasuko 10月24日(日) 13:09
岡山に住んでいながら、知りませんでした。そのような見方でみると、なるほどなと改めて思います。体調がすぐれなかったご様子、町並みに行こうかと思えるようなら大丈夫。
今頃が一番良い気候ですね。みんでもいいので、ミニオフ会ができたらいいですね。

辰巳屋 10月28日(木) 07:06
大山道を引き続き訪れています。10月24日から27日まで、大山周辺に主に大山道を中心に旅行していました。前回の続きです。

岡山の大山道は、三阪(真庭市)からは山越えになりますが、現在は車では通行できません。釘抜小川までは、国道313号線で勝山から北上し、湯原温泉の手前から県道326号線に入ります。
釘抜は、かつては宿場であったと思われる集落でした。集落のメイン道路の両側には大きな民家が多く、建物が無くなった場所も多く見かけられます。
画像は、釘抜です。

辰巳屋 10月28日(木) 07:07
画像は、藤森です。
藤森は、街並みとしては、小さなものでしたが、かつては宿場があった雰囲気があります。たびたび大火に見舞われ、古い建物はありません。ポツン、ポツンと建物が残っています。
幹線道路からも大きく外れ、ひっそりとした佇まいでした。

Yasuko 10月28日(木) 14:32
とっても、面白い企画だと思います。岡山県を北上する道はいろいろなルートがありますが、大山道ははじめて知りました。

孫右衛門 10月28日(木) 22:20
辰巳屋さんのこのような視点での探訪は独特ですね。郷原・信助以南にもずっと続いているとは知りませんでした。私も時間をかけて近場をじっくり訪ねたいのところは山々なのですが、さあようやくというこの時分に上手くいかないもので、今年は早くも1-3月並の多忙さになっています。
年内のなるべく早い時期にもう一度1泊の探訪くらいはと思っています。

辰巳屋 10月29日(金) 13:05
岡山県の街並みは、ほとんど知っていると思っていましたが、まだまだ見つかりそうです。大きな町は無いようですが、小さな街並みや特色ある集落は隠れているかもしれません。
コロナで外出ができない時期に、昔の街道を調べ、未訪門の場所を確認していましたら、大山道(大山往来)が出て来たわけです。

大山道は、今回のルートは主要ルートであり、他にも高梁を起点としたルートや津山からのルートもあるようです。大山に通じていれば、すべて大山道と総称しているようです。
今回、訪問した街並みで、掲載していない街並みを紹介しておきます。

画像は、広石(岡山市北区西山内)です。
古い建物はありませんが、民家が密集していて、街道集落なのでしょうか宿場だったのでしょうか。

辰巳屋 10月29日(金) 13:07
画像は、下土井(吉備中央町下土井)です。
旅館のような建物や料理屋の建物があります。ただし、この場面だけの街並みです。以前は、長い街並みがあったのかも知れませんが、今は小さな街並みで続いていません.

万訪 11月 4日(木) 19:20
辰巳屋さんの着眼点はいつも新鮮ですね。そして新たな町並みが見出される、素晴らしいです!
私はここ10年?でしょうか、いわゆる町並みとは違うジャンルの集落系ばかり歩いていますが、こうしてみると、改めて町並みが新鮮に思います。いいですね。

太泉八雲 11月 5日(金) 21:38
私も以前は街道ローラー作戦をやっていましたが、まだまだ知らない街道や往還が沢山あります。中国地方は特に陰陽縦貫連絡や横を横断する「道」が沢山残されています。
それを発掘していくのは、やはり地元に拠点を置く方々を頼るしかありませんが、これが「いらかぐみ」を続けていく意義、ネットワークだと思います。
120.52.232.153.ap.dti.ne.jp
1991: 宇都宮の大谷石造り集落 太泉八雲 10月31日(日) 11:32
私も近況です。
非常事態宣言も解除されましたが、仕事が忙しくなかなか連休も取れずに、YouTube動画の更新も止まっています。
この間の茨城県の「真壁」に続いて、また日帰りに近い関東近県の町並みを撮影してきました。
今回は宇都宮の大谷石造り集落です。
大谷石の集落は「徳次郎町西根集落」が有名ですが、今回はその他の集落に行ってきました。

