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京都の重文民家を訪ねて
urano
3月29日(日) 11:04
ご無沙汰しております。
なかなか投稿できずにすみません。
もうひと月以上前のことになりますが、2月某日に京都出張があり、仕事の前後に重文民家を見てきたのでご報告いたします。
ちょうど、中国人観光客が途絶えて、「京都から人が消えた!」と話題になっていたさなかのことでしたが、私にとっては6年半ぶりの京都市中であり、「もともと2月は閑散期で、この程度の人出だったような」という感想を抱きました。
(2月の京都は2004年以来、16年ぶり)
写真は七条通りです。
最初の目的地、重要文化財「角屋」に向かうバスの車窓で町並みに気づき、下車しました。
いらかぐみの皆さんにとってはおなじみの場所かもしれませんが、初めて目撃し、連続性に驚きました。
urano
3月29日(日) 11:04
角屋です。文化財のカテゴリーでは「民家」です。
残念ながら冬季休館中で外観見学のみ。
島原遊郭は初探訪でした。意外と古い建物が残っていましたが、空き地も見られ、10年前とは風景が変わっているのだろうな、と思いました。
urano
3月29日(日) 11:05
重文・冷泉家住宅。貴重な公家住宅です。
毎年秋に土間部分のみ公開されます。
一度見てみたいものです。
urano
3月29日(日) 11:07
重文・裏千家住宅。こちらは完全非公開のようです。
インターネット情報によると、裏千家に入門すれば見せてもらえるようですが……。
urano
3月29日(日) 11:07
重文・二条陣屋。なんと水曜定休で見学できず。
結局、今回の探訪では、すべて外観見学となりました。
庭の手入れをされているご様子でした。
urano
3月29日(日) 11:08
おなじみの膏薬辻子です。
重文・杉本家住宅に向かう途中で歩いたのですが、西側が空き地になっていてびっくり!
urano
3月29日(日) 11:09
6年半前の膏薬辻子です。
メディアに盛んに登場する路地でさえここまで変わるのですから、ほかの町角の変貌ぶりは推して知るべしと感じました。
urano
3月29日(日) 11:10
連投すみません、これで最後です。
西陣の紋屋図子です。
西陣界隈は、かつて上七軒を歩いたのみで、それ以外の道は今回初散策となりました。
この一角を除いて、連続性はあまり高くないと感じました。
10年前に歩いておきたかったですね。
孫右衛門
3月29日(日) 21:31
学生時代過ごした京都には3年前に訪ねたのが最後です。現状を少し知ることができました。ありがとうございます。
6枚目は膏薬辻子の四条から下って左側でしょうか、ここにはビルでも建つのでしょうか。昔、いらかぐみでこの小路を歩いたことがあるのです。四条通からすぐのところに京町家を思わせる家々が連なるのは代えがたいものがあったはずなのに、京都でもこのような変化が起きているのですね。
この紋屋図子近くにある町家を改装したゲストハウス的な宿に前回泊りました。西陣地区は学生時代住んでいたエリアで懐かしさは感じましたが、確かに町並の連続性はそれほどではないですね。表向きは変わっていないように見えても、中身はかなり変わってしまっているのを感じました。
Yasuko
3月29日(日) 23:54
京都の写真、うらやましく拝見いたしました。春になったら桜が綺麗だろうなと行きたかったのです。今は自粛ムードで何処に出かけるのも憚られるような、雰囲気ですね。旅行好きにとっては忍耐の時期ですよね。
孫右衛門さん山陰の旅いかがでしたか、ご報告楽しみにしております。
Kさん
3月30日(月) 07:08
私の膏薬辻子でのスケッチは2011年7月ですが、この時でも一部は空き地になっていました。この絵は四条通を背に、南向きに描いていますが、西側は空き地になっていますね。その後ホテルが建ったと思いますが、さらに広い範囲の家も取り壊されたのですね。
辰巳屋
3月30日(月) 13:45
お久しぶりですuranoさん。
京都は、毎年冬に1週間位は行くのですが、今年は新型コロナで自粛しています。
膏薬辻子は、いつも泊まるホテルの直ぐ近くにあり、京都を代表する辻子で、京都らしさを感じる場所です。
画像は、2019年1月の景色で、「おや」と思ったところでした。工事用の柵が設けられていたので、てっきりホテルが建つのかと思っていました。今は、一応板塀のような物が作られているのですね。
urano
3月31日(火) 21:40
膏薬辻子の写真は、四条通りから下がって、右・左とクランクを折れた先の右側(西側)です。(写真は南から北に向けて撮影)。かなりの範囲が更地になっていて驚きました。
辰巳屋さんの写真は、解体直後といった雰囲気ですね。解体はほんの半年くらい前のことだったのかもしれません。今後の建設計画などの表示はなかったように思います。
西陣はところどころに豪壮な京町屋が見られましたが、思いのほか連続していなかったですね。もっと早くに歩いておくべきでした。
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