2007年12月30日 (Sun)

ほほえみがえし



 最近「タイトル探し」にちょっと興味があって、
気に入った言葉は手帳に書き込んでいる今日このごろ
ふと浮かんだ素晴らしい言葉にニンマリ・・・・
それは、ほほえみがえし う~ん!これだ!!と
喜んだのもつかの間、ページをめくる手が止まる。
 「ほほえみがえし」は江口慎一氏の(プロカメラマン)
東京新宿で行われた写真展のタイトルで、
やっぱりいいものはいいなぁ~~~完全なるパクリながら
共鳴できるなんてまんざらでもないかぁ~~~なんて。

氏のマクロ写真は夢の中へというイメージ。それに加えて、風景写真も
素晴らしい。
しかもタイトルの付け方がこれまたいいんです。

☆夢模様

☆風色の手紙

☆はずむえくぼ

☆ときめき

☆遠い風

☆ふたりの間etc

さてどの花に相応しいタイトルになるのでしょうか・・・・・・・
2007-12-30 15:53 in カテゴリー1 | Comments (4) #

2007年12月29日 (Sat)

もういくつ寝ると・・・



 もういくつ寝ると お正月
お正月には 凧あげて 駒をまわして 遊びましょう
はやく来い 来い お正月

お正月になっても、凧や駒で遊ぶ子は、殆ど見かけなくなったが、
子供にとっても、大人にとっても新しい年というものは、希望の
門出でもあるわけで、今年一年を振り返り、来年こそはと計画を
たてている人も多いのではなかろうか。

日課になっている小林先生のHPの中に、
「写真はでかけてみる事が一番大切ですね。
その場に居なければ写せないですから・・・」の言葉に
出来るだけ現場に足を運ぶことだと痛感!
http://www.nature-photo.jp/

少しでも、自分の想いを写真に込めることが出来れば
いいなぁ~~~と花に想いを掛けて・・・

2007-12-29 17:54 in カテゴリー1 | Comments (0) #

2007年12月24日 (Mon)

こころに陽が射すとき



 夢の中に時々ここは以前訪れた場所がでてきたり、あるいはこれから行くであろう場所がでてきたりすることはなかろうか。

最近、ある写真集に素晴らしい山肌に朝日が射して、とても雄大で幻想的な
写真を眼にした。
てっきり外国の山だと思ってそのままになっていたのだが、最近買った写真集にも同じ場所の写真が載っていて、しかもそれが、田舎に程近い「谷川岳・一ノ倉沢」(群馬県利根郡水上町)だったのである。

油絵仲間と近場までは数回行っているし、晴れていれば、毎日見ることも出来たが、正直どこがどう好いのか解らず終いだった。

何よりも心を動かしたのは、登山しなくても撮影できる(駐車場にて)と好都合な条件付き。


そしてネットで、撮影者の新井幸人氏のプロフィールを拝見させて頂き、氏の出身地が地元(現・群馬県渋川市赤城町)であったことに感銘し、改めて写真の凄さに感動させられた。

まずは10年間を目安にと、途方なチャレンジを年の瀬に夢みるのだが・・・・・


2007-12-24 15:53 in カテゴリー1 | Comments (2) #

2007年12月22日 (Sat)

夢の中へ・・・



 昨夕は風もなくて、かなり暖かい陽気に、仕事を終えるや、出陣!
何処へって?週末はかなり賑わっていると噂の「あしかがフラワーパーク
の光の花の庭」のイルミネーション。

陽が落ちると共に、観光バスや自家用車が増えて、5時近くなると、若い
カップルや子供たちのはしゃぐ声に、車を降りて現地へと足を運ぶ。
昨年よりも50万球増えたイルミとお聞きしているが、後ろから、
「ディズニーに行ってきたよと言っても解らないね!」なんて声もして・・・

サンタさんのそりに乗って記念写真を撮ったり、馬車に乗ってお姫様にも
なれたりと、一足早いクリスマスという感じがいっぱい。

車椅子で訪れる方もいらして、皆さんそれぞれに楽しまれていたようです。
帰ろうとしたら、制服姿の8人の女学生に、「すいません、シャッター押してください。」全員入れて、しかもツリーも入れてください。
縦でも横でもいいです。それからモードは何がいいんですか?

それにしても、このコンパクトカメラはこうも勝手が違うものかと最近
思えてきた。
ちょっと心配になって、どう大丈夫と。

「はい!大丈夫です。ありがとうございました。」
そんな声をお聞きすると、撮ってあげるのも嬉しくなる単純な女なんです。
もちろん その後は夢から覚めて、家路へと急いだのであります。

2007-12-22 09:31 in カテゴリー1 | Comments (0) #

2007年12月19日 (Wed)

幸福の黄色い絨毯



 今日、本屋さんで、写真集を見ていたら、写真集の後ろに、
『米美知子の素敵なタイトルの付け方 』の雑誌が3冊ほど
折り重なっていたのが、
眼に飛び込んできた。
 順にページをめくっていくと、林にミツマタの群生の写真。
さてタイトルはとみれば、
「幸福の黄色い絨毯」とある。
この一枚からでも、なんとなく感覚を掴んだような気分になれて
くるのが嬉しい。
そんなに固く考えることはない。
現代風な感覚で、さりげなくつければいいのね・・・・ふむふむ・・
言葉の辞典から、撮影機材便利アイテムと盛りだくさん。

今後は、ちょっとタイトルの付け方を楽しもうかな・・・と
思えてくるようなそんな一冊。

発行所・・株式会社 日本写真企画
定 価・・1500円
2007-12-19 16:22 in カテゴリー1 | Comments (17) #

2007年12月15日 (Sat)

自然界の営み



 先日友人からのお誘いで、動物写真家の岩合光昭(いわごうみつあき)氏の講演を拝聴することができた。

プロフィールには、1979年、アサヒグラフに連載された『海からの手紙』で第5回木村伊兵衛写真賞を受賞。1982年から1984年までアフリカ・タンザニアのセレンゲディ国立公園に滞在して撮影した写真集『おきて』は英語版が15万部を越えるなど世界中でベストセラーとなった。また日本人の作品としては始めて『ナショナルグラフィック』誌の表紙を2度飾ったとある。

実際の氏は、いかにも温厚そうで、一人娘さんのお話になると、まさに優しい
お父さんそのものという感じである。

動物写真家のきっかけが、父親の職業(動物写真家)の影響かと思ったら、
実は学生の頃、遊びに行った友人のお宅で友人が抱っこしてきた猫と眼があったとき、この世の中にこんな可愛い動物がいたのかと感動したそうだ。

しかし、自然界に住む動物には、自然界の営みがあり、決して人の匂いをつけてはならないという。

NHKの番組で、ヌーの移動で川を渡るときに、大勢の死者が出るのに対して
視聴者の方が、「橋をかければいいではないか!」と言われた。
死とは終わりではなくて、それを又分かち合って生きている他の動物達がいる。その自然界の営みを守ることがもっとも大切なことであり、何ごとも現実だけを見ることの愚かさを感じた。

佐渡のトキしかり、生産第一主義の薬害の影響やすごい。さてこれから元に戻そうとしても、今の日本の現状では程遠いという。

この冬の時期のように、自然界の営みは、ひたすら厳しいのだろう。
やがて来る春の為に、ひたすらに。

2007-12-15 08:56 in カテゴリー1 | Comments (0) #

2007年12月13日 (Thu)

失敗&スパイ



 先日東京で娘と待ち合わせをすることに。
新宿駅傍なら、紀伊国屋がいいだろうということになって、
私は午前中新宿御苑で紅葉の撮影へ。時間はあっという間に
過ぎて慌しく目的地へ。
途中高校生にお聞きしたならば、この道をまっすぐにと教えて頂く。
しばらく来ない間に様変わりしたようだと思って待つ事、
待ち人来たらず・・・・
もしや?ひょっとして???
 
何時の間にやら、支店ができていたとは。
あわてて本店へとダッシュ!

「花風景 竹内敏信氏」日本カメラ社発行の本の中に、
先生のエピソードが記されていて、
写真もさることながら、こちらも楽しめる。

その一つをここに記します。

「私の大失敗・小失敗」
(慎重なスパイと思われた?)

 花の撮影では、失敗をしたと思うことはあまりない。た
だ、海外ロケではときどきあって、この事件も大きなハプ
ニングの一つ。
 ノルウェーフィヨルドが好きで、何度も行っている。北
極圏のある半島を取材していた折り、ジープにのった兵隊
5~6人が突然やってきて、私に銃を向けるではないか。
アブナイと手を上げたら、カメラを取り上げようとする。
「ノーノー」と抵抗したが虚しく、兵舎まで連れていかれて
しまった。どうも基地があったらしく、写真を撮っている
のは怪しい、連行しろという指令が出たらしい。そこで兵
舎まで行って、3~4時間も待たされ、半島の向こうから
ポリスがきて調書を取られて、フィルムのみを置いてきた。
 帰国してから、ノルウェー大使館に厳重抗議。1ヶ月ほ
どで、没収されたフィルムが戻ってきた。第一、ノルウェ
ーの片田舎で、リバーサルの現像なんてできません。スパ
イは、三脚を使って写真など撮りませんから。

2007-12-13 17:59 in カテゴリー1 | Comments (0) #

2007年12月12日 (Wed)

お金で買えないこと



孫娘とひ孫     
      岐阜県川辺町   前島はず江さん

私の娘が17年前に病気でなくなった時、孫娘は
6年生でした。私は泣いてばかりはおれないので、
孫2人を一生懸命育てました。今では素直で気
持ちの良い子に育ち、ありがたく思っています。
その孫娘も大きな病院の看護師になり、一昨年
に結婚。昨年に男の子を出産、八十路を越えた
私にひ孫を抱かせてくれました。神様有り難うご
ざいます。思えば孫娘は6年生の時に岐阜県の作
文へ応募。お年寄りについての作文で3人入選の
1人でした。
「おばあちゃんは、お金で買えないことを教えて
くれた。ありがとう。私はおばあちゃんのお蔭で、
3ヶ月で立ち直れました」
 今度は孫娘が子供を大切に育てる番。幸福を
祈っています。

(喜びのタネまき新聞より)

2007-12-12 06:57 in カテゴリー1 | Comments (2) #

2007年12月9日 (Sun)

花舞台



 来春に行われる花舞台第12年展の作品最終決定日の
昨日、今回初の私にとっては、最後までバタバタと慌しい日々で
滑り込みセーフという感あり。
 毎月行われる講評会で、良いと言われた作品のデータを
そのつどきちんと整理しておくことや、常にタイトルを考えておく
癖をつけておくこと等、日頃のこころがけがいかに大切かを
痛感。

約100点に近い作品を選ぶ先生の手際のよさや素晴らしい。
縦位置の作品が2割かたあって、会場のスペースにいくらかでも
お役にたてたのが、ささやかな喜びでもある。

そして、今日から心新たに
新しい花舞台の作品へと向って・・・
気負うことはない、自分にあった歩幅で歩いて行けばそれでいいと思う。

2007-12-09 09:14 in カテゴリー1 | Comments (1) #

2007年12月7日 (Fri)

可笑しな世相



 ケーキのグラムが違っていた、缶詰の表示と中身が違っていた。
その処置はと言えば、回収して処分することになる。
何もかもヒステリックに事が運ぶ世相。

人間のすることだから、ミスは起こるであろうが、
もう少し人間らしい配慮があってもいいのではないだろうか。

子育ても、ただヒステリックに怒ってばかりでは、何の効果も
現れない。北風と太陽のように、親の字のごとく、
木の上に立って、静かに見守ることが、一番いい。
「○○ちゃんがやってくれるから、とても助かったわ」
なんて言おうものなら、喜んで何度でも足を運んでくれるのだから。


2007-12-07 21:43 in カテゴリー1 | Comments (3) #

2007年12月2日 (Sun)

天邪鬼



近場の紅葉が色づいてきた。
裏山にふっと思い立って行くような紅葉狩りは好い物である。
何処そこのもみじは今年はどうだろう?不安と期待が入り混じって・・・
そして綺麗な紅葉に会えた時の喜び。

蓬莱山の紅葉もやっと見ごろの情報(ネットにて)。
例の場所の川の写り込みは、写真集にでも載ったのだろうか、大勢のカメラマンが
早朝から長靴で川へ入り、シャッターチャンスを狙っている。

天邪鬼の私にとっては、
できれば、自分で見つけたい思いの方が強い。
川は日本全国何処にでも流れているわけで、朱や黄色に色づいて
陽にキラキラと輝くそんな情景にいつか会えたらいいなぁ~~と去る。

ここは湧き水を求めて、ポリタンクに大勢の方がいらしている。
トラックいっぱいに持っていくのは業務用だろうか?

それにしても子供の頃、母と一緒に飲んだ湧き水で喉を潤した時、
真夏なのになんと冷たく美味しいのだろうと自然に感謝こそしたが、
持って帰ろうとは思わなかったものだが、
これもやはり天邪鬼なる迂遠かしら。

2007-12-02 08:17 in カテゴリー1 | Comments (3) #

2007年11月29日 (Thu)

夢はでっかく・・・



 会社の仲間が湯飲カップを二つ持ってきた。
片方のカップは、相田みつを氏の
「夢はでっかく、根はふかく」の言葉に木の絵が描かれていて、
もう一方はアニメ柄の可愛らしいもの。
どうやら廻りのみんなのお薦めは、相田みつを氏の言葉入りのカップ。

それでも迷っている仲間の横から、
「夢はでっかく、根は深く持て」だってさ・・・
二人で笑い合う。

いやいや真面目に、
この時期の世相何もかも値上がりで、気持ちまで暗くなってしまうような
事ばかりの現状に、
気持ちを引き締めて行かねばと思う。

諦めていた、身近な葉が、はっとするように美しい。
最近の冷え込みで、自然の美をこうして観ることができる有難さ。
一つ一つを確実に、しかも驕ることのないように、

「夢はでっかく、根はふかく」

2007-11-29 07:24 in カテゴリー1 | Comments (3) #

2007年11月23日 (Fri)

見返り美人



 ダムのくぬぎの木に寄り添うように、密やかに彩るもみじがある。
背中合わせのようなその姿がなんだか「見返り美人」のようだとふと思う。

群馬県さくら市東町といえば、すぐ傍には、富広美術館があり、
週末ともなれば、観光地として大勢の方が訪れる場所でもある。
ダム周辺のハイキングコースの散策なんて素敵かも。

自然の中で、枯葉を踏みしめて耳を澄ませば、聞こえない音も
聞こえてくるかもしれないし、
見えないものも、見えてきそうな気がしてきて、
悴んだ手でするバッテリィー交換も、楽しいのは何故なのだろう。
きっと童心に戻ったようで、
寒さまでも遊びにしてしまうほどの遊び心のパワー全開かも・・・・・
なんて思っていると風花が「馬鹿ね!」言うかのように舞う。

2007-11-23 18:00 in カテゴリー1 | Comments (5) #

2007年11月21日 (Wed)

桜山公園 冬桜



 昨日冬桜で有名な群馬県藤岡市の桜山公園へ出かけた。
小春日和イコール撮影日和で、平日だから人もさほど居ないだろうと思って
山を登って行き、駐車場について驚いた。
3年前にきた時は、花もチラホラでおまけに小雨の日、
誰もいない公園を独り占めという感じだったが、冬桜が見ごろと読売に記載があってか車が次々に訪れる。近場の方は路肩にも止めてあった。

ここの冬桜は、山肌に7000本あり、冬に咲いた桜が春にも楽しめる。
全国でも珍しいこの冬桜は、国の名勝及び天然記念物に指定されている。
毎年12月1日桜山公園で桜まつりが開かれるこの季節は、美しい季節の
中でも一番の見どころとのことです。

★「冬桜」は「山桜」と「豆桜」の交配種といわれ、別名を「木葉桜」とも言われています。
白や薄紅色の花は、春の染井吉野のような
豪華さはありませんが、、可憐で楚々とした可愛らしい花です。

2007-11-21 07:04 in カテゴリー1 | Comments (3) #

2007年11月17日 (Sat)

真央ちゃんの涙



浅田真央ちゃんが泣いた。
今日の順位はトップだったのだけれど、最初のトリプルアクセル(3回転半ジャンプ)にミスがあっての悔し涙。
優雅さと大人の雰囲気がレベルアップ、若さに演技力が加算されて
これからが益々楽しみな選手となった。
天性に磨きがかかれば、大物に化していく事間違いないが、世界の中には
いつでもライバルがいるわけで、常にトップの座を保つことの厳しさや如何にであろう。

悔しさをバネにして益々飛躍していくであろう真央ちゃんの今後に多いに
期待したい。

2007-11-17 21:37 in カテゴリー1 | Comments (3) #

2007年11月11日 (Sun)

お金の扱い方



人間の価値を決めるのに、
お金をどう扱うかで
その人の人物がわかる。
一番愚かな人はむだ使いをして
借金すら返せぬ人。
中の人は金を使わないで貯める人。
上の人、尊敬すべき人物は、
むだ金を使わず貯めた金を
喜ぶのタネになるような
有効な使い方をする人間である。

鈴木清一

喜びのタネまき新聞より
2007-11-11 21:49 in カテゴリー1 | Comments (3) #

2007年11月10日 (Sat)

持桶女郎もみじと私



 誰が名づけたのだろう秩父郡大滝村中津川の「持桶女郎もみじ」
友人が入院の際、週刊誌一面にこのもみじの写真が記載されていたのが、きっかけで行こうということに。
私と違って用意の良い友人は、地図を満面なくチェックしていざ出陣。
大滝村の役場にも立ち寄って、観光案内を沢山頂き、再度場所も確認した。

「秋の夕日に照る山もみじ・・・・」本当に歌のようだと心弾ませ、頭上のループ橋に、「あれはきっと山梨方面に抜ける道ね!」などと言っていたら、
なんということはない自分達が今通過している。

トンネルを何回も抜けては、真っ赤なもみじに立ち止まり、あれかしら?
これかしら?と。眺めている方にお聞きしても誰も知らない。
結局確信が持てぬまま、他の方面に連れて行って頂き、うどんでも頂こうとしたが、時間もなくなって友人手づくりのおにぎりと様々な漬物で昼食をすませ家路へと。

やっと会えたのは、翌年であった。
どうやら一歩手前までは行っていたようで、なんだか人生の縮図をみているようである意味面白い。

昨日、車で片道3時間かけて、今年も会ってきた。
もみじめざしてひたすらに。
3回会ってもそのたびに違う顔を魅せてくれる。

やはり人気スポットだけに平日にもかかわらず人が多い。
一番良い場所は諦めていたのに、
「ここの方が好いでしょう!」と場所を譲って頂いたり、隣の方遠慮がちに
カメラを構えて、挙句に「ここならカメラに入りませんよね。」と気づかって頂く。
正午だというのに、陽がかげると、ゾクゾクっと肌寒い。風もでてきた。
帰ろうと、ガードレールを越えようとしたら、同年代ぐらいの女性の方が
「大変そうですので、三脚持ちますよ」と。
見ず知らずの方なのに親切に有難うございますと頭も自然に下がる。

さて又来年会いに来よう。
いつか上手に撮って、友人に写真を渡すことができたらとそんな願望が成就することを
夢みつつ。
2007-11-10 08:44 in カテゴリー1 | Comments (5) #

2007年11月4日 (Sun)

習い事は・・・



 今日は公民館のサークル祭りで、一年間の習い事の発表会の日である。
以前に読んだ本の中に、お偉い先生のお母さんが「習い事は押し車を押して坂道を上がるがごとし、少しでも力を抜けば下ってしまう」の言葉が
思いだされる。

水鳥のように、優雅に水の上を漂っているかのように見えても、足は絶えず動かしているその姿こそ美しいものであるが、裏の部分には目が行かず、
表ばかりに目が行く日々なのである。

簡単に言えば、364日は努力の日で、たった1日の為に日々励む事。

しかしながら、あくまでも娯楽であり、「あぁ~~!楽しかった」
それだけでもいいのかも知れない。



2007-11-04 18:15 in カテゴリー1 | Comments (3) #

2007年11月3日 (Sat)

野紺菊咲くころ



 霜の降りた田んぼ道で一際美しい花と言えば、この「野紺菊」の花を思い浮かべる。この冷え切った寒い朝に霧が立ち込めて、柿の実も鮮やかに色づいて、冬が近いことを知らせてくれるこの季節に似合いの花だと思う。

こんなに冷え込んだら花びらが粉々に散ってしまうのではと思うほどなのに
そんな気持ちとは裏腹に、日差しを受けて輝く花の素晴らしさ。

刈っても刈っても、自分の出る時期を悟り、その季節を精一杯生きる畦の花。
決して目立つわけでもなく、華やかな花でもないが、
何故か愛着のある花、野紺菊

2007-11-03 17:26 in カテゴリー1 | Comments (3) #

2007年10月29日 (Mon)

あしかがフラワーパーク



 あしかがフラワーパークは藤の花で有名であるが、この時期紫の絨毯を
引き締めたように、アメジストセージが咲き乱れる。
見どころの最初は入り口を入ってすぐの場所で、昨日は結婚式が行われていた。前の日は大雨で、寒くて大変であったろうが、お天気にも恵まれて、
カップルの友人たちは、ドレスにショールという艶姿。

そして奥の休憩所にも沢山のアメジストセージの群落が待っている。
散歩する道の傍らでも、コスモスと並んで波打つように咲き誇り、
眼を楽しませてくれる花&花。

最後に色とりどりの風船が青空高く飛んで、幸あれと祝福しているかのように。

2007-10-29 18:26 in カテゴリー1 | Comments (3) #

2007年10月27日 (Sat)

どうして?



