2007年8月29日 (Wed)

心はニュートラル



 人間なんてわがままなもので、
暑ければ、暑い!暑い!と嘆き、雨の日が続けば
晴れの日をこいしく思う。

丹地敏明氏の「光のとらえ方」の中に、

太陽の光を受けた自然の色彩は、生き生きして
豊かに見えます。青空の日はまた、自然と気持ちも
明るくなります。曇天、雨天とはまったく違う感情
が作用するのでしょう。
撮影はこのハイになった気持ちが重要な役目を果た
してくれるのです。気分が高揚していると、頭が冴
えリズムがでて、被写体はスムーズに見つかり、撮
影手順は、順調に的確に進行します。
写真が楽しく撮れるときとは、こんなときです。
一方気分が落ち込んでいるときには、被写体は見つ
からない、無理をして撮ろうとする、撮影手順は後
手に廻る、と悪いほう悪いほうに転んでしまうので
す。こんなときに撮った写真には、つまらない写真
が多いものです。人間、感情にもリズムがあって、
いい時ばかりではありません。常にリラックスして
気分転換が素早く出来るようにしたいものです。

とあります。

日々自然に感謝して、常に心をニュートラルにする
心がけが大切なのですね。
2007-08-29 07:10 in カテゴリー1 | Comments (3) #

2007年8月27日 (Mon)

何かが違う



 小学生の児童をもつお母さんの携帯には
学校付近で起った身近な情報がメールで送られてくる。
子供の身の周りには一切名前記入はダブーなのだそうだ。
もちろん名前を聞かれたら、答えてはならないそうで、
今の子供達可哀想そうに、常に他人を見たら犯罪者と思えとは
悲しい。

童話の「モチモチの木」のように、おじいさんと二人暮し、
夜便所にも行かれない子供が、ある夜おじいちゃんの病が
悪化してお医者さんを呼びに行く。

誇らしげに見上げる眼に
モチモチの木の花が勇気を称えて満開に咲く。

今では、そんな無駄なこと、
そんな馬鹿なことと笑われようが、
何かが違う
いや!無駄と言われようと、馬鹿と言われようと
もっともっと温かい心とふれあいを通して
育つのが本来の子供だと思えてならない。
2007-08-27 22:01 in カテゴリー1 | Comments (1) #

2007年8月26日 (Sun)

大利根の布袋葵



 膨らんだ葉柄を七福神の布袋の「ほてい腹」に見立てたのが
名前の由来で、また、水面に浮かぶ花姿から「ゆれる心」
の花言葉がついたとか。

あの日も調度8月も残すところ後一週間あまりという同じような
時期だったように思う。

会社の花好きの先輩から、布袋葵の群生を観に行こうと誘われて
彼女の車に乗って出かけた。
その傍に、ご病気で寝たきりの友人がいるという。
車椅子に乗っていらした彼女は、花を観るなり、童女のような
笑顔を浮かべた。
言葉にするのもやっとという感じながら、彼女が
「私の友達の○○ちゃん」と紹介しただけで安心したのだろう。
友人とともに、カメラを前にピースの手と信頼の笑顔。

あれから幾年かが過ぎ、友人も仕事を変えて看護師として多忙の日々。
ご無沙汰でも、花を観ると思い出す人がいる。

☆童謡のふる里大利根の布袋葵
 埼玉県北埼玉郡大利根町大字佐波258ー1

☆この暑さに例年よりも花つきが悪いように思えるが、
それでも場所によっては、綺麗に咲き誇っている場所
もあって、皆さん「わぁ~~キレイ!!」と・・・

2007-08-26 07:26 in カテゴリー1 | Comments (3) #

2007年8月25日 (Sat)

思考回路も途切れて



 お盆明けの一週間は、かなりきついものがあった。
やっとどうにか身体も戻りつつあるが、
せっかちな性格ゆえ、思い通りことが捗らない
苛立ち感とこの暑さに思考回路はとぎれてばかり・・・・

そんな時に限って、アクシデントは起こる。
PCのデスクトップのカーソルが動かないのだ。
もう一台ノート型があるものの、お盆に帰省の際の
写真が全てデスクの方に入力のまま。

今までは、再度スタートからやり直すことによって
簡単に修正できたのにと焦る。

もうこうなりゃ致し方ないとばかりPCの前で、
マウスを手にした途端、元コードの線が
光っているではないか。

どうやらマウスの接触不良と思いあたり、さっそく
大型電気店へと車を走らせる。

PCの機種とマウスの破損状態を店員さんに観て
頂き、状態を話すと、マウスの故障にほぼ間違い
ないだろうとのこと。透き通るグリーンのマウスを手に御代は2,480円。

足取りも軽やかに、PCに接続するや、
快調なカーソルの動き。

そんなこんなで、ブログも穴あき状態で、
拙い文章に目をとめて頂く方には申しわけございません。

又宜しくお願い申しあげます。
2007-08-25 07:13 in カテゴリー1 | Comments (1) #

2007年8月20日 (Mon)

