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2059: やっと訪れた信州の宿場町 辰巳屋 12月 1日(金) 05:31
暑さ寒さが交互にくる天気ですが、皆様、お元気でしょうか。
しばらく、旅行に出かけておりましたので、ご無沙汰しています。

信州の北国街道・善光寺街道の宿場町について報告します。
何度も訪れているのに、どうしてこの場所は行かなかったのかと思うのですが、丹波島宿(長野市)、上戸倉宿(千曲市)、屋代宿(千曲市)、福島宿(須坂市)、西海野です。この他、戸倉宿、若穂綿内宿、若穂川田宿、海野宿、桑原宿、大屋、田中宿を訪れました。

画像は、丹波島宿です。長野駅から南へ2km程度でしょうか。丹波島の東西に延びる現在のメインストリートの一筋北に旧道が通っていました。本陣の門や高札場もあり、古い建物は多くないのですが、旧家も蔵や養蚕型の大きな建物もあり宿場としての雰囲気が感じられました。周囲は住宅街になっています。

辰巳屋 12月 1日(金) 05:35
画像は、上戸倉宿です。千曲市磯部にあります。下戸倉宿と板城宿の間にあたります。上戸倉宿と下戸倉宿で1宿の機能を果たしたようです。
現在の国道18号の旧道に当たると思われます。古い説明板が1か所ありましたが、本陣も置かれていたようです。旧宿場で残っている場所は狭い範囲となっていますが、中心部の交差点あたりに残っています。

辰巳屋 12月 1日(金) 05:36
海野宿は、2度目の訪問でした。ほんとに懐かしい日本の風景を見るようでした。
海野宿の西に西海野と呼ばれる地域があります。海野宿に隣接していますが、旧来の街道集落の景観が保たれていました。海野宿と同じように街道沿いには、道路に沿って水路が通っています。街道沿いの建物は、養蚕型の大きな建物が眼を引きます。


孫右衛門 12月 6日(水) 21:59
私のサイトでは宿場町・漁村など成因別に分類したリストがあるのですが、長野県は漁村の欄を潰して宿場町の町々をリンクさせています。漁村が無いから当然ではありますが、それ以上に宿場町の比率が高すぎて、表がいびつになるからです。
主要街道に信州各地からの各街道が複雑に絡みあって、さらに善光寺が街道の要でもありますので、当然のことなのでしょう。
今年は信州を訪ねることはできませんでした。魅力ある旅館も多く、最低2泊の行程で再訪したいものです。
前回探訪の最後に慌しく歩いた伊那市の市街地の町並です。

辰巳屋 12月 8日(金) 07:10
お久しぶりです。
今年は、良い季節に信州を訪れることができました。
大部分は、皆さんのデータを基に訪れていますが、少しだけ新しい所を探しています。

せっかく長野に行ったので善光寺や権堂商店街、鶴賀あたりも散策しました。
今まで、善光寺は門前町にばかり注目していましたが、宿坊街があることに気が付きました。この通りの左右は全て宿坊のようです。

万訪さん、uranoさん,お元気ですか。
mcn-c2d50172.miyazaki-catv.ne.jp
2058: 福住の町並と白市の催し 孫右衛門 11月 4日(土) 12:26
篠山市福住は重伝建地区となって以後は初めてでした。
篠山中心部の河原町の町並にも劣らず質量ともに良いものが残されていて流石と思います。
私が最初に訪ねた時は、全く外向きの姿が見えませんでしたが、旧家などの案内板や小さな店など少し動きがあり、探訪客の姿もちらほら見られました。

孫右衛門 11月 4日(土) 12:32
東広島市高屋町白市地区で「町家保存会」というのが発足され、29日にその最初の活動として普段非公開の建物の見学会と講演会が開かれましたので参加してきました。
特に大正前期に建てられた伊原家が見応えがあり、立派な外観から想像される通り贅が尽くされ遊び心も感じされる意匠が目立ちました。

孫右衛門 11月 4日(土) 12:41
伊原家の内部です。
この催しの模様は、サイトのどこかでまとめようと思っています。
p5900134-ipoe.ipoe.ocn.ne.jp
2056: 九州東部を時計回りに探訪しました 孫右衛門 9月27日(水) 08:19
23日から3日間の探訪を行いました。大分県南部沿岸部から始めて、延岡から高千穂を経由し熊本県阿蘇地方などを巡り、その後大分県竹田市、久住界隈を辿り、時計回りの周遊でした。
これは佐伯市旧米水津村にある宮浦集落です。密集漁村集落で、路地は多くが袋小路になっていていつの間にか玄関先になったりします。

孫右衛門 9月27日(水) 08:24
これは延岡沖の島浦島です。島や集落の規模の割にかなり船便が多く、本土側に通勤される方が多いのでしょうか。古い建物もあり路地風景も魅力的でしたが、それよりもしっかりした建物が多いのが印象的でした。高台にある寺から見おろすとその特徴がわかります。漁船も立派で寂れた島の集落と言った印象は余りありませんでした。
津久見沖の保戸島に似ているようにも感じました。少し離れてはいますが、日豊海岸の島の集落の特徴なのかもしれません。