 山道を歩いていると、足元にどんぐりの実が落ちている。
子供ならそこで一時間や二時間はあっという間に過ぎてしまうであろう。
枯葉を踏みしめて歩くのも又楽しい。
そんな五感を鋭く使って育った子供とゲーム機で遊んだ子供がやがて大人になってどのような差が現れるのであろうか。

スーパーなどに設けられてある、障がい者の方の駐車場を健常者の方が
平気で利用している場合が多いそうで、最近大型スーパーでは、ガード付の
駐車場スペースが設置されている。
しかし、その設置料や1スペースのみで、なんと70万?とは驚きの金額である。

相手の立場にたつこともなく、自分さえ楽ならと言う自己中心的な考えが
当たり前の世の中が来たならば、地球は温暖化ながら、生きることは
なが~~い氷河期時代となってしまうやも知れぬ。

この雨の中、微動だにもしない蜘蛛のように、
いたずらに焦ることもなく、
時を待って、日々忠実に生きることの大切さを
身をもって教えてくれているかのようでもある。

2007-10-27 10:26 in カテゴリー1 | Comments (1) #

2007年10月24日 (Wed)

カレンダー



 来年のカレンダーを買い求めた。
ここ数年の私好みは、風景写真が主で、日にちの部分に書き込みがあるものと決めている。

今年は「日本の朝」のいうタイトルで、特に表紙に尾瀬の白樺に草もみじの
光景に目が止まり、「これだ!」と即決。

そこに書いてある詩を読んでいると、
心は尾瀬情景へと飛んでこころ楽しい。

 それは暗闇のそこから、そっとやってくる。
白い何かが動いたような気がして、
目をこらしても何も見えず、
ふと気がつけば、薄い霧につつまれて、
淡く紅色に染まり、静かに静かに、
しかし確実な速さで刻々と朝は地上に、
水面に、林間に谷間に、訪れる。
極めてゆっくりしているようで、
それでいて素晴らしくめまぐるしい変化が
連続し、短く、鋭く、優しく、
穏やかな夜明けのドラマの幕があく、
その一瞬の美しさ。
2007-10-24 06:56 in カテゴリー1 | Comments (5) #

2007年10月21日 (Sun)

鬼怒グリーンパーク



 今日は写真仲間と日光方面の紅葉の予定だったのだが、急遽混雑を考えて「鬼怒グリーンパーク」の100万本のコスモスの撮影となった。
噂には聞いていたが、約3ヘクタールの広い敷地内には赤やピンク、黄色の
コスモスが咲き競っている。
のんびりと散策を楽しむ人や、子供たちの遊ぶ場では水上アスレチック、
トリムの森など。ボート遊ぶ、バトミントンなど家族で楽しめる空間がいっぱい。

小春日和の一日のんびりと過ごすのに相応しい場所でもあ
る。
所在地:栃木県塩谷郡高根沢町宝積寺





2007-10-21 17:07 in カテゴリー1 | Comments (5) #

2007年10月20日 (Sat)

実るほど



 今日は穏やかに晴れてくれてラッキーである。
毎年恒例となったPCクラブでも合同写真撮影会が「とちぎみかも花センター」にて行われる。
毎回お弁当係りを仰せつかっているので、いつもながら撮影よりも無事お弁当が届くことが一番の気がかりでもある。

このクラブ殆ど参加することもなくて、新年会や合同会&文化祭だけ顔を出すと言う幽霊会員並なのである。

前回にも書いたが、退会できない理由は、一言お仲間の素晴らしさ!の一言に尽きる。
会えば暖かく迎え入れてくださるのがありがたい。
皆さん立派な役職についておられる方ばかりながら、ともかく腰が低い方ばかり。

「実るほど頭の下がる稲穂かな」
そんな言葉がふと過ぎるような。

2007-10-20 07:31 in カテゴリー1 | Comments (1) #

2007年10月17日 (Wed)

ありがとうの言葉



淡紅(うすべに)の秋桜が秋の日の  何気ない陽溜りに揺れている
此頃、涙脆くなった母が  庭先でひとつ咳をする
縁側でアルバムを開いては  私の幼い日の思い出を
何度も同じ話くりかえす  独言みたいに小さな声で
  こんな小春日和の穏やかな日は  あなたの優しさが浸みて来る
  明日嫁ぐ私に苦労はしても  笑い話に時が変えるよ  心配いらないと笑った

あれこれと思い出をたどったら  いつの日もひとりではなかったと
今更乍ら我侭な私に  唇かんでいます
明日への荷造りに手を借りて  しばらくは楽し気にいたけれど
突然涙こぼし元気でと  何度も何度もくりかえす母
  ありがとうの言葉をかみしめながら  生きてみます私なりに
  こんな小春日和の穏やかな日は  もう少しあなたの子供で  いさせてください


--------------------------------------------------------------------------------

2007-10-17 22:32 in カテゴリー1 | Comments (1) #

2007年10月16日 (Tue)

逞しく、しなやかに



 ミゾソバの花が咲いている。
金平糖のようなこの花を見ると、何故か経団連会長、土光敏夫氏のことを思う。質素な生活は余りにも有名であり、「めざしの土光さん」と呼ばれていた。
「私は雑草が好きだ!」の言葉がミゾソバと繋がっていくのであろう。
逞しさとしなやかさを備えて可憐に咲く雑草の花々。

今こそこのような人物が必要とされているように思える今日この頃でもある。

しかしながら、溝にはゴミばかりかと思えば、そこを埋め立てて新しい道を造ったはいいが、計画倒れであろうか、工事もうやむやのままの場所があったりもする。

あの土光氏の現東芝再建の手腕ぶりやお見事の一言に尽きる。
大胆にして繊細に、
逞しく尚且つしなやかに・・・・
2007-10-16 00:21 in カテゴリー1 | Comments (4) #

2007年10月14日 (Sun)

青いエグジット



 昨日は東京で行われる写真の講評会へ始めて参加する。
いくつになっても始めてということは不安を隠せないものである。そんな中電車で移動での楽しみは読書である。

「あのね、エグジットってダイビング用語で海から陸にあがることなんだ。ダイビングの最後だけど、以外と事故を起しやすいときなんだって。ひとつの世界から別の世界に移る。そういうのはいつだって危ないときなんだね」

一枚のポスターが車椅子で過ごす少年の人生を変えた。
(約束 石田衣良著抜粋)

別の世界に一歩足を踏み入れる瞬間って心臓バクバクで、できうるなら引き返そうかとも思うものだ。

会場は暖房と熱気で蒸し暑い中、急遽冷房にするというアクシデントなどもあって一人5点の作品が次々に批評されていく。
午後1時から5時までの時間もあっという間に通過する。

先生に「何々さん、栃木は(東京に)近いぞ!」とお声をかけて頂き救われる思いだった。
なにせ東京は都会なもので足がすくみますと答えたものの、
外界も覗いてもみたいしで・・・・

2007-10-14 17:02 in カテゴリー1 | Comments (1) #

2007年10月11日 (Thu)

将棋の王手(2)



自分自身の立場を苦しいからとて、
泣きごとばかり言っても決してよくならない。
むしろ困難きたれと喜ぶことだ。そして、
第一に、じっと考える。
第二に、うろたえぬ。
第三に、負けてはならゆと勇気をふるい起こす。
人間生きている限り悩みは深いものです。
自分だけではない。他の人も耐えている。
耐えられないことはないはずだと
悩みに打ち勝つことです。

喜びのタネまき新聞 鈴木清一氏

2007-10-11 18:16 in カテゴリー1 | Comments (7) #

2007年10月9日 (Tue)

頑張れ!頑張れ!



 夕方スーパーで買い物をすませ、車に向かう途中、前を走っていた幼い女の子が転んだ。数歩先に行ったお母さんが気づいて手を差し伸べようとしたが、大きな買い物袋が邪魔をする。
反対側を少し年上の女の子が通りかかり、思わず「頑張れ!頑張れ!」のエールを送る。
その声に転んだ子は、一瞬どのような態度をとればよいのか困った様子。
やはり泣いておこうとばかりに、「え~~~ん 痛いよう~~~痛いよう・・・・」素肌の足に怪我はない。

素直なこころで、お互いに共鳴しあう姿って改めて美しいなぁ~~~と思った。所詮うわべの言葉なんてなんの感動もありはしないのだから、出来うるならば、本音で生きて、本音で付き合えたら素晴らしいと思う。

幼い女の子から、そんなことを教わった。
大きな声をだして泣けば、後はすっきり心も晴れるのだから、泣きたいときは泣けばいい。笑いたいときには笑えばいい。

子どもの声がうるさいからと近くの公園の噴水が止められた。
子どもの声は、聞く人によってその感じ方も様々であろうことは理解できるが、
子どもとは泣くのが仕事、大きな声で遊ぶのが仕事でもあり、そのエネルギーや凄いものがある。
みつごの魂百まで・・・・と言われるように、この0歳から3歳までの間の威力や如何にである。言葉を覚え、這って立ち歩く、日常生活の殆どをこなすのだから。

優しいこころだって人一倍。
頑張れ!頑張れ!
素敵なことば。

2007-10-09 21:31 in カテゴリー1 | Comments (3) #

2007年10月7日 (Sun)

秋明菊



 庭先にひっそりと咲く秋明菊を始めてみたときは、なんと品のよい花だろうと想ったものだが、いざ写真となると、なかなか難しい花である。

花ことばは「うすれゆく愛」とかで、

この花を詠んだ

秋明菊は暗きに人は明るきに 青柳志解樹氏

菊という名前がつくので何故か暗いイメージがあるようだが、
何故か私の写真は能天気でごめんなさい。

2007-10-07 18:21 in カテゴリー1 | Comments (3) #

2007年10月6日 (Sat)

ちぃじがき



 ここ甘楽町は群馬県の南西部にあり、人口1万5000人の自然豊かな町である。江戸時に織田宗家の小幡藩として栄えた町並みが現在も残されており、シーズンには多くの観光客が訪れる。この中心部から南方へ10kmほど山奥に入ったところが秋畑那須地区にあたる。

 秋畑那須地区は、霊峰稲含山の麓にあり、標高600から800mの山間傾斜地で、平垣な農地を持たない過酷な自然条件のなか、数々の神話や獅子舞、神楽など親から子へ、子から孫へと引き継がれてきた。

しかし時代の大きな変化により、専業農家も減少し、あわせて高齢化と過疎化が急速に進んだため、美しかった「ちぃじがき」の段々畑も人出不足から遊休農地となり荒廃が目立つようになった。

平成7年にこの状態を何とか打破しょうと会議が持たれ、町と地元住民が協力し、草ぼうぼうに荒れてしまった「ちぃじがき」の段々畑を蕎麦でよみがえらせようということになった。そこでオーナー制度を取り入れて、都市住民の参加で「ちぃじがき」の保全と蕎麦つくりにより地域住民との交流・発展が期待できるものにしょうと決め、名称を「ちぃじがき蕎麦の里つくり」とした。

今年は蕎麦の「花まつり」が10月14日(日)に予定されているようで、そろそろ咲き出したころだろうと思い出かけてみたが、静かな山郷に真っ白な蕎麦の花が時たま風にゆれて、あと少しで新蕎麦を口にする日も近いことを
知らせてくれている。

《ちぃじがき》
同地区の方言で、小さな石を積み上げた石垣と小石まじりの段々畑のこと。
2007-10-06 07:43 in カテゴリー1 | Comments (6) #

2007年10月2日 (Tue)

私にふれないで



 夏から秋にかけて庭先や畑にひっそりと咲く鳳仙花の花。花後の実はふれると、果皮がはじけて種子をはじき飛ばす。花言葉の「私にふれないで」や「短気」といわれるのはこのような様子からつけられたようである。

それにしても、見れば見るほど花言葉とは反対におっとりともの静かな女性のイメージがすると思うのは私だけであろうか。

特に人目を引くという花ではないが、学校帰りなどに見かけるこの花やほうずきなどはいつでも心に隅にしまっておきたいような想いで眺めていたように想う。

実際花の実がはじけて飛んだのを見たことはないが、蓮ではないが心の耳を澄ませば、はじけて飛ぶ音がするのではと他愛のない思いが横ぎるのである。
2007-10-02 21:24 in カテゴリー1 | Comments (4) #

2007年9月30日 (Sun)

至極のとき



 人生の中で綺麗なお花を愛でて、美味しいものを食することは、まさに至極のときであろう。
先日巾着田の彼岸花を数枚撮影したものの、あまりの人の多さに戸惑ってしまい、川原を渡り歩いて数分の「阿里山カフェ」へ。
いつもなら火曜日は定休日なのだが、曼珠沙華特別連続営業中とかで10月の17日ごろまで連日の営業、店内はお昼前にも関わらず満員という感じ。
高麗川の清流を見下ろしながらのランチは最高で、川辺では中学生の男子5,6人が水遊びをしている。魚の泳ぐ姿が見えるであろう澄み切った水に焼けた肌はまさに健康的というイメージで本来の子どもの姿がここにあった。

あるがままの姿を今こそ大切にしたい時代であろう。
阿里山の最初の目的は、「気さくで居心地のいいこじんまりした場所があって、そこに気のあう人間が集まって、おしゃべり、そして美味しい料理を楽しんでいる、僕たちが目指しているオーガニックなライフスタイルというものを同時に示すことができたら」

そんな思いが現実となって2001年の夏「阿里山cafe」オープンとなる。

そこには人に優しい至極のひとときがある。

その後再度撮影に向かったならば、先ほどよりは大分すいて光の加減も好かったようでゆっくり撮影できたのはありがたい。

又来年会いましょうの言葉を背に家路へと。
2007-09-30 22:25 in カテゴリー1 | Comments (3) #

2007年9月29日 (Sat)

鱗茎って何?



 先日巾着田の曼珠沙華を撮影中、こんな会話が飛び込んできた。男性の声で「その花に触ったら毒がありますよ!」女性数名の声「そうだね!何かに書いてあったよ、茎に毒があるんだって」目はファインダーながらこの毒は球根にあると思っていたが・・・?

鱗根;玉葱やノビルのように極端に短縮した茎の周囲に多量の養分を蓄えて厚くなった葉が多数重なって球形、楕円形をしたもののこと。
ちなみにヒガンバナ科のヒガンバナ・キツネノカミソリなどもすべて「鱗茎」だそうです。

巾着田HPの中にこのような質問コーナーがあり、ちょっと興味のある部分を記しておきます。

どうして曼珠沙華が群生したのですか?
歴史的には昭和40年代後半に、巾着田の用地を当時の日高町が取得し、利用について議論される中で、平成元年頃に草薮であった河川敷地の草刈りをし始めると、そこに生息していた曼珠沙華の姿が見られるようになりました。群生の規模が予想外に大きく、その美しさを報道機関等が紹介するようになると、多くの方々の関心を引くようになりました。
巾着田周辺に曼珠沙華群生地が形成された理由についてですが、巾着田は高麗川の蛇行により長い年月をかけて巾着の姿を形づくり、その内側に耕地が形成されましたが、河川の増水時等に上流から流れてきた物の中に混じっていた球根が、漂着し根付いたと考えるのが妥当でしょう。
現在は、巾着田管理協議会により、曼珠沙華の塊根を掘り起こし、これをほぐして10球から15球を1株として移植することにより群生地の拡大をはかっています。これは、曼珠沙華の発芽率が10~15球当り1~2本と低いため、球根を束ねて埋め戻しているもので、100万本以上の曼珠沙華が咲く巾着田の群生地には、その10倍以上の1000万超の球根が息を潜めていると思われます。       


毒があると聞きましたが、本当ですか?
曼珠沙華には鱗茎(球根)にアルカロイドの一種でリコリンという毒をもつ、有毒植物です。花茎の汁に触れた場合など皮膚炎を起こしますのでご注意ください。

と言うことは、やはり花は見るだけで触れないことでしょうか。
増してや、木に一輪差し込んだり、川辺に花束にして植え込んだりする行為は蛇足も甚だしいもの、これだけに綺麗な咲いた花に今年も会えたことに素直に感謝したい。
2007-09-29 07:48 in カテゴリー1 | Comments (1) #

2007年9月27日 (Thu)

曼珠沙華



日本には古い時代に中国から渡来したのが広がった。和名は彼岸のころに咲くので彼岸花とつけられた。別名をマンジュシャゲといい、梵語の曼珠沙華で、赤い花の意味であるといわれる。また、墓地に咲くのでシビトバナと呼ぶ人もいる。
 球根は、キツネノカミソリと同じく有毒。水田の畦、土手、墓地など人の
生活している近くに生える多年草。9月中旬から10月中旬にかけて、赤色の6弁花が数個咲く。希にシロバナもある。外側の3枚はガクで、内側の3枚が花弁。花後に葉がでて緑のまま冬を過ごし、夏には枯れて見ることができない。分布は日本全土となっているが、東北北部から北海道にかけては見かけることが少ないようだ。


