2008年6月29日 (Sun)

煌いて



 紫陽花が木漏れ日に優しく輝いている。
頭にあっても思うように撮れないお花の代表でもある。
「前ぼけに葉の緑を入れて、後ろぼけには紫の花を入れて
ピンクの花を浮き上がらせて・・・」なんて言いながら、
お仲間に「発想だけは素晴らしい!」なんて言われて・・・

悔しいかな!難しいです。

そんな中、お仲間の一人が、
メモリーカードを先生のカメラにセットすれば、
自分のものになるというアイデアに私も便乗。
(公表できないのが残念ですが、素晴らしいです)

さっそく家に帰るなり、見るやこの違いは何だ!という有様。
殆ど設定方は同じなのに・・・・・(ブツブツ)

一枚の作品が一際輝いている。
まるで偽もののジュエリーのなかで、これだけが本物的な存在感。

「一万円の価値のあるものをそれ以上価値のあるものに魅せるのが
作品であるという」同じ花でも、撮る人違えば、
「あぁ~~紫陽花ね!」にもなれば、いつも胸に飾っておきたい
ジュエリーにもなる。

さてこの夏!心のジュエリーを
「お買い上げ~~~~」
できるのでしょうか。


2008-06-29 08:28 in カテゴリー1 | Comments (2) #

2008年6月26日 (Thu)

西の魔女が死んだ



 映画「西の魔女が死んだ」を鑑賞する。
中学生になってすぐに主人公まいは学校の友達関係に悩み
学校に行かない日が続く。
父親は単身赴任、母親はキャリアウーマン。
母は田舎に一人で暮らすおばあちゃんのお宅でしばらく
預かってもらおうと思った。

自然の中で、彼女は何事も自分で決めると言う課題を出される。
それは何も難しいことではなくて、早寝早起き、他人に対して
妬みや恨みを持たないと言うことを覚えていくこと。

あるときは厳しく、あるときは、心から愛情を込めて・・・・。
野いちごを摘んで、料理をつくり、裏山に花を咲かせる。
余りににも純粋だからこそ、悩み傷つく。
親は生きる為に一生懸命で、現実から避けて通ろうとする。
そんな時に、おばちゃんやおじいちゃんの存在って
太陽みたいなのだろう。

「私が死んだらその後はどうなるの?」と父親に聞いたら、
「何も変わらないよ。みんな又昨日と同じ生活をしているよ!」と
言われ傷つく彼女。

おばあちゃんは、抱きしめてくれて
「そんなことはないよ!きっと身体と魂が別れ別れになるだけだよと。」

陽だまりのような誰かが居れば、きっと強く生きられる。
忘れ名草に似た胡瓜草がそう語るかのように咲いている。まるでおばちゃんの魂のように。

2008-06-26 17:53 in カテゴリー1 | Comments (2) #

2008年6月25日 (Wed)

思いやる心



 同じお仲間でも気の合う方もいれば、苦手の方もいる。
特に自己中心的な方はご一緒しても楽しくないので、
次第に遠のいてしまうのは世の常。
 植物園で偶然会うなり
「何よぉ~~未だ早いって行ったけど調度見ごろじゃないの!」と
言われて、
誰も嘘を言っているわけではなく、気候のせいで開花が早まった
だけなのにと好い気持ちにはなれない。
あそこを紹介したのは私と口癖、たまたま何かで、そんな話題に
なると、とうの相手は世話になった覚えはないとの返答。
一人よがり「あぁ~~気をつけねば!」と反省する。

何か失敗をして、それをかばって下さった行為などは
さすが忘れられるものではないようで、
人間なんていざ事が起これば、その正体や丸見え。

デパートの展覧会場で、百合の花の作品にであった。
ふと見て何だか変?と思い、よく見れば蕊の花粉がなくてのっぺらぼう。
よく切花では花粉がつかないようにと、最初から取り除いて売って
いるのだが、自然の中で咲く百合の花はあの蕊を一目見れば、
咲き具合が解る、いわば花の命のような存在なのだ。

綺麗なら好いだろう!
そうだろうか?
思いやりにも色々あろう。

人生納得のいかない事も起ろう。何故ですかと聞けば、
君なら出来る頑張れ!の意味だよ・・・なんて言われて発奮して。

思いやりの心様々なれども、
いつも答えは一つなんだよね!