孫右衛門 9月27日(水) 08:41
その日は延岡市の郊外(旧北川町)に位置する本田屋旅館に宿泊しました。
七ちょめさんが宿泊レポートをされていることで知っていたのですが、女将さんによるとここに泊る目的で来るお客が少なくないとのことです。ネットを見ていると、私の泊った前後にも相次いでそのような目的の若い方が泊られているようです。
回りに店もほとんどないような小さな町で、良くぞ続けられていると感心したのですが、かつては町役場をはじめ各種団体の宴会や結婚式も行われていたようで、泊った二階部分の座敷は大広間を兼ねられる構造となっていました。
七ちょめさんのレポートと同様、猪鍋をはじめ相当大量の食事が出てきて、申し訳なく鍋は一部朝にも出してもらいましたがそれでも食べきれませんでした。

七ちょめ 9月27日(水) 14:44
今回探訪された町並みは殆ど訪ねていない所ですが、本田屋旅館には泊まりましたね。
隣の部屋で静かに地元の方が新年会の宴会をされていました。おとなしい宴会でした。
私も猪鍋を頂きましたが、夜に出た猪鍋は残し、朝にも食べられず随分多く残しましたね。

只、この旅館を訪ねるのは大変です。公共交通機関がまず利用できないので、タクシーにするかレンタカーにするかしか方法がないです。タクシーと云っても最寄りの駅にはタクシーは居ないので。

孫右衛門 9月27日(水) 19:30
本田屋旅館の女将さんに宿泊記を見せると、年明け早々宴会のある日に泊ったということで覚えておられました。七ちょめさんの宿泊記を見て泊りに行かれるお客も結構あるようです。
近くに宮崎交通のバス停がありましたが、朝夕の1本ずつしかないようでなかなか活用するのは厳しそうですね。JRの列車も同様です。

2日目は高千穂から熊本方面に抜けたところにある馬見原集落で、辰巳屋さんの情報で知って以来、訪ねたいと思っておりました。かなり山奥にありながら各方面への交通の要にあって、結構大きな商店街など思わぬ町並が展開していました。

紹介されていた五ヶ瀬川沿いの集落や風景も訪ねたかったのですが、谷間の道があちこちで通行止めになっていて、随分時間ロスがあったので日之影の町をざっと車で走るだけで割愛しました。

孫右衛門 9月27日(水) 19:32
画像を添付せず投稿ボタンを押してしまいました。馬見原の商店街の風景です。

辰巳屋 9月30日(土) 09:53
秋の空が少しずつ現れるようになりました。

早くも大分・宮崎・熊本の県境を巡られましたか。

島浦島は、私は、まだ訪問していないのですが、地元では、よくニュースで流れています。地域活動が活発なのでしょう。私も行ってみたいと思っています。

馬見原は、九州山地の深い山の中で、突如現れた街並みになります。ホットする瞬間です。
大分県方面には、どこに行ったのでしょうか。

孫右衛門 9月30日(土) 20:51
その後は阿蘇外輪山の南側に位置する矢部町の町並を歩き、最近国宝に指定されたという通潤橋をほぼ30年振りに訪ねた後、阿蘇の外輪山の中に入り高森町と阿蘇神社の門前、坂梨の街道集落、大分県側の久住の街道集落を歩いて、竹田市長湯温泉の「紅葉館」に泊りました。
新社会人の頃は広島から別府への夜行フェリーが出ていて、自分の車を持って初めての遠方へのドライブということで阿蘇とその周辺を選んだことで、良く印象に残っています。
これは坂梨の町並ですが、阿蘇地区はやはりどこか観光地的な感じがぬぐえませんが、ここは素朴な街道町でした。

孫右衛門 9月30日(土) 20:56
長湯温泉の紅葉館です。昭和8年創業当時の本館は格式を感じさせます。
川沿いに素朴な温泉宿が散在するだけのところで町に歓楽的色彩は全くありません。
湯は全国屈指の炭酸泉といわれ、旅館の素朴な浴場でした。

孫右衛門 9月30日(土) 21:03
最終日は久住高原から再び熊本県に戻り、小国町宮原と杖立温泉を訪ねた後湯布院経由で帰路につきました。この辺りの雄大な景色は走っているだけでも爽やかですね。
宮原では林業をもとに立派な商家の町並が見応えがありました。得体の知れない温泉場であった杖立もだいたい把握できました。最終日は湧水源を巡ったり、温泉場を冷やかしたりしましたが、その中で壁湯温泉の素朴な露天風呂を体験してきました。

辰巳屋 10月 1日(日) 15:18
全行程を伺うと大旅行になりましたね。

通潤橋は、今年、国宝に指定されたばかりで、私も機会があれば訪れたい場所と思っていました。
豊後街道の宿場や番所のあった街並みも良いですね。雄大な景観を背景としていますので、一味違ったものになります。

長湯や杖立は、湯治に出かけたい場所ですね。そろそろ、そんな歳になりました。

孫右衛門 10月 4日(水) 20:39
阿蘇のカルデラ内は、町並の探訪としては初めてでした。阿蘇神社門前はちょっと観光地の様相でしたが、この付近は本当に雄大な景色の下ドライブできるということで、九州の人がうらやましく感じます。
これは小国(宮原)の町並です。

