下街道沿いの街並み
辰巳屋 8月18日(金) 16:15

九州は、今の季節では珍しいのか、毎日、雨になっています。
如何おすごしでしょうか。

葛城市と御所市の間に「新町」と「薑(はじかみ)」という集落があります。住所は葛城市です。いずれも町の中央を下街道が通り、街道集落が残っています。
画像は、薑(はじかみ)です。

辰巳屋 8月18日(金) 16:16
広陵町箸尾は、教行寺があり、箸尾御坊として知られ、周辺は下街道となり、教行寺の門前町としての役割を担っています。

画像は、箸尾御坊界隈の街並みです。

辰巳屋 8月18日(金) 16:19
下街道とは離れますが、上牧町上牧に「五軒屋」という場所があります。上牧町役場から南東へ約1km、葛城台の西、南は広陵町真美ヶ丘になります。葛城台から続く丘陵地の西崖にあたり、その丘陵の斜面に五軒屋の街並みがあります。(奈良交通バス葛城台バス停より約0.3km)

画像は、五軒屋の集落です。

わずか300m〜500m程度でしょうか。しかしこの斜面には、ふるさとの忘れがたい景観があるように思います。五軒屋集落の古い街並みとして奈良県景観資産に選定されています。


辰巳屋 8月23日(水) 17:16
毎日毎日暑いです。
初めての街並みを紹介するとそれに対する意見投稿はどうしても少なくなる傾向にあるようです。
私は、公共団体のホームページをよく見るのですが、河合町のホームページに興味ある紹介がありましたので、投稿します。

近鉄田原本線池部駅のそばに河合町役場がありますが、役場も由緒ある場所のようです。どうも普通の役場とはちがうようです。
画像は、役場の庭園です。

以下は、役場庭園の説明です。
河合町役場の庭園は、大正末年、大和鉄道建設の森本千吉氏が、馬見丘陵の大自然を取り入れ、広大な邸宅と庭園を構築されました。そして「豆山荘」と名づけられたことに始まります。
森本氏が逝去された後は、財界の第一人者、新庄町(現葛城市)出身の吉川京松氏が譲り受け、豆山荘の維持保存に努められました。
吉川氏は河合村役場を豆山荘に移転したいという当時村長の木下氏からの要望に応え、昭和23年、豆山荘を河合村に譲られました。
その後、河合町発足とともにここに庁舎を新築し、現在に至ります。馬見丘陵の自然を生かして造られているため、ここに繁茂する樹木のほとんどは馬見丘陵に自生する自然木です。
由緒あるこの庭園を憩いの空間として、ぜひ足を運んでください。庭園は近鉄池部駅すぐの役場入口左にあり、役場休業日も自由に散策することができます。

辰巳屋 8月23日(水) 17:18
近鉄田原本線池部駅のすぐ北東に「池部」集落があります。蔵で囲まれた小さな集落ですが、その濃い景観は必見です。
画像は、池部集落です。

辰巳屋 8月23日(水) 17:22
河合町のホームぺージに川合市場の街並みが紹介されています。

川合市場は大和と河内を結ぶ大動脈である大和川水運の発達によって古くから栄えた集落で、江戸時代には魚梁船(やなぶね)を使った舟運による荷揚げ場や舟問屋もここにあり「川合浜」とも呼ばれていたのです。
画像は、古い街並みが残る川合市場の街並みです。

「川合市場」と前回投稿した「箸尾」は、太泉さんも街並みとして紹介しています。


Yasuko 8月23日(水) 21:12
何時も拝見しております。町並みにいきたいなあ、と思いながら画像を楽しんでおります。投稿ありがとうございます。今の状況を脱したら旅行に行きたいです。

辰巳屋 8月24日(木) 08:59
お久しぶりです。
いつも掲示板を見て頂きありがとうございます。
時々、励ましの声を聞くと嬉しくなります。

見て頂くだけでも、情報発信にはなると思っています。
投稿した街並みを訪れてみようと思う人が少しでも増えていけば喜びです。

太泉八雲 9月 1日(金) 07:47
奈良は奥深いですね。「池部」はぜひ行ってみたいです。
下街道は結構自転車で行き来した道で、街道沿いには多くの町並みが残されています。
この道もいつかは動画にしたいと思っていました。

辰巳屋 9月 2日(土) 08:53
奈良の街並みは奥深いものがあるようです。

この度困ったことは、主要道路は、ある程度、道路幅はありますが、それを外れると狭い道路になる場合が多いようです。入ることも難しい道路や入っても駐車場がなく、断念した場所もあります。
今度、訪問する時は、電車で行こうかと思っています。自転車も良いいですね。
街並みで何か良い情報があれば、お知らせください。



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