2007年4月30日 (Mon)

小野小町と芍薬



 栃木県下都賀郡岩舟町小野寺の村檜神社に小野小町の碑があり、余りにも身近な場所にあったので興味が湧いた。そういえば小野寺と地名にもなっているではないか。

さてこの地名全国にあると言うことで、特に現在の秋田県湯沢市小野では、平安時代の歌人小野小町が住んでいたという伝説の場所として、毎月6月「小野小町まつり」が行われるが、ここは芍薬の地として知られている。

これは小町が都から故郷へ帰ってくると、小町を想っていた深草少将が会いたいと手紙を送ってくるが、芍薬を毎日1株づつ100株植えることを条件として会う約束をする。約束どおり100本の芍薬を植えた少将は最後の芍薬を手に喜んで小町に会いに行こうとするが、その途中で増水した川に流され亡くなる。
小町は深く悲しみ99本の芍薬に99首の歌を捧げると、人目を忍んでこの地で過ごしたという悲しい伝説があるそうな。

この小野寺でも、その後人目を偲んでこの地で過ごされたとあったのだが、
さて真実はいかに?

立てば芍薬 座れば牡丹 歩く姿は百合の花・・・・


新田ふれあいぼたん園
「大慶寺」ふれあいぼたん祭より

新田荘の初代領主新田義重公の娘、妙満尼の開基といわれ,徳川氏より厚く庇護されてきた大慶寺。その庭には、ぼたんの花の花の季節になると、地域の人々が丹精込めた約150種3,000株の大輪の花が咲き誇ります。
2007-04-30 18:31 in カテゴリー1 | Comments (0) #

2007年4月29日 (Sun)

花は咲けども



 「七重八重 花は咲けども山吹の 実の一つだになき悲しき」賢明親王(かねあきらしんのう)後拾遺和歌集

山吹の花が風にゆれて、爽やかな季節が訪れた。暑くも寒くもなくて、自然の躍動感を感じる今日この頃・・・・黄金に輝く山吹の花に想いを託したあの農家の娘さんが蘇る。

室町時代中期の武将太田道灌はある日鷹狩に出かけたおり突然の雨に見舞われ、通りすがりの農家に蓑を借りようと立ち寄った。たまたま応対した農家の娘は、黙って美しく咲いた山吹の一枝を差し出したと言う。

道灌はそれが何の意味かも解らず、不機嫌になってしまったとのことだ。

屋敷に戻った道灌が事の一部始終を家臣に話したところ、それは、古歌になぞらえて丁寧に非礼を詫びたとのことです。そう論された。

「家が貧しいため蓑の一つもありません」

そんな現実を娘は失礼のないようにと、それとなく伝えたとの事だ。

美しい花を咲かせる山吹だけど、実の(蓑)一つもない

八重山吹は、実をつけることはないのです。

「花咲きて 実はならずとも 長き日(け)に
思ほゆるかも山吹の花」万葉集

そんな事実を知った道灌は その後歌に勤しむようになり後に高名な歌人ともなった。おしまい!


2007-04-29 16:33 in カテゴリー1 | Comments (0) #

2007年4月26日 (Thu)

臥龍さくら



下記の水彩画です。
2007-04-26 23:56 in カテゴリー1 | Comments (0) #

中島千波氏



岐阜県大野郡宮村の古刹・大幢寺境内にある推定樹齢千年以上と
いわれる江戸彼岸桜である。

ゆるやかな斜面に生えるこの桜は、樹高20メートルで幹の目通り
周囲7.3メートル、南北に30.8メートルも枝を張っている。
また支幹がいったん龍のように地を這うようにして立上がる形を
龍の姿に見立てこの名が付けられた。

山国飛騨の豪雪にたえ、幾度の枯死状態からも人々の桜を想う
心により、力強く生き延びて春を告げてきたこの桜は、1973年
には国の天然記念物の指定を受けている。


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【所 在 地】 : 所在地:岐阜県大野郡宮村山下下(臥龍公園)

【交通ご案内】
◆電車/JR高山本線「飛騨一ノ宮駅」下車徒歩1分

【問合せ先】
◆小淵沢役場
電 話 0551-36-2111

2007-04-26 21:59 in カテゴリー1 | Comments (0) #

2007年4月24日 (Tue)

どうして?