一つは土蔵が見事に連なる小さな街村集落「芦沼」です。

太泉八雲 10月31日(日) 11:33
もう一つは道の両側に水路が流れ、川のせせらぎが響く宿場街のような「上田集落」です。
来週までに、西根も含めた動画をアップする予定です。

Yasuko 10月31日(日) 22:42
アップされたら、スマホにお知らせが、入るのでお待ちしております。ゆったりと時が流れる映像が好きです。それに最後のグーグルで、場所が出るので助かります。

辰巳屋 11月 2日(火) 14:42
大谷石の芦沼の集落、いいですね。蔵がすべて大谷石でしかも通りになっているのは珍しいですね。
宇都宮市を訪れた時、集落を横目で見ていたら、いろいろな場所で大谷石を使った蔵をみました。時間の関係で詳しく見れませんでしたが、ゆっくり見たいものです。

宇都宮市には、「宇都宮市まちづくり景観賞」というのがあり、この芦沼も、第17回(平成27年度)に受賞していますね。この「宇都宮市まちづくり景観賞」を年度ごとに見ると、大谷石を使った建築物や集落があり、もっともっとあるのではないかと思ってしまいます。

孫右衛門 11月 3日(水) 20:28
芦沼集落の1枚目の写真、全てが大谷石で圧巻です。宇都宮付近のみならず、北関東の多くの町で大谷石の蔵を見るので、その埋蔵量たるや相当なものなのでしょうが、西根集落をはじめとした中心部では住宅にまで使われているので驚きですね。

北陸のしゃく谷石でしたか、あれも同じような風合いですが、見られる範囲は狭いですね。

この良い気候の時期、それもようやくほぼ自由に探訪できる状況に戻ってきているのにめぐり合わせ悪く多忙なのは何ともですね。私も同様ですが、来週末には別府温泉にあるもと別荘の建物を利用しているという旅館を押えています。それに向けて業務の段取りを今から考えています。
今度はもう少し旅館への滞在を多くとりたいと思っています。

太泉八雲 11月 3日(水) 20:45
辰巳屋さん
さすがです「宇都宮市まちづくり景観賞」から辿られましたか。たまたま文献からたどり着いて、動画の概要欄をまとめる際の調べて知りました。

世の中少し落ち着いて、旅も少し気が楽になりましたが、日照時間が短くなり、かつ太陽の日差しも低くなりコントラストの高い景観が撮影に難儀する季節になってしまいました。

動画撮影では1日の撮影箇所がどうしても限定されてしまいます。
ある程度撮り貯めましたら、私も旅館に滞在して動画編集に打ち込みたいと思います。


取り急ぎ、宇都宮周辺の大谷石造り集落の動画『大谷石の里』を限定公開しました。

https://youtu.be/J4uOkX8_v8k

万訪 11月 4日(木) 19:03
今、熊本県八代市和泉町(旧泉村)五家荘葉木に居ります。「天界の村」の西日本縦断の旅の西の端。この村に来たのは26年ぶり3回目です。集落より紅葉が素晴らしい!
大谷石蔵の集落、芦沼と上田は初耳です。ですが、町並みは西根に匹敵していますね。早速行きたいと思ってます!
pw126157152103.30.panda-world.ne.jp
1989: 田沢温泉「ますや旅館」に泊る探訪 孫右衛門 10月11日(月) 19:51
信州田沢温泉の「ますや旅館」への宿泊を中心とした探訪を、この土日に駆け足で行いました。
この旅館は2014年の町並探訪で田沢温泉を訪ねた際、非常に感銘を受けいつかは泊ってみたいと思い続けていました。七ちょめさんなどの宿泊記を見ながらその思いを強くし、今回念願叶ったわけです。
実際建物内を見ると、複数の木造多層階の旅館棟を維持するのは並大抵でなく、メンテナンスする部分を限定して何とかされているように見受けられました。それをカバーしているのがご主人の奮闘ぶりと思いました。特に料理が素晴らしかったですね。一つ一つにこだわりが感じられ、地酒も和食居酒屋並に多数そろえられている。
ご主人より色々苦労話その他も聞くことが出来、かなり印象度の高い宿泊となりました。