四つの「る」



どんなことでもお話のできる
仲の良いお友達をつくってください。
人生を楽しいものにするには、
より良き友をつくることです。
その原則、四つの「る」は、
1.言える・・・言いたいことを言える。
2.やれる・・・自分が幸せになる。
3.見つける・・他の人を責めず、
        他の人の良さを見つける。
4.持てる・・・物も心も豊かになる。

鈴木清一(喜ぶのタネまき新聞より)

2007-08-20 18:11 in カテゴリー1 | Comments (3) #

2007年8月12日 (Sun)

心地好さ求めて



 すべての楽器の基本になるのが音叉であるという。
これは数学的に言うと、四百四十ヘルツの波長である。
音でいうなら、ドレミファソラシドの”ラ”の音に合
わされているのだ。この基準はどこでも共通となって
いる。
「なぜ、四百四十ヘルツの”ラ”の音に合わせるのだ
ろうか。国際会議でそう決まったのだろうか」

 あるとき、北海道大学の先生にお会いする機会があ
った。私はさっそく、かねてからの疑問を口にした。
「なぜ、調律では決まって”ラ”に合わせるのでしょ
うか。なぜ、四百四十ヘルツなんですか」
「”ラ”の音というのは、人間にとって非常に心地好
い音なんです。その心地好い音が基準になっているの
ですよ」
「楽器というのは二千年も前から存在していた、と聞
いていますがそのころはどうやって調律したのでしょ
うか」
「同じですよ。アフリカの楽器は、人間が一番心地好
いと感じるところに合わせて調律されています。イン
ドや中国、中近東でも、そこの土地の人たちが心地好
い音だと感じる音を、基準としてやってきたんです。
そして人々の移動が活発になり、楽器の持ち運びがで
きるようになって、一ヶ所に集めてみたら、全部四百
四十ヘルツに合わせられていたのです」
「しかし、アフリカ人と日本人とでは、文化が違うし
、人間が違うのじゃないですか」
「違いません。地球上のすべての人間の心地好さは同
じなんです。一サイクルも違わないのですよ」
先生はそう説明した。

「心地好さとは何ですか」
あらためて私がたずねると、先生はにこにこしながら
言った。
「そうですね、心地好さというのは、うれしいという
ことです。うれしいとき、楽しいとき、喜んだときに
感じるんです。明るい気持ちになったとき、さわやか
な気持ちになったとき、ようしやるぞ、そういうとき
に心地好くなりますね。おいしいものを食べたとき、
美しいものを見たとき、みんな心地好くなります。人
間はこの心地好さを求めて生きているんですよ」
 私は驚き、そして感心した。

「この”ラ”の音には国境がありません。人種の差別
もありません。したがって、地球上の人たちが、同じ
心地好さのなかでやっていく、その基準ができたとき
、平和ですばらしい社会ができるんだと思います」

(運を掴む フジケン(株)会長
横内祐一郎著 あとがきより)
2007-08-12 16:53 in カテゴリー1 | Comments (1) #

2007年8月11日 (Sat)

目標に向かって



 私は忙しい農業の合間をぬって、人生の師清水先生のお宅へ
よく遊びに行ったものだ。たしか私が二十五歳のときだった。
清水先生が突然こんなことをいいだした。
「横内君、きみはいったい、この世に何をしに来たのかね」
「バイ菌であろうとバクテリアであろうと、目的もなくこの世
に生を受けたものはないんだよ。いわんや、きみは人間さまだ
ろう」

 返事が出来ぬままに日は経ち、

そんなある日、清水先生のお宅の前を通りかかったとき、先生
とばったり行き会ってしまった。
私を家の中に誘うと又例の質問に、私は苦しまぎれに、こう答えて
しまった。「一生懸命働いて、お金を儲けるためです」
「ほう、そうか。いくら儲ければいいんだ」
「たくさんあればいいです」
「そういうのはいけない。具体的に数字で答えなさい」
 私は自分が欲深くなったような気がして、恥ずかしさのあま
り、顔から火がでる思いだった。黙っていると先生の方から、
「百万円あればいいか」と聞いてきた。昭和二十七年ごろの百
万円といえば、現在では想像できないほどの大金である。

先生は奥さんに硯と墨を持ってこさせ、こう言った。
「横内君。その卓袱台の上で、自分の目標を書きなさい」

「書いたものをおでこへ貼って帰るんだな」
清水先生は、このやりとりを通じて、「自分の目標を持て」と
いうことを、観念としてではなく、現実の問題におきかえて教
えてくれたのである。だから、その後も清水先生は、顔を合わ
すたびに、「どうだい、百万円になったかい」と聞いてくる。
非常に単純な方法であるが、目標をたて、その目標に向かって
知恵を働かせ、汗を流しているかを確認していたのであろう。

(弱小の会社を世界一にした男の物語
運を掴む 横内祐一郎著より)
2007-08-11 16:52 in カテゴリー1 | Comments (3) #

2007年8月9日 (Thu)

