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1724: 花巻市の散居村 七ちょめ 9月11日(月) 19:44
今、岩手県の鉛温泉の藤三旅館で寛いでいます。
近くの花巻市の散居村の遠景です。
中々良い散居村でした。

万訪 9月11日(月) 23:21
七ちょめさん、東北ですね。飛行機ですか、新幹線ですか。

七ちょめ 9月12日(火) 06:38
東北地方の北3県を訪ねています。
飛行機で伊丹から秋田へ飛んで、レンタカーで岩手県の花巻市へやってきました。


七ちょめ 9月12日(火) 20:47
今日の宿泊は八戸市の新むつ旅館です。旧遊郭です。

万訪 9月13日(水) 06:28
秋田経由で入られたのですね。
八戸の新むつ旅館の写真いい感じ。ストリートビューだとこの家だけポツンと離れてある。私も旧遊郭歩いたつもりでしたが、見事に見落としています。

七ちょめ 9月13日(水) 21:43
今晩は秋田県のしょう峰苑に泊まっています。
この宿1番の売りの杉の廊下です。
一人宿泊の親戚の方と親しくなり、女将や御主人を交えて、随分話しができたのが1番のご馳走でした。
写真はこの旅館で1番売りにして居る杉の16メールの廊下です。

孫右衛門 9月13日(水) 21:57
東北地方の旅館行脚ですね。このような旅は、わたしも実はあこがれます。別ルートで入るネット情報によると八戸の新むつ旅館は、そのジャンルの愛好家の方には垂涎の旅館のようです。
同宿の方との語らいというのも旅館でないと出来ないことですね。ホテルは万事手軽ですが、こういうところが旅館に泊る醍醐味でしょうね。

今週は今日まで鳥取県に出張でしたが、1泊2食付6000円の旅館に泊りました。まあビジネス旅館ですが、ホテルに泊って外食やスーパー等で調達することを考えれば十分ですね。料理も観光旅館並とはいかないまでも、十分満足でした。


七ちょめ 9月14日(木) 07:09
昨夜は飲みすぎました。今は16代目ですが、14代目のときの分家の方が別の用事で泊まっておられ、私そんなこと知らないのでこの家のことを話していたら、食事の時隣になり、どうも他のお客さんと様子が違うのです。結局、女将も交えて6時半から始まった食事が終わったの10時頃でした。飲みすぎました。写真は食事会場の大広間です。この中央の柱が取り外せるようですが、近年は滅多に外さないようです。


9月14日(木) 19:20
楽しい旅となっているようですね。
そうそう、柱が取れる、このような事例は私も初めて見ました。


七ちょめ 9月14日(木) 19:43
樅峰苑のこの中央の柱を外したのは平成13年が最後だったようです。
それもNHKの取材で実際に外してほしいと頼まれて、外すには外したが、こんどは元に戻すのが大変で、建てた棟梁の孫にあたる方を連れてきて、苦労して設置したそうです。
もう2度と外さないと仰っていました。
柱を外す遣り方も聞きましたが、もう一つ理解できませんでしたが、大屋根から鉄棒で吊り下げ、その鉄棒にネジが切ってあって、それでその柱にかかっている鴨居を少し釣り上げて置いて、下の柱を外すそうです。
女将からは洪水時の水難の話を多く聞きました。
樅峰苑(しょうほうえん) 樅と云う文字が出てこないので、旅行中はひらがなで書きましたが、名前の由来を聞いて成るほどと思いました。大仙市の天然記念物に指定されている庭の「モミ」の樹に因んでいるそうです。苦労して文字を書いていましたが、樹の「モミ」と入れると簡単です。
やっぱり自宅のパソコンからの投稿の方が楽ですね。


七ちょめ 9月15日(金) 07:01
この建物が旅館「樅峰苑」と云う旅館ですのでびっくりですね。
今年の豪雨時にも避難指示がでて、全員避難したそうです。

泊った旅館は、鉛温泉の藤三旅館・八戸市の新むつ旅館・大仙市強首温泉の樅峰荘の三つ。訪ねた町並は岩手県は花巻市の散居村・遠野市上宮守・軽米町・花巻市大迫町大迫の4ヶ所、青森県は三戸町同心町(以前訪ねた所の隣)・八戸市・黒石市温湯温泉・平川市金屋・平川市尾上栄松の5ヶ所、秋田県は大仙市刈和野・潟上市飯田川飯塚・秋田市新屋表町の3ヶ所で、合計12ヶ所の町並でした。
皆様のホームページの情報もあるし、自分で探したところもありました。
旅館を午前9時出発、そして旅館着は4時過ぎの到着を大体守りました。