2008-06-25 22:58 in カテゴリー1 | Comments (2) #

2008年6月24日 (Tue)

恋人へ



 「風景写真7-8号」が店頭に並んだ。
車に乗り込むや表紙を捲る。
創刊20周年記念とうって『20年を彩った100人』の写真とコメントに
お楽しみは後回しにとエンジンをかける。

コーヒーをお供に写真集を捲る時の流れ!これが最高。

★待っていて、いい条件になることは
 私の経験からいっても非常に少ないのです。
 それよりも、まず積極的に突きすすんで、
 風景を求めていくことの方が、いいと思っています。
              前田真三氏

★写したい時、写したい物、
 写すべき被写体は自然に
 対象物が教えてくれるから、
 気負わずに待っている。
 そんなことがあるものか
 と思う人は、ただの人。
              吉野信氏

★人を驚かすような傑作を撮ろう
 などという欲を捨てた時、ほんとうの
 自然の美しさが見えてくるということに
 気付いたのもこの時である。
              児島昭雄氏

★天候を見ていると
 明日どこへいったらいいのか、
 肌で感じるようになった。
 自然と付き合い始めて
 三十年を越えて最近(九二年当時)
 少しは自然と語れるようになった。
              高橋毅氏

★「撮らされる」のではなく「撮る」のだ。
 自己主張するのであり、
 表現するのである。だから、
 被写体をしっかり見ようとする。観察が始まる。
              丹地敏明氏

 これぐらいに致しましょう。
限がございませんので。
2008-06-24 17:26 in カテゴリー1 | Comments (6) #

2008年6月22日 (Sun)

梅雨の花



 潮来の花嫁さんを撮影したいと言う仲間に同伴させて頂いた。
イベント会場に早々着いてしまい、
時間まで、近くの水郷佐原水生植物園へ行こうと話は纏まる。

入園するや一面に咲きそろった花菖蒲に息を呑む。
通りすがりの方が、先週来たときは未だ咲いていなかったから、
今日は一番見ごろとのこと。始めてきた潮来とイベントに
シャッターを押す音を心で聴く。

農民は畦に咲くあやめの花を見て、田植えの時期を知ったという。
そして花菖蒲は武士の花とも言われ、花言葉も「優雅」とある。
どのような環境の中でも一際凛と咲く花菖蒲は、
何処か雅な後姿を想い浮かべてしまう。

TVで某俳優さんが、ハリウットで日本人しか演じられないことは、
後姿や、文章の・・・・の間だという。

曇り日のこんな日に花菖蒲をこうして眺めることのありがたさ。

写真は晴れなきゃ~と言うけれど、
最近想う。晴れれば好いが、曇りなら有りがたい。
そして雨ならば、最高だと思う。
なぜなら霧も靄も霞もみんな見方してくれるのだから。
梅雨の季節には何故に梅雨の似合う花がさく。
これぞ自然界の神秘とでも言えばよいのであろうか?!

2008-06-22 08:15 in カテゴリー1 | Comments (4) #

2008年6月20日 (Fri)

心の夏つばき



 その日はしとしとと雨が降っていた。
白い清楚な花に思わず車を止めるや、傘もささずに飛び出した。
まるで無心なまま、ただ好き!それだけ・・・

他人のために祈りましょう

 考えれば恥ずかしいことばかり
やっている自分が、
偉そうに他の人のために祈れるかと、
自分で自分を卑下したくもなりますが、
もっともっと素直に、
ただあなたの身近な人で
困っている人のために祈りましょう。
より良く生きるということは、
より良く愛することです。
人を愛することは、自分が幸せになること。
愛情のある人は
相手のために尽くせる人のことです。

(ダスキン・喜びのタネまき新聞より/鈴木清一氏)

2008-06-20 18:22 in カテゴリー1 | Comments (4) #

2008年6月19日 (Thu)

アクセルを踏んで



 ここ数年赤城山々頂のレンゲツツジに会いにいくのが恒例となりつつ
ある。
曇り空に時々薄日もさす今日のお天気に観光客の方が次々に訪れる。
ここ白樺牧場は牛が放牧されている中でツツジが
競うように咲く。
様々なツツジが咲くのだが、特にこのレンゲツツジの咲きっぷりは
素晴らしい。