 近年では自生地は減りつつあるが、関西方面では京都の西部から北部にかけて。奈良県の田園地帯。愛知県松山市川中町の米作地。群落の保護地区では、宮崎県野尻町のドライブイン萩の茶屋が、9月上旬あたりから、一万平方メートル敷地内に3百万本のヒガンバナで彩りを添える。

 昭和50年に野尻町の町花として制定されている。関東では、埼玉県日高市の高麗川流域、巾着田といわれるところが市で管理され見事な大群落を見せる。

 群落風景を撮るならパンフォーカスが基本で、どうしても絞りきれないときには、少なくとも手前から写りこむ花の部分全体には被写界深度を確保したい。後方のボケはさほど気にならないが、形が分かる程度の前ボケは、目障り以外の何ものでもないことを頭に入れておくといいだろう。目障りだけではなく観賞価値を減少する。クローズアップでは、主体と脇役を明確に扱い、背景はできる限りシンプルになるように工夫、固体を選ぶようにするといいだろう。

文章は「花ごよみ花のたび」小松毅史氏写真集より

2007-09-27 23:17 in カテゴリー1 | Comments (1) #

2007年9月23日 (Sun)

心の持ち方ひとつ



 秋分の日の今日こんな文章に出会った。「生き方」稲盛和夫著より

『心の持ち方ひとつで地獄は極楽にもなる』
 
 あるお寺の若い修行僧が老師に「あの世には地獄と極楽があるそうですが、地獄とはどんなところなのですか」と尋ねました。すると老師はつぎのように答えます。
「確かにあの世には地獄もあれば、極楽もある。しかし両者には想像しているほどの違いがあるわけではなく、外見上はまったく同じ場所だ。ただ一つ違っているのは、そこにいる人たちの心なのだ」

 老師が語るには、地獄と極楽には同じような大きな釜があり、そこには同じようにおいしそうなうどんがぐつぐつと煮えている。ところがそのうどんを食べるのが一苦労で、長さが一メートルほどの長い箸を使うしかないのです。
 地獄に住んでいる人はみな、われ先にうどんを食べようと、争って箸を釜につっ込んでうどんをつかもうとしますが、あまりに箸が長く、うまく口まで運べません。しまいには他人がつかんだうどんを無理やり奪おうと争い、ケンカになって、うどんは飛び散り、だれ一人として目の前のうどんを口にすることはできない。おいしそうなうどんを目の前にしながら、誰もが飢えてやせ衰えている。それが地獄の光景だというのです。

 それに対して極楽では、同じ条件でもまったく違う光景が繰り広げられています。だれもが自分の長い箸でうどんをつかむと、釜の向こう側にいる人の口へと運び、「あなたからお先にどうぞ」と食べさせてあげる。そうやってうどんを食べた人も、「ありがとう。次はあなたの番です」とお返しにうどんを取ってあげます。ですから極楽では全員がおだやかにうどんを食べることができ、満ち足りた心になれる・・・・・・・・・・・・
2007-09-23 17:30 in カテゴリー1 | Comments (3) #

2007年9月22日 (Sat)

一言かけて



 昨夜は町内の防犯パトロールで、役員の方が、不審者には一言声をかけることにより、大分その後の行動が変わってしまうとお聞きした。「こんばんは」の挨拶もよし、「お気をつけて」の労りの一言が平常心を取り戻すということなのだろうか。

ちょっとした注意の一言で、負傷を負うなどということがあって、人のこころに隙間風が吹いている現在「触らぬ神に祟りなし」とばかりの行動になってしまう。

 今朝は、朝7時より町内の資源ゴミ搬入のお手伝い。
お母さんがいなくなって寂しいのか、庭で遊んでいたのだが4~5歳の娘さんがこちらにやってきた。
このくらいのお子さんを見ると、もうたまらない!!
でしゃばり根性丸出しだとは思うが、「お母さん、すぐに終わるから、ここで待っていて。」と言ったとたん、今まで我慢していた眼が潤んでくる。

お母さんのほうも風水の本の束を見つけて、「これほしいなぁ~~~」
欲しい本があると溜め込むタイプの私ゆえに、「もらっちゃえば!」と言えば、役員さんも「いいよ、」と同調してくださる。

じっと待ったご褒美を手に、お母さんは、風水の本を手に、家路に帰る親子の後ろ姿に朝日が差し込んで、一日のスタートだ。


2007-09-22 09:07 in カテゴリー1 | Comments (1226) #

2007年9月18日 (Tue)

そんなの関係ねぇ~



 先日常楽寺にて、萩と彼岸花を撮影していたら、男性の方が寄ってきて、「皆さんは何処からきたのですか?」と聞かれ、お仲間が佐野市方面(栃木県)だと答える。
「女房の実家が佐野市赤見町ですが、満願寺に白い彼岸花があるらしい」とお聞きしたので、出かけてみたが、確かに数本咲いてはいるものの、場所が駐車場前の塀の傍。

腹ばいになろうが、斜めになろうが肝心のお寺など入ろうはずもなくて、
ただ愛でるだけなら、間違いなく咲いてはいる。

が写真にはならないと言えば、
「そんなの関係ねぇ~~」と切り替えさせられることだろう。

それにしても、この白い花、一気に増えだして、赤の中に白い花一輪だから
珍しかったのに、このまま行くと赤い花も白い花も半々なんてことも。

2007-09-18 21:34 in カテゴリー1 | Comments (18) #

2007年9月16日 (Sun)

常楽寺の萩の花



 今日は「萩の花を撮ろう」の無料の撮影会ながら、
予定されている撮影地の萩の花は、今年はパッとしないと
解っているので気持ちが重い。

それにしても、昨日彼岸花の下見に行ったつもりが、
常楽寺の萩の花がたわわに咲き誇っていて眼を奪われた。
境内を散歩する以外カメラマンもいず、秋の風が時たま
蕎麦の花をゆらす。

萩の花も、濃いピンク・白・淡いピンクとあり、
その合間から、咲きたての彼岸花がちょこっと顔をだしている。

「萩がきれいですね!」
と優しい雰囲気の女性の方が寄ってきた。
ご主人さんが、萩の花が撮りたいと、小金井市の天平の丘公園、
佐野市の万葉庭園と寄ってみたが、思ったような花には出会えず、
ここまで来たという。

山はあるし、蕎麦畑はあるし、素敵なところですねと感嘆される。

私、子供のころから見慣れた風景なので、こういうことに疎いのだ。

しかしながら、ここはうまく合わせねば・・・・。

やっと萩に会えたご主人さんに、その場所を譲る。

同じひとつの花ながら、
偶然来て出会える花もあり、探しに探して出会える花もある。
しかしながら、心に花が咲く瞬間はみな同じ。(尚、住所はトップに記してあります)

2007-09-16 07:45 in カテゴリー1 | Comments (3) #

2007年9月14日 (Fri)

将棋の王手



 問題だらけである、
だからいやになって逃げようというのか。
生きている限り逃げることもできない。
しかし困難が起これば起こるほど
生きがいがあると思って喜んで立ち向かう人もある。
「王手があるからこそ将棋はおもしろい」
と言えるのではないか。
世の中はあまりにもいやなことが多い。
自分の思うようにならないことばかりである。
しかしそれだからこそ生きがいがあり、
働きがいがあると言えるのである、

  鈴木清一氏

この文面は今日の国政をそして世の中を
ずばりといい得て妙なり。

2007-09-14 21:46 in カテゴリー1 | Comments (3) #

2007年9月10日 (Mon)

はてな???



 朝のテレビから「笑顔をキャッチできるカメラ新発売」のニュースに
ちなみに高倉健さんだと中々シャッターチャンスもない
ということかぁ~~~などどくだらない思いが過ぎる。
 でも笑いにも色々とあって、微笑もあれが高笑いもあるし、その人
しか見せない笑顔だってあるしで。
それも判断できなくなったら、人間失格だと思うけど。

赤ちゃんの笑顔はやはりお母さんが一番キャッチし易いだろうし、そう
あるべきだと思う。

男の泣き笑いは、上司か仲間かしら。

先日の暑い日、自動販売機で飲み物を買おうと近づくと、「暑いですね!
飲み物が冷えていますよ」と販売機から声が。

あのぅ~~冷えているから買いにきたのに、これでは疲れて帰って
戸を開けたら、不満タラタラの悪妻のようだと苦笑いしてしまった。

が、これがどっこい!!
おしゃべり小型冷蔵庫が売れているらしい。
悪妻よりも、逆らわない女性?の方が好いということか・・・・・・


はてやこの先、世の中どうなることやら。
そういえば、あの有名な「モナリザの微笑み」の女性は2児の子持ちで
あったというデータ結果を公表していたが、
それって本当に必要なの?

2007-09-10 18:26 in カテゴリー1 | Comments (3) #

2007年9月9日 (Sun)

あ・うんの心



 「おいとまを いただきますと 戸を閉めて 出てゆくやうに
ゆかぬなり 生は」
日常のさりげない生活を魅力的に描いた作家、向田邦子さん。
満願寺の両門に建つこの像に「あ・うん」のドラマが重なった。

この立ち姿、ぐっと眼を見開いて、隙のない形相やお見事なり。

その後想うことがあり、本屋に走り込んで、カメラマスターガ
イド書を手に入れた。

同じ機種だから、解り易いし、
「カメラのことが解れば解るほど、きっともっと楽しくなる」
であろう、いやそうあってほしい、そうならねば・・・・・

「あ・うん」の心境に達せねば、戸を明けて ただいま とは
ゆかぬなり・・・・さて 熱しやすく、厭きやすい性格ゆえに???

あ・う~~~~ん!結果は神のみぞ知る。
2007-09-09 17:49 in カテゴリー1 | Comments (3) #

2007年9月8日 (Sat)

祈り念じて



 出流観音満願寺の奥之院拝殿の中に拝される鐘孔石からなる自
然仏で高さ四メートル余、端厳なる容姿は信徒の随喜やまざるも
のである。古来十一面観世音の後姿として拝まれ天平の往古下野
の国司若田氏高郷の奥方が子宝に恵まれなかったのを歎かれ、
この十一面観世音に祈念して授かった一子が、後の勝道上人で、
彼の日光山をはじめ当山の開基と仰がれるお方である。この因縁
から当奥之院十一面観世音は子授観音として聞こえている。

いつもながら、このような山奥にこのような拝殿を奉った古来の
人の力に平伏すると共に、自然が織り成す芸術品に圧倒させられ
る。今でこそ、参拝の折には照明もあるが、当時は手探りで中に
入り、ただひたすらに祈り、そして念じたのであろう。

それは我の為だけであっては出来ない事業計画であり、その背
後に何か目には見えない大きな力が働いていると思えてならない。

時は流れても、人にはどうすることも出来ない事が多々ある。
慌しい日常を離れて、時には山奥に入って想いにしたり、祈り
念じてみることも大切なことだろう。

自分を見失わないように、他人に流されないように、平常心で
あるが為に・・・・・。

 

2007-09-08 17:21 in カテゴリー1 | Comments (1) #

2007年9月4日 (Tue)

試練の向こうに



 編み物をしていると、時々絡み付いて、イライラとした経験を
ふと思い出す。こればかりは時間がたっぷりあるから
捗るかといえば、「いいえ!」なのである。
小説と同じで、ちょっとした時間の合間をみては、網目を増やす
作業は「やれっ!」といわれてやるのなら恐怖に近いかもしれな
が、ふと気がつけば3時間の睡眠だったなんてことも毎度だった。
しかし絡み合った毛糸を前にしたその瞬間に本性が顔をだす。
少し我慢して解きほぐすものの、数分で「えぃっ!」とばかり
断ち切ってしまうのだ。

 そんな時、友人に気の永い人がいて、傍で黙って、「かして」
と言っては解いてくれた。
その手はまるで手品師のようで、惚れ惚れとしたものだった。

何か試練にぶつかった時は、
「焦らない!落ち着いて!・・・・ホラネ!!」と
そんな声が聞こえてくる。

懸命に努力すれば、誰かがそっと助けてくれる。
試練の向こうには、希望の光が輝いていることを信じて。
ただひたすらに・・・・
2007-09-04 22:27 in カテゴリー1 | Comments (3) #

2007年9月2日 (Sun)

手の切れるような



 あの京セラとKDDIを創業した稲盛和夫氏の人生哲学が詰まった
「生き方」より

 以前、私と同年代の有名大学をでた研究者がいました。しかし私は
その製品を見るやいなや、にべもなく「ダメだ」と突き返したのです。
「なぜですか。お客さんが要求する性能そのままの製品ですよ」
かれは食ってかかってきました。
「違う。私が期待していたのはもっとレベルの高いものだ。だいいち
色がくすんでいるじゃないか」
「あなたも技術者なら、「色が悪い」なんて情緒的なことをいわない
でください。これは工業製品です。もっと科学的、合理的に評価して
もらわないと困ります」
「情緒的だといわれようが、私に見えていたものは、こんなくすんだ
色のセラミックスではない」

 だからダメだと、私はやり直しを命じたのです。それまでの彼の苦
労や、突き返された怒りは百も承知の上です。しかし事情はどうであ
れ、そこにできたものは、それまで私に見えていたものと・・・外見
上ではあるにせよ・・・明らかに違ったものでした。そこで何度もや
り直しさせた結果、とうとう最後には理想の製品を完成させることに
成功したのです。
 
 そのとき私は、「手の切れるようなものをつくれ」といいました。
あまりにすばらしく、あまりに完璧なため、手がふれたら切れてしま
いそうな、それほど非の打ちどころのない、完全無欠のものをめざす
べきだ。そういうことをいったのです。

「手の切れるような」という形容は、幼いころ私の両親がよく使って
いた言葉です。目の前に理想的な完成品が具現化されているとき、人
間はそれに手をふれるのもためらわれるような憧憬と畏敬の念に打た
れるものですが、両親はそれを手の切れるようなと表現していたので
す。

 それが私の口からでたのです。「もう、これ以上のものはない」と
確信できるものが完成するまで努力を惜しまない。それが想像という
高い山の頂上をめざす人間にとって非常に大事なことであり、義務で
すらあるのです。


2007-09-02 17:58 in カテゴリー1 | Comments (1) #

2007年9月1日 (Sat)

日本人の色彩感覚



早いもので、今日から九月。一年間の四分の二が過ぎ去って
しまった。油蝉のように暑い、暑いと発した言葉も収まっ
たようで、これから何かにチャレンジするにはもってこい
の陽気であろう。

写真集の新刊は紅葉の画像で埋め尽くされて、これぞ日本
の風景&心ありとしみじみと魅入る日々である。

なかでも「風景写真」の雑誌が一番のお気入りで、書店に
並ぶや買い求めるようになった。

今回の特集は
「風景写真はデジタルの時代!なのか?」で、その一部に
受け継ぎたい日本人の色彩感覚とある。

板見浩史氏
「色調と諧調は写真の大きな基本のひとつで、諧調のない
写真は貧しい写真と言っていいと思う。例えば緑一色にも
萌黄色とか若竹色とか何十もの名前があってそれらを使い
分けているように、日本人は自然の微妙な色彩に違いを見
分けて、それを絵や着物などに表現してきた民族だったは
ずです。・・・・・・」

石川薫氏
「まさしくその通りで、日本の風景の美、自然に根ざす
日本人共通の美意識を伝えていくことは、プロアマの隔
たりなく風景を撮る人の指名であり、大きなテーマだと
思うんです。表現として写真を撮るということは”何で
もあり”ではないと思います。」

素晴らしい記事ながら、まだまだ理解できることはほん
の一部ながら、美しいと感じる心を大切に、たとえ後退
してもいいではないか、解るところから、少しずつ、そ
して、いつも心がけていることは
「楽しみながら!」である。
2007-09-01 08:28 in カテゴリー1 | Comments (1) #

2007年8月29日 (Wed)

心はニュートラル



 人間なんてわがままなもので、
暑ければ、暑い!暑い!と嘆き、雨の日が続けば
晴れの日をこいしく思う。

丹地敏明氏の「光のとらえ方」の中に、

太陽の光を受けた自然の色彩は、生き生きして
豊かに見えます。青空の日はまた、自然と気持ちも
明るくなります。曇天、雨天とはまったく違う感情
が作用するのでしょう。
撮影はこのハイになった気持ちが重要な役目を果た
してくれるのです。気分が高揚していると、頭が冴
えリズムがでて、被写体はスムーズに見つかり、撮
影手順は、順調に的確に進行します。
写真が楽しく撮れるときとは、こんなときです。
一方気分が落ち込んでいるときには、被写体は見つ
からない、無理をして撮ろうとする、撮影手順は後
手に廻る、と悪いほう悪いほうに転んでしまうので
す。こんなときに撮った写真には、つまらない写真
が多いものです。人間、感情にもリズムがあって、
いい時ばかりではありません。常にリラックスして
気分転換が素早く出来るようにしたいものです。

とあります。

日々自然に感謝して、常に心をニュートラルにする
心がけが大切なのですね。
2007-08-29 07:10 in カテゴリー1 | Comments (3) #

2007年8月27日 (Mon)

何かが違う



 小学生の児童をもつお母さんの携帯には
学校付近で起った身近な情報がメールで送られてくる。
子供の身の周りには一切名前記入はダブーなのだそうだ。
もちろん名前を聞かれたら、答えてはならないそうで、
今の子供達可哀想そうに、常に他人を見たら犯罪者と思えとは
悲しい。

童話の「モチモチの木」のように、おじいさんと二人暮し、
夜便所にも行かれない子供が、ある夜おじいちゃんの病が
悪化してお医者さんを呼びに行く。

誇らしげに見上げる眼に
モチモチの木の花が勇気を称えて満開に咲く。

今では、そんな無駄なこと、
そんな馬鹿なことと笑われようが、
何かが違う
いや!無駄と言われようと、馬鹿と言われようと
もっともっと温かい心とふれあいを通して
育つのが本来の子供だと思えてならない。
2007-08-27 22:01 in カテゴリー1 | Comments (1) #

2007年8月26日 (Sun)

大利根の布袋葵



 膨らんだ葉柄を七福神の布袋の「ほてい腹」に見立てたのが
名前の由来で、また、水面に浮かぶ花姿から「ゆれる心」
の花言葉がついたとか。

あの日も調度8月も残すところ後一週間あまりという同じような
時期だったように思う。

会社の花好きの先輩から、布袋葵の群生を観に行こうと誘われて
彼女の車に乗って出かけた。
その傍に、ご病気で寝たきりの友人がいるという。
車椅子に乗っていらした彼女は、花を観るなり、童女のような
笑顔を浮かべた。
言葉にするのもやっとという感じながら、彼女が
「私の友達の○○ちゃん」と紹介しただけで安心したのだろう。
友人とともに、カメラを前にピースの手と信頼の笑顔。

あれから幾年かが過ぎ、友人も仕事を変えて看護師として多忙の日々。
ご無沙汰でも、花を観ると思い出す人がいる。

☆童謡のふる里大利根の布袋葵
 埼玉県北埼玉郡大利根町大字佐波258ー1

☆この暑さに例年よりも花つきが悪いように思えるが、
それでも場所によっては、綺麗に咲き誇っている場所
もあって、皆さん「わぁ~~キレイ!!」と・・・

2007-08-26 07:26 in カテゴリー1 | Comments (3) #

2007年8月25日 (Sat)