 公園でキャッチボールして遊んでいる子を見かけなくなったなぁ~~と思っていたら、先日ラジオでその事が話題になっていた。車で移動中のことで、雑音が入ったり、電波の状態が悪く聞き取れない部分も多々有り、内容的には何を話しているのやらだったのだが、多分公共の場でのボール遊ぶは危ないからという理由で禁止されている公園が多くなったのではないだろうか。家の中で遊ぶ子が増え、危ないからと戸外では規制のラッシュである。

危ないからとブランコも滑り台もはずされて、今の子供たちは、本当に危険の状態になったときの対策さえもままならずとは。危なくない包丁が与えられ、危なくないところで育った野菜を食べ、危なくない食器洗い器を使い・・・・そして危ない大人が育つ。

きちんとルールさえ守れば、危険は十分に避けられるものである。中学のときの体育の先生は、最初に危険を避けるやり方から教えてくれた。例えば鉄棒の授業では握り方さえ出来ていれば危険なことは無いと教わった。親指と残りの4本の指で棒を包み込むやり方は、もっとも当たり前な掴み方ながら、そう教わった事で安心感が生まれる。

そりゃ人間だから、気のゆるみで会話中子供に怪我をさせてしまう場合もあるが、あれも危ないこれも危ないと何もかも子供に与えなければ、怪我はしなくとも、本来の創る楽しみや、夢中で遊ぶ喜びも知らないとは悲惨である。

私が子供の頃は、いつもポケットにナイフを入れていたものだ。何故か周りが男の子ばかりで多分この年代は男の子の誕生が多かったのかもしれない。さて、このナイフ
は色んな種類があり、のこぎりのように歯がギザギザしていたものや、
ヤスリのようなものまでついていたように思う。

今朝もこれからの教育は誉めることを重要視するという案が検討されるであろう・・・・と。何を今更!!なんでもかんでも紙の上の理論は子供には通用しないと思う。
2007-04-24 00:19 in カテゴリー1 | Comments (2) #

2007年4月22日 (Sun)

礼にはじまり



 唐沢山のつつじの開花が気になって登ってみて驚いた。道路の路肩に県ナンバーの車がびっしり。竹の子料理の旗が翻ってはいたが、今時竹の子ご飯にこれほどの車なんて考えられないし、折り返したいものの、その空きスペースもなくて車を走らせてとうとう一番奥の駐車場まできてしまった。

今から7年前に中学の娘は、剣道部に入部。週2回の練習の送り迎えはヘトヘトだったけれど、先輩のお母さんから、審判のやり方や、声をかけることの大切さを親切丁寧に教えて頂いた。

その道場の柱にこんな張り紙があり、「礼に始まって礼に終わる」剣道と言われる意味を幾らかながら理解したものだ。

動く画像などお初ながら、剣士たちの美しい立ち振る舞いに感動を覚えつつ、人生も相手の動きを読み、ここぞと思えば一気に攻めることが大切と
勉強させられた。
そして勝利者とは、決して驕ることなく、礼を尽くす人。負けたと解った途端挨拶もそこそこその場を去った生徒に対して、たとえ試合で勝っても、心はすでに負けていると傍で呟く声がした。
2007-04-22 21:45 in カテゴリー1 | Comments (0) #

2007年4月21日 (Sat)