ようやく涼しくなり動きやすくなりました。繁忙期になる前に、活動しておきたいところです。
今月後半に、京都府丹後地方の古い旅館を押えましたので(先ほど予約しました)、
町並を訪問・再訪する2日の探訪を予定しています。
p5900134-ipoe.ipoe.ocn.ne.jp
2055: 南牧村の『大日向のひとぼし』 太泉八雲 9月 9日(土) 20:23
9月に入りましたが、私の今年の近況です。今年のお盆休みは前半は仕事の為あまり長期の休みは取れませんでしたが、後半は南牧村の伝承火祭り『大日向の火とぼし』が開催される日程で休む事が出来たので、行ってきました。

新型コロナウイルスの影響で4年ぶりの開催でしたが、台風が上陸するので開催が心配でした。しかし、神事でもあるので多少の雨では執り行うとのこと。しかも予想に反して台風の直撃は無く、多少の雨はありましたが晴天&熱い日々でした。

宿が取れないので車中泊でのぞみましたが、予想外の晴れと暑さでまいりましたね。

それでも、貴重な2日間をかけて祭りを撮影する事ができました。

太泉八雲 9月 9日(土) 20:23
動画も公開しましたので、ぜひ見てみてください。

https://youtu.be/VnCfPmE32Kc?si=gHAYDYnhnyowQgch

Yasuko 9月 9日(土) 21:11
拝見いたしました、初めてみました。素朴で寂しそうで情緒があっていいです。

私の私事ですが、闘病中の連れあいが8月30日に他界いたしました。今年はオフ会に参加も致さず失礼いたしておりました。これからの人生の残りは、したいことをやっていこうと思っております。五か月の間はそれは大変でした。皆様もがん検診はきちっと受けてください。

太泉八雲 9月10日(日) 09:18
Yasukoさん、ご無沙汰してます。僕は肺炎や帯状疱疹の治療中です。この歳になると体力も落ちますしいろいろ身体のあちこちが不調になりますね。体力作りにも気をつけています。


七ちょめ 9月10日(日) 10:28
皆様ご無沙汰しています。
Yasukoさん ご主人が亡くなられたことを聞きビックリです。お悔やみ申し上げます。
確か今年の4月末頃、白浜温泉でバスに乗っていた時、電話を貰い、乗客も我々の他に2人だったので、迷惑にならないと思い電話でお話をしていると、運転手から注意されたのを思い出し、その時のやり取りでオフ会の参加は難しいとのことでしたが、ご主人の事だったのですね。

太泉八雲さん、南牧村大日向の祭りの映像素晴らしいです。
撮影技術、撮られた映像、編集のどれをとっても素晴らしい。これだけのことを一人でされたのにビックリしています。
祭りの記録として集落が保存する価値があると思います。
素晴らしい画像有難うございました。
太泉さんも帯状疱疹が発症する年齢になられたのですね。症状はどの程度かは判りませんが、治療に励んでください。

孫右衛門 9月10日(日) 13:05
Yasukoさん、大変でしたね。お悔やみ申し上げます。
落着かれたら、またオフ会等ご参加ください。

太泉八雲さんも帯状疱疹などを患われていたのですか、私もワクチンの対象年齢になっているので、少し考えています。表向きの症状は治まっても、傷みが長引くことがあるというのを聞いていますので。

動画を見ましたが勇壮な火祭りですね。ドラマチックに描かれ又幻想的でもあります。秋田県の火振りかまくらというのを思い出しました。実際見たことはありませんが、番組などで放映されているのを見たことがありますので。いずれにしても、危険ではありますが、伝統に根差したものは途絶えさせてはなりませんね。

太泉八雲 9月10日(日) 17:28
秋田の「火振りかまくら」も同じ様に火をつけた藁を回す火祭ですね。ちなみに動画では子供達も火とぼしを廻していますが、この祭りの主役は実は子供達です。

「火とぼし」はリハーサル的な前夜祭があったので、川の対岸などいろいろな確度から撮影する事ができました。動画では1日にまとめてありますが。あと、南牧村は庭のような場所になっているので、どこから撮影すれば良いかはある程度頭に入っていますし、当日も午後にロケハンをして撮影ポイントを確認していました。でも、大変だったです。

帯状疱疹は活性ワクチンが2万円もするので接種を躊躇していましたが、打っておこうと思います。

七ちょめ 9月10日(日) 19:55
「火とばし」の撮影は見事と思いましたが、ロケハンなどして撮影準備を随分丁寧にされたのですね。でないとアレだけのものが撮影できない。
撮影場所の位置決めのロケハン、撮影リハーサル等々。
当日ちょっと行ってサッサと撮って終わりとはずいぶん違います。
ちょっとでも参考にしたいが、とても出来ません。

辰巳屋 9月10日(日) 22:09
南牧村は訪れたことはありますが、このような伝統行事があるとは知りませんでした。
撮影技術も構成も素晴らしい。

Yasukoさん、大変でしたね。聞いて驚いています。お悔やみ申し上げます。
また、落ち着きましたら、掲示板の書き込み、お願いします。

Yasuko 9月11日(月) 19:35
皆様、あたたかいお言葉ありがとうございます。色々な事務的なことをこなしていき、友達ともランチへ行ける余裕が出てきました。本人死ぬ気なんかなかったのでパソコンのパスワードがわからずを見ることができずこれは、困りますね。