思考回路も途切れて



 お盆明けの一週間は、かなりきついものがあった。
やっとどうにか身体も戻りつつあるが、
せっかちな性格ゆえ、思い通りことが捗らない
苛立ち感とこの暑さに思考回路はとぎれてばかり・・・・

そんな時に限って、アクシデントは起こる。
PCのデスクトップのカーソルが動かないのだ。
もう一台ノート型があるものの、お盆に帰省の際の
写真が全てデスクの方に入力のまま。

今までは、再度スタートからやり直すことによって
簡単に修正できたのにと焦る。

もうこうなりゃ致し方ないとばかりPCの前で、
マウスを手にした途端、元コードの線が
光っているではないか。

どうやらマウスの接触不良と思いあたり、さっそく
大型電気店へと車を走らせる。

PCの機種とマウスの破損状態を店員さんに観て
頂き、状態を話すと、マウスの故障にほぼ間違い
ないだろうとのこと。透き通るグリーンのマウスを手に御代は2,480円。

足取りも軽やかに、PCに接続するや、
快調なカーソルの動き。

そんなこんなで、ブログも穴あき状態で、
拙い文章に目をとめて頂く方には申しわけございません。

又宜しくお願い申しあげます。
2007-08-25 07:13 in カテゴリー1 | Comments (1) #

2007年8月20日 (Mon)

四つの「る」



どんなことでもお話のできる
仲の良いお友達をつくってください。
人生を楽しいものにするには、
より良き友をつくることです。
その原則、四つの「る」は、
1.言える・・・言いたいことを言える。
2.やれる・・・自分が幸せになる。
3.見つける・・他の人を責めず、
        他の人の良さを見つける。
4.持てる・・・物も心も豊かになる。

鈴木清一(喜ぶのタネまき新聞より)

2007-08-20 18:11 in カテゴリー1 | Comments (3) #

2007年8月12日 (Sun)

心地好さ求めて



 すべての楽器の基本になるのが音叉であるという。
これは数学的に言うと、四百四十ヘルツの波長である。
音でいうなら、ドレミファソラシドの”ラ”の音に合
わされているのだ。この基準はどこでも共通となって
いる。
「なぜ、四百四十ヘルツの”ラ”の音に合わせるのだ
ろうか。国際会議でそう決まったのだろうか」

 あるとき、北海道大学の先生にお会いする機会があ
った。私はさっそく、かねてからの疑問を口にした。
「なぜ、調律では決まって”ラ”に合わせるのでしょ
うか。なぜ、四百四十ヘルツなんですか」
「”ラ”の音というのは、人間にとって非常に心地好
い音なんです。その心地好い音が基準になっているの
ですよ」
「楽器というのは二千年も前から存在していた、と聞
いていますがそのころはどうやって調律したのでしょ
うか」
「同じですよ。アフリカの楽器は、人間が一番心地好
いと感じるところに合わせて調律されています。イン
ドや中国、中近東でも、そこの土地の人たちが心地好
い音だと感じる音を、基準としてやってきたんです。
そして人々の移動が活発になり、楽器の持ち運びがで
きるようになって、一ヶ所に集めてみたら、全部四百
四十ヘルツに合わせられていたのです」
「しかし、アフリカ人と日本人とでは、文化が違うし
、人間が違うのじゃないですか」
「違いません。地球上のすべての人間の心地好さは同
じなんです。一サイクルも違わないのですよ」
先生はそう説明した。

「心地好さとは何ですか」
あらためて私がたずねると、先生はにこにこしながら
言った。
「そうですね、心地好さというのは、うれしいという
ことです。うれしいとき、楽しいとき、喜んだときに
感じるんです。明るい気持ちになったとき、さわやか
な気持ちになったとき、ようしやるぞ、そういうとき
に心地好くなりますね。おいしいものを食べたとき、
美しいものを見たとき、みんな心地好くなります。人
間はこの心地好さを求めて生きているんですよ」
 私は驚き、そして感心した。

「この”ラ”の音には国境がありません。人種の差別
もありません。したがって、地球上の人たちが、同じ
心地好さのなかでやっていく、その基準ができたとき
、平和ですばらしい社会ができるんだと思います」

(運を掴む フジケン(株)会長
横内祐一郎著 あとがきより)
2007-08-12 16:53 in カテゴリー1 | Comments (1) #

2007年8月11日 (Sat)

目標に向かって



 私は忙しい農業の合間をぬって、人生の師清水先生のお宅へ
よく遊びに行ったものだ。たしか私が二十五歳のときだった。
清水先生が突然こんなことをいいだした。
「横内君、きみはいったい、この世に何をしに来たのかね」
「バイ菌であろうとバクテリアであろうと、目的もなくこの世
に生を受けたものはないんだよ。いわんや、きみは人間さまだ
ろう」

 返事が出来ぬままに日は経ち、

そんなある日、清水先生のお宅の前を通りかかったとき、先生
とばったり行き会ってしまった。
私を家の中に誘うと又例の質問に、私は苦しまぎれに、こう答えて
しまった。「一生懸命働いて、お金を儲けるためです」
「ほう、そうか。いくら儲ければいいんだ」
「たくさんあればいいです」
「そういうのはいけない。具体的に数字で答えなさい」
 私は自分が欲深くなったような気がして、恥ずかしさのあま
り、顔から火がでる思いだった。黙っていると先生の方から、
「百万円あればいいか」と聞いてきた。昭和二十七年ごろの百
万円といえば、現在では想像できないほどの大金である。

先生は奥さんに硯と墨を持ってこさせ、こう言った。
「横内君。その卓袱台の上で、自分の目標を書きなさい」

「書いたものをおでこへ貼って帰るんだな」
清水先生は、このやりとりを通じて、「自分の目標を持て」と
いうことを、観念としてではなく、現実の問題におきかえて教
えてくれたのである。だから、その後も清水先生は、顔を合わ
すたびに、「どうだい、百万円になったかい」と聞いてくる。
非常に単純な方法であるが、目標をたて、その目標に向かって
知恵を働かせ、汗を流しているかを確認していたのであろう。

(弱小の会社を世界一にした男の物語
運を掴む 横内祐一郎著より)
2007-08-11 16:52 in カテゴリー1 | Comments (3) #

2007年8月9日 (Thu)

未練



 男の未練と女の未練とはこうも違うものか。未練があるから
男は女をじっと見つめ、未練があるから女は男を見ようとはし
ない。おそらくお龍は、細胞のすべてを感覚にして、生涯を賭
して愛しぬいた男の気配を感じているのだ。最期の最期にから
だ全部で感じたそれを抱えて逝こうとしているのだ。見てしま
えば、その一切が目(という器官)だけに奪われてしまうこと
を知っていたのかもしれない。
 それにしても、女として生まれ、女として生きることは、い
や生ききることは、なんと困難でやりがいのある一大事業であ
ることか。そういえば・・・・・・・

 男踊りの、自由奔放な明るさに比べて、女踊りは忍耐と形式
美に縛られる。ずっと両の肘を肩の高さで保ち、それより下げ
ずにリズムを取りながら踊り続けるのはかなりの重労働だ。そ
れでいながら、リズムに合わせてつま先から内向きに落とした
足を、次の瞬間に踵で跳ねるように外にさばく。両の足で整然
とそれを繰り返し、跳ねながらも決して乱れず暴れない。
ここでも不自由との闘いになる。しかしその不自由さによって
沸点からさらに高く、熱くなるのだから人の心の働きは面白い。
じっと耐えながら踊っていると頭の芯まで真っ白になって、そ
のくせ身体の奥から感動に似た波が湧きおこってくるのだ。

この物語のクライマックスを阿波踊りの情景が匠に彩る。

(小説 眉山 さだまさし著)
2007-08-09 17:34 in カテゴリー1 | Comments (1) #

2007年8月8日 (Wed)

感謝する



 舌のまわらないこどもでも、物をもらえば礼を言う。人の世に
そむく人でも、心にふれる親切には思わず手を合わす。

 りくつでも何でもない。感謝するということは、人としてご
く自然な姿。その言葉や形は学ぶにしても、ありがたく思う心
の働きは、人それぞれにすでに与えられているのである。

 感謝とか謝恩とかいうと、何となく窮屈なものと思いがちな
きょうこのごろ。しかし日々かわす

”ありがとう””おかげさまで”のひとことが、
どれほど人の心をゆたかにし、暮らしにうるお
いと喜びをもたらしていることか。

 窮屈に考える必要はない。感謝の気持ちをあるがままに素直
にあらわせばよいのである。

 大事なことは、野の鳥や獣ではできないが、人間なればこそ
これができるということである。つまり感謝できるということ
は、ほんとうは人としての大きな天与の特権であるとも言えよ
う。

 その特権をお互いにもっと大事にしたい。そして身に受けた
喜ぶを素直に謝しつつ、みずからもまた喜びを他に与える働き
を重ねてゆきたいものである。

(大切なこと 松下幸之助著より)

2007-08-08 22:29 in カテゴリー1 | Comments (1) #

2007年8月6日 (Mon)

木曾駒ヶ根千畳敷カール



 会社の友人より夜電話があって、先週木曾駒ヶ根に行った際
千畳カールのコバイケイソウが来週見ごろなので、夜行で行かないかとの事。
山岳会のお仲間からのお誘いらしく果たして着いて行けるだろうかとの不安が
横切る。花園には以前から是非と言う思いがあったので、
まずは検索してみると、それはまさに天上の花園と言うイメージである。
このチャンスを逃してはとまずはお願いする。

前の日の22時佐野出発→駐車場にて2時間ほど仮眠をとり、朝5時
中央アルプス駒ケ岳ロープウェイへ。
個人の進入が禁止なので、バスかタクシーのみとなる。
(タクシー30分くらい・バス50分くらい)
何時間待とうとも、このロープウェイなくしては、考えられないが、
皆さんさすが旅なれているのだろう、すでに車は満杯状態である。

朝のうちは霧に覆われてはいるものの、この眼で
雪に耐えて咲く夏の花に会えた喜ぶと
コバイケイソウと言う花の想いが募る瞬間だった。

いつの日にか、この花を想うように撮れたらという
欲望とともに。

車ナンバーはと見れば、全国至る場所からである。花が見ごろでも、気象条件とうまくかみ合わず引き返すお客さまの事を思いつつ、
こうして会えたこの日(2007/08/05晴天)に感謝である。


2007-08-06 07:23 in カテゴリー1 | Comments (1) #

2007年8月1日 (Wed)

花に合わせて



 そろそろ山百合ともお別れかもしれない時期が来た。
山の花は自然が相手なので、綺麗な花に合えるのは
なかなか難しいものである。

今回は花が咲くのが遅れたのと、猪の食害の影響で
結局思うような花には出会えずに終ってしまいそう。

家の裏の雑木林でさえ、誰も手入れがされなくなって
久しい。
お盆がくるからと、家の周りを念入りに手入れして
清める習慣も忘れ去られて、つかの間の休みに
草刈機で草も花もお構いなく刈られてしまう昨今。

山百合が咲こうが咲くまいが関係ないと言われれば
それまでであるが・・・

栃木植物園で、待っていたかのように咲いていた
山百合の花



2007-08-01 06:55 in カテゴリー1 | Comments (0) #

2007年7月29日 (Sun)

栃木植物園(大柿花山)地図



こちらです。


2007-07-29 17:52 in カテゴリー1 | Comments (0) #

ブルーベリー狩り



只今栃木植物園にて、新鮮なブルーべりー狩りを
好評開催中です。(2007年7月29日記)
家族で、又友人と園内を散歩しながらブルーべりーに
舌づつみを打つもよし、又駐車場横のブルーベリー畑で
摘むのを楽しんで頂くこともできます。
約250グラムぐらいはお持ち帰り頂けるのではと思います。

●料金園内・・・500円
 畑内のみ・・・400円
(詳しくは園内にてお聞きくださいませ)
●時間・・・・・1時間内
●場所・・・・・栃木県下都賀郡都賀町大柿
●TEL・・・・・090-5513-5813
●営業時間・・・9:30~17:30


2007-07-29 17:33 in カテゴリー1 | Comments (0) #

2007年7月27日 (Fri)

秘すれば花



 女性の品格(坂東眞理子著)が何故に今話題なのかは
ページを開けば明快である。

友人にだって、身内にだって自分の弱い部分、醜い部分は
おまり見せないほうがよいのです。ましてや自分自身で消化
しきれていないときは、他人に言ってはいけません。
言ってもよいのですが、何もかも言わず、どろどろとした
部分は自分の心にふたをして、時間がたち傷が癒えるのを
待ちましょう。
 不完全で、欠点の多い自分をありのままに告白して、
あるがままに認めてもらおうというのは、とても不遜極まり
ない態度です。できるだけそうした自分を見せないで
少しでもいいところを見せるように努力することが、人間の
品性を高めるのです。おそらくどんな立派な人でも地位の
ある人でも、一皮剥ぐと、弱い部分、情けない部分、
どろどろした部分があるでしょう。
そうした弱点があるのは人間だから、当然だと居直るのでは
なく、いかにして表に出さないよう努力するのが重要なのです。
 逆にそういう努力はしんどい、めんどうくさい、私にはでき
ないと諦めてしまうと、品格のない人間になってしまいます。
日本の若者たちがそうした「少しでもよくなりたい」という夢を
捨て、「私は(ボクは)これでいいんだ」と人生を降りてしまっ
ているからです。経済的格差より、自己評価格差のほうがずっ
と問題だと思います。

未だ途中ながら、読みながら、共感したり、励まされたり、
肩にそっと手を置かれたようなそんな安堵感を感じさせられる
一冊です。
2007-07-27 21:48 in カテゴリー1 | Comments (2) #

2007年7月25日 (Wed)

花案内人



 近場の山百合がここ2~3年一気に数が減ってしまった。
今咲いているのは、一輪花ばかり。
どうやら大きな球根は猪被害で全滅らしく、
何処にでもある花との思いも簡単に崩れてしまったのは
何とも悲しい。

先日も、山道を歩いていたら、山歩きの方に出会い、
カメラを手にしていたのですぐに察したのだろう。
「山百合ですか?あそこに咲いていましたが、一輪だけじゃ
駄目でしょう!」とこちらの気持ちを読んでくれて
出来たら大輪の花が撮りたいと言うと、咲いていそうなところ
を案内してくれると言う。

その方数年前に脳梗塞で倒れて、車椅子生活から、
現在は一ヶ月のうち二十三日は山歩きとの事。
残念ながら、ここも蕾が多くて開花とはならずであったが、
これも自然界の成せる技、
花に合わせて会いに行くこれしかない。
むしろ一度きりの出会いかも知れないのに、
こうして花案内をして下さる方の気持ちが有りがたい。
一期一会
常に前向きに生きる活力源は、年齢ではないと感じさせられた。


2007-07-25 07:03 in カテゴリー1 | Comments (0) #

2007年7月22日 (Sun)

ミズアオイ



上野伊香保(かみつけのいかほ)の沼に植ゑ子水葱(こなぎ)かく恋ひむとや種求めけむ

上野国東歌 巻14-3415

《上野の国の伊香保の沼に植えたこなぎ。
ちょうど彼女はそんなかわいさ。こんなに恋しさをつのらせて悩む為に、
その種を求めたわけではなかったはずなのに・・・・・》

撮影地*花之江の郷にて
2007-07-22 17:23 in カテゴリー1 | Comments (0) #

2007年7月21日 (Sat)

ギボウシ



 何を撮っているのですかと問われ、「ギボウシです。可愛い花でしょう
ゆり科です。」「えぇ~~!可愛いです。本格的なんですね」と呟いて去って行った。本格的とは間違いであるが、一瞬爽やかな風が横切った瞬間で、隣で微笑んでいた彼女は
美人。こんな育ちのよい人は、きっと家族に愛されて育ったのだろうと思わせるような青年で、好感が持てる。

血筋のよい人間が又努力するから、世の中超人が生まれるのだろう。
今日の日経のコラム欄には、

長島茂男さんは高校時代
タイガースの藤村富美男選手に心酔し、
そのフォームをまねて毎日バットを
振り続けていた。
「下手でも振って振って、好きで好きで夢中でやった。」
本誌に連載中の「私の履歴書」でこう振り返っている。

ギボウシの花言葉は沈静とある。
決して華やかな花とは言えないが、
頑張って!と囁いてくれているような
花である。
2007-07-21 18:16 in カテゴリー1 | Comments (0) #

2007年7月18日 (Wed)

森の貴婦人



 やはり花は咲きたてがいい!!
さっそく武蔵丘凌森林公園の山百合に会いに出かけてみた。係りの方が山百合の開花を数えている間質問攻めにしてしまって御免なさい。
下調べもそこそこに出かけていくのはいつもの事なので、見どころは何処だったかしら?は毎度のこと。係りの女性の方に、思わず「わぁ~~綺麗!!
何だか寒気がしてきました。」とはしゃいでしまう。梅林のところが咲いているのは解るのですが、記念塔は?やまゆりの小路ってどっちでしたっけ?
時には走るバイクを止めさせて・・・。
まったく五月蝿い客だと思われたかもしれない。

最後は戻って梅林へ。またまたその方と出会って「行きと帰りでは数が一輪増えました!」「真っ白な蕾の先がおちょぼ口を開けているでしょう。これは明日辺り咲くでしょうね」と色々教えて下さった。

「今日はお世話さまになりました。」と最後はきちんとご挨拶ですよね!

2007-07-18 18:19 in カテゴリー1 | Comments (2) #

2007年7月16日 (Mon)

千手ヶ浜のクリンソウ



 あれは4年前くらいであろうか、美容室のお客さまが、「この間千手ヶ浜のクリンソウの花を見に行ってきたけど、それはそれは綺麗だった!」と感嘆の声をお聞きしてから、月日は流れて・・・今そんな想いが又沸騰しつつある。てっきり自然のままに咲いているのかと思っていたのだが、実は鑑賞用にクリンソウの花畑を個人宅に整備しているのが伊藤誠氏。氏の意向は自然と動物の生存バランスを再考する機会を作りたい。多くなった鹿の食害で、奥日光の花や植物が破滅的状態になりつつある現実に目を向けてほしい。防護ネットがなければ、この美しいクリンソウは鹿に食べられて全滅してしまうという。

このような美しい光景は、是非一度は、いや何度でも見てみたいものである。
来年の6月の見ごろの時期、天上の花園に足を踏み入れたいものである。
たとえ鬼が笑おうとも、蛇が出ようとも。

(写真と文とは関係ございません。あいすいません。)



2007-07-16 17:25 in カテゴリー1 | Comments (1) #

2007年7月15日 (Sun)

摩訶不思議?



 昨年の今頃だったであろうか、額紫陽花が見事に咲く場所が有って、楽しみにしながら出かけてみたが、見あたらない。一道間違えたかとも思ってもみたが、ここは紅葉のシーズンには何度か通過しているだけに、うっかり人間ながら確信が持てる。

後で検索したところ、どうやらこの年は猪の食害にあったようで、せっかくの楽しみが残念な結果となってしまったようだ。
同じような美景を取り戻すのは易いなことではない。

一番先に咲く植物園でも、今年は山百合が食害にあったとかで、例年の半分咲くかどうかと危ぶまれる状況とか。

近場でも山百合が咲く山が、次々に崩されて、そこには道路が出来るという。便利になるのは素晴らしいことながら、その為に自然が消え去ってしまうのは何ともさみしい。

日本のお米が一番美味しいと知りながら、日本の野菜が一番美味しいと解りながら、何故に外国の品がスーパーに並ぶのだろう。

猪だって、やりたくてやっているわけではない。出来るなら恐い人間さまのいる里などまで来たくはないのだ。山の幸が沢山あるのなら・・・・

巡り巡って次回の猪年にでもなれば、紫陽花も見事に咲き揃うであろうか?!

