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砂浜の穴掘り 金子一朗 2012/ 4月22日(日) 11:51
 先日、教育関係者と教育学について議論した。教育学では、教育ということについて様々な定義をし、さまざまな価値観を普遍化して統合し、あるべき理想的な形をマクロ的な視野で追求している。その一方で、教育の現場では、個々の生徒との関わりが中心であるから、ミクロ的な視野で対応することが多い。現在の日本で抱えている教育上の長所、短所についてさまざまな視点で考えることができてとても有益であった。しかし、若い頃に受ける教育の内容は、ほとんどの場合において、すでに発見、流布されて時間がかなり経過したものである。たとえば、中学の数学で勉強する図形の諸性質は2000年以上前から用いられてきたものである。一方で、昨今の学校教育では情報という教科があり、そこではパソコンの使い方から各分野への応用、道徳的な理念に到るまで幅広く学習することが義務づけられているが、これは少なくとも今の社会人のほとんどの人たちの学生時代にはなかったものであり、この分野は常に変容している。一部の人たちには、前者は不要で、後者が必要であるという考え方があるが、歴史を紐解けば、その考え方は正しくない。それは、不易流行という言葉に集約されている。どの時代にも古いものと新しいものが存在しており、現代に限ったことではない。その中で、先人は不易流行という言葉で新しいことだけを追求することの危うさと古いことだけに凝り固まる危うさの両方を戒めている。新旧と分野を問わず、幅広い分野を勉強することは、特に若い頃には極めて重要である。
 たとえば、砂浜で穴掘りをする。より深い穴を掘るには周りを掘らないと埋まってしまう。教科の勉強も全く同じで、ある限られた教科だけを勉強してもあるレベルまでしか到達しない。
 芸術活動についても全く同じで、ある限られた作曲家、またはある限られた作品だけを勉強してもあるレベルまでしか到達しない。また、演奏をするのに、音楽という芸術分野だけしか触れていないのは同じ理由で限界がある。
 これに限らず、他にも日本と他国の教育システムの比較など、多くの有益な議論があり、とても勉強になった。職場でも演奏でも、こういったことをフィードバックしてみたいと思う。

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