今度のオフ会へは行く気まんまんでおります。これからは、自分の時間を取り戻して写真も町並みも再開する気でおりますので、また宜しくお願いいたします。

万訪 9月20日(水) 20:10
Yasukoさん、8/30に他界されてしまったのですね。お話を聞いておりましたので、ずっと案じておりました。ご看病大変でしたね。是非、ご自身を癒してあげてください。私も家内が他界した時「いつ死ぬかわからん、今やりたいことをやらねば!」と決心し、それからずっとその気持ちで生きております。
お近くへの旅の際は、お声をかけさせていただきます。

太泉さん、この回のYoutubeやっぱり視聴回数増えましたね。火の輪の映像もさることながら、祭りをやっている人々の表情まで、踏み込んで映像におさめられているところが素晴らしいと思いました。

Yasuko 9月21日(木) 09:56
万訪さん、あたたかいお言葉頂きありがとうございます。色々なことを考えさせられました。命ってはかないものです。残りの人生、大切にしなければと実感しました。またお近くに来られた時にはお声がけくださいませ。今のところ私は元気出していますので。
160.16.183.58.megaegg.ne.jp
2054: 宮崎県 五ヶ瀬川流域の街並み 辰巳屋 8月31日(木) 15:13
暑い日が続きます。皆さん、如何お過ごしでしょうか。雨もよく続きます。

7月の連休明けに延岡と高千穂の間を流れる五ヶ瀬川流域の街並み、八戸(やと)(日之影町)と曽木(延岡市)を訪ずれました。以下は、小さな街並みの話です。

八戸は、現在の国道218号線(神話街道)が開通するまでは、重要な中継地でした。また、高千穂鉄道の駅場もありました。
八戸は、新しくできた町のようで、大正4年の県道が開通してからできたようです。江戸期には、八戸の北にある旧県道沿いの新町が宿場の機能をはたしていたようです。八戸商店街は現在も街並みを残していますが、往時の賑やかさはありません。
画像は、八戸の街並みです。

辰巳屋 8月31日(木) 15:14
画像は、高千穂鉄道の八戸駅跡です。今も綺麗ですよ。

辰巳屋 8月31日(木) 15:16
八戸から1km下流に旧綱ノ瀬橋梁があります。あまりにも見事な景観でしたので、報告します。
旧綱ノ瀬橋梁は、昭和12年(1937)に完成した全長約418mの鉄道橋で、鉄筋コンクリートの大アーチ1連と、無筋コンクリートアーチ42連で構成されています。この大小アーチと渓流との比較の景観がよい。後方(画面の上)の橋は国道218号に架かっている槙峰大橋です、
万訪さん、太泉さん、このような景観は興味ありますか。高千穂・椎葉に行くチャンスがあれば是非コースに入れてください。

辰巳屋 8月31日(木) 15:18
画像は、曽木(延岡市)です。

ここは宿場の役割を果たした集落があったということです。大字曽木は、川(曽木川)を挟んで、曽木と柳瀬からなっていますが、役場・駅舎は曽木にあり、旅館・飲食店などは、柳瀬にあったようです。
柳瀬には、旅館・料亭・映画館・芝居小屋・酒造場などもあり、槙峰鉱山が栄えた頃には、ほとんどの買物は柳瀬で用が足りたという記録を読みました。現在は、昔のような面影はありませんが、歴史のある集落のようです。

太泉八雲 9月 1日(金) 07:43
旧綱ノ瀬橋梁のアーチはカッコイイですね。ほとんど通過するだけで下に降りたことはありませんでした。青雲橋から日之影町へ降りた事は多々あり、戸川集落や当時は高千穂鉄道が走っていて、日之影駅の温泉に何度か入ったことがありました。

孫右衛門 9月 3日(日) 14:43
宮崎県は雨が良く降っているようですね。こちらは1日ほどざっと雨が降りましたが、おおむね晴れや曇りで、9月に入ったと云うのに涼しい感じは全くなく、虫の声が蝉から秋の虫にに変わった程度です。
まだはっきりしませんが、暫く九州の探訪から遠ざかっており、大分県南部の温泉旅館とをからめての探訪が計画にあります。もしかしたら2泊して宮崎県の北端付近をかすめる行程も考えています。その場合は八戸と曽木を訪ねることも可能と思いますので参考にします。早ければ今月中にと考えています。

これは、先月訪ねた八幡浜市の「大正湯」です。市内に唯一残った銭湯で、ここの2階に1泊しました。

辰巳屋 9月 5日(火) 16:18
八幡浜の大正湯は、楽天トラベルでもやっているのですね。私も興味あります。
しばらく四国に行っておりませんので、計画してみようかと思います。

五ヶ瀬川流域に興味を持ったのは、まず、地形でした。最初は、国道218号から眺める風景でしたが、五ヶ瀬川の対岸の高地にも家や集落があるのを見ることができます。しかもこの谷底のように掘れた渓谷はどうだ。まるで最初に平な大地(台地)があり、雨により川となって掘り下げられた地形をみているようではないか。

河岸段丘といえばそうなのだが、このスケールはあまりないように思える。

どんな人々が住んでいるのだろう。どんな街並みがあるのだろう。

今度行くときは、対岸の高地集落に行こうと思っています。

八戸や曽木に行く場合は、あくまでも小さな街並みということで、計画してください。
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2053: 下街道沿いの街並み 辰巳屋 8月18日(金) 16:15
九州は、今の季節では珍しいのか、毎日、雨になっています。
如何おすごしでしょうか。

葛城市と御所市の間に「新町」と「薑(はじかみ)」という集落があります。住所は葛城市です。いずれも町の中央を下街道が通り、街道集落が残っています。
画像は、薑(はじかみ)です。

