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1855: 天草の報告 辰巳屋 1月24日(木) 16:36
正月明けに、天草を訪問しましたが、天草の報告2です。
牛深と本渡の遊郭街跡を訪問しました。
牛深には、巨大な遊郭建築が残っていました。2軒あったと記憶していたのですが、1軒でした。牛深は2度目の訪問でしたが、前回失念していました。

辰巳屋 1月24日(木) 16:38
本渡の小松原・大浜地区には、大きな旅館がありました。既に旅館としてはやっていない。料理屋か遊郭かは不明です。この通りのシンボル的な大きな旅館建築です。この付近には、他にも旅館・割烹など多く残っています。

辰巳屋 1月24日(木) 16:39
画像は、河浦の街並みです。あまり知られていないようですが、街並みに加えても良いレベルと思います。崎津と同じ町です。

辰巳屋 1月24日(木) 16:41
話は随分と変わりますが、私は、こんな大人の遊びをしています。これは、「とんど」という正月明けのお祭りです。先週の土曜日に組み立て、今週の土曜日に焼き、残り火で、餅を焼き、1年の無病息災をお祈りします。これを作成するのも、1日がかりですが、いずれも高齢者ばかりです。

孫右衛門 1月24日(木) 23:35
天草諸島は15年くらい前に一度訪ねたままになっています。牛深に町並があることは訪ねた直後に知ることになり悔しい思いをしたことを覚えています。牛深だけではなく、他にある程度まとまった吸引力がないと、おいそれとは訪ねられない地方ですので、再訪は叶っていません。
ご親戚のいらっしゃる辰巳屋さんが羨ましく思います。
とんどは懐かしいですね。小学校でも毎年やっていましたが家から持ってきた鏡餅を焼いて黒焦げになったものを食べたりしていました。
私のところもとんどと云いますが、どんど焼き、どんと焼きという地方もあるようで、これも面白いものです。

七ちょめ 1月25日(金) 09:11
私が天草を訪ねたのは、天草市の牛深・崎津そして苓北町富岡だけですが、町並も印象も深いので不思議に今でも思い出せますが、それよりも一番の印象は「行きはよいよい、帰りは怖い」でした。
最後は苓北町富岡から、泊る予定の日田市まで、レンタカーで走るのですが天草に自動車道がある訳で無し、予定していた時間より大幅に遅れて日田市のホテルに入りました。
それに凝りに、それ以後はルート検索をして、時間を正確に割りだしてから走るようになりました。2012.3月のことでした。
これも懐かしい思い出です。

万訪 1月25日(金) 12:29
天草の町並み情報ありがとうございます。探せばまだまだありますね。私は、昨年のトカラ列島前半に台風による代替案で、天草の中の離島を巡りました。本渡は中心部を隈なく歩き、大火のあったエリアと免れたエリアの差を観察しました。牛深は今回通り過ぎて、大橋の先の下須島を歩きましたが、なかなか良かったです。御所浦島、横浦島、獅子島(鹿児島県)、通詞島は今ひとつでしたね。画像は下須島の密集系漁村集落です。
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