いつまでも有ると思うな!と猪のお言葉かも。
摩訶不思議でも何でもない!人間さまが蒔いた種なのですよと。

取り返しがつかなくなる前に、もう一度今の現状を考えてみることがもっとも大切な時期にきているのかもしれない。

そんなことを猪の食害を通じて思う。

そんな思いの中で、今年秩父市の美の山の紫陽花にで会えたことは忘れられない出会いである。

2007-07-15 16:35 in カテゴリー1 | Comments (0) #

2007年7月14日 (Sat)

それぞれの持ち味



赤い人参、白い大根、真っ黒なごぼう、
これらは味が全部違います。
さらに肉、魚などを
ひとつの鍋の中に入れて煮つめるのが
心をひとつにすることだと思うのです。
みなさんお一人おひとりが
持っておられる持ち味を、
そのままひとつの鍋の中に入れて、
それを煮つめて、あなたのの持ち味を
出していただきたいのです。
こころのひとつに祈りを深めましょう

鈴木清一(ダスキン 喜びのタネまき新聞より)

2007-07-14 15:05 in カテゴリー1 | Comments (0) #

2007年7月11日 (Wed)

美の山公園(みのやま)



 降ったり止んだりのお天気の中、秩父市にある「美の山公園」の紫陽花の撮影に出かけてみた。

所在地は→埼玉県秩父市皆野町黒谷

標高587mの蓑山一帯に整備された自然公園。4月中旬~5月上旬はソメイヨシノ、山桜など7000本以上の桜が咲き、一帯はピンクに染まる。5月上旬には山つつじが咲き、そして紫陽花の季節到来である。

山頂を目指して行くと、道路にはねむの木の散り花模様が美しい。

自然の中に咲く紫陽花の見事さに感動をしながらぐるりと一周してみることに。そこに幼稚園園児のヤッホーと言う声がする。
このような自然の中で生活できるなんて最高だろうなぁ~~

「歩こう、歩こう。歩くの大好き・・・・」と歌いながら下まで降りてきて
先生「これからけもの道に行きます・・・・」あぁ~~!いいなぁ~~
懐かしいなぁ~~
一言一言が魔法の世界なんだもの!

霧の中に咲く紫陽花を撮りながら、心は子供たちの世界に迷い込んでしまったようだ・・・・

2007-07-11 23:21 in カテゴリー1 | Comments (0) #

2007年7月9日 (Mon)

ほうずき市



 2007.07.09(月)~07.10(火)
江戸中期が始まりで、この両日に浅草寺にお詣りすると4万6000日、日参したのと同じ御利益があるそうです。雷除けのお札も出されています。約200のほうずき屋さんと350の露店が並び、活気あふれる売り声が飛び交うお祭りです。

海外の方も多くて、浅草はやはり日本の本場というイメージが有るのでしょうか。

そんな中目を引いたのは、裏での宅配業者の立ち働く姿である。家まで朝顔を抱えて帰る人は数少なくて、殆どの方は宅配してもらう様である。
こんなところにも時代の流れを感じさせられる。

今では沢山の種類があるようであるが、やはり昔ながらの丈50センチあまりのほうずきがいい。









 


2007-07-09 21:44 in カテゴリー1 | Comments (1) #

2007年7月8日 (Sun)

城沼とお姫さま



 古代蓮が咲き出す頃になると、子供も頃遠足で訪れた館林の城沼を思いだす。ツツジの咲く5月ごろなので蓮の花はまだ咲いていないのだが、つつじが岡公園の伝説によると
 江戸幕府下の第7代館林城主榊原康政(さかきばらやすまさ)の側室「お辻」は美しく、城主に愛されていたことから正室のねたみをかい、その責めに耐えきれず、城沼に身を投げ死を遂げました。時に慶長(けいちょう)10年(1605)のことと伝えられています。
 里人はこれを悲しみ、その霊を弔うために、「お辻」「ツツジ」の音が互いに似かよっているところから、その名にちなんで、ツツジを城沼の南岸に植え、その後次第に増殖して名園になったと語り継がれているとのことですが、子供こころにここで咲くであろう美しくも悲しい古代蓮の花はきっと
美しいお姫さまの魂が宿っているのだろうと。

近場に行くには、遊覧船で行かねばならないが、観光客もカメラマンも誰もいない場所でひっそりと咲く蓮を愛でて、時はひたすらゆっくりと流れて行く。


2007-07-08 07:45 in カテゴリー1 | Comments (0) #

2007年7月6日 (Fri)

明るい未来



 埼玉県行田市のある「古代蓮会館」の古代蓮が今見ごろを迎えている。この公園にほど誓い公共施設の工事の際、出土した種子が自然発芽し、開花したものだそうで地中の種子が自然発芽した例は稀で、行田市では天然記念物に指定され保護されている。

連日大勢のお客さんで賑わっている中、「蓮の実を食べると長生きする」との声がする。

売店には蓮の甘納豆が売っていたので買い求めてみたが、さて効用とはと検索したところ、

蓮の実は、蓮の花の散った後には蜂の巣のような穴が残る。穴のひとつひとつに種が入っており、厚い皮を剥くとピーナッツによく似た実が現れる。
これが蓮の実である。
蓮の種は条件次第で2000年以上も発芽力を保つ強い生命力があり、成熟した実を乾燥したもの(蓮子=レンシ)は、精神安定・滋養強化や心臓・肝臓・胃腸の働きを整えるなどの効用があり、漢方処方される。

料理には生のものを使い、お茶請けに最高。
カリウム・ナトリウム・リン・カルシウムなどの栄養分が豊富で、食感は豆のようなホクホク感有り。

ちなみにレンコンの効用は、
ストレス・貧血・喘息・鼻ずまり・強壮・高血圧予防・心臓病予防に
効果ありとのこと。
そう言えば、お節料理のレンコンは見通しが明るいと言う願いが込められているとかお聞きしている。

●古代蓮会館
 埼玉県行田市小針2375
 

2007-07-06 21:26 in カテゴリー1 | Comments (1) #

2007年7月2日 (Mon)

花一輪



 一番美しい蓮が一輪開花しているその前に、車椅子が一台
置かれている。それをよけて撮影していたら、息子さんであろうか慌てて駆けつけ退けて下さった。きっと普段は車椅子の生活だが、あまりの蓮の美しさに歩いて愛でたかったのだろう。
誰の花でもなく、みんなの花なのだから、気力まで回復出来れば、親
孝行の花が咲いたと言えるのではなかろうか。

花は沢山のパワーを秘めているらしい。美しい花を観て怒る人はいない。
ある意味こうして日々花と接していられることに感謝して、これからも歩んで行きたいものだと改めて思う。


2007-07-02 18:30 in カテゴリー1 | Comments (5) #

2007年7月1日 (Sun)

優しさと厳しさと



 休日の今日、古河の運動公園には大勢の親子連れで賑わっていた。3歳くらいの男の子と父親との会話。サイクリングコースの道かと思った男の子は最初行こうとしたらしいが、どうやら不安になって戻って来た。お父さんはその行動が許せなかったらしく、「お前が行きたいと言うから来たのに何で行こうとしないのだ」と言い聞かせていた。

結果はこの道を行っても敷地内からでてしまう為行き止まりなのだが、何でもかんでも子供のいいなりの時代に父親として厳しく子供に接する姿に感動を覚えた。

そういえば先日の新聞に「日本」という題材でこう書かれていた。

他人の目を気にすることで、自己を律するという伝統的な規範の形を失い、一方で社会的責任を伴う個人主義を確立したわけでもない。そこに「論理」不在の状況が現出している。96年から7年間、米紙特派員として日本に滞在したジーレンジガーさんの分析だ。

上半身裸に素足で自転車を乗り廻す子供あり、小川でびしょぬれになって
遊ぶ子供あり、大きなミズスマシも久しぶりに見た。

2007-07-01 17:57 in カテゴリー1 | Comments (0) #

2007年6月30日 (Sat)

待つ楽しみ



 手元にある「日本の花風景」の表紙は、富士見高原ゆりの里である。白樺林の間に錦織のごとく咲く色とりどりの百合の花に撮影スポット沸騰中というところのようで、
それにしても、最近このゆり園なるもの、この一冊の本の中でも、

●富士見高原リゾート「富士見高原ゆりの里」
 長野県諏訪郡富士見町堺12067
●ゆり園
 埼玉県所沢市
●可睡ゆり園
 静岡県袋井市
●伊勢ゆりパーク
 三重県志摩市etc

後一ヶ月もすると大好きな山百合に出会えると思うと心躍る日々。写真家の小松毅史先生の解説によれば、

ユリの花を群落として撮影する場合、花が後景となることはほとんどなく、通常は前景となる。いずれの風景的撮影でも同じことであるが、前景あるいは主体となる花々には、少なくとも全体に被写体深度を確保できるようなアングル、ポジションを工夫すること。クローズアップでは、できるだけ花一輪を画面中央に配置するのではなく、花の向き、方向性を考慮し、空間を生かすようなフレーミングをするといいだろう。花は形が美しく咲き具合も最良の個体を選択し、茎や葉も生かした構成を工夫したい。
とあります。

指折り数えて待つのも又楽し。


2007-06-30 16:18 in カテゴリー1 | Comments (0) #

2007年6月24日 (Sun)

色に出でし・・・



 万葉集に「朝顔」として詠われているのは桔梗の花であるようで、現在の朝顔は、奈良時代には未だ渡来していない。くっきりとした花の姿と鮮明な色合いであることから、目につくことをはばかる心を言うときに、逆に思い起こされるようになったようである。
 人に知られないようにという、昔も今も変わらない恋の歌のテーマは、花に重ねられるとき、より優美な秘すればこその恋の情感が添えられる。

こいまろび恋ひは死ぬともいちしろく色には出(い)でじ朝顔の花

(身もだえして恋の苦しさに死ぬようなことがあるとしても、顔になど出すものですか。朝顔の花のように・・・・)

2007-06-24 22:34 in カテゴリー1 | Comments (0) #

白樺牧場



 田舎に帰る途中いつも通る赤城山道路。途中観光地された沢山の施設や温泉があって折々の季節楽しめる場所でもある。道の両端には、満開の「ヤマボウシ」の花が豪華に、そして厳かに咲き、この花を求めてここに移住した
俵萌子さんの美術館を訪れるのもよい。

買い求めた自記筆の「やっぱり挑戦がいい」の言葉を毎朝心に留め置く日々。階段から軽い足取りで降りていらして、「気持ちのよいお天気ですねぇ~~、どうぞお庭でも散歩なさってからお帰りくださいね」まさにお名前のようにいつでも爽やかに激しく萌えているかのような声が今でも残る。

大好きな萌黄色に火を灯すのは、真っ赤な花レンゲツツジであろう。
曲がりくねった道に霧がかかり、多少の恐怖感と期待感が葛藤する中、目的地の白樺牧場に到着。思ったよりはカメラマンも観光客も少ないながら、
満開のこの季節観光バスが後を絶たない。

何処もレンゲツツジの咲き誇る中、数頭の牛が放牧されて、お子さんの目も楽しませてくれるので夏休みなどは家族連れで賑わう。

それにしても、思うようにこの赤が出ない。
思ったような赤に出会える日は後何年かかるやら、
花のエッジが甘い、
手前の枯れ木は邪魔物であった・・・・
反省の山となっても、諦めないで、
まずはチャレンジの一回目。
霧と白樺とレンゲツツジのこの色合いを求めて
これからもチャレンジのみ。



2007-06-24 07:30 in カテゴリー1 | Comments (0) #

2007年6月20日 (Wed)

ときめきと芳しさ



 山百合の背丈が延びて、可愛らしい蕾を見つけたら、百合の花に会いたくなった。
電車の中吊りのキャッチコピーは「ときめきとかぐわしさを求めて・・・」
とある。ときめきって言葉何処かで聞いたようなと思ったら、私のHPのタイトルであった。しかし「かぐわしい」なんて言葉に久しぶりに出会った。
香りを意味するにしても、こんな綺麗な言葉がありながら、日常あまり使われないのは寂しいものである。

むしろ外国の方のほうが、日本語の素晴らしさを大切にされているのには
頭が下がる思いである。
「育む」「織り成す」「慈しむ」即席にはない真心の篭った素晴らしい言葉の数々。日本語の素晴らしさを改めて感じる。

ここ所沢市上山口2227 「ゆり園」

●交通 西武池袋線「西武球場前」駅前
    西武新宿線「西武遊園地」駅乗り換え、レオライナー(山口線)
       「西武球場前」駅前

自然林の中に50種・約40万株のゆりが咲き競います。 
2007-06-20 23:17 in カテゴリー1 | Comments (0) #

2007年6月17日 (Sun)

私好み・・・


 栃木植物園の山肌に紫陽花の花が咲きだした。園長さん曰く、私の好みは
自然な感じの山紫陽花なのですが、もっと華やかな西洋紫陽花が見たいとおっしゃるお客さんの、そんな要望に答えてただ今検討中とのこと。

西洋紫陽花は山紫陽花と異なって、日当たりのよい場所を好むようで、山道の林や沢沿いにひっそりと咲く山紫陽花とはまったく反対だったとは。

名前こそ紫陽花なれど、和と西洋とではまるで違うようで、さて貴方はどちら好みであろうか。

好みで言えば山紫陽花であろうか。しかし時には華やかな西洋紫陽花も愛でたいしで、とかく人間とは贅沢な生き物のようで。

2007-06-17 16:36 in カテゴリー1 | Comments (0) #

2007年6月13日 (Wed)

時を待つ心



 何事を成すにも時と言うものがある。時・・・・それは人間の力を超えた、目に見えない大自然の力である。いかに望もうと、春が来なければ桜は咲かぬ。冬が来れば春はま近い。桜は静かにその春を待つ。それはまさに、大自然の恵みを心から信じきった姿と言えよう。

 悪い時がすぎれば、よい時は必ず来る。
おしなべて、事を成す人は、必ず時の来るのを待つ。
あせらずあわてず、静かに時の来るのを待つ。

 時を待つ心は、春を待つ桜の姿と言えよう。だが何もせずに待つことは僥倖を待つに等しい。静かに春を待つ桜は、一瞬の休みもなく力をたくわえている。たくわえられた力がなければ、時が来ても事は成就しないであろう。

 時を得ぬ人は静かに待つがよい。大自然の恵みを心から信じ、時の来るのを信じて、着々とわが力を蓄えるがよい。着々とわが力をたくわえる人には、時は必ず来る。時期は必ず来る。

 待てと言われればなおあせるのが人情である。だが自然の理はわがままな人情には流されない。冷たいのではない。静かに時を待つ人には、暖かい光を注ぐのである。お互いに時を待つ心を養いたい。

(大切なこと 松下幸之助著より)

2007-06-13 22:12 in カテゴリー1 | Comments (0) #

2007年6月11日 (Mon)

こだわりカフェ



 以前は何処の駅にもあった立ち食い蕎麦屋さんが消えて久しい。かと言って、神皿に紙コップでは味気ないと思っていた矢先、ちょっとした高級カフェと思わせるようなお店が増えているのはありがたい。
需要と供給の社会で、待ってましたと言わんばかりのこういった店舗の出現はこれからも成長するであろうことを願う一人である。

安いお値段のわりには、素材は好いものを使っていて、パンも味わいがあり、容器にもこだわりがある。なんといってもあのマニュアルどうりの接待は頂けないものがあって、真心が感じられないが、日本人本来の思いやりがある。

そんなすべてが受けているのであろう、品の良い高齢の方もいらして、すんなりと入れる心安さが感じられる。

やはり大都会のこういった変化を肌で感じていたい。必要以上に入り込まず、それ以下でもない都会の空気を・・・・




2007-06-11 23:41 in カテゴリー1 | Comments (0) #

2007年6月9日 (Sat)

加齢なる一族



 どんなきれいな人でも、やがては前に倒れ、後ろに倒れ、その繰り返し。人生なんてそうです。寝て、起きて、食って、働いて、便所に行ったり来たりの繰り返し。別にたいしたことはないんですよ、みなさま。
 でもね、男性は倒れないんですってよ、前と後ろには絶対に。安心してください、ご主人さま、男は倒れないです。倒れる前に死にます。それぐらい、女性は生命力があります。嫌というほど生きるんです。

奥様はこの薔薇の花です。ご主人さまはこの葉です。この花が美しいのも、茎や葉があればこそなのです。間違いなく三段バラなのであります。

   (きみまろ人生劇場より一部抜粋)

2007-06-09 17:55 in カテゴリー1 | Comments (0) #

2007年6月7日 (Thu)

手紙



 茨城県神楢市 菅谷洋子

 4月から一人住まいを始めた20歳の娘。今まで
は私の愚痴の聞き役や、夫婦間で起こるもめ事の
仲裁役、そして家族の笑顔の中心として、なくて
はならない存在だった。
 娘がいなくなり、私は日を追う毎に淋しく辛く
なってきた。ああ、やっぱり。仕事上のストレス
も抱え、どうにもこうにもいかなくなって、グチ
ばかりを長々と手紙に書いた。娘からの返事に、


「他人と過去は変えられないけど、自分と未来は
変えられる」と一言。


負うた子に教えられと言うけれど、色々な事が吹
っ切れた。ありがとう。あなたにもふるほどの幸
あれと願います。

(ダスキン 喜びのタネまき新聞より)

2007-06-07 20:57 in カテゴリー1 | Comments (0) #

2007年6月6日 (Wed)

魅せられて



 先日のこと、太平山へちょっこっと立ち寄ったところ、紫陽花まつりに供えての売店の荷物を運んでいる方が、約千段のあじさい坂の両脇に40本の蝋梅を今年植え付けになられたとかで、その理由が、今年の春秩父の宝登山の蝋梅に魅せられたので、私のポケットマネーで購入したとのこと。
いいなぁ~~魅せられてそれをすぐに実行できるなんて!