辰巳屋 8月18日(金) 16:16
広陵町箸尾は、教行寺があり、箸尾御坊として知られ、周辺は下街道となり、教行寺の門前町としての役割を担っています。

画像は、箸尾御坊界隈の街並みです。

辰巳屋 8月18日(金) 16:19
下街道とは離れますが、上牧町上牧に「五軒屋」という場所があります。上牧町役場から南東へ約1km、葛城台の西、南は広陵町真美ヶ丘になります。葛城台から続く丘陵地の西崖にあたり、その丘陵の斜面に五軒屋の街並みがあります。(奈良交通バス葛城台バス停より約0.3km)

画像は、五軒屋の集落です。

わずか300m〜500m程度でしょうか。しかしこの斜面には、ふるさとの忘れがたい景観があるように思います。五軒屋集落の古い街並みとして奈良県景観資産に選定されています。


辰巳屋 8月23日(水) 17:16
毎日毎日暑いです。
初めての街並みを紹介するとそれに対する意見投稿はどうしても少なくなる傾向にあるようです。
私は、公共団体のホームページをよく見るのですが、河合町のホームページに興味ある紹介がありましたので、投稿します。

近鉄田原本線池部駅のそばに河合町役場がありますが、役場も由緒ある場所のようです。どうも普通の役場とはちがうようです。
画像は、役場の庭園です。

以下は、役場庭園の説明です。
河合町役場の庭園は、大正末年、大和鉄道建設の森本千吉氏が、馬見丘陵の大自然を取り入れ、広大な邸宅と庭園を構築されました。そして「豆山荘」と名づけられたことに始まります。
森本氏が逝去された後は、財界の第一人者、新庄町(現葛城市)出身の吉川京松氏が譲り受け、豆山荘の維持保存に努められました。
吉川氏は河合村役場を豆山荘に移転したいという当時村長の木下氏からの要望に応え、昭和23年、豆山荘を河合村に譲られました。
その後、河合町発足とともにここに庁舎を新築し、現在に至ります。馬見丘陵の自然を生かして造られているため、ここに繁茂する樹木のほとんどは馬見丘陵に自生する自然木です。
由緒あるこの庭園を憩いの空間として、ぜひ足を運んでください。庭園は近鉄池部駅すぐの役場入口左にあり、役場休業日も自由に散策することができます。

辰巳屋 8月23日(水) 17:18
近鉄田原本線池部駅のすぐ北東に「池部」集落があります。蔵で囲まれた小さな集落ですが、その濃い景観は必見です。
画像は、池部集落です。

辰巳屋 8月23日(水) 17:22
河合町のホームぺージに川合市場の街並みが紹介されています。

川合市場は大和と河内を結ぶ大動脈である大和川水運の発達によって古くから栄えた集落で、江戸時代には魚梁船(やなぶね)を使った舟運による荷揚げ場や舟問屋もここにあり「川合浜」とも呼ばれていたのです。
画像は、古い街並みが残る川合市場の街並みです。

「川合市場」と前回投稿した「箸尾」は、太泉さんも街並みとして紹介しています。


Yasuko 8月23日(水) 21:12
何時も拝見しております。町並みにいきたいなあ、と思いながら画像を楽しんでおります。投稿ありがとうございます。今の状況を脱したら旅行に行きたいです。

辰巳屋 8月24日(木) 08:59
お久しぶりです。
いつも掲示板を見て頂きありがとうございます。
時々、励ましの声を聞くと嬉しくなります。

見て頂くだけでも、情報発信にはなると思っています。
投稿した街並みを訪れてみようと思う人が少しでも増えていけば喜びです。

太泉八雲 9月 1日(金) 07:47
奈良は奥深いですね。「池部」はぜひ行ってみたいです。
下街道は結構自転車で行き来した道で、街道沿いには多くの町並みが残されています。
この道もいつかは動画にしたいと思っていました。

辰巳屋 9月 2日(土) 08:53
奈良の街並みは奥深いものがあるようです。

この度困ったことは、主要道路は、ある程度、道路幅はありますが、それを外れると狭い道路になる場合が多いようです。入ることも難しい道路や入っても駐車場がなく、断念した場所もあります。
今度、訪問する時は、電車で行こうかと思っています。自転車も良いいですね。
街並みで何か良い情報があれば、お知らせください。
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2052: 高取町の清水谷 太泉八雲 8月 8日(火) 01:30
先月はまた奈良の今井町に滞在して動画を撮影してきました。
動画撮影を始めてから、集落や町並みを隅々まで歩き回っていろいろ発見があって驚かされるのですが、今回は城下町としられる高取。大体観音寺から上・下土佐、武家町の下小島あたりで終わり、下小島から壺阪寺方面に延びる細い参道沿いにある「清水谷」は、つい高取のおまけ的に撮影していました。が、今回もめちゃ驚きました。

立派な家々は製薬商人の主屋だったのですが、その裏手にはまさに製薬会社の工場が密集していました。主に漢方系の企業で、いくつかは工場を畳んているのもありましたが、酒造蔵に近い、あるいみ「薬造蔵」の家並みでした。いや〜歩いてみるものです。
駅前には「くすりの町・高取」と掲示がありましたが、今まで気にもとめていませんでした。