孫右衛門 10月11日(月) 20:00
以前のように町並を探訪するだけでしたら2日でも十分ですが、旅館へ重心を傾けるためには早く到着しなくてはなりませんし、探訪の工程もそれに従わせたものに工夫する必要があります。
木曽福島を起点に、ほぼ机上の計算通りの行程で辿りましたが、やはり以前の町並行脚状態の探訪は味気ないと感じるようになり、途中で少しばかり観光要素を加えました。

町並は木曽路の未訪問の街道集落数箇所と、上田市周辺、茅野から伊那市にかけての街道集落や市街地の町並を訪ねました。
これは木祖村藪原(旧中山道の宿駅)の風景で、水場のある風景が貴重で撮影していると地元の方がここの家々はどこも山から水を池に引いているといい、思いがけず御宅内に案内してもらいました。


七ちょめ 10月11日(月) 21:40
いらかぐみを辞めたと云っている私が最初にレスするのも気が引けますが。
田沢温泉の「ますや旅館」に泊まられたのですね。大変大きな旅館ですが、家族3人での営業のようですね。ホームページに何時も従業員募集と揚がっていました。
私が泊る前には、太泉八雲さんも泊まられていました。多分太泉八雲さんも、孫右衛門さんも新館の503号室か504号室に泊まられたと思います。
実際稼働している客室は、東館の2室と新館の3室程度ですので。
新館と云っても大正期に建てられたものですのでそれだけでも立派なものです。
大きな本館の一部が食事室になっていて、西館は全く整備もされてない様です。
登録文化財に指定されている棟は6棟か7棟在るはずですが。
精いっぱいのサービスに徹しておられるのは感じますね。
機会があれば再度訪ねたい旅館の一つです。

孫右衛門 10月12日(火) 07:49
掲示板にはぜひ変わらずお越しください。
私はなるだけ古い部屋をと希望していましたので、泊ったのは本館の2間続きの角部屋でした。七ちょめさんや太泉八雲さんが泊られた「藤村の間」は先客がいるようでした。
相当な大型旅館ですが、さすがに個人で維持するのは大変とご主人はおっしゃっていました。お客を入れる部屋、メンテナンスする部分を限定し、何とか続けられている印象でした。
複数の棟の配置、浴室への廊下など不思議な構造が多く、ご主人の説明を受けて初めて理解できました。
料理も温泉も良く、満足の宿泊でした。

孫右衛門 10月12日(火) 07:50
写真を添付しようとして投稿ボタンを押してしまいました。新館に向う階段です。この付近の風情は良いですね。

七ちょめ 10月12日(火) 18:25
この階段部分は良いですね。
私の経験では旅館に重点を置いた探訪では、少しでもその旅館の情報や写真を得ようとしますので、チェックインは午後3時から4時まで、チェックアウトは午前9時から10時になってしまいますので、日中の行動が少なるなるのが最大の欠点でした。
M014010098160.v4.enabler.ne.jp
1988: いらかぐみ退会の件 七ちょめ 9月18日(土) 15:11
コロナ禍の中でいろいろと考え、悩み、思案した結果「いらかぐみ」のメンバーを辞めることにしました。


高齢のため、探訪などで皆様と行動を一緒にすることが無理になってきたのが最大の理由です。

でも、コロナ禍がもう少し収まれば、一人でのんびり町並を探訪して動画撮影は続けようと思っています。

今は、過去に撮った静止画をYou Tubeにアップして楽しんでいます。

誠に勝手なことですがご了承下さいますようお願いいたします。

皆様の活躍・活動を願っています。
長年に亘り、お付き合い下さり有難うございました。


時にはいらかぐみの掲示板に書き込みはしようと思っています。

七ちょめ 9月19日(日) 09:12
それから、町並探訪活動を縮小する中で、いらかぐみオフ会の記録があります。
抜き出すと

有松ミニオフ会
第2回奈良井宿オフ会
第8回園部オフ会
第9回長浜オフ会
第12回温泉津温泉オフ会
茨木郡山ミニオフ会
第17回美濃市オフ会

以上の記録が、私が書いて、私が発信しています。ホームページの縮小か廃止などを検討している中で、この取り扱いについて、早い時点で掲示板管理者の太泉八雲さんに対応をお願いいたします。多分以前、西野遊野さんの突然に死亡された時にも、記録の取り出しを太泉八雲さんに行っていただいたと思います。