万訪 9月15日(金) 10:16
この地域は河川氾濫を何度も経験しるようですね。すぐ裏に雄物川の堤防が築かれていますが、割と最近と聞いてびっくりしました。でも、この家は土台を高く作ってあるので、浸水リスクは少ないと聞きました。


七ちょめ 9月15日(金) 10:51
いやいや、この家の浸水リスクは相当高いです。
女将から随分と浸水について聞きました。今年も強制的に全員避難したそうです。
でもこの強首地区は水害から守る「輪中」が平成14年に完成したので、その堤防に守られて、今年の豪雨でも大丈夫だったようで、輪中から外れている地域は大きな水害があったようです。この強首地区も周りが水害に逢うと孤立しますので、ヘリポートも完備していて救難や物資補給ができるようになっているそうです。
昭和22年のキャサリン台風時には1.5mも水が家に入ったそうです。それから「輪中」が計画されていたが、昭和63年には水が庭まで来たそうです。そして平成14年にやっと完成(輪中堤防が)したと女将の話でした。
でも、すぐ裏に雄物川の堤防がありひやひやものでしょうね。

粟津温泉の「法師」の女将の話を今年のオフ会でするのを忘れましたが、この樅峰苑の女将の話もいろいろと聞きました。もう一人の宿泊客が、先々代の分家の子孫の方だったので、余計いろいろ話されたのでしょうね。



七ちょめ 9月15日(金) 16:21
写真は八戸市の「新むつ旅館」の入ったところの広い所です。
意匠と云えるか、複雑な階段が意匠として備わっていました。この写真を撮ったのも昼間で、天窓からの明かりもありました。

万訪 9月15日(金) 17:48
この地域は河川氾濫を何度も経験しるようですね。すぐ裏に雄物川の堤防が築かれていますが、割と最近と聞いてびっくりしました。でも、この家は土台を高く作ってあるので、浸水リスクは少ないと聞きました。

万訪 9月15日(金) 19:20
間違えて2度アップしてしまった。
あれれ、女将さん言ってることが違うなぁ。。^_^


七ちょめ 9月15日(金) 20:02
樅峰荘の女将さんの言っていることも本当だと思います。
兎に角、洪水被害は昔から受けている地域ですので、いろんな方法で被害を食い止める工夫をされているようです。土台を高くしているのも事実でしょう。
今の建物は大正6年に、12代目当主によって建てられたものです。
一番気を使ったのは、大正3年に起きた強首地震で、集落の大部分が壊れてしまったので、再建築時には一番地震対策に力を入れたそうです。そのためにお抱え棟梁を1年間京都に派遣して社寺仏閣の建築を学ばせてから、自分所有の山から木材を切り出したそうです。床柱だけは特別硬い「鉄刀木」(たがやさん)という樹を東京から取り寄せて使ったそうです。でもこの「鉄刀木」は外国産だそうです。
当時日本には無いのか流通してなかったそうです。この鉄刀木は床柱と床の前に使われています。当時のお金でこの鉄刀木だけで、家が一軒建てられたそうです。一般的な床の前木の紫檀を少し茶色くしたような柱でした。
16代目の今の当主も女将も、「樅峰荘」の売りは広間前の16mもある杉の廊下とおっしゃっていました。

只、「樅峰荘」という名前は昭和41年創業時に、先代の主人が亡くなり女将がこの家を「ヘルスセンター」として営業した時から付けた名前だそうです。
強首温泉自体は石油を掘り出す積りの掘削で、石油が出ないで温泉が少し出たそうで、それが昭和36年〜37年頃だそうです。引き湯してヘルスセンターを経営していたそうです。
当時16代目のご主人は東京でホテルマンをされていて、その時に結婚されたので、旅館の女将になるとは夢にも思わなかったそうです。

今の温泉を掘り当てたのは9年前(平成20年頃)だそうです。多分温泉の脈がありそうだから、掘ってみたらとの進言で掘ったらしいです。そしたらよい湯が出たそうです。
海の水のようにショッパかったですが、温泉としては温泉と思えるお湯でした。
湧き出す量も多く、じゃんじゃんと流されっ放しの温泉にはビックリです。
女将にもっと温泉のことを宣伝しなくてはと「はっぱ」をかけておきました。
でも、分析の成分的には余りよくないと仰っていましたが、どうだかわかりません。


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