辰巳屋 8月 9日(水) 09:32
お久しぶりです。精力的に撮影されているのですね。
私は、6月のオフ会の後、高取を訪れ、清水谷も訪問しました。
清水谷の街並みの街道沿いだけを見ました。街並み以外の場所には機転が廻りませんでしたね。
今回の太泉さんの指摘で気づいたのですが、地図で見ると中心通りの南北には製薬会社の名前がたくさんありますね。「高取町・製薬会社」で検索すると清水谷だけで6社ありました。高取町全体では、14社あります。
下土佐・上土佐地区は、かなり整備されていますが、以前より古い建物が少なくなっていると感じました。修景が進み過ぎたのでしょうか。清水谷地区は、少し離れているためか、古い建物はそのまま残っているような印象でした。

画像は、大和棟の大きな家です。清水谷の街並みには、立派な門構えの家や大きな屋敷が多いのを感じました。

太泉八雲 8月10日(木) 09:20
高取に訪れたのは今回で4度目くらいですが、清水谷地区はいつも重要視していませんでした。じっくり歩いて見る物です。あと、グーグルマップでも言えますが、ドローンからの空撮においても、集落を上から見ると町並みの背後に広がる家並みも見えてくるので、過去のように表層だけ歩いて終わることが無くなったように思えます。

写真の立派な大和棟の建物。向かいのビルが製薬会社の本社事務所で大和棟の建物は主屋ですね。

孫右衛門 8月11日(金) 20:25
高取の清水谷地区は私もようやく最近になって訪ね直しページをしたためましたが、このような発見はドローンでの俯瞰あってのことですね。こうしたところにもまさに視点を変えた発見が楽しめそうです。
世間は盆休みですね。昔は土曜日も出勤だったので、盆休みは絶対に外せなかったのですが、今は土日に有休を加えた2泊3日といったことも容易になりましたので、あえてこの悪条件に満ちた連休に探訪をする意味がなくなりました。
サイトの更新や、普段余り手の回らない身の周りの整理などを行い、来週末にちょっとした探訪を考えています。
八幡浜市にある古い銭湯を利用した宿泊施設に泊り、宇和海にある大島などを訪ねるものです。

辰巳屋 8月11日(金) 22:18
孫右衛門さんが、「清水谷」を取り上げているのは、知っていました。高取(土佐地区)と清水谷は、結構離れていますね。

清水谷が、薬業の町だったということで、関連で、薬業の町を紹介したいと思います。

大和南部の製薬(薬業)については、街並みとの関係で見ると、大宇陀、高取、下市を直ぐ思い浮かべてしまいます。一口に製薬(薬業)関係と言っても、薬種、合薬、売薬(配置売薬)に大別され、いずれも大和南部は栄えたようです。

太泉さんの投稿を機会に、大和の薬業について、調べました。
「奈良県薬業史」(奈良県のホームページ)では、大和南部の薬業で栄えた町(地域)が記載されています。江戸末期(慶応2年の配置売薬業者)には大和南部の今住(6)・市尾(8)が中心地であったようです。土佐(4)・下小島(1)・清水谷(1)の高取地区は、併せて6事業者で、明治になって大和売薬の中心地として発展したようです。( )は、事業者数。

私は、そのような知識を持たないで、オフ会の後、御所市「今住」を訪れました。地図から判断して、街並みが残っているかもしれないと思い訪れたのです。
集落を一通り歩いた後に、地域の方にお話しを伺う機会があり、初めて薬業で栄えた集落であったことを知りました。大きな屋敷は、合薬、売薬(配置売薬)の事業者で、今も継続している事業者もあるが、廃業している事業者もあると説明されました。売薬(配置売薬)で成功した事業者が多いことを強調されていました。
この時初めて集落の成り立ちを知りました。事前に「奈良県薬業史」などの、知識があれば随分と成果があったと思っています。残念です。お恥ずかしい話でした。

画像は、今住の街並みです。大きな門構えの住宅が表れ、長い塀や大和棟の大きな住宅が並んでいます。

辰巳屋 8月11日(金) 22:19
画像は、今住の沿道で、静かで落ち着いた佇まいです。道路に沿って、昔ながらの小川が流れ、風格のある屋敷が続いています。

孫右衛門 8月13日(日) 09:47
清水谷は高取(上土佐、下土佐)の付属村のように思っていましたし、御所市今住も知りませんでした。古い地場産業に着目すると、見えてくるものがあるようですね。
奈良県も古くから製薬が盛んな土地ですので。

太泉八雲さんの橿原市今井町の動画を見ました。ドキュメンタリー映画のようで、かなりの下準備と構想が必要だったことと察します。力作ですね。

七ちょめ 8月13日(日) 21:28
辰巳屋さんの訪ねられた高取町清水谷、高取町市尾、御所市今住も全て知りませんでした。
自宅から近い所にある古い町並をお知らせ願いありがとうございます。
高齢で熱中症を警戒して暑い間は自粛していますが、涼しくなれば訪ねたいと思います。
上記の3ケ所に加えて今住の北にある柏原も序に訪ねたいです。
どの場所も電車とバスの便が良い所で、訪ねるのに苦労しないでいけそうです。

辰巳屋 8月15日(火) 13:21
七ちょめさん、お久しぶりです。

毎日暑い日が続きます。私もそろそろ高齢者になり暑い日はなるべく避けております。
大和南部の薬業の町は、太泉さんの投稿をきっかけに勉強させてもらいました。早く気づいていればもっと良い報告ができたと思うと残念でなりません。