今なら公開する前の状態で、データーをCDに移してでも、移動させることができますので云ってもらえば対応いたします。

半年や一年は今のままホームページは存続させますが、その後は私自身のの様子を見て、状況に応じた対応をしたいと思っています。

よろしくお願いいたします。

孫右衛門 9月19日(日) 09:47
熟考されての決断でしょうから、私などに意見を申し上げることはできません。

ただ、HPの情報は大変な財産と思います。SNS上でも七ちょめさんのサイトを見て訪ねていると思われる投稿も少なからず見られるので。

オフ会などの本格的な参加は難しいとしても、このままではあんまりですから、どこかで顔を合わせる機会は持ちたいものです。もう少し状況が好転してからでしょうが・・。

太泉八雲 9月20日(月) 16:55
「いらかぐみ」退会のお話は以前もお話されていましたが、あれからずっと考えられての事だと思います。

活動が以前よりも自粛している状況は他のメンバーもみな同じかと思いますが、もう暫くお会いしていないので、体調的な事もいろいろあるのかとご推察いたします。

いらかぐみオフ会ページの引越など、対応できる事に関しましては対応いたします。
ウェブページであればそれほど重くはないと思いますので、ギガファイル便などで送っていただいても構いません。

今日、明日に急ぐ事でも無いようであれば、皆さんの意見に従いますので、よろしくお願いします。

Yasuko 9月20日(月) 17:51
今このような時期で、コロナ前のように、思うままに町並みに出かけることがでません。
いまに、またいい時期が来ると期待しています。

七ちょめさんが、この時期に退会されると書き込みされて驚きました。余程の覚悟と事情がおありになるのでしょうから、何も言えません。

万訪 9月20日(月) 18:52
文面からこのタイミングにてご決意されたこと、心中お察しします。いらかぐみも始めてから2003年から18年、生まれた子は高校卒業の時期ですね。本当に長い間ありがとうございました。YouTubeも私より頻繁に日々アップされていますし、これからも行ける時にゆっくりのんびりと町並み探訪はなされることと思います。いらかぐみは辞められてもOBですので、気が向いた時で構いませんので、掲示板とかそれぞれのチャンネルに近況報告をしていただければ嬉しいです。また、コロナが落ち着いてこれも可能でしたら、地元の駅前のお店で(ジンバルお渡しした時のように)お会いできれば嬉しいです


七ちょめ 9月21日(火) 11:13
皆様から温かい言葉を頂き有難うございます。
病気で「クタバッテ」いるわけでなく、元気に過ごしていますが、やはり高齢で歩く速度が遅くなってきて、皆様と行動を共にするのが難しいと判断したのです。
もう7、8年も前から雨が降らなければ毎日4.5km程は歩いています。最初は47〜48分程で歩けたのですが、今は一時間程かかるようになりました。その速度が精いっぱいです。
高血圧もあり塩分の少ないまずい食事、腎臓機能の衰えで、いろいろと薬を飲む毎日、酒も隔日に一合の半分 五酌程度と面白くない毎日になりました。

楽しみは古い静止画を動画風にしてYou Tubeにアップしていること。
メダカの飼育、野菜作り位です。コロナが落ち着けば町並探訪を少しはと考えています。
とは言え、来年秋にはいよいよ自動車を無くし、免許を返納いたします。
86歳で自動車運転云々は、もう常識的には返納でしょうから。

それから太泉八雲さんが云われている掲示板の「ギガファイル便」でのデータ転送の件。
ヤッタことありませんが、調べてみるとできると思いますが、編集ソフトがホームページビルダーですので、送ってもそちらで開けるかが問題です。