レンゲツツジには毒がある為、牛は食べないのだそうだ。

この危機感を忘れてしまったのであろうか

 今、小学生児童に肥満が目立つと言う。
テレビを見ながら、ゲームをしながらの食事に満腹感さえ感じられない
食生活の日々。

誰も「どう美味しい!」とも聞かない。
だって、美味しい!と喜ぶ顔を見たくて作られた食事ではないから。

登るごとに真っ赤なヤマツツジの花が緑の中に美しい。
次第にアクセルを踏み込んで・・・・・

昨年は棘のいっぱいある泥棒避けとでもいうのでであろうか?
その柵に今年は鉄のパイプまで追加されている。
しかもその高さは2メートル余り。
花盛りの素晴らしいレンゲツツジの木が目の前にあっても、
思う様な場所に三脚を立てることもままならない有様。
これほどまでに防御するという事は、それだけマナー違反者が多いと
言うことでもあるのだろう。

子どもの頃には、山とはみんなのもの!と思っていた。
親や先輩から「たらの芽」一つにしても、全部取ってはダメだよ。
来年の為に必ず一つは残すこと。
なんて自然にそうするものだと身をもって覚えたものだ。

上州赤城山と言えば、国定忠治。
「人情の里」の看板に、「人情」も死語化しつつあるなぁ~~~と眺める。
忘れてはならない、自然の恩恵と人情のありがたさを。
又来年とアクセル離して、家路へ。
2008-06-19 22:39 in カテゴリー1 | Comments (2) #

2008年6月18日 (Wed)

一度きりの人生



紫陽花の咲く頃に咲く花がある。
その名はキンシバイ(金糸梅)オトギリソウ科、オトギリソウ属の
半落葉小低木。

花言葉は「悲しみを止める」「秘密」「煌き」

短編小説の中に、
6月も末のこの時期すべり止めの大学に入学するが、
講義を聴いていても面白くなく、漠然と市民プールに通う。
80歳過ぎの老人から泳ぎ方を教えてほしいとお願いされるが、
彼は心臓の病をかかえていた。
聴けば、子どものころに、兄が川で水死したが助けることが
出来なかったので、
人生の最期を迎えたときに後悔を残したくないのだという。

顔を水につけるのさえ怖くて出来なかったのに
まずはゴーグルをつけることで水の恐怖をなくす事から始まって、
やがて目的の20メートルを泳ぎきる。

刺激を受けた青年も有名予備校へ通うことにする。
大学に退学届けを出して新たな挑戦が始まった。

たとえ失敗を繰り返すことになったとしても、後に悔いが残らない
人生を送りたかった。
来年の受験まで半年も残されていないが、何事も始めるのに
遅すぎるということはないのだ。


2008-06-18 19:25 in カテゴリー1 | Comments (2) #

2008年6月16日 (Mon)

光の選択



 ルノアールやモネのファンの方ってかなりのパーセントを占める
のだろうなぁ~~~といつも想う。
19世紀において
今までの具象的な絵画から、まるで光舞う印象派時代の幕開けとなる。
そして今も人気は留まることを知らない。

それを写真に表したらと想うような写真集をネットの方に
教えて頂いた。

光の選択が最優先!
『花撮影の上達』江口慎一氏(写真&文)
確か2005年頃紹介して頂いたように記憶している。いつも手元に置いては楽しくページを
捲ったものだ。
もちろん、最近の写真雑誌などでも大活躍中の先生で、
(株)学習研究所発行のこの本も本屋さんの棚に置いてあります。
この本ではマクロ的な花の写真が殆どですが、
風景もこれまた素敵です。

最近本棚に置きっぱなしになったので、広げて観ています。
何事も基本が大切ならば、
写真は光の選択でしょうか。

初心に戻って、頑張らねば!と想う今日このごろ。

2008-06-16 18:25 in カテゴリー1 | Comments (6) #

2008年6月15日 (Sun)

良薬口に苦し



 ホームのベンチに時折風が吹いて・・・・・
おじいちゃんとお孫さんの会話。
「おじいちゃん!電車来ないねぇ~~~」
「時間にならなきゃきやしねぇ~~~少しは黙って座っていろ」
一駅で乗り換えて、階段を下りながら、
「さて坊主何処に行くかなぁ~~」
「う~ん!小山駅がいい!だってあそこはいろんな電車見られるんだ」
「そうか、解った」・・・・・