未練



 男の未練と女の未練とはこうも違うものか。未練があるから
男は女をじっと見つめ、未練があるから女は男を見ようとはし
ない。おそらくお龍は、細胞のすべてを感覚にして、生涯を賭
して愛しぬいた男の気配を感じているのだ。最期の最期にから
だ全部で感じたそれを抱えて逝こうとしているのだ。見てしま
えば、その一切が目(という器官)だけに奪われてしまうこと
を知っていたのかもしれない。
 それにしても、女として生まれ、女として生きることは、い
や生ききることは、なんと困難でやりがいのある一大事業であ
ることか。そういえば・・・・・・・

 男踊りの、自由奔放な明るさに比べて、女踊りは忍耐と形式
美に縛られる。ずっと両の肘を肩の高さで保ち、それより下げ
ずにリズムを取りながら踊り続けるのはかなりの重労働だ。そ
れでいながら、リズムに合わせてつま先から内向きに落とした
足を、次の瞬間に踵で跳ねるように外にさばく。両の足で整然
とそれを繰り返し、跳ねながらも決して乱れず暴れない。
ここでも不自由との闘いになる。しかしその不自由さによって
沸点からさらに高く、熱くなるのだから人の心の働きは面白い。
じっと耐えながら踊っていると頭の芯まで真っ白になって、そ
のくせ身体の奥から感動に似た波が湧きおこってくるのだ。

この物語のクライマックスを阿波踊りの情景が匠に彩る。

(小説 眉山 さだまさし著)
2007-08-09 17:34 in カテゴリー1 | Comments (1) #

2007年8月8日 (Wed)

感謝する



 舌のまわらないこどもでも、物をもらえば礼を言う。人の世に
そむく人でも、心にふれる親切には思わず手を合わす。

 りくつでも何でもない。感謝するということは、人としてご
く自然な姿。その言葉や形は学ぶにしても、ありがたく思う心
の働きは、人それぞれにすでに与えられているのである。

 感謝とか謝恩とかいうと、何となく窮屈なものと思いがちな
きょうこのごろ。しかし日々かわす

”ありがとう””おかげさまで”のひとことが、
どれほど人の心をゆたかにし、暮らしにうるお
いと喜びをもたらしていることか。

 窮屈に考える必要はない。感謝の気持ちをあるがままに素直
にあらわせばよいのである。

 大事なことは、野の鳥や獣ではできないが、人間なればこそ
これができるということである。つまり感謝できるということ
は、ほんとうは人としての大きな天与の特権であるとも言えよ
う。

 その特権をお互いにもっと大事にしたい。そして身に受けた
喜ぶを素直に謝しつつ、みずからもまた喜びを他に与える働き
を重ねてゆきたいものである。

(大切なこと 松下幸之助著より)

2007-08-08 22:29 in カテゴリー1 | Comments (1) #

2007年8月6日 (Mon)

木曾駒ヶ根千畳敷カール



 会社の友人より夜電話があって、先週木曾駒ヶ根に行った際
千畳カールのコバイケイソウが来週見ごろなので、夜行で行かないかとの事。
山岳会のお仲間からのお誘いらしく果たして着いて行けるだろうかとの不安が
横切る。花園には以前から是非と言う思いがあったので、
まずは検索してみると、それはまさに天上の花園と言うイメージである。
このチャンスを逃してはとまずはお願いする。

前の日の22時佐野出発→駐車場にて2時間ほど仮眠をとり、朝5時
中央アルプス駒ケ岳ロープウェイへ。
個人の進入が禁止なので、バスかタクシーのみとなる。
(タクシー30分くらい・バス50分くらい)
何時間待とうとも、このロープウェイなくしては、考えられないが、
皆さんさすが旅なれているのだろう、すでに車は満杯状態である。

朝のうちは霧に覆われてはいるものの、この眼で
雪に耐えて咲く夏の花に会えた喜ぶと
コバイケイソウと言う花の想いが募る瞬間だった。

いつの日にか、この花を想うように撮れたらという
欲望とともに。

車ナンバーはと見れば、全国至る場所からである。花が見ごろでも、気象条件とうまくかみ合わず引き返すお客さまの事を思いつつ、
こうして会えたこの日(2007/08/05晴天)に感謝である。


2007-08-06 07:23 in カテゴリー1 | Comments (1) #

2007年8月1日 (Wed)

花に合わせて



 そろそろ山百合ともお別れかもしれない時期が来た。
山の花は自然が相手なので、綺麗な花に合えるのは
なかなか難しいものである。

今回は花が咲くのが遅れたのと、猪の食害の影響で
結局思うような花には出会えずに終ってしまいそう。

家の裏の雑木林でさえ、誰も手入れがされなくなって
久しい。
お盆がくるからと、家の周りを念入りに手入れして
清める習慣も忘れ去られて、つかの間の休みに
草刈機で草も花もお構いなく刈られてしまう昨今。

山百合が咲こうが咲くまいが関係ないと言われれば
それまでであるが・・・

栃木植物園で、待っていたかのように咲いていた
山百合の花



2007-08-01 06:55 in カテゴリー1 | Comments (0) #