宝登山へはまだ一度も行ったことがないのだが、「魅せられて」なんてお聞きすると、来年は行こうと思う単純さ。単純でも楽しければいいではないかとばかりに。


大平山紫陽花まつり
6月15日~7月1日
大平山にてあじさいまつりが行われます。
雨の中綺麗に咲き誇る紫陽花をご覧ください。



2007-06-06 22:02 in カテゴリー1 | Comments (0) #

2007年6月4日 (Mon)

出会いに感謝



何とも情けない話だが、スポット測光がどのようなものかまったく解らない。ただ解ることはこれを理解しなくては前に進めないと言うことぐらいで、まさに頭は石器化しているのである。
そんな中「風景写真の極意」鈴木一雄著のページを捲ると、

はじめに

雨であっても 曇りであっても
新緑や紅葉がよくとも 悪くとも
朝焼けが期待どおりになっても ならなくても

今日出会えた光景に 素直に 感動しょう
生きていることの喜び
シャッターをきれることの喜びの灯を
決して 絶やさずに
こころを 喜びでふるわせよう

感動喪失病にならないよう
いつも 被写体に 自然界に
支えてくれるすべての人に
そして 神に 感謝しよう

人との競争や 欲をすて
ひたすらに 出会いの光景を
祈るように 描こう

感動と喜びが 画面に宿り
それが 作品の力となろう
それが 自分史に残る 作品となろう

自然写真家
  鈴木一雄

この一枚のページに感動してしまい、さて肝心のスポット測光はいかなることになるのやら、まぁ~それなりに学んでみよう。

(写真の花は→ヤツシロソウです。環境省の絶滅危惧種)
2007-06-04 18:50 in カテゴリー1 | Comments (2) #

2007年6月3日 (Sun)

花菖蒲の季節



あしかがフラワーパークに花菖蒲が咲きだした。と言ってもポットで育てたものを木陰一面に並べたと言うのが正解かもしれない。数人のお客さんが椅子に腰かけて安らいでいる中で、突然「どの花を撮っているのですか?」の声に他人事と思い澄ましていたらば、私を指すではないか。どうやら母親と娘さんの様であり、傍にいるのが彼女のご主人さまのようである。埼玉の東松山市からいらしたとかで、もっと広いかと思ったけど以外と狭いのですねぇ~~と、ちょっとガッカリされた様子だったので、つい余計なお節介心で、ここは藤の時期においで頂くと素晴らしいのですが。「噂にはお聞きしていますが、その時期は駐車出来ないで帰る人もいるそうですので、わざわざ避けて出かけてきたんです」との事。花菖蒲も設置したばかりですので、後数日すれば綺麗に咲きそろうと思います。又この場所にはアメジストセージが咲き揃う時期は見事ですので、又いらしてくださいね。但し下のポットは避けて撮るべきですが。

新しく買ったコンパクトカメラで花菖蒲の撮影を始めた彼女に花のマークで撮影しているの?とお聞きしたら、「そうです」との事。お若い方はすぐに理解されますから羨ましいです。花の撮影は蘂に合わせて、人物は花の蘂、つまりまつ毛に合わせて撮影されてみては・・・わぁ~お母さん顔のマークがちゃんと出てくるんだぁ~~~。

調子に乗ってのおしゃべりは嫌われる元、花菖蒲もまだ早いようなので「では楽しまれてお帰りくださいませ。」と挨拶して別れた。

再度笑顔で出会った時は、姫りんごの実の前で、今度来たときこのリンゴ鳥が食べてしまうかなぁ~~と話され、ポピーにいたコオロギに夢中になられ・・・・
最後の会話は、以外に広いのですねぇ~~~に変わっていたのが何故か嬉しくて、

地元と言うだけですが、喜んで頂けて良かった。
これも何かの縁。


2007-06-03 00:12 in カテゴリー1 | Comments (0) #

2007年6月1日 (Fri)

大切な心



ある水族館で、イルカのラッキー君が人気者になっているらしい。イルカと言えば頭脳明晰で可愛いらしいと思いきや、ラッキー君はちょっと違う。芸をしても他のメンバーより何もかも鈍くて、唯一得意とするのはバイバイだけ。それでも売店でのグッズの売る上げは伸び放題で、若い二人の女性「ラッキー君が頑張っているのだから私でも頑張れる」「出来るなら毎日来てラッキー君に会いたい!」

花も同じで、「やれ綺麗でしょう!」「貴方の為に咲いたのよ!」なんて言わないから人の心を和ませてくれるのだろう。

さて今日から衣替えだが、こう言ったことも年々希薄になってきているように思える。何処に行っても冷暖房完備なのだから、洋服を変えるよりもスィッチの切り替えと言うところなのだろうが、暦の中にある美しい文学と称される「二十四節気」を通して時の流れを感じる為にも、自然の中へ出かけ自然と触れ合っていたい。

調教師の方曰く、「ラッキーは誰よりも頑張っているから可愛いです」と。
現在の学校では頭の良い子が可愛い子で、頭の悪い子は可愛くないのではたまらない。

「駄目な子こそ可愛い」「馬鹿でも豆がようござんす」隣の悪餓鬼もいなくなってみんな良い子ばかりで、いたずらして逃げる姿もない。

人の心の中にぽっかり出来た空白を埋めてくれるものはな~に。
2007-06-01 21:51 in カテゴリー1 | Comments (0) #

2007年5月30日 (Wed)

井頭公園 薔薇園



薔薇の花に会いたくなって、ちょっと遠いのだが行くことにする。
今日のお天気は曇りから雨との予報だが、次第に青空になって時間とともに大勢のお客さんで賑わう。そんな中数十人の福祉施設の方が車椅子でいらして、保護師の方の言葉の優しさに
こちらまで良い気分にさせて頂いた。
よく植物園などで、先生が生徒に対して、「馬鹿やろう!さっさとしろ!」などと怒鳴っているのを耳にすることもあって、そんな言葉を使っている方を尊敬しろと言うのが土台無理だと思っていた矢先・・・

あるおばあちゃん「この赤い薔薇は我が家にもあったのですよ!」「そうなんだぁ~~じゃ~今頃綺麗に咲いているでしょうねぇ~~」
「いい匂いだねぇ~~先生」「やっぱ黄色が一番匂いが強いかな?!」
こんな会話が帰ってくる施設なら私も老後は入っても好いかななんて思えてきた。

午後からは本降りになって、どうやら天気予報大当たり!

井頭公園
所在地*栃木県真岡市下籠谷99
93,3haの広大な敷地内には、中央の井頭池を囲んで丘陵地と雑木林が広がり四季様々な移り変わりを楽しめそうな場所です。
2007-05-30 18:02 in カテゴリー1 | Comments (0) #

2007年5月26日 (Sat)

大切なこと



 車に乗り込むとまず最初にすることは、「大切なこと」松下幸之助著を開くこと。適当に開いたその一節を読んでからエンジンをかけるのが習慣となっている。
そして今日開いたページのタイトルは

  虫のいいこと
 人間はとかく虫のいいことを考えがちで、雨が降っても自分だけはぬれないようなことを、日常平気で考えている場合が多い。別に虫のいいことを考えるのがいけないというのではないが、虫のいいことを考えるためには、それ相応の心がまえが必要なのである。
 雨が降ったらだれでもゆれる。これは自然の理である。しかし傘をさせばゆれないでもおられる。これは自然の理に順応した姿である。素直な姿である。

 だから、自然の理をよくみきわめて、これに順応する心がまえを持ったうえならば、どんなに虫のいいことを考えてもかまわないけれど、傘も持たないで自分だけはぬれないような虫のいいことを考えているならば、やがてはどこかでつまずく。つまずいてもかまわないというなら何も言うことはないけれど、人はとかく、つまずいたその原因を、他人に押しつけて自分も他人も不愉快になる場合が多いから、やはり

虫のいいことは
なるべく考えないほうがいい。

 お互いに忙しいけれど、ときには静かに、自分の言動を自然の理に照らして、はたして虫のいいことを考えていないかどうかを反省してみたいものである。

とその傍から、この一瞬が最高というような花に会いたい!と想ってしまう
愚かさはどうにも止まらない。

(写真:ていかかずら)
岩や木にからみつく蔓性の常緑高木で、プロペラように花がねじれているのが特徴。

2007-05-26 17:38 in カテゴリー1 | Comments (2) #

2007年5月23日 (Wed)

ほたる観賞



 栃木植物園にてサツキに水遣りをしている社長さんに、ほたる観賞にご招待されたが、ほたると言えば夜である。何となく思いつきでほたるの写真が無償に撮ってみたくて昨年は友人の実家の傍まで出かけて行ったものの、ほたるは、たまに一匹飛んでくるくらいで幻想的などとは程遠くて、おまけに時間と共に心細くて結局は空振りに終わった。

設定も解らないのだから、どうと言うこともないのだが、まずは撮ってみないことには始まらない。しかし悔しいかな夜のその時間帯(夕方集合現地には7時ごろらしい)では主婦は一番忙しい時間なのである。

5年前くらいから川を綺麗にして、今ではほたるが沢山飛び交うとかで、今年は無理でも毎年行われるので、いつかきっと!

日時:6月9日(土)・10日(日)
時間:夕方6時ぐらい~7時過ぎまで?
場所:栃木県下都賀郡大柿(国道293号線・JAしもつけ生出宿里の駅直売所すぐ傍
駐車場:大柿かたくりの里駐車場
(そこより現地まで歩き)

手書きの大きな看板が数箇所あります。

写真は非売品の「萌」と言う名のさつきです。

2007-05-23 18:15 in カテゴリー1 | Comments (0) #

2007年5月21日 (Mon)

悪戯心



 私は死なない気がするとおっしゃっていた、宇野千代さんであったが、終生最大の趣味となった麻雀を教えられたのは、尾崎士郎さんとの新婚生活を営んだ馬込村の家であったそうで、宇野さんが20代半ばの頃とかで、その頃の宇野さんを称して、広津和郎さんが「初荷の馬」とからかった。今の若い人には通じないだろうが、初荷の馬と言うのは、派手に飾りたてて、正月最初の商売の荷を乗せる馬のことである。

恋多き女と言われ、宇野さんはテレビの中で、「私は親が死んだ時も泣かなかったし、男と別れる時もよよと泣いて取りすがったりしたことはありません。決して泣かない女ですよ。泣かない女なんて可愛くありませんねえ」と笑いながらおっしゃっていた。

ある時私が「でも北原さんと別れる時は泣かれたでしょう。北原さんの荷物をつんだトラックを見送った時には」といったら、「それが泣かないの、一滴も涙をこぼさなかった」とおっしゃって、白い歯を横に一杯に見せる例の笑い顔をなさった。

ところが私の帰った後で、秘書の藤江淳子さんに向かって、「今、瀬戸内さんをだましてやった」といって、いたずらっ子のように首をすくめて笑っていられたという。
(大切な人へ 生きることば 瀬戸内寂聴著より抜粋)

心の宝石箱の蓋を開けるとその中に
おしゃれ心と悪戯心がかくれんぼ。
2007-05-21 21:53 in カテゴリー1 | Comments (0) #

2007年5月20日 (Sun)

風を撮る



 今日は栃木花センター主催の無料の撮影会が行われた。参加者も殆ど顔なじみになってきたようである。風が強い為、急遽つけたのが「風を撮る」のテーマ。先生曰く雨の日や強風の日にはせっかく現地に到着してもすぐに諦めて帰ってしまう人がいるが、雨だからこそ、強風ならばこそチャンスと話してくれた。ワタスゲの撮影に都会からはるばると出かけてきたものの強風で諦めて帰った人。又福島のひめさゆりの撮影に来たものの、百合の花の取り方が解らず呆然と言う人たちの事など昨年お聞きしている。
 いついかなる事態が起ころうとも、それを生かして撮影出来たらと誰でも思うが、それも日頃の心がけと言うべきであろうか。

「武士に二言はない」ではないが、風が吹けば風を撮り、雨が降れば雨を撮る。三六五日毎日が撮影日和なのだから、これほど強い見方はないのだが、
さてその見方を付けるにあたっては、まずは基礎から一歩から。
這えば立て立てば歩めよの 親ごころ
一人二役一人舞台 やるのは誰ぞと後を振り返る。

2007-05-20 22:35 in カテゴリー1 | Comments (0) #

2007年5月19日 (Sat)

互いに忘れないように




「満開のシランに出会った時は、何だか天国ってこんなところかなぁ~~と思いました。」昨年の今頃見ず知らずの方との会話です。
残念ながら昨年は花数が少なくてお互いに落ち込む気持ちを奮い起こしたい
が為だったのかも知れない。そして今日は同じ場所で、千葉からいらしたという花好きな方とおしゃべり。この花と同じ色のみかも山の片栗が咲く時期には毎年訪れているそうで、シランに白花があったのですね!と感嘆され、この場所にミソハギと、オミナエシの花が咲く頃も中々よいものですよと話すと、ミソハギの群生も素敵ですものねぇ~~!オミナエシって今中々会えない時代ですものね!と興味を持ったようである。今では至るところでバスツワーが行われているから、初秋にでも又偶然お会い出来るかもしれない。ご主人さまのところに戻られたと思い気や、撮影をしていてハンカチを忘れたとかで又戻られて気恥ずかしいそうに笑われた。


シランの花言葉は「互いに忘れないように」だそうで、友人がふざけてこの花の名前は知らん!なんて言っていたけど、せめてシランと言わずに、忘れないように。但し勿忘草ではありませんからね。

2007-05-19 18:45 in カテゴリー1 | Comments (2) #

2007年5月18日 (Fri)

立つ鳥後を濁さず



今年も軒下にツバメが住み着いた。
朝玄関を出て見上げると、いやに頭の大きなツバメが一羽おっとりとこちらもを見ている。思わず「わぁ~~随分大きな雛が生まれたものだ!」と感心したが、待てよ!もしかしてあれは親だったのかも知れない。巣に住みついて何しろ日が浅い。
 このツバメのご夫婦いたってお行儀がよくて、糞を玄関の下に殆ど落とさないのだ。これで赤ちゃんが生まれたらこうは行かないだろうがしばらくこの様子を観察してみようと思う。
もしこのままだとしたら、まさに「立つ鳥後を濁さず」のことわざそのものだが・・・・・。
2007-05-18 18:43 in カテゴリー1 | Comments (0) #

2007年5月17日 (Thu)

はてな?



ルピナスの花を撮影している後から、こんな会話が聞こえてきた。「オーストラリアにもこのお花有ります。ルピナスは狼と言う意味です。狼のおしっことも言います。」どうやらお国はオーストラリアの方らしい。日本人の方数人「あぁ~狼の尾っぽねぇ~~~確かに似ているわぁ~~~!」私は「はぁ~~?」と思った。このお花は以前畑の一角に咲いていたのを友人から教えて頂き撮影に出かけた。凄い生き生きしていて花の背丈も半端ではなかったが、ともかく匂いが強烈で帰りは暑さも重なって気分が悪くなった程である。そのときのことを思い出し、なるほどうまいことを言うなと感心していたのに、これだけ日本語&謂れまで知っているのだが、さてこの意味どっちが正しいのだろう。

 昨日もサッカークジの話題で、皆さんあれは買えないのだと言い切るので、
いいや!買えないのではなくて買いづらいのだと説明しても誰も聞き入れない。それにもし買えたとしても、どうやって買うのか解らないと言う。

とかく女性の場合カメラにしても設定のことになると、解らないと場合が多いし、解ろうともしない人が多いように思える。もちろん私もその一人であるが。
でもやはりここを避けて通ることは、進歩もないと言うことかも知れない。
買わない籤は当たらないように、解釈も一つ間違えば大間違いにもなる。
お尻尾やらおしっこやら、はてな?


2007-05-17 00:01 in カテゴリー1 | Comments (0) #

2007年5月13日 (Sun)

風にゆれて



 風にゆれて咲くポピーのお花は、何処となく弱そうでいて強かさを感じる。この季節五月病などと言う招かざる客がやってくる。世の中は先進国にあやかって自己主張を応援する気があるが、所詮ここは日本の中、昔から「出る杭は打たれる」のが相場なのである。それに打ち勝つ自信があれば別だが、新入社員ではそれもままならないであろう。

職場は働く場所と割り切って、「見ざる・言わざる・聞かざる」で一歩職場を出たら、
まったく別のことに夢中になればいいのではないだろうか。

食べ物は乳製品に限るそうで、イライラ感を押えるカルシウムを大いに食する事が大切とか。

この世の中に自分はたった一人の大切な自分なのである。ため息をつく前に
大切な自分を労わって上げたい。「今日も一日よく頑張ったね!」と。
風が吹いたら、右に左に揺れながら、決して自分を見失うことのないように、そんな中でも凛と咲く花は美しい。
2007-05-13 23:21 in カテゴリー1 | Comments (2) #

2007年5月12日 (Sat)

その気になって



朝起きたら、雨が降っていたので、こんな日は、欠陥部品交換の案内を頂いていたので出かけた。行くと必ず好みの飲み物を用意してくれる。コーヒーを頂きながら、雑誌を読んで寛いで約45分。点検も終わり玄関横付けにて車が運ばれてきた。座椅子はビニールシートで覆われて、「お待たせ致しました」とシートが取り外されたので乗り込む。走っていてふと気がついた。「そうだ!傘を忘れた。」まぁ~~後で取りに行こうと思いつつ時は過ぎていく。やはり慣れないことはするものではないのかもと思いつつ・・・・。

 植物園でエビネ蘭の撮影をしていたら、皆さん「あやめがない!」と騒いでいる。こちらは山ゾーンなので、あやめは湿地帯の方に行かないと見られないのですよ。と話していたら、この花は何かと言うので、エビネ蘭だと言うと、「ふ~~ん」と言う返事。傍のこの花はシラネアオイかい?と言うのでそれはしゃがんで見るシャガですと言うと「シャガかぁ~~~」花の名前など知らなくても困りはしないから、どうでも良いが、食するなら気をつけた方が良い。先日もニラと思って食べて食中毒では辛い。私の帽子に虫がついているからと、払ってくれた所に家族がやってきて、「あやめはあっちだそうだ!」と言うや、家族全員「エビネがこんなに綺麗に咲いているのだから見て行かないとソン!でしょう!!」人の良さそうなお父さん「エビネ蘭は綺麗だなぁ~~~!」「やったね!」一つは覚えてくれたんだぁ~~きっとシャガも覚えたよね!失敗したっていいじゃない!人生その気になって、行け!行け!
2007-05-12 18:16 in カテゴリー1 | Comments (0) #

2007年5月9日 (Wed)

熊谷草



 「観る人は良いけど、育てる方は大変なんだぁ~~~」慮っていたことを、すんなり言われてしまった。「そうでしょうね。本当に申しわけないことです。」と言うと、「まぁ~そんなに手間がかかる訳ではないから、まぁ~楽と言えば楽かぁ~~~」と数十年前の花いじりの経歴を話してくれた。最初は石楠花の苗から始まったとかで、ダンボールに一箱もあれば好いと思って買って家についてあけてみたら、何と300本の苗が入っていたとかで、棚を何段も作り、一時はかなり凝ったらしい。次のウチョウランはまさに手入れが大変だったと嘆いておられた。

会社の友人とそろそろ咲いた頃だろうと尋ねたら、車を止めるなり、「あれぇ~~なんていう名前?」と友人・・・・・・結局ここの娘さんと彼女は高校時代の同級生で、しかも大の仲良しだったとかで、昔ばなしに盛り上がった。
縁などと言うものは、不思議なもので、どこでどう繋がっているとも解らない。礼を持って礼を尽くす。何時の時代でも忘れてはならないことである。
おみやげに、エビネ蘭を頂き、さらに又見にきらっしゃいとまでおっしゃってくださった。縁と感謝の一日が暮れていく。

2007-05-09 18:29 in カテゴリー1 | Comments (0) #

2007年5月6日 (Sun)

日本のこころ



読売新聞一面の左側「日本」と言うタイトルの記事に、最近思っていた事をうまい文章で言い表してくれているので読み進める事に今日の天気とは裏腹に爽快な気分を味わった。

その一部
 自分の好きな時間に寝起きし、食事も一人で済ませる。会話どころか、朝のあいさつさえろくにしない。「一緒に暮らす私たちのことが目に入っていないかのようです。」学生に英国留学を経験させている東日本のある私立大にはここ数年ホームスティ先から苦情が相次ぐ。
 その他混雑する電車内のトラブルの多さ等に対して、
こうしたトラブルの当事者について、ある鉄道会社では、「金を払っているのに何が悪いんだという態度が目立つ」と話す。その視界に周囲の目は入っていない。自分、自分の家族、自分の企業・・・内向きの関心ばかりが肥大化する傾向や企業や公務員による不祥事の温床でもある。

他人の目を気にすることで、自己を律するという伝統的な規範の形を失い、一方で社会的責任を伴う個人主義を確率したわけではない。
そこに「論理」不在の状況が現出している。96年から7年間、米紙特派員として日本に滞在したジーレンシガーさんの分折だ。

狐狸庵先生ではないが、まったくその通りと
共鳴しました。参りました。さすが天下の読売新聞!