待つわ



 毎年連れて行って頂いた福島の花見山も今年の春はとうとう行かず終いとなった。友人のご主人さんがご近所の方たちと温泉同好会を企画。温泉はともかくも花の咲く場所ならと時々お仲間に交えて頂いていたのだが、昨今家族全員免許を所持しながら、車は出さない何もかもやってもらって当たり前の態度に今後は山の会などで気のあったメンバーでやって行くとの事。吾妻山で「ゆきうさぎ」という言葉にであったのも、その花見山へ出かけた時のことである。ウサギの形をした残雪が吾妻山の山肌に浮かびあがるのである。それが春を待つ人々の気持ちだったのだろうとうなずける。

何もかもがデジタル化されてしまったのか、今は気持ちに余裕が感じられない。昨日黄花かたくりのお写真と共に、達筆な書で、「黄花かたくりが開花
しましたので、いらしてください。」云々というはがきが届いた。携帯番号は知らせてあるものの、こうして頂いた一枚の便りは、明日のお休みには行かねばと強い意志が働く。ネットで検索さえすれば花の開花情報は手にとるように解るものの、そこには心が感じられない。

厳しい春を待っていたあの頃に戻って、焦ることなく、いつも心に余裕を持って生きていかないともっとも大切なものを置き忘れてしまいそうで、時には来ゆ人を待つように何時何時までも時を忘れてひたすら待ってもみたい。




黄花かたくり情報
4/21日現在見頃です。
栃木県下都賀郡大柿 栃木植物園(大柿花山)
花之江の郷 すぐ傍です。
2007-04-21 22:32 in カテゴリー1 | Comments (0) #

赤ちゃんポスト



 熊本市の慈恵病院(蓮田晶一院長)が、子育ての不可能な親が赤ちゃんを捨てるポストを、病院に創設することを公表した。病院の外壁に穴を開け、そこから内側に設置した保育器に入れるのだと言う。

ドイツではこの赤ちゃんポストが70例設置されているという。キリスト教という宗教的バックボーンがある国と日本とでは状況はかなり違っていることを前提にしても、数多くの問題をかかえているのではなかろうか。

十代の人が、悪いことをするなら今だと言う人間がいるように、この言った制度を知って、これ幸いと、産み落とした赤ちゃんをポイ捨てする人間が増えることも考えられるであろう。

その子にとって生まれながらにして親を知らずに人生のスタートとは余りにも悲しい。たとえどのような状況があろうが親としての責任は如何に。普段は喧嘩しても兄弟は兄弟の愛がある。赤ちゃんの時は、病院で育てられても、さてその子が大きく成ったら何処へ行けばよいのやら・・・
何事もやってみなければ実態は見えてこないが、この問題はやらない以前から様々な問題を抱えていると思う。親から見放されるということなどあってはならないし、身体のケアーは出来ても心のケアーには程遠い現実が待っている。


2007-04-21 00:15 in カテゴリー1 | Comments (0) #

2007年4月19日 (Thu)

おやっ!おやっ!



 観た方もいらっしゃると思うが、TVで細木数子先生に、お笑いタレントの方が人生相談をするという番組があった。当山第53世貫主である天海(てんかい)大僧正は、家康公・秀忠公・家光公三代の将軍から崇められた天台僧です。家康公の信仰篤かった天海は、天台宗の秘法、山王一実神道(さんのういちじつしんとう)によって家康公を神にしました。西の京都と肩を並べる東の都を築き上げる野心を持って、江戸に幕府を開いた家康公。東照大権現という名が示すのは、「東に照り輝く仏が権りに神として現れた姿」という意味です。神仏習合思想により、東方薬師瑠璃光如来(とうほうやくしるりこうにょらい)を本地、東照大権現を垂迹(すいじゃく)とした、人智を越えた存在になったのです。「関八州の鎮守とならん」と遺言した家康公の本意は、比叡山延暦寺が京の都を守護した様に、江戸の北に位置する日光に自らの廟所を建て、自らが神となり、江戸幕府の宗教的要として日光という土地から東の都=江戸を護ろうとしたのです。そこには、徳川幕府が、西の朝廷と同等、或いはそれ以上になるようにという強い意志がみえるようですと言われている。昨今では経営の神様と言われる松下幸之助氏も
何かの時は某僧侶に相談したと記されているように、人という字のごとく支えなくしては生きて行かれないのかも知れない。