講評会場で作品をスライドで眺めながら、
「○○さん!もう永いことやっているのだろう・・・・これは悪い方の
見本かい?」

お互いの思いをオブラートに包むことなく言い合える仲というのは
羨ましいものがある。

それは取りようで、人を生かしもすれば殺しもするが、
受け取る相手がどれだけ相手の方を信頼しているかで、操縦効果は
まるで違うであろう。

菩薩様ではないのだから、時には荒い言葉も出よう。
それでもついて行きたい魅力のある人望こそ
今求められているのであろう。

チドリソウの絡まった花に、
悪くはないけれど(初心者マークつきだから優しく・・・)何だか絡まれているようで、この茎が気になるなぁ~~~と。
自分善がりで華やかになると思ったけど、
「だよね!」
好かった!一輪の花も撮ってあったから。

来月分の批評会用作品5分の一出来上がり~~~と。
2008-06-15 08:02 in カテゴリー1 | Comments (4) #

2008年6月13日 (Fri)

心の灯り



 明日は私にとっては3回目の講評会。
ナンバープレートを先頭に5点の作品を批評してもらうのだが、
一ヶ月に5枚の作品なんて軽いと思っていたが、
最近のペースはと言えばカタツムリ。
子どもの頃から、自然の中で育って、
紅葉の時期!わざわざいろは坂を登ってくる観光客の気持ちが
解らなかった。
透き通る川の流れも当たり前、山女(川魚)が泳いでいるのが当たり前。
川遊びをする傍で「宵待ち草」の黄色い花が咲いている。
摘んでも摘んでも摘みきれないから、摘もうとも思わない。

そしてようやく今になって、
この自然界の美しさを知ることの喜び。
「エコ・エコ」と言って、割り箸をエコ化します!
と言うけれど、
何だか間違ってはいないだろうか?!
山林の荒れかたはここ1年とも言えずでジャングル化されて虚しい。
改善は足元にある。
そして使わないことが必ずしも良いことではないのでは。

写真集の一部に、
「経験不足も感覚も、人と同じ努力では人を追い越すことは
むずかしい。素晴らしい宝石も磨かなければ光らない。
だったら、素晴らしくないものはさらに磨かなければ
なるまい。ただ努力あるのみである」と。


自然界も人も使ってこそだと思えてくる。

磨くには力がいる。心が篭る。
心を篭めて、磨くなら、心の灯りはまぶしかろうに。

2008-06-13 22:41 in カテゴリー1 | Comments (2) #

2008年6月8日 (Sun)

ありがとう



 本屋さんの店頭に並ぶ癒しの本の多さに驚く。
私が子どもの頃は、必ずいろんな事を知っていて、
何かのときにはテキパキとこなす人がいてくれた。
何事かがあって、家族でふさぎこんでいるときなど、
「まぁ~~これ位で済んで好かった!好かった!」と場を
和らげてくれる人。

以前に父親が入院していたので、仕事帰りによると、
相部屋の一人の方が、絶え間なく冗談を言っては笑わせてくださる。
毎日行けば話すこともないのに、
行くのが結構楽しかった。

吊ってある流動食を眺めながら、
「この中身は人参の尻尾にほうれん草のへたに皮まで入っていて
本来ならみんな捨てるものなんでしょうね!」
なんて周りの方は笑いと共に、
ここが病院であることも一時忘れるかのような雰囲気。

聞く訳でもないのに、自分から
「私は足を負傷してしまったので、車椅子生活ですが、
車も運転しますし、不自由は感じません。」

「100%幸せな1%の人々」小林正観著の中に
人間の生きる目的とは、
「人に喜ばれる存在になること」とある。

そして「喜ばれるように使ったお金は「倍返し」で返ってくる」とも。
この集で偶然にもminminさんがブログに記載された、
「新潟市の北方文化博物館」の話題にはビックリ。

改めて多くの方にお世話になって生きているものですね。
そう思うだけで、何だか心が軽くなって、
「お早うございます!お花がきれいですね。撮らせてもらっていいでしょうか!」なんて本来の自分に戻れた朝でした。

もちろん「ありがとうございます!」は大きな声で心を込めて・・・
2008-06-08 18:39 in カテゴリー1 | Comments (11) #

2008年6月7日 (Sat)

明日は明日の風が吹く



 苦しい現実の中でも、じっと前を見つめて
「明日は明日の風が吹く」と言ったあの名台詞が好きだ。
今心が病んでいるのであろうか、嫌でも不愉快な思いをすることも
多々ある。

 こんなことがあった。
ユリの木の花を撮ろうとするが、どうしても三脚ではおもうように
行かない。諦めて手持ちで撮っていたら、
いきなり年配の男性の方が背後から、
「三脚があるのにどうして使わないんだ?!」と怒鳴っている。(様に感じた。)