半年や一年で私のホームページを閉める予定ではありませんので、そのうちに何とかなるでしょう。

私はできれば、CDでお送りしたいのです。但しホームページビルダーでの編集ですが。

Kさん 9月21日(火) 14:20
レスが一呼吸遅れました。申し訳ありません。
いらかぐみを退会されますか。発足以来、何かとお世話になりました。私の方こそ町並み歩きどころかスケッチもお留守になりがちな現状で、恥ずかしい限りです。
住まいが近くですので、今後ともお付き合いいただくようにお願いいたします。

七ちょめ 9月22日(水) 09:01
Kさん
住まいが近いので、今後も交流を続けたいと願っています。
宜しくお願いいたします。コロナ禍が落ち着けば、また、ご一緒に食事でもしたいですね。

URANO 9月24日(金) 21:51
たった今、こちらの書き込みを読ませていただきました。書き込みが遅くなりまして申し訳ありません。内心、とても驚いております。
去年今年とオフ会がかなわず、なかなかお会いできない状況ですが、皆さんのおっしゃるように、いずれまたお会いしたいと思っております。
私自身、「もっと早くいらかぐみを知っていれば」との思いを改めて強く感じております。
七ちょめさんのユーモラスな語り口による町並み&古宿エピソード、またお聞きしたいです!

太泉八雲 9月25日(土) 18:36
七ちょめさん。ウェブサイトのデータですが、作成されているアプリケーションがホームページビルダーであるか、他の物であるかは関係ありませんので、ご安心ください。
ファイルが「html」もしくはwindowsだと「htm」が多いのでしょうか。いずれでもMacとWinおよび作成しているソフト(アプリケーション)は問題ありません。
ただ、ページと画像の位置関係だけは崩さないでください。

もし、ページ移行に関して急がないのであれば、CDかDVDに焼いて頂いても構いません。
郵送という手もありますが、私が関西方面に伺った際に、どこかで直接受け取る方法もあるのでは、とも思っております。(まあ、プチオフ的な意味合いで)

ギガファイル便での受け渡しは、最悪緊急的事態になってしまった際の方法として残しておきましょう。また、方法に関してはリサーチしていただければと思います。


七ちょめ 9月26日(日) 09:26
太泉八雲さん
いらかぐみオフ会の記録簿の件。
別に急ぎません。少なくとも一年以上はホームページを存続させます。依ってそのれ以後でも良い位です。
CDで良いのなら、私にとって有難いことです。データの取り出しには5分から10分程度の作業で済みますので。
次回のオフ会の開催地が近ければ、そのCDを持参することも可能かなあと、希望を持っています。

急ぎませんので、その内に程度と考えておいて下さい。

辰巳屋 9月28日(火) 17:30
やや! 久々に掲示板を訪れてみると七ちょめさんの退会の書き込みがあり、驚いています。まだまだ足どりがしっかりしていると思っていました。
私も、体調を悪くして、しばらく、ボーとしていまして、掲示板も見ないで過ごしておりました。遅くなり申し訳ありません。
このコロナ化で余計に街並み訪問もできなくなるなか、熟慮の結果だとは思いますが、私なんかには、何も申し上げることはありません。
まだまだ、教えていただくことは、多いと思いますので、よろしくお願いします。