さて本題に戻って、皆さん「私は将来この芸能界で生きて行かれるのですか?」などの相談で盛り上がる中、一人の芸人さんが、「何故人は一人の人しか愛せないのですか?」の相談に先生厭きれて、傍の島田洋七さんにふったのである。さすが永い芸歴が物を言うのか、それだけの人だから芸歴が永いのかきちんとした回答をされていた。先生「そういう人は一夫多妻の国に移住しなさい!」と一言。その後夫婦をお茶の一番茶から四番茶に例えて解り易く回答してくださったが。

芸人として永い期間働いてきた方には、それなりの風格があり、苦い人生経験も話の肥やしとし笑いをとることの素晴らしさ。
同じ「おやっ!」でもキラリ光るものを感じさせられる。



2007-04-19 23:35 in カテゴリー1 | Comments (0) #

2007年4月18日 (Wed)

おやっ!



 先日車内で「子供電話相談室」を聞きながら
運転中「おやっ!」と思うような質問に出会った。「小学6年生ですが、どうしてお父さんとお母さんは違う呼ぶ方をするのですか?」・・・一呼吸おいてのある方の回答は、「答える前に幼い子供の質問なら解りますが、貴方は小学6年生でしょう!何故貴方がこのような質問をしてくるのかが疑問です。」に始まって細かい質問にその子は、お父さんもお母さんも同じ位大好きだからそう思ったそうである。もしやこう言った心の成長を成さない多くの子供達が育っているのが現実だとしたら、これは社会問題ではなかろうか?ゲーム機で遊んだ子供たちは画面の上だけに心を開いているわけで、「タ○ゴッチ」に始まってうん万円もするゲーム機の数々を今の子供たちは簡単に手に入れてしまう。それが反ってこのような幼さの心を残す現状ではないかと悲しい余韻が残った一齣であった。以前から格闘するようなアニメは見せない方が良いと言われてはきたが、数十年経った今日もテレビもゲーム機も人を殺すシーンなど数知れない。こう言ったものを毎日見ていたら、何度も繰り返される童話など刺激も持たないのではないだろうか?これに「あやっ!」と思っていたら、今度は或るテレビ番組でも「おやっ!」と思わされた・・・・・
2007-04-18 07:23 in カテゴリー1 | Comments (3) #

2007年4月13日 (Fri)

花リレー再参加



 2ヶ月の更新が滞って、花リレーからしばらく離れていたが、
又今回気持ちを新たに再参加させて頂くことになった。
あれは思いがけない雷の被害によるPC故障のトラブルによるものであったが、反省させられた。2ヶ月の猶予期間があるのだが、期間については、いくら頻繁に更新しても良いのにも関らず、期限切れ真近で会ったのが重なり
いたし方ない状況に休止やむを得ずとなった。
北から南へ花リレー参加者のリンクを廻っていくと、やはり季節の違いや花の違いを感じる。
いろんな人が全国にはいるわけで、こうして参加して楽しく過ごすことが出来るのも、お世話して下さる方の賜物である。
今後は、月一回の更新を目標にそのときそのときの花をと思う。

2007-04-13 23:27 in カテゴリー1 | Comments (2) #

2007年4月12日 (Thu)