今住は、大きな街並みではありませんが、落ち着いた街並みです。訪問されたら、「三光丸クスリ資料館」があります。私が訪問した時は休館日になっていました。何か良い情報があるかもしれません。

まだまだ、奈良には、街並みが潜んでいるのかもしれません。

七ちょめ 8月15日(火) 15:30
辰己屋さん 近鉄壺阪山駅からバスに乗り壺阪寺口で降りて、清水谷を上土佐に向かって歩き、途中でバスで壺阪山駅に向かうか、壺阪山駅まで歩くかのどちらかは当日決める。
壺阪山駅から近鉄で市尾駅に行き、市尾集落から歩いて今住集落の曽我川の東側をそしてクスリ資料館のある西側を歩き、その続きにある柏原集落を訪ねて、JR和歌山線の掖上駅から帰宅するという一日コースの行程を作りました。
でも、もう直ぐ米寿を迎える超高齢者で歩けるかどうか。という所です。

以前、この今住集落はJR和歌山線に乗った時に、めぼしい集落と思って訪ねるリストに挙げていました。偶然とおもいます。

辰巳屋 8月16日(水) 15:42
早々に計画を建てられましたね。
電車で気軽に出掛けられるのは、羨ましいです。九州の果てに住むようになり、こちらでは、電車・バスは逆に不自由になり、車でしか出掛けられません。

私の場合、奈良の街並みを見ようと思っても、費用対効果を考えれば、いくぶん長期間の旅行になってしまいます。今後は、オフ会を利用したちょっと長期間の旅行にならざるを得ないと思っています。

今住は、曽我川を挟んで東西に集落がありますが、西部のクスリ資料館あたりが中心となります。「市尾」は資料的にはあるのですが、街並みは不明です。報告を楽しみにしています。

奈良の街並み・街道集落については、太泉さんが詳しく訪ねられています。チェックしてみるとまだまだ未訪の街並みがあるかも知れません。私も、太泉さんの情報がありながら、時間の関係で訪問できなかった街並みがあり残念な思いをしています。再度の機会を持ちたいと思います。

落ち着いたら、下街道沿いの街並みについて投稿したいと思っています。

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2051: 孫右衛門 7月24日(月) 08:19
先週の連休を利用して、富山県を中心に探訪を行いました。
まず有名なところから、八尾の町並です。歩いたのは18年振りとなりました。少し前に大雨に見舞われ、この諏訪町通りの裏山から土石流が発生したそうです。

孫右衛門 7月24日(月) 08:22
北陸道沿いの町並もいくつか訪ねました。小杉は三ケ地区に本陣等が置かれ、伝統的な建物が散見されます。

孫右衛門 7月24日(月) 08:24
東側の戸破(ひばり)地区にかけて街道集落が続きます。
郵便局の建物が残っていました。現在は二次利用されているようです。

孫右衛門 7月24日(月) 08:28
小杉ICに近い青井谷地区です。
妻入りで見事な真壁が見られる旧家が何棟かありましたが、家々は散在していて農村集落のようでした。

孫右衛門 7月24日(月) 08:43
これは2日目に井波で宿を取った「東山荘」です。瑞泉寺の向いにあり今の建物は昭和初期に寺の建て替えに使った余材が使われたとか。
翌朝歩いた門前街の佇まいも印象的でした。

辰巳屋 7月27日(木) 13:58
お久しぶりです。
天気が不安定な中、また暑いなかごくろうさまです。画像を見ると街歩きはなんとかできたようですね。安心しました。

最初の八尾の街並みは、郷愁をそそる、いい街並みですね。私は未訪門ですので、是非、訪れたいものです。

瑞泉寺の門前町の街並みは、素晴らしいものですね。訪れたい所です。

孫右衛門 7月29日(土) 10:35
井波の門前町は重伝建級ですね。歴史と伝統工芸に培われたという点もそれにふさわしいものと思います。
ここは町並訪問としては3回目なのですが、いつも洗練された町の雰囲気に襟を正さしめるような気分になります。
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2050: 岩手県北部の街並み 辰巳屋 7月 5日(水) 05:55
皆さん如何お過ごしでしょうか。梅雨時期のため街並み歩きはなかなかできませんね。

5月に訪づれた岩手県について報告します。

盛岡といえば、最近外国人に人気がある町として人気急上昇と報道されています。
私も、偶然ながら昨年に続き、5月に訪問することとなりました。
画像は、街のシンボル赤レンガ館です。何度見ても良いですね。

辰巳屋 7月 5日(水) 06:00
この赤レンガ館のある紺屋町から一筋東に行くと、小さいながらも感じの良い街並みがありました。

画像は、中ノ橋通りです。このあたりは葺手(ふくで)町と呼ばれていたようで、屋根葺き職人の住む町だったようです。わんこそばの店が良い景観を作っています。画面には映っていませんが、後ろには愛染院があり、景観に寄与しています。
盛岡市内は、歩いて行ける場所が多いように思います。大通りや映画館通りも歩いて行けます。

辰巳屋 7月 5日(水) 06:02
盛岡の郊外にも行きました。少し遠いですが。

画像は、八幡平市の荒屋新町です。あまり事前学習なしで行ったのですが、巨大な建物が街並みを作っています。岩手北部と秋田を結ぶ鹿野街道(津軽街道)の宿場町のようです。