七ちょめ 9月29日(水) 09:37
皆様からそれぞれお言葉を頂き有難うございます。いらかぐみオフ会の楽しかった思い出は何時までも残っていると思います。お付き合い有難うございました。
祝島・奈良井宿と続き長きにわたって、楽しい思い出が蓄積されています。
いろんな会合で宿泊しましたが、殆ど忘れています。しかし、いらかぐみオフ会だけは祝島から始まり順番は定かに覚えていませんが、オフ会の様子はハッキリと覚えています。
それだけ印象深いオフ会だったようです。
体力の低下により、退会いたしますが、掲示板の書き込みなどは可能ですので、頻度は落としても、続けさせてください。
宜しくお願い致します。
有難うございました。
M014010098160.v4.enabler.ne.jp
1987: 近況です 太泉八雲 8月11日(水) 20:25
前回の書き込みから1ヶ月が経ちますが、こんな情勢なので皆さん活動が厳しい状況だと思います。さらに、追い打ちをかけて天候もかなり不機嫌、予測不能のお天道様のご機嫌次第になっているので。
私は、7月の後半に無理して近江エリアから美濃エリアの動画撮影を行ってきました。
しかし、8月に入って職場で相次いで陽性者が出た為、職場の半数近くが自宅待機。の抗原検査とPCR検査。私は無事に陰性でしたが、そんな状況なので先日の3連休も明後日からのお盆休みも計画はしていましたが、どこにも行けそうにありません。まあ、7月に撮影した動画の編集を行うくらいですかね。せめて、どこかの温泉旅館にでも籠って作業したくらいです。
とりあえず、近況です。


七ちょめ 8月12日(木) 10:47
コロナも治まりませんね。行動が大きく制限されていて動き難いです。
皆様もそれぞれ工夫して最小限の行動をされていますね。私の場合、表向きはコロナ禍と言っていますが、それ以上に気力と体力が問題になっています。

それはそうと今日朝から万訪さんのページが開きませんね。どうされたのか、You Tubeは大丈夫のようですから、実害はないでしょうが。

孫右衛門 8月12日(木) 21:58
太泉八雲さんは東京在住ということで、ご苦労も多いこととお察しします。

私は今週末にワクチン2回接種が完了しますので、その後新潟県を訪ねようと、月末か9月頭に計画していたのですが、現状では難しいと考え、あるいは盆休み前に強行しようとも思いましたが自重しました。
代りに愛媛県を訪ねてきました。主目的は以前から泊りたかった旅館で、周囲の未訪問・再訪の町並・集落を組み合わせてきました。
佐田岬半島の先端部を訪ねていませんでしたので、往復してきました。
旅館のお蔭で近県を訪ねるきっかけが出来ますので、今はある意味助かっています。

せめて秋の間に新潟を訪ねたいというのが、今年中の唯一せめてもの目標ですね。

画像は大洲市郊外の「小藪温泉」の一軒宿です。木造三階の主屋は大正時代の創業時そのままで、今は客室としては使われていませんが貴重なものです。

太泉八雲 8月13日(金) 10:35
なんか、お盆連休は連日雨の模様ですね。西日本は災害級の大雨が予想されるとか。

それと、万訪さんのページが表示されないのは気になりますね。サーバーの引越も聞いていませんでしたし。

太泉八雲 8月14日(土) 23:12
万訪さんのサイトは、クレジットカード変更による更新ミスだったそうです。

七ちょめ 8月15日(日) 10:01
万訪さんのホームページの件。他人事ながら安心しました。
お盆休みでレンタルサーバー屋さんも対応できないのでしょう。

万訪 8月17日(火) 19:30
ご無沙汰してしまっております。なんだかんだでバタバタしており、しばらく掲示板を見ていませんでした。すいません。また、サイトのサーバ停止を食らっており、今日復活しました。あ騒がせしました。
私の近況はと言いますと、行けるところは行っておりまして、念願の青ヶ島と厚岸小島(こちらは渡れないので空撮のみ)を実行しました。YouTubeで近々配信いたします。
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1986: 福山市横尾の町並 孫右衛門 7月17日(土) 13:15
今週、現場出張の傍ら福山市郊外にある横尾町を少し歩きました。
ネットで町並が失われているとの情報を得ていたからです。
初めて訪ねたのは15年以上前で、その時は道の両側にびっしりと古い建物が連なっていた印象でしたが、今回は空地が目立ち、もはや古い町並という状態ではなくなってきつつあります。
聞くところによると、宅地造成の予定があるとかないとかで、更地になりアスファルト舗装が行われているところもありました。
この付近はまだ何棟か連なっていますがこのような箇所はわずかになっています。