雨にも負けず



雨にも負けず 風にも負けず
雪にも夏の暑さにも負けね
丈夫な身体を持ち
欲はなく決して瞋(いか)らず
いつも静かに笑っている

一日に玄米四合と味噌と少しの野菜を食べ
あらゆることを自分を勘定に入れずに
よく見聞きし分かりそして忘れず

野原の松の林の蔭の
小さな茅葺きの小屋にいて

東に病気の子供あれば
行って看病してやり

西に疲れた母あれば
行ってその稲の束を負い

南に死にそうな人あれば
行って怖がらなくてもいいと言い

北に喧嘩や訴訟があれば
つまらないからやめろと言い

日照りのときは涙を流し
寒さの夏はおろおろ歩き

皆にできのぼうと呼ばれ
ほめられもせず 苦にもされず
そういうものに 私はなりたい


 小学生時代、教科書にこの文が載っていて暗記させられたものである。東西南北の文がごっちゃになるのが悩みの種でもあったが、それでも人生の深い意味も解らず暗記したのが今では懐かしい。そして今この文にモデルがいたことを知りました。

その人の名は斉藤宗次郎さんである。
斉藤宗次郎さんは、岩手県の花巻に1887年禅宗の寺の三男として生まれた。彼は、小学校の教師になりますが、内村鑑三氏の影響を受けて聖書を読むようになり、洗礼を受けてクリスチャンになりました。しかしそれからが大きな戦いのはじまりでした。
当時はキリスト教は「ヤソ教」「國賊」と呼ばれていました。彼が洗礼を受けた時から迫害を受けるようになり、石を投げられ、親にも勘当され、小学校の教師を辞めさせられてしまいました。それだけではありません。迫害の手は家族にまで及んできました。近所で火事が起きたとき、全然関係がないのに嫌がらせで、放水され、家を壊されたことがありました。何度もガラスを割られることもありました。そしてさらにひどい迫害が起こりました。9歳になる長女の愛子ちゃんが「ヤソの子供」言われてお腹を蹴られ、腹膜炎を起こして亡くなってしまったのです。亡くなる時、愛子ちゃんは、賛美歌を歌って欲しいと言い、賛美歌を歌うと、「神は愛なり」と書いて天に召されたそうです。

宗次郎さんはそのような苦しみの中で、神様に祈りました。そして彼は「御心がなりますように」といじけることなく神様を信じ、神様に従い続けたのです。普通なら、迫害のない違う土地へ移るところですが、宗次郎さんは、むしろ、その土地の人々に神様の愛をもって仕えることを選びました。牛乳配達と新聞配達のため一日40キロの配達の道のりを走りながら迫害する人々にキリスト教を宣べ伝えました。10メートル走っては神様に祈り、10メートル歩いては神様に感謝をささげた話はあまりにも有名です。

そして子供に会うと飴玉をやり、仕事の合い間には病気の人のお見舞いをし、励まし、祈り続けました。彼は雨の日も、風の日も休みことなく町の人達の為に祈り、働き続けました。彼は「できのぼう」と言われながらも最後まで愛を貫き通したのです。そして1926年に彼は内村鑑三に招かれて花巻を去って東京に引っ越すことになりました。

花巻の地を離れる日、誰も見送りには来てくれないだろうと思って駅に行くと、そこには、町長をはじめ、町の有力者、学校の教師、生徒、神主、僧侶、一般人や物乞いにいたるまで、身動きがとれないほど集まり、駅長は、停車時間を延長し、汽車がプラットホームを離れるまで徐行させるという配慮をしたというのです。実はその群集の中に宮沢賢治氏もいたのです。

それは彼が「御心がなりますように」と祈り、神様の御心に従った強い信仰と、どこまでも人々を愛し続けた愛の業がそうさせたのだと思います。この人こそ、東に病気の子供があれば行って看病してやり、西に疲れた母あれば、行ってその稲束を負いと言う宮沢賢治氏の詩にあるようなことを普通にやっていた人でした。そういう宗次郎さんの生活ぶりを見ていた、宮沢賢治氏が「こういう人になりたかった」という思いを込めて、「雨ニモマケズ」
という詩を書いたのではと言われています。
2007-04-12 22:23 in カテゴリー1 | Comments (0) #

2007年4月11日 (Wed)

任せます!