2007-05-06 18:41 in カテゴリー1 | Comments (0) #

2007年5月5日 (Sat)

塩船観音つつじまつり



 昨年の春、娘のアパートの傍に、塩船観音の案内板を発見した。こころで何時かつつじが咲く頃来ようと目論んでいたのだが、子供の日の今日出かけてみた。
青梅市の河辺駅からバスに乗って約10分満員御礼と言う有様でバスの中捕まるところない始末である。

有料駐車場も何処も満杯で、いかに人出が多いかを思い知らされる。
葺き替えたばかりの茅葺の屋根を通り越すと、これまた草が生えた本堂が有り、その奥手には、約15種類17,000本のつつじが、すり鉢状の境内に咲き誇る。

塩船観音寺の開基・再興は八百比丘尼・行基との伝説があるが、貞観年間(859-876)に天台宗の安然(あんねん)が比叡山から七社権現を勧請し、阿弥陀堂、薬師堂及び十二坊を建設したという。
2007-05-05 23:24 in カテゴリー1 | Comments (1) #

2007年5月4日 (Fri)

もう要らない!



 先日パソコン倶楽部のお仲間で、撮影会が行われた。何故かパソコン習っているより撮影していた方が似合うと言う人が多く、おまけにおしゃべりと食べることが加わると言う倶楽部なのである。
撮影地傍のお蕎麦屋さんで食事をしながら、さっそく運ばれて来た前菜をコンパクトカメラの美味しそうに撮れるモードで撮影。「へぇ~!じゃ~近々匂いモードができそうね」と言い合う。分割線もボタン一つですぐに設定出来るし・・・でも隣の彼女「ところでこの線な~~に?」

カメラ屋さんに行って、「一番解り易いカメラ下さい」と言って買って来たというけれど、それってそんなに違いがあるのであろうか?!
何処に行っても、携帯でコンパクトでビデオで、一眼で・・・・撮り捲くる。
一番感じたのは数年前の花火大会の日。花火を見ている人などいなくて携帯を掲げている姿ばかり。挙句写メールが送れないという有様。

話は戻って、親戚の結婚式で撮った花嫁さんが皆赤目になってしまったと言うのでパソコンで修正すればと言うと、「前に結婚式の写真を渡したら、
写真は沢山あるからもう要らない」と言われたので、今回も躊躇しているのだとのこと。ちょっと信じられないことで驚いたが、確かに余りにも手軽に撮影出来る時代写真の有りがたさも薄らいで、他人の気持ちを察する心も何処へやらとは考えさせられた。
2007-05-04 17:14 in カテゴリー1 | Comments (5) #

2007年5月3日 (Thu)

あしかがフラワーパーク



 この時期になると、あしかがフラワーパークのある足利市迫間町周辺は
交通渋滞となる。うっかり近場のスーパーに買出しに行こうものなら、車から下りて歩いたほうが早いかも。このような状態は、まず正月の佐野厄除け大師参拝時、そしてみかも山の片栗の咲く季節となる。

なかでも500畳敷きの大藤棚が3面有り、ホームページのサブタイトルにも詠われているように、『世界が息を呑んだ美しさ』そのもの。
庭木仕立ての80メートルに渡って咲く白藤のトンネルや黄花藤のトンネルがあり、その他にも世界でも珍しいと言われる八重黒龍藤があって日替わりで
次々に咲き誇る。

この混雑のシーズンは遠方の方に譲って、連休明けにでも、近場の特権をいかしてゆっくり、じっくり撮影に行くことにしよう。

連休中は、園長先生が、にこやかに大藤の説明をして下さり、皆さんの質問にもお答えしてくださいます。しかも講演料は無料とのことです。
2007-05-03 17:06 in カテゴリー1 | Comments (2) #

2007年5月1日 (Tue)

姥捨て山



 昨日大慶寺の境内で淡いピンクの牡丹の樹を撮影していたら、まだ40代くらいの女性の方に声をかけられた。「お花が綺麗ですね!」振り向くと、桶を片手に、爽やかな笑顔で「明日が主人の命日なんですよ。墓の傍に牡丹が咲いているんです」すでにご両親の方が墓前にいらして、軽い足取りで突き当たりのお墓へと歩み寄った。大変な想いをしたであろうが前向きに生きる
そんな後姿に、まるで後光がさしているかのようで。毎年命日の日には綺麗に咲くそんな花をさりげなく植えたであろう彼女は、きっと誰かに見て欲しかったのかも知れない。誰でもいいから一緒になって「綺麗!」とはもって欲しかったのかも。そんな余韻の中、ラジオの人生相談で、母の妹が認知症で身内がなく私が引き取りたいが、書類上の手つづきのやり方を教えて欲しいという相談であった。

この方のように、面倒をもることを好意的に考えてくれる人なら安心できるが、自分の親でさえ、老人ホームに入れたら最後一度も面会に来ない方が多いと聞く。それでも共同生活に順応できる方は良いが、うまく出来ない方は
寂しい。

看護する方も、重労働と低賃金で、笑顔も消えて刺々しい態度で接するであろう。
優しい気持ちでいくら頑張っても、辞めるときに挨拶しても、感情まなくて
誰でさえ解らない。


2007-05-01 23:22 in カテゴリー1 | Comments (0) #

2007年4月30日 (Mon)

小野小町と芍薬



 栃木県下都賀郡岩舟町小野寺の村檜神社に小野小町の碑があり、余りにも身近な場所にあったので興味が湧いた。そういえば小野寺と地名にもなっているではないか。

さてこの地名全国にあると言うことで、特に現在の秋田県湯沢市小野では、平安時代の歌人小野小町が住んでいたという伝説の場所として、毎月6月「小野小町まつり」が行われるが、ここは芍薬の地として知られている。

これは小町が都から故郷へ帰ってくると、小町を想っていた深草少将が会いたいと手紙を送ってくるが、芍薬を毎日1株づつ100株植えることを条件として会う約束をする。約束どおり100本の芍薬を植えた少将は最後の芍薬を手に喜んで小町に会いに行こうとするが、その途中で増水した川に流され亡くなる。
小町は深く悲しみ99本の芍薬に99首の歌を捧げると、人目を忍んでこの地で過ごしたという悲しい伝説があるそうな。

この小野寺でも、その後人目を偲んでこの地で過ごされたとあったのだが、
さて真実はいかに?

立てば芍薬 座れば牡丹 歩く姿は百合の花・・・・


新田ふれあいぼたん園
「大慶寺」ふれあいぼたん祭より

新田荘の初代領主新田義重公の娘、妙満尼の開基といわれ,徳川氏より厚く庇護されてきた大慶寺。その庭には、ぼたんの花の花の季節になると、地域の人々が丹精込めた約150種3,000株の大輪の花が咲き誇ります。
2007-04-30 18:31 in カテゴリー1 | Comments (0) #

2007年4月29日 (Sun)

花は咲けども



 「七重八重 花は咲けども山吹の 実の一つだになき悲しき」賢明親王(かねあきらしんのう)後拾遺和歌集

山吹の花が風にゆれて、爽やかな季節が訪れた。暑くも寒くもなくて、自然の躍動感を感じる今日この頃・・・・黄金に輝く山吹の花に想いを託したあの農家の娘さんが蘇る。

室町時代中期の武将太田道灌はある日鷹狩に出かけたおり突然の雨に見舞われ、通りすがりの農家に蓑を借りようと立ち寄った。たまたま応対した農家の娘は、黙って美しく咲いた山吹の一枝を差し出したと言う。

道灌はそれが何の意味かも解らず、不機嫌になってしまったとのことだ。

屋敷に戻った道灌が事の一部始終を家臣に話したところ、それは、古歌になぞらえて丁寧に非礼を詫びたとのことです。そう論された。

「家が貧しいため蓑の一つもありません」

そんな現実を娘は失礼のないようにと、それとなく伝えたとの事だ。

美しい花を咲かせる山吹だけど、実の(蓑)一つもない

八重山吹は、実をつけることはないのです。

「花咲きて 実はならずとも 長き日(け)に
思ほゆるかも山吹の花」万葉集

そんな事実を知った道灌は その後歌に勤しむようになり後に高名な歌人ともなった。おしまい!


2007-04-29 16:33 in カテゴリー1 | Comments (0) #

2007年4月26日 (Thu)

臥龍さくら



下記の水彩画です。
2007-04-26 23:56 in カテゴリー1 | Comments (0) #

中島千波氏



岐阜県大野郡宮村の古刹・大幢寺境内にある推定樹齢千年以上と
いわれる江戸彼岸桜である。

ゆるやかな斜面に生えるこの桜は、樹高20メートルで幹の目通り
周囲7.3メートル、南北に30.8メートルも枝を張っている。
また支幹がいったん龍のように地を這うようにして立上がる形を
龍の姿に見立てこの名が付けられた。

山国飛騨の豪雪にたえ、幾度の枯死状態からも人々の桜を想う
心により、力強く生き延びて春を告げてきたこの桜は、1973年
には国の天然記念物の指定を受けている。


--------------------------------------------------------------------------------
【所 在 地】 : 所在地:岐阜県大野郡宮村山下下(臥龍公園)

【交通ご案内】
◆電車/JR高山本線「飛騨一ノ宮駅」下車徒歩1分

【問合せ先】
◆小淵沢役場
電 話 0551-36-2111

2007-04-26 21:59 in カテゴリー1 | Comments (0) #

2007年4月24日 (Tue)

どうして?



 公園でキャッチボールして遊んでいる子を見かけなくなったなぁ~~と思っていたら、先日ラジオでその事が話題になっていた。車で移動中のことで、雑音が入ったり、電波の状態が悪く聞き取れない部分も多々有り、内容的には何を話しているのやらだったのだが、多分公共の場でのボール遊ぶは危ないからという理由で禁止されている公園が多くなったのではないだろうか。家の中で遊ぶ子が増え、危ないからと戸外では規制のラッシュである。

危ないからとブランコも滑り台もはずされて、今の子供たちは、本当に危険の状態になったときの対策さえもままならずとは。危なくない包丁が与えられ、危なくないところで育った野菜を食べ、危なくない食器洗い器を使い・・・・そして危ない大人が育つ。

きちんとルールさえ守れば、危険は十分に避けられるものである。中学のときの体育の先生は、最初に危険を避けるやり方から教えてくれた。例えば鉄棒の授業では握り方さえ出来ていれば危険なことは無いと教わった。親指と残りの4本の指で棒を包み込むやり方は、もっとも当たり前な掴み方ながら、そう教わった事で安心感が生まれる。

そりゃ人間だから、気のゆるみで会話中子供に怪我をさせてしまう場合もあるが、あれも危ないこれも危ないと何もかも子供に与えなければ、怪我はしなくとも、本来の創る楽しみや、夢中で遊ぶ喜びも知らないとは悲惨である。

私が子供の頃は、いつもポケットにナイフを入れていたものだ。何故か周りが男の子ばかりで多分この年代は男の子の誕生が多かったのかもしれない。さて、このナイフ
は色んな種類があり、のこぎりのように歯がギザギザしていたものや、
ヤスリのようなものまでついていたように思う。

今朝もこれからの教育は誉めることを重要視するという案が検討されるであろう・・・・と。何を今更!!なんでもかんでも紙の上の理論は子供には通用しないと思う。
2007-04-24 00:19 in カテゴリー1 | Comments (2) #

2007年4月22日 (Sun)

礼にはじまり



 唐沢山のつつじの開花が気になって登ってみて驚いた。道路の路肩に県ナンバーの車がびっしり。竹の子料理の旗が翻ってはいたが、今時竹の子ご飯にこれほどの車なんて考えられないし、折り返したいものの、その空きスペースもなくて車を走らせてとうとう一番奥の駐車場まできてしまった。

今から7年前に中学の娘は、剣道部に入部。週2回の練習の送り迎えはヘトヘトだったけれど、先輩のお母さんから、審判のやり方や、声をかけることの大切さを親切丁寧に教えて頂いた。

その道場の柱にこんな張り紙があり、「礼に始まって礼に終わる」剣道と言われる意味を幾らかながら理解したものだ。

動く画像などお初ながら、剣士たちの美しい立ち振る舞いに感動を覚えつつ、人生も相手の動きを読み、ここぞと思えば一気に攻めることが大切と
勉強させられた。
そして勝利者とは、決して驕ることなく、礼を尽くす人。負けたと解った途端挨拶もそこそこその場を去った生徒に対して、たとえ試合で勝っても、心はすでに負けていると傍で呟く声がした。
2007-04-22 21:45 in カテゴリー1 | Comments (0) #

2007年4月21日 (Sat)

待つわ



 毎年連れて行って頂いた福島の花見山も今年の春はとうとう行かず終いとなった。友人のご主人さんがご近所の方たちと温泉同好会を企画。温泉はともかくも花の咲く場所ならと時々お仲間に交えて頂いていたのだが、昨今家族全員免許を所持しながら、車は出さない何もかもやってもらって当たり前の態度に今後は山の会などで気のあったメンバーでやって行くとの事。吾妻山で「ゆきうさぎ」という言葉にであったのも、その花見山へ出かけた時のことである。ウサギの形をした残雪が吾妻山の山肌に浮かびあがるのである。それが春を待つ人々の気持ちだったのだろうとうなずける。

何もかもがデジタル化されてしまったのか、今は気持ちに余裕が感じられない。昨日黄花かたくりのお写真と共に、達筆な書で、「黄花かたくりが開花
しましたので、いらしてください。」云々というはがきが届いた。携帯番号は知らせてあるものの、こうして頂いた一枚の便りは、明日のお休みには行かねばと強い意志が働く。ネットで検索さえすれば花の開花情報は手にとるように解るものの、そこには心が感じられない。

厳しい春を待っていたあの頃に戻って、焦ることなく、いつも心に余裕を持って生きていかないともっとも大切なものを置き忘れてしまいそうで、時には来ゆ人を待つように何時何時までも時を忘れてひたすら待ってもみたい。




黄花かたくり情報
4/21日現在見頃です。
栃木県下都賀郡大柿 栃木植物園(大柿花山)
花之江の郷 すぐ傍です。
2007-04-21 22:32 in カテゴリー1 | Comments (0) #

赤ちゃんポスト



 熊本市の慈恵病院(蓮田晶一院長)が、子育ての不可能な親が赤ちゃんを捨てるポストを、病院に創設することを公表した。病院の外壁に穴を開け、そこから内側に設置した保育器に入れるのだと言う。

ドイツではこの赤ちゃんポストが70例設置されているという。キリスト教という宗教的バックボーンがある国と日本とでは状況はかなり違っていることを前提にしても、数多くの問題をかかえているのではなかろうか。

十代の人が、悪いことをするなら今だと言う人間がいるように、この言った制度を知って、これ幸いと、産み落とした赤ちゃんをポイ捨てする人間が増えることも考えられるであろう。

その子にとって生まれながらにして親を知らずに人生のスタートとは余りにも悲しい。たとえどのような状況があろうが親としての責任は如何に。普段は喧嘩しても兄弟は兄弟の愛がある。赤ちゃんの時は、病院で育てられても、さてその子が大きく成ったら何処へ行けばよいのやら・・・
何事もやってみなければ実態は見えてこないが、この問題はやらない以前から様々な問題を抱えていると思う。親から見放されるということなどあってはならないし、身体のケアーは出来ても心のケアーには程遠い現実が待っている。


2007-04-21 00:15 in カテゴリー1 | Comments (0) #

2007年4月19日 (Thu)

おやっ!おやっ!



 観た方もいらっしゃると思うが、TVで細木数子先生に、お笑いタレントの方が人生相談をするという番組があった。当山第53世貫主である天海(てんかい)大僧正は、家康公・秀忠公・家光公三代の将軍から崇められた天台僧です。家康公の信仰篤かった天海は、天台宗の秘法、山王一実神道(さんのういちじつしんとう)によって家康公を神にしました。西の京都と肩を並べる東の都を築き上げる野心を持って、江戸に幕府を開いた家康公。東照大権現という名が示すのは、「東に照り輝く仏が権りに神として現れた姿」という意味です。神仏習合思想により、東方薬師瑠璃光如来(とうほうやくしるりこうにょらい)を本地、東照大権現を垂迹(すいじゃく)とした、人智を越えた存在になったのです。「関八州の鎮守とならん」と遺言した家康公の本意は、比叡山延暦寺が京の都を守護した様に、江戸の北に位置する日光に自らの廟所を建て、自らが神となり、江戸幕府の宗教的要として日光という土地から東の都=江戸を護ろうとしたのです。そこには、徳川幕府が、西の朝廷と同等、或いはそれ以上になるようにという強い意志がみえるようですと言われている。昨今では経営の神様と言われる松下幸之助氏も
何かの時は某僧侶に相談したと記されているように、人という字のごとく支えなくしては生きて行かれないのかも知れない。

さて本題に戻って、皆さん「私は将来この芸能界で生きて行かれるのですか?」などの相談で盛り上がる中、一人の芸人さんが、「何故人は一人の人しか愛せないのですか?」の相談に先生厭きれて、傍の島田洋七さんにふったのである。さすが永い芸歴が物を言うのか、それだけの人だから芸歴が永いのかきちんとした回答をされていた。先生「そういう人は一夫多妻の国に移住しなさい!」と一言。その後夫婦をお茶の一番茶から四番茶に例えて解り易く回答してくださったが。

芸人として永い期間働いてきた方には、それなりの風格があり、苦い人生経験も話の肥やしとし笑いをとることの素晴らしさ。
同じ「おやっ!」でもキラリ光るものを感じさせられる。



2007-04-19 23:35 in カテゴリー1 | Comments (0) #

2007年4月18日 (Wed)

おやっ!