孫右衛門 7月17日(土) 13:20
最初訪ねた時の画像を確認すると、この建物の右側にも手前の更地部分にも商家や土蔵が連なっていました。

孫右衛門 7月17日(土) 13:22
街路西側の裏路地沿いの風景はまだ健在なところもありましたが、表の母屋が取り壊されれば当然失われることでしょう。
紹介ページを更新するかどうかは、少し考えます。

七ちょめ 7月17日(土) 17:10
横尾の町並みが歯抜けになっているようですね。
私が訪ねたのはと調べると2002年になっていますので、19年も前です。
当時から車の往来が酷くて、写真を撮るのも苦労する状態でした。
車の振動が酷いのでこの家には住めないと当時から思っていました。
写真を撮るのも命がけ状態でしたね。

今でも、少しは残っているのは奇跡と思えます。町並みを残すのは国道をバイパス化しないと。出来なかったのでしょうね。

孫右衛門 7月18日(日) 07:36
私もこの横尾の現状については、変化を残念に思うというより、良くぞ今まで残ってくれていたとの思いが勝ります。
歩道もなく、最初訪ねた時からこうこう場所で生活するのは本当に大変だと思いました。
道路拡幅の計画もあるのか、詳しいことは知りませんが、幸い敷地が鰻の寝床で奥深いので、建屋は国道より少し引いて前をガレージ等にすれば安全性も増すでしょうし、また運転手も圧迫感を感じずにすむでしょう。

太泉八雲 7月20日(火) 19:23
孫右衛門さんがツイッターでもおっしゃってました「よくぞ今まで残っていてくれた」と言うのが僕も思う感想ですね。それにあの交通量は建物の所有者の方も大変だったと思います。路線価が高くなり相続も大変ではなかったかと想像できます。

孫右衛門 7月23日(金) 22:13
太泉八雲さんもやはりそう思われますか。さすがにあの状況は、その古い建物が建てられた頃と比べあまりに変わりすぎたのでしょう。

今日まで暑い中山口県の現場出張でした。現地では元請けさん+協力会社さんの構成で基本的に私一人でしたので、初日は長門湯元温泉の古い温泉旅館に泊りました。また、現場近くになかなか良い漁村集落を発見しました。三隅町野波(現表記は長門市三隅下)というところで、昼休みにざっと歩いて撮影しましたので、町並として掲載しようと思います。
あくまで業務に支障のない範囲ですが、こんな時でも常に神経を傾けています。
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1985: 探しているが見つからない。 七ちょめ 7月 4日(日) 21:15


この間から中山道垂井宿の旅籠亀丸屋の写真を探しているが見つからない。一緒に撮った町並みの写真はあるのだが。もう4〜5時間も費やして探しているが。

旅籠宿の撮影の初期のもので、まだ、保存するホルダーもファイルもハッキリと決めてなかった時期のためと思うが。どこかに保存していると思い探しているが見つからない。
ネットで公開している写真は取り出せるのだが、もっと多くの写真が。
これも高齢のためかも知れないです。
孫右衛門 7月 5日(月) 09:25
探されているのはブログにアップされているものとは別の写真ですか。オリジナルを1から探すのは私も困ることが時折あります。
単に撮影日(探訪日)ごとにフォルダーを作成し、その中で探訪地ごとにフォルダー分けしているだけなので、後になって分からなくなることも多いです。都道府県別・探訪日がすぐわかる整理の方法にしておけばよいと思い、いつか作業しておけばよかったのですが、面倒くさがってずっとそのままになっています。
幸いサイト内で訪問日を記載しているのでたいていは何とかなるのですが、再訪しても更新していなかった場合などは困りますね。

この亀丸屋は今も現役なのでしょうか。東海道の大橋屋あたりも建物は保存されているとはいえ残念な出来事でした。古い旅館は経営者の老齢化に今の情勢も加わり、小さな旅館は知らない間に閉業していくものも多いでしょうね。