新学期が始まり、小学生徒の登校を目にする。
リーダーシップをとる上級生も何となく頼りないのだが、
それが何とも新鮮でほほえましい。
旗当番でも、何でも大人が参加するようになった昨今だが、通勤途中にみる子供たちを見ていると、旗を持って、横断歩道の真ん中に立ち、誘導する姿の逞しさ。任せれば子供たちはそれ以上の事をやってくれると確信できる。

信号が赤でも横断歩道を渡るのは、はたして子供であろうか?私はそんな子供を見たことがない。確かに事件が多い中で、このような風潮は解るのだが、見守るということの大切さこそが今一番大切にして行かねばならないのではと思えてならない・・・。

立った!歩いた!転んだ!といつも傍で見守っている親がいるからこそ出来る行動。子供の為に立つことも歩くことも親には出来ないが、親なくしては
歩く事も出来ない。
小学館の雑誌を毎月読んでいた頃に、「狼少年」と言う記事があったが、やはり狼に育てられれば、狼として生きることしか出来ないのだなぁ~~~と子供こころに感じたものだ。

与えることで満足していると、とんでもないしっぺ返しが戻ってくる事ってある。単なる自己満足で終わってはいないだろうか?

もしもこの世から「任せます」の言葉が消えたら虚しさだけが残るだろう。

2007-04-11 00:56 in カテゴリー1 | Comments (0) #

2007年4月8日 (Sun)

あけびの花



 あけびの花は、エンジ色だけかと思っていたのだが、
知っているだけでも3色の色の花があると最近知った。
それぞれに何とも言えない自然の色をもつ。
あけびは、つる性の植物で、紫色の実をつけ、木の実は熟するとパカッと口を開けて割れる。国内の生産量は大半が山形県「成せばなる、成さねばならぬ、何事も、成さぬは人の成さぬ成けり」の上杉鷹山公が食用・つる細工用に推奨したと言われている。あけびの歌があって、その曲は山形県月山あたりを歌ったものではと言われている。

あけびの花

作詞 横井弘
作曲 小川寛興

故郷の 山の陰に
長い冬 耐えて生きる
紫の 花はあけび
その花は私
粉雪降りつもれ
野も小路も 埋めて
雪空 晴れたなら
すぐ春になる

赤い花 今日はもえて
白い花 明日は枯れる
紫の花は一途
明日の日に かける
北風吹かないで
この小さな蕾を
山越え くる人に
逢うそれまでは

故郷の山の陰で
ささやかな 夢に生きる
紫の 花はあけび
その花は 私
春々早くこい
野も小路を 急いで
花咲く 幸せを
ただ待つ胸に


2007-04-08 23:16 in カテゴリー1 | Comments (2) #

2007年4月6日 (Fri)

清雲寺のしだれさくら



 誰かを想って植えるなら、やはり桜がいいと
誰かが言った。
樹齢何百年と咲く桜なら永久に咲くであろうと思いきや
植える場所も良く考えた方がいい。
桜と言うと染井吉野は学校や神社・お寺に多い。
そしてお墓にも多く見られる。
魂が込められると言われる桜なら、ここぞ最高の
場所かと想われる。

清雲寺の樹齢600年のエドヒガン桜は、清雲寺を開いた煤峯香(ばいほうこう)
禅師が植えたとつたえられている桜で、樹高15メートル・枝張りは数十メートルにも及ぶ大木である。(県指定天然記念物)境内にはこの桜の木のほか、大小30本のしだれ桜があり、開花時期が多少ずれるので、なかなかも見応えがある。例年4月上旬から中旬が見頃。夜間ライトアップも行う。夜桜も見事で一見の価値あり。


埼玉県秩父市荒川上田野690

2007-04-06 23:18 in カテゴリー1 | Comments (0) #