言うのは自由だと思いますが、その前に挨拶はマナーではと思うのだが。
もちろん話が弾む訳もなくて、風と共に立ち去りたくなるのは
ものの道理というものであろう。

ちょっと前の方が余りに素晴らしいご夫妻で楽しいひと時だっただけに
余りのギャップに唖然としたものだ。
他県の方で、鳥類に大変詳しい方であった。
ユリの木の花の模様がある珍鳥にそっくりとかで、盛んに「カメラ持ってくれば
よかったぁ~!」と悔しがって、失礼ですがレンズ覗かせて頂いて
宜しいですか?なんておっしゃって、わぁ~~~綺麗綺麗!とお世辞まで付け加えてくださる。
小躍りする姿を上品な奥様が後から微笑みながらじっと待っておられる。

人生避けては通れないこともあるが、
その波に飲み込まれないように生きていきたいものである。
展示会々場に入場するや、
「こんな風景写真は写真じゃ~ない!」とか言う方がいるそうで、
そんな話題を眼にする度に思うことがある。

 物価高の中で、素面でもって酔えるとは素晴らしいことであるが、
さてその火の粉を
浴びても火傷をしない為にも、明日は明日の風が吹くと呟くのである。
すると・・・・

私の心は鉄の箱の中へ・・・あらっ!不思議!
2008-06-07 08:28 in カテゴリー1 | Comments (5) #

2008年6月5日 (Thu)

風のいたずら



 先日の袈裟丸山登頂後温泉に浸かっての帰りの車中で、
ガソリンスタンドの値札を見て、お仲間が一言。
「それにしても国民はおとなしいよなぁ~」
ラジオでも評論家の方が、それぞれに頭を絞ってはいるものの、
こっちがダメなら、消費税を上げて・・・なんて、いずれにしても
これと言った案もないようだ。

某大型デパートでのネット購入がさらに拍車がかかりそうである。
益々人と接する機会は少なくなって、
中には一日誰とも会わなかったなんて状況も在りえよう。

チドリソウの花が風のいたずらで、ふと絡まった。
このほうが、一輪の花よりもぐっと華やかになって、思わず
シャッターを切る。

そう言えば、以前に登場人物の、この人の影武者的な
存在を探してはノートに目盛って遊んだことがある。
例えば、本田宗一郎氏と藤沢武夫氏のように・・・・

まるで違った者同士が掛け算で競いあって
不可能さえも可能にしてしまう素晴らしさには唸るものがある。

りっぱな政治家さんが、あなたの財産を国民に寄付したらどうですか?
なんて言い合って・・・
お互いに他人のものを充てにしての報道に、
それを笑え!というのであろうか。

梅雨の鬱陶しさを吹き飛ばすかのように吹く風よ!

いまこそ、『風のいたずら』多いに歓迎致します。


2008-06-05 07:48 in カテゴリー1 | Comments (2) #

2008年6月2日 (Mon)

猫に小判



 風もなく、雲ひとつない快晴の日の昨日。
2年前は天候不順で尾根まで登りながら心残りの下山となった袈裟丸山。
その間「行きたい・行きたい」と友人に言い続けていたら、
その思いが叶うお誘いがあり、もちろん二つ返事。
朝7時現地到着。
すでに道の端にずらりと車のオンパレード。

やはり前回行った分疑点まで行くと感慨深い。
その先は一層急な坂となり、前日まで降った雨で足元が悪い。

次第に大好きな色のトウゴクミツバツツジの紫がかったピンク色の
花やシロヤシオの花があちこちに見え始めた。
少し遅かったがアカヤシオにも会えた。
シャクナゲの清楚な花も咲きだして・・・・
未だ少し早かろうと折り返すことにする。が・・・
折り返してまもなくにお会いした方が、シャクナゲが最高でしたよ!という。
誰もが行きたいと思いながら、
又来れば好いさ・・・と各々が自分を諭す。
 グリーンの唐松林に見頃のつつじが咲いて、
こんな山深いのに次々に訪れる人、人・・・

自分が何時か欲しいと思うカメラをチラリと横目で見る。
力量がついてきたその時、そのカメラは
自分のものになると信じて。

今は、猫に小判、
豚に真珠と言い聞かせながら・・・

いつかきっと!

2008-06-02 19:56 in カテゴリー1 | Comments (4) #