辰巳屋 7月 5日(水) 06:04
画像は、前の画像の道路の反対側です。大きな建物で迫力があります。ほんとうに行ってよかった。


辰巳屋 7月 5日(水) 06:05
画像は、浄法寺(二戸市)です。浄法寺塗で栄えた町で、町並み度は高いです。現在は、建物が無くなっている場所もありますが、昔は、木造建築が軒を連ねていたんでしょうね。

孫右衛門 7月 8日(土) 16:29
荒屋新町は重厚な家並が残っているのですね。岩手県北部を訪ねたのは5年前になりますが、大柄な商家風建築が目立つように感じます。浄法寺町はわずかな情報をもとに訪ねた所で、予想以上の町並が残っていて印象に残っています。
最初に掲載された旧岩手銀行の建物は時間がなく、ざっと歩いて写真撮影しただけになったのが心残りです。

辰巳屋 7月10日(月) 17:10
孫右衛門さんは、浄法寺に行かれていたんですね。この辺りは、地図で見るよりもさらに遠く感じましたね。
荒屋新町は、大型の建築物が多く、迫力がありました。ただ、遠いので、余裕をもっていきましょう。
岩手県北部では、この他、二戸市の金田一、福岡、一戸町の小鳥谷、九戸村の伊保内、葛巻、軽米に行きました。

画像は、九戸村の伊保内です。古い建物がメインストリートの両側に軒を連ねていますが、看板建築により古い建物部分は見ることができません。しかし、所々古い建物が残っています。
九戸政実生誕の地とキングオブチキン生誕地で町興しをしているようです。

辰巳屋 7月10日(月) 17:11
これは、伊保内で見つけた古い建物です。
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2049: 奈良県桜井市周辺の初瀬街道 辰巳屋 6月22日(木) 09:30
一昨日、帰宅しました。皆様その後如何お過ごしでしょうか。

三重県、奈良県、大阪府、和歌山県を跨ぐ旅行でした。長い旅行でしたが、成果も多いように思いました。
まとまった場所を報告します。

地図で見ると桜井市の国道165号の北の山裾を、西から順に、三輪、金屋、慈恩寺、脇本、出雲、初瀬と続く道があります。これは上街道方面からの初瀬街道の旧道ではないかと想像し行ってみました。
画像は、金屋です。慈恩寺、脇本、黒崎は、農村集落的な風景ですが、街道集落にも見えます。
金屋は、古代の海柘瑠市(つばいち)があった所で、奈良・三輪から飛鳥・初瀬への道、竹内街道からの道、大坂難波からの舟の便もあり、大いに賑わったところでした。伊勢詣が盛んになる頃には宿場町となっていたようです。

辰巳屋 6月22日(木) 09:31
画像は、出雲です。出雲は、つし二階、漆喰、格子戸、平入の家が多く、街道集落の景観が保たれていました。

辰巳屋 6月22日(木) 09:33
国道165号と大和川の間にも地図でみると街並みがあるように思えます。桜井市中心部に近い街並みは、住所は慈恩寺となっていますが、郵便局は朝倉郵便局になっており、その他の施設も「朝倉」の名称が使用されています。この街並みの名称は「朝倉」と呼ばれているようです。
朝倉の東には少し離れて黒崎があり、ここも街道の街並みが形成されています。やがて街道集落のある出雲に続きます。黒崎付近で合流しているように思えました。

画像は、朝倉です。つし二階、漆喰、格子戸、平入の家が多く見受けられます。道路幅が狭いため、自動車での訪問は難しいようです。

辰巳屋 6月22日(木) 09:34
画像は、黒崎です。街道集落の景観が保たれていました。道路幅が狭いため、自動車での訪問は難しいようです。

孫右衛門 6月24日(土) 10:35
わたしは前日に長谷寺門前に泊っていたのですが、その辺りを訪ねられていたのですか。
奈良県には、町並としてまとまっていなくても数多くの伝統的建物の残る集落があるものと思います。もうすこし近場にあれば、定期的にそのような旧街道や農村を辿ってみたいところですが・・。
来月の連休を利用して、富山県を中心とした探訪を計画しています。連休ですので旅館や往復の交通、レンタカーもすべて手配しました。

辰巳屋 6月25日(日) 08:31
今回紹介した場所は、街道集落と呼んでいますが、小さな宿場町より街並み度は濃厚だと思います。

桜井市の街並みは、本町が中心で、現在は「本町通商店街」となっています。西に延びると西本町があり、一旦途切れるものの街並みは続いています。さらに地図の住所では「谷」・「戒重」地区、小西橋から戒重南交差点までを歩きましたが、街並みは続いています。この道は、古代の横大路で伊勢街道と呼ばれています。

画像は、戒重地区です。

辰巳屋 6月25日(日) 08:34
戒重地区は、江戸時代、元和4年(1618)に織田家1万石の城下町(陣屋町)となり、戒重藩と呼ばれ、横大路沿いに商工業者が並び新町ができたそうです。

やがて延享2年(1745)に藩庁を桜井市芝に移転することになります。芝は上街道が通っており、ここにも小さな街並みが形成されました。

画像は、芝です。

富山の訪問を楽しみにしています。私は富山には未訪問地区が多いので、報告を楽しみに待っています。
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