七ちょめ 7月 6日(火) 10:04
亀丸屋は廃業されました。後継者が無かったようです。

今でも探しているのですが、見つかりません。当時のパソコンのハードデスクが2度壊れて、その都度入れ替えていますのでその過程でどこかに行ってしまった可能性もあり、無ければ諦めるしか無いですね。
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1984: 但馬を中心とした探訪 孫右衛門 6月29日(火) 19:46
先の土日で兵庫県但馬地方を中心に丹波地方、播州の一部を含んだ1泊の探訪を行いました。
但馬地方は日帰りしようと思えばできますしそれほど遠方ではありませんが、目的がないと通過することもない地域でもあり前回丹後地方などと同時に訪ねた2012年以来と久々になりました。
今回再認識したのは地域による建物の造りの違いです。同じ県内なのに各地で大きく違いますね。もっというと但馬の中でも中南部の養蚕農家建築と海岸部とで大きく違いますし、和田山などの街道集落となるとまた違う。(豊岡付近は訪ねられませんでした)
これは大屋町中間(地元では栗の下というようです)で目にした建物。

孫右衛門 6月29日(火) 20:04
但馬海岸の集落は木質感が高く内陸部とはまた一味違います。
海水浴場も多いですが、集落は素朴さが残っています。

孫右衛門 6月29日(火) 20:09
今回の探訪は、2004年に万訪さん、西山遊野さんとのミニオフ会で回った地域も一部重なります。和田山の街道沿いの道標は大切に保存されているようです。

孫右衛門 6月29日(火) 20:27
和田山のうだつを構える旧家。

七ちょめ 6月29日(火) 21:11
但馬の養蚕農家の建物、北関東の養蚕農家の建物、北陸の養蚕農家の建物、白川郷辺りの養蚕農家の建物等など、日本全国養蚕農家はありますが、それぞれ家屋形態が異なります。
改めて比較すると面白いですね。
一つのテーマが作れますね。もう少し若ければせ、せめて10歳若ければ。挑戦するのですが。

孫右衛門 6月30日(水) 22:05
わたしも北関東の養蚕農家の建物と双璧をなしているように感じます。共通するのが複数階になっていることですが北関東では兜づくりのようになるなど外観にはその土地の特徴が表れるものですね。
これは養父町畑という地区の風景です。

辰巳屋 7月 2日(金) 06:25
大屋川流域の養蚕集落、3階建ての養蚕農家が多いんですね。私も一度だけ行きましたが、画像の養父市畑集落は未訪門です。大屋川流域にはまだ養蚕農家は多く残されているのかもしれません。ニュース性は少し古くなりましたが、平成29年に大屋町大杉地区が重要伝統的建築物群保存地区に選定されていましたね。

このところ群馬の養蚕農家ばかり訪問していましたので、大屋川流域の木造3階建ての並んでいる風景が見られる養蚕農家も訪問したいと思っています。

孫右衛門 7月 3日(土) 16:33
大杉地区は、前回訪ねた時は一応集落は通っていますがスルーしてしまい、写真も撮影していませんでした。なので準未訪問の重伝建地区でありちゃんと訪ねたいと思っていました。
三階建の養蚕農家建物が状態良く残っていますが、他の集落が全く外向きの雰囲気がないのに対して、ここではそれが少なからず感じられ、少々違和感を覚えました。
中には宿泊施設に改装されたものもあるようです。
まあ、保存地区を目的に遠方から訪ねる客もあると思いますので、そこは仕方ないところでしょう。

太泉八雲 7月 3日(土) 20:54
以前から再訪を考えていましたが、孫右衛門さんのおかげで大屋地区は今年年内の最重要訪問箇所の一つに格上げされました。

それよりも、ここにも「ニッポニア」ホテルグループが進出しているとは。
日本全国津々浦々、ある意味で頭が下がります。

孫右衛門 7月 3日(土) 23:47
太泉八雲さん、ぜひ探訪してください。但馬地区は究めればたいへん奥深い地域とも思います。
大杉地区、訪ねる直前にSNSで知ったのですが、これには正直かなりショックでしたね。
その根源的には、何とかリゾートにもイメージ的には類似するようなものを感じます。
養父町の大屋川沿いにある伊豆集落の風景です。この辺りを探訪していると、叔母さんから川の中にスッポンがたくさんいると言われ、見ると流れから出た石に10匹以上のスッポンを見ました。
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