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1819: 甲武上信探訪 孫右衛門 9月24日(月) 23:33
3連休を利用した探訪を終えました。塩尻を基点とした探訪ですので、長野県中心と言いたいところですが、半分は県外を巡っていました。まずはわき目も振らず山梨県に入り、その後秩父地方、群馬県の山間部を経由して再度長野県佐久地方に至るというもので、最近重伝建地区になった山梨県の塩山下小田原上条集落、オフ会の時に訪ねられなかった小鹿野と栃本集落、群馬県の山奥に未訪のまま残されていた砥沢集落。これらは訪ねるのは大変だと頭を抱えていたところ、地図を見ていると佐久地方と組合せると環状ルートの3日間で回れるではないかと思ったのがきっかけでした。突拍子もないルートのようにも感じるかもしれませんが、我ながら良いコース取りだったように感じています。

私の備忘録も兼ねて訪ねたところを描いておきます。
山梨県:須玉町若神子地区、韮崎市上円井、甲府市湯村温泉、塩山市街地(重文高野家住宅)、塩山下小田原上条、塩山三富川浦(この三富川浦は初日泊まった民宿があった場所で、翌朝散歩と何の気なしに周囲を歩くと思わぬ集落で驚きました。向かったときは暗くて判らなかったのです)
埼玉県:秩父市(旧大滝村)栃本、小鹿野町
群馬県:上野村乙父、同楢原、南牧村砥沢、同磐戸、下仁田町(再)
長野県:佐久市中込(旧中込学校)、同望月(再)、立科町茂田井(再)、佐久穂町高野地区、同海瀬、八千穂村、南牧村海尻、茅野市笹原、諏訪市上諏訪、下諏訪町(再)

今日は一つだけ画像を載せておきます。茅野市笹原集落で、南佐久地方から諏訪地方へ2000mを超える峠道を経て、なだらかな斜面を下る途中にある集落です。何の気なしに通り過ぎようとしたところどうも土蔵の風景が気になって引き返したところ、公民館前には地元がささやかな案内看板を出して、パンフレットも自由に取れるようにしてありました。
八ヶ岳山麓に散在する江戸時代に新田として開発された農村のひとつで、土蔵と鏝絵のマップがありました。遠くに蓼科・八ヶ岳の山並を見渡す良い集落で、今回で一番興奮した探訪となりました。写真ではちょっとわかり辛いかもしれませんが。

宿も満足で、全体の感想としてはかなり良い探訪を終えることが出来ました。

万訪 9月25日(火) 00:33
孫右衛門さんお疲れさま。この三連休、天気が穏やかで良かったですね。塩尻発着で甲武上信一周とは、関東在住ではありえない。でも、考えてみれば発着こそ東京ですが、同じルートをしょっちゅう走っています。ただ、その時はドライブ目的なので、町並みはスルーですが。
笹原はなんか記憶にあるなぁと思って地図を見らた、奥蓼科の渋温泉から下る途中の集落ですね。ジープに乗ってた頃、林道ツアーで何度か渋まで走りに行ったことがありますが、その時通って覚えてます。諏訪平が広がる眺めの良い集落でした。ただ、その時も走り目的でスルーしてました。今や貴重な集落になっているのですね。

孫右衛門 9月25日(火) 20:48
首都圏からだとこの時期の絶好のツーリング、ドライブコースですね。多くの車やバイクが出ていました。道の駅も多くが満車でした。
これは中央本線塩山駅からすぐのところにある高野家住宅(甘草屋敷)です。甘草とはカンゾウという薬草の一種で、この邸宅では栽培し幕府に上納していたとのこと。また二階では養蚕も行われていたということで、相当な豪邸でした。この二階部分の形は下小田原上条集落など、近隣の養蚕農家でも多く見られました。

孫右衛門 9月25日(火) 20:56
埼玉県小鹿野。今回では数少ない商家系の町並で、表通りだけだとまあこんなものか程度でしたが、何本かの横路地で見直しました。路地が見応えあるというのは、それだけ表通りに母屋を構える商家もしっかりしたものといえるでしょう。

孫右衛門 9月25日(火) 21:06
群馬県南牧村砥沢の町並です。先行して訪ねられた方々の写真を見ると木製バルコニーの連なる家並をトップ画像に掲げられていますが、今ではこのような状況でした。
私が町並として良いと感じた風景もここではありませんでした。
この上流側に上砥沢地区があり、規模的には比較的ボリュームがありますので、私としては見応えのある町並とは感じました。

孫右衛門 9月25日(火) 21:21
最後に諏訪地方を訪ねました。上諏訪は、古くは中山道と甲州街道の合流点で温泉地でもある下諏訪に比べると少々地味なイメージですが、この洋風建築・看板建築群はもっと知られてよいと思いました。

孫右衛門 9月25日(火) 21:39
再訪の町並から一つ。旧中山道茂田井間宿です。ここはやはり信濃路では一番の町並ですね。間宿だけに道幅が狭いのも良い。

孫右衛門 9月25日(火) 21:42
1泊目の民宿です。外観上は全く普通の民家と変りません。しかし中に入ると客室が4部屋ほどあり、浴室も別棟にあるそれなりの宿でした。もっとも交代制ということでしたので谷間にある共同温泉に入ってから向かいましたが。

孫右衛門 9月25日(火) 21:47
2日目の旧望月宿の「井出野屋旅館」です。木造三階建で築100年になるということで、もとは料理屋として営業されていたとのことです。サイトのどこかで紹介する機会を持ちたいと思います。
こちらも料理はこの地域名産の鯉料理をはじめ満足でした。1泊目の民宿もそうでしたが、一人客にも気兼ねなく泊まれるような気遣いを感じました。良い宿泊先の選択でした。
p1135141-ipngn200708niho.hiroshima.ocn.ne.jp
1813: 現役の茅葺き屋根 Kさん 9月12日(水) 09:23
七ちょめさん、最近はもう関心が薄れられたのかも知れませんが、昨日、枚方市で現役の茅葺き屋根の家を見つけました。丁寧に手入れして住んでおられるようです。

場所は杉1丁目。307号線を第二京阪道路との交差点から東へすぐの高台にあります。車が止めにくいですが、交差点のところにあるファミリーマートかコメダ珈琲に止められます。


私のこの家のスケッチはパスして、隣りにある大和棟(トタンカバー)を描きました。


七ちょめ 9月12日(水) 14:47
Kさん 有難うございます。折角お知らせ願ったのに申し訳ないですが、茅葺屋根を遣っていた当時(約10年程前に)訪ねていて掲載しています。
大阪の茅葺屋根で掲載はしていますが、保存している筈の画像を探しても簡単に見つけられませんでした。
町並は完全と言っ良い程、神経を使って保存しますが、それ以外は当時いい加減な保存で、簡単に探せ出せないので、掲載している画像しかありません。

でも不思議に、この杉集落のこのお宅は、今でも地図を見ないでも訪ねられるほど、印象に残っています。このお宅は2回訪ねて2回とも写真は撮った覚えがあるのでですが、画像を見つけられませんでした。

私が初回訪ねたのは、Kさんが穂谷に初めて行かれた直後に、私も追っかけをした時に、見つけた杉集落の茅葺家屋です。その時は穂谷の造り酒屋さんも健在でしたね。2回目訪ねた時も何とか何とか‥‥残っていましたが、3回目では酒蔵は無くなり、山の上の母屋だけになっていました。
穂谷も町並に掲載していないので、探せど穂谷集落の画像が見つかりません。

Kさん 9月12日(水) 18:16
残念でした。確かに掲載されていますね。「大阪府」を途中までチェックし、長尾が出てきたので、ああ載っていないなと判断してしまいました。

少し涼しくなってきたので、昨日は久しぶりに八幡市橋本へ行ったのですが、町の荒廃がひどく、空き地ばっかりになっていました。その上、先日の台風かその前の地震の影響か知りませんが、あちらこちらにブルーシートが目だち、スケッチなんかできない雰囲気でした。そのため、急遽、枚方市杉へ回った次第です。


穂谷へ行こうかとも思ったのですが、こちらも酒蔵がなくなり、本宅の茅葺きの前にプレハブ住宅が建つなど、アップで描けるスケッチポイントが減りました。

七ちょめ 9月12日(水) 20:01
橋本の町並が無くなっていきそうですか。
通常の町並なら名家があって頑張って居られると、それだけでも町並と思えるのですがね。
穂谷の造り酒屋の母屋の前にプレハブが、折角の茅葺屋根が台無しですね。
穂谷も昔の集落が孤立したような状態ですので、その内に近隣の開発に飲み込まれてしまうでしょうね。

Kさん 9月12日(水) 20:24
穂谷の造り酒屋だった大和棟のお宅は、長屋門辺りを取り壊してプレハブの住宅が建っています。恐らく若夫婦の住まいでしょう。穂谷は何となく佇まいが面白い集落ですが、特に何かの保護や規制があるわけではないので、過疎だったり開発だったりして、自然に変化していくと思います。

絵は大和棟のお宅を高い所から眺めたものです。

孫右衛門 9月12日(水) 20:32
八幡市橋本の町並が失われつつあるのですか。こういうところはなかなか保存という意識も生まれず、なくなっていく運命にあるのでしょうね。しかし私がこの前入手した「遊郭に泊る」という本では、橋本の多津美旅館が現役旅館として紹介されています。私ももし機会があればと思っていたのですが。
この写真は2005年に撮影したものです。

Kさん 9月13日(木) 07:13
孫さん、橋本はずいぶん荒廃していました。昔の遊郭と思われる建物はほとんどが空家と思われ、その建物が空き地の中にぽつんぽつんと建っている、というのが現状です。6年ぶりに橋本へ行ったのですが、その時と比べても荒廃がうんと進んでいました。旧京街道のメーンストリートでは、座っているだけで気分が落ち込み、絵を描く気分にはなれませんでした。

そのため川の土手へ上がり、孫さんの写真の、橋の手前にある家を描きましたが、それも多分空家。その手前の「多津美旅館」の看板は見えましたが、宿をやっているかどうかは知りません(洗濯物は干してあったような記憶です)。ただ橋のたもとの家と多津美旅館の間は2軒分が空き地で草っ原でした。

この絵はまだ遊郭の雰囲気が色濃く残っていた94年8月に描いたものです。駅を降りたところにあるこの3軒のうち右端の1軒だけは残っています(皆さんが写真を掲載されていますね)が、2階の窓はすべて破れ、荒れ放題でした。

Kさん 9月13日(木) 07:26
窓が破れ荒れ放題なのはこの家です。私は写真を撮っていませんので、万訪さんのサイトから借用しました。

孫右衛門 9月13日(木) 23:21
この建物、登録有形文化財には十分の逸材と思いますが、やはり歴史性からいって地元の認識度が低いのでしょうか。残念なことです。
p1135141-ipngn200708niho.hiroshima.ocn.ne.jp


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