 先日車内で「子供電話相談室」を聞きながら
運転中「おやっ!」と思うような質問に出会った。「小学6年生ですが、どうしてお父さんとお母さんは違う呼ぶ方をするのですか?」・・・一呼吸おいてのある方の回答は、「答える前に幼い子供の質問なら解りますが、貴方は小学6年生でしょう!何故貴方がこのような質問をしてくるのかが疑問です。」に始まって細かい質問にその子は、お父さんもお母さんも同じ位大好きだからそう思ったそうである。もしやこう言った心の成長を成さない多くの子供達が育っているのが現実だとしたら、これは社会問題ではなかろうか?ゲーム機で遊んだ子供たちは画面の上だけに心を開いているわけで、「タ○ゴッチ」に始まってうん万円もするゲーム機の数々を今の子供たちは簡単に手に入れてしまう。それが反ってこのような幼さの心を残す現状ではないかと悲しい余韻が残った一齣であった。以前から格闘するようなアニメは見せない方が良いと言われてはきたが、数十年経った今日もテレビもゲーム機も人を殺すシーンなど数知れない。こう言ったものを毎日見ていたら、何度も繰り返される童話など刺激も持たないのではないだろうか?これに「あやっ!」と思っていたら、今度は或るテレビ番組でも「おやっ!」と思わされた・・・・・
2007-04-18 07:23 in カテゴリー1 | Comments (3) #

2007年4月13日 (Fri)

花リレー再参加



 2ヶ月の更新が滞って、花リレーからしばらく離れていたが、
又今回気持ちを新たに再参加させて頂くことになった。
あれは思いがけない雷の被害によるPC故障のトラブルによるものであったが、反省させられた。2ヶ月の猶予期間があるのだが、期間については、いくら頻繁に更新しても良いのにも関らず、期限切れ真近で会ったのが重なり
いたし方ない状況に休止やむを得ずとなった。
北から南へ花リレー参加者のリンクを廻っていくと、やはり季節の違いや花の違いを感じる。
いろんな人が全国にはいるわけで、こうして参加して楽しく過ごすことが出来るのも、お世話して下さる方の賜物である。
今後は、月一回の更新を目標にそのときそのときの花をと思う。

2007-04-13 23:27 in カテゴリー1 | Comments (2) #

2007年4月12日 (Thu)

雨にも負けず



雨にも負けず 風にも負けず
雪にも夏の暑さにも負けね
丈夫な身体を持ち
欲はなく決して瞋(いか)らず
いつも静かに笑っている

一日に玄米四合と味噌と少しの野菜を食べ
あらゆることを自分を勘定に入れずに
よく見聞きし分かりそして忘れず

野原の松の林の蔭の
小さな茅葺きの小屋にいて

東に病気の子供あれば
行って看病してやり

西に疲れた母あれば
行ってその稲の束を負い

南に死にそうな人あれば
行って怖がらなくてもいいと言い

北に喧嘩や訴訟があれば
つまらないからやめろと言い

日照りのときは涙を流し
寒さの夏はおろおろ歩き

皆にできのぼうと呼ばれ
ほめられもせず 苦にもされず
そういうものに 私はなりたい


 小学生時代、教科書にこの文が載っていて暗記させられたものである。東西南北の文がごっちゃになるのが悩みの種でもあったが、それでも人生の深い意味も解らず暗記したのが今では懐かしい。そして今この文にモデルがいたことを知りました。

その人の名は斉藤宗次郎さんである。
斉藤宗次郎さんは、岩手県の花巻に1887年禅宗の寺の三男として生まれた。彼は、小学校の教師になりますが、内村鑑三氏の影響を受けて聖書を読むようになり、洗礼を受けてクリスチャンになりました。しかしそれからが大きな戦いのはじまりでした。
当時はキリスト教は「ヤソ教」「國賊」と呼ばれていました。彼が洗礼を受けた時から迫害を受けるようになり、石を投げられ、親にも勘当され、小学校の教師を辞めさせられてしまいました。それだけではありません。迫害の手は家族にまで及んできました。近所で火事が起きたとき、全然関係がないのに嫌がらせで、放水され、家を壊されたことがありました。何度もガラスを割られることもありました。そしてさらにひどい迫害が起こりました。9歳になる長女の愛子ちゃんが「ヤソの子供」言われてお腹を蹴られ、腹膜炎を起こして亡くなってしまったのです。亡くなる時、愛子ちゃんは、賛美歌を歌って欲しいと言い、賛美歌を歌うと、「神は愛なり」と書いて天に召されたそうです。

宗次郎さんはそのような苦しみの中で、神様に祈りました。そして彼は「御心がなりますように」といじけることなく神様を信じ、神様に従い続けたのです。普通なら、迫害のない違う土地へ移るところですが、宗次郎さんは、むしろ、その土地の人々に神様の愛をもって仕えることを選びました。牛乳配達と新聞配達のため一日40キロの配達の道のりを走りながら迫害する人々にキリスト教を宣べ伝えました。10メートル走っては神様に祈り、10メートル歩いては神様に感謝をささげた話はあまりにも有名です。

そして子供に会うと飴玉をやり、仕事の合い間には病気の人のお見舞いをし、励まし、祈り続けました。彼は雨の日も、風の日も休みことなく町の人達の為に祈り、働き続けました。彼は「できのぼう」と言われながらも最後まで愛を貫き通したのです。そして1926年に彼は内村鑑三に招かれて花巻を去って東京に引っ越すことになりました。

花巻の地を離れる日、誰も見送りには来てくれないだろうと思って駅に行くと、そこには、町長をはじめ、町の有力者、学校の教師、生徒、神主、僧侶、一般人や物乞いにいたるまで、身動きがとれないほど集まり、駅長は、停車時間を延長し、汽車がプラットホームを離れるまで徐行させるという配慮をしたというのです。実はその群集の中に宮沢賢治氏もいたのです。

それは彼が「御心がなりますように」と祈り、神様の御心に従った強い信仰と、どこまでも人々を愛し続けた愛の業がそうさせたのだと思います。この人こそ、東に病気の子供があれば行って看病してやり、西に疲れた母あれば、行ってその稲束を負いと言う宮沢賢治氏の詩にあるようなことを普通にやっていた人でした。そういう宗次郎さんの生活ぶりを見ていた、宮沢賢治氏が「こういう人になりたかった」という思いを込めて、「雨ニモマケズ」
という詩を書いたのではと言われています。
2007-04-12 22:23 in カテゴリー1 | Comments (0) #

2007年4月11日 (Wed)

任せます!



新学期が始まり、小学生徒の登校を目にする。
リーダーシップをとる上級生も何となく頼りないのだが、
それが何とも新鮮でほほえましい。
旗当番でも、何でも大人が参加するようになった昨今だが、通勤途中にみる子供たちを見ていると、旗を持って、横断歩道の真ん中に立ち、誘導する姿の逞しさ。任せれば子供たちはそれ以上の事をやってくれると確信できる。

信号が赤でも横断歩道を渡るのは、はたして子供であろうか?私はそんな子供を見たことがない。確かに事件が多い中で、このような風潮は解るのだが、見守るということの大切さこそが今一番大切にして行かねばならないのではと思えてならない・・・。

立った!歩いた!転んだ!といつも傍で見守っている親がいるからこそ出来る行動。子供の為に立つことも歩くことも親には出来ないが、親なくしては
歩く事も出来ない。
小学館の雑誌を毎月読んでいた頃に、「狼少年」と言う記事があったが、やはり狼に育てられれば、狼として生きることしか出来ないのだなぁ~~~と子供こころに感じたものだ。

与えることで満足していると、とんでもないしっぺ返しが戻ってくる事ってある。単なる自己満足で終わってはいないだろうか?

もしもこの世から「任せます」の言葉が消えたら虚しさだけが残るだろう。

2007-04-11 00:56 in カテゴリー1 | Comments (0) #

2007年4月8日 (Sun)

あけびの花



 あけびの花は、エンジ色だけかと思っていたのだが、
知っているだけでも3色の色の花があると最近知った。
それぞれに何とも言えない自然の色をもつ。
あけびは、つる性の植物で、紫色の実をつけ、木の実は熟するとパカッと口を開けて割れる。国内の生産量は大半が山形県「成せばなる、成さねばならぬ、何事も、成さぬは人の成さぬ成けり」の上杉鷹山公が食用・つる細工用に推奨したと言われている。あけびの歌があって、その曲は山形県月山あたりを歌ったものではと言われている。

あけびの花

作詞 横井弘
作曲 小川寛興

故郷の 山の陰に
長い冬 耐えて生きる
紫の 花はあけび
その花は私
粉雪降りつもれ
野も小路も 埋めて
雪空 晴れたなら
すぐ春になる

赤い花 今日はもえて
白い花 明日は枯れる
紫の花は一途
明日の日に かける
北風吹かないで
この小さな蕾を
山越え くる人に
逢うそれまでは

故郷の山の陰で
ささやかな 夢に生きる
紫の 花はあけび
その花は 私
春々早くこい
野も小路を 急いで
花咲く 幸せを
ただ待つ胸に


2007-04-08 23:16 in カテゴリー1 | Comments (2) #

2007年4月6日 (Fri)

清雲寺のしだれさくら



 誰かを想って植えるなら、やはり桜がいいと
誰かが言った。
樹齢何百年と咲く桜なら永久に咲くであろうと思いきや
植える場所も良く考えた方がいい。
桜と言うと染井吉野は学校や神社・お寺に多い。
そしてお墓にも多く見られる。
魂が込められると言われる桜なら、ここぞ最高の
場所かと想われる。

清雲寺の樹齢600年のエドヒガン桜は、清雲寺を開いた煤峯香(ばいほうこう)
禅師が植えたとつたえられている桜で、樹高15メートル・枝張りは数十メートルにも及ぶ大木である。(県指定天然記念物)境内にはこの桜の木のほか、大小30本のしだれ桜があり、開花時期が多少ずれるので、なかなかも見応えがある。例年4月上旬から中旬が見頃。夜間ライトアップも行う。夜桜も見事で一見の価値あり。


埼玉県秩父市荒川上田野690

2007-04-06 23:18 in カテゴリー1 | Comments (0) #

2007年3月31日 (Sat)

臥龍院の枝垂れ桜



 巨石群の手前名草上町には3本の淡い色の枝垂れ桜がある。
人気のないその寺を知ったのは、昨年の今頃で、
手前の橋は、危ないですから、充分にお気をつけて
お渡りくださいと書いてある。
渡る一瞬もしも車ごと川に落ちたらと不安が過ぎったものだ。
それなら渡らなければよいものを、
ちょっとしたスリルを楽しみたいと言う幼稚な好奇心が
邪魔をするのである。

お寺の名前は臥竜院(がりゅういん)
案内板によると、

本堂の西方に一本。本堂の前方の一段低いところに二本ある。上にある一本が特に大きく、高さ15m、枝張18mあり、昭和40年に足利市天然記念物に指定された。樹齢は不明であるが、ご住職によると「明治4年の寺の図面には相当大きなものとして載っていることから、200年余りと考えられる」というお話である。シダレサクラはエドヒガンの変種で、春早く3月下旬に花をつける。西方へ張り出した太い枝から、細長い糸のような枝が多数垂れ下がり、この枝に花いっぱいつけた様は優雅であり壮観である。このシダレサクラも一時は樹勢が衰え、枯れる寸前になってしまった。そこで名草地区の協力により、平成9年2月に樹勢快復工事を行い、現在では元のような見事なさくらの花を咲かせることができるように快復できた。

毎年訪れると言う方が、昨年は見事だったとおっしゃっていたが、この暖冬はいろんな影響を受けたようで自然を目の前にしてはそれも止むを得ないことだろう。ただただ見事な花に会えればそれは幸運というものだろう。この寺の二つの地蔵様に刻まれた「念じれば」「花ひらく」の言葉のように、何時の日にか魅了する桜に会えることを祈る。



2007-03-31 18:47 in カテゴリー1 | Comments (1) #

2007年3月30日 (Fri)

尊いもの



 「お金以上に尊いもの」

金持ちの生活が
うらやましいと思ったなら
お金を残すように頑張ることだ
しかしお金だけでは幸わせではない
と気づいたならば
思いやりがあり
愛情の豊かな人間になって
本当の幸福をつかむことだ
生きている限りは
自分にとって生きがいのある
生き方をすることだ

ダスキン発行
種まき新聞より抜粋
2007-03-30 07:09 in カテゴリー1 | Comments (0) #

2007年3月28日 (Wed)

イワシダレサクラ



栃木県栃木市の大平山太山寺は、 3代将軍徳川家光の側室で4代将軍家綱の生母である
お楽の方が家光を偲んで植えられたと伝えられ、樹齢
350年と言われるイワシダレサクラが調度見頃を迎え、
大勢の観光客で賑わっていた。夜にはライトアップさ
れて幻想的な桜を魅せてくれるとか。

さすが情報社会皆さん博学で、ほら大奥のお楽の方が
植えた桜だよとまるで親戚の娘でもあるかのような感
ありて耳はこっちで眼はあっちと楽しませて頂いた。

桜の中でも、何故かシダレサクラが大好きな私として
はもう気もそぞろではあるが、身体は一つで、どうし
てもここだけは行かねば・・・という場所のみとなる
のは仕方ない現実でもある。
2007-03-28 23:45 in カテゴリー1 | Comments (0) #

2007年3月27日 (Tue)

桜咲くころ



 梅が散って、いよいよ桜の咲く季節。
今年の桜は例年よりもかなり早い開花に戸惑いを
覚えながらも、どうしても撮影したい桜が
いくつかある。
その一つは、
昨年は、すでに葉桜となったしだれ桜、
今年は満開の時に是非会いたいと思う。
主のいない寂れたお寺の境内にしっそりと咲く
その花の手前の門柱に
「願えば花ひらく」と両側に渡って書かれたその言葉。
ただひたすらに願をかけて
そんな想いが成就したそのときに
見上げる桜の美しさやいかに。

満開の時か散り際
桜はこの二つの時期をうまく捉えることだろう。
里の一本桜も昨年は
縁台でお茶のみをしていた二人にの方が、
「あんた、後二日早ければピンクがもっとも濃くて見頃だったのに・・・」
と教えて頂いた。
一番綺麗なときに撮影しなと言う負傷な気持ちが有りがたかった。
友人の実家のお嫁さんが、
少し咲き始めたとメールの便りがあったと
今朝教えて頂いた。

そろそろ眼が離せない季節となった。



2007-03-27 23:35 in カテゴリー1 | Comments (0) #

2007年3月25日 (Sun)

時はゆったりと流れ・・・



 あそこ辺りに片栗が咲いているようだと言う。
今ではどんな山奥にも人家がある限り、車が入って
行けるように舗装されている。
大体検討はつけるものの、野草だからおいそれと
見つかる訳がない。
あとは地元の人の情報だけが頼りとなる。
何処に行っても一言
「昔はここらの山肌びっしり片栗の花だらけだったんだがぁ~~」
世の中不思議なもので、有り余って満たされていると
それを取ることなど思いつかない。
増してや今晩のおかずの天ぷらの具にと数枚の葉は摘んでも
根こそぎ取ってしまうような残酷なことは出来ない。
近所の人とお茶を飲みながら、裏山の片栗が咲いたから
そろそろ畑を掘りおこさなければ・・・・
鯉のぼりの支度もしなければなぁ~~~と。
自然と共に生きて来たであろうそんな会話を想像する。

「片栗の花の成長は8年ぐらいで、根は下へ下へともぐるんだよ!」
「写真は朝早くきて、開くとこを撮るのが好いらしい。」
時はゆったりと流れて、これぞあるべき姿かなと思えてくる。

除草剤と下刈されない山肌に
可憐な片栗の花が生きながらえることもなく、
誰の為にでもなくひっそり咲く花に
会える感動も薄らいだ。

そこに住む人の温かな心が花に命を吹きかける。
庭に見事な水仙の花・・・・
息子夫婦に持たせて上げるのだろうか?
おじいさんが数本折っている傍で、
おばあさんが、「その花よりこっちの方が良い」と
共に折る花の数が増えて。

「あんたも持って行くかい」
「いえいえ、写真を撮らせて頂くだけで・・・・」
「花も写真に撮ってもらって喜んでいるよ!
ありがたいなぁ~~~」

そう言ってもらうのは嬉しいが、
家に帰って見た画像のお粗末なことと言ったら
情けない。
何時かおばあちゃんに手渡せるような
写真を撮れたらいいなぁ~。

帰りがけには
「息子が持ってきたお土産だけど・・・」と
炭酸饅頭まで頂いた。
それは甘くてしょっぱいおふくろの味がした。
2007-03-25 09:43 in カテゴリー1 | Comments (0) #

2007年3月24日 (Sat)

乙武さん教師になる!



 ラジオから乙武洋匡さん杉並区の小学校教師になるのニュースに
思わずガッツボーズ!
現在どのような人が教師になれば良いかと盛んに騒がれている
中で、著書『五体不満足』での
「障害は不便です。だけど不幸ではありません。」
の言葉は今でも鮮明に心に残っている。
そして障害の子供に対する母親の前向きな心構えには感銘されられた。

あれからテレビ界でスポーツキャスターとして活躍され
バラエティー番組でも度々お顔を拝見させて頂いた。
人格のすばらしさはあの笑顔に全て象徴されている。

その笑顔を任期つき教員として今度は未来ある子供たちと
ともに過ごすのかと思うと3年間ず~~と過ごせる生徒さんが
羨ましい。

今回の件で、杉並区では教員として子供達と接していく上で、
必ずぶつかであろう「困難」を100ほどのリストとして、まとめ
(体育の授業やけんかの仲裁など・・・)は介助員一名を
つけての対応となるとのこと。

教員資格を再度更新した方がいいのでは・・・とか
資格・資格と建て前ばかり。

武田鉄也さん演じる金八先生は、再放送される度に
視聴率アップ。
いつの時代でも生徒が求める教師は熱血教師なのだと
思えてならない。

どこそこの大学出身では心の窓は永遠に閉ざされたままで
あろう。




2007-03-24 08:45 in カテゴリー1 | Comments (0) #

2007年3月21日 (Wed)

桃の花



 古河の桃林が見頃になった。
係りの方とお話していたら、
こんな質問をうけた。
「梅の花を見てどう思いますか?」
あたり障りのない回答で
「梅の花も桃むすめさんもとても綺麗ですね!」と・・・。

「年々花の色が薄くなっていると感じません!
梅の樹は樹齢20年~30年と言われているんです。」
そう言われて見れば濃すぎるくらい濃いピンクが
程よい色と化している。
この色にはちょっとした思い出がある。
ある日家庭調査に訪れたおまわりさんが、
私が羽織っている上着も見てこう言った。
この色懐かしい色なんです。
子供の頃新潟の畑一面に咲いていたレンゲ畑を思い出
すなぁ~~40代くらいのその人は懐かしいそう
に言った。

私がここを知ったのは、僅か5年くらい前であるから
現在の樹になって何年経っているのだろうと、
調べたところ、

古河の桃林は明治期末から盛大な観桃会として開催されましたが、
大正期に炭素病のため殆ど枯れてしまい、これを惜しんで
古河市では、昭和48年(西暦1973年)より計画された古河
総合公園内に桃林を復活とある。

と言うことは、今後新しい苗木を植え替えなればならない
時期に突入と言うことであろう。
もちろん市の職員の方が検討中ではあろうが、桃むすめさんは
毎年選ばれても、肝心要の桃の樹は、老体に鞭打って花開い
いるのであろうか、そう思って見上げると何故かそう思えて
くる。

樹齢何百年と言われる桜の寄木が、何故か松葉杖のように
思えるのにも似て。

2007-03-21 08:43 in カテゴリー1 | Comments (3) #

2007年3月19日 (Mon)

パッション



 あれは何時の事だろう。
レタリングの文字と相まって、蝶のその中に
芸術的な造型文字が舞っていた。

多分その時分「パッション」と言う映画が封切られたのであろう。
キリスト的な映画は賛否両論され、
受難と言う意味として定着したようだ。

そして
「ハゲタカ」間山仁著にも
こんな会話が記載されている。

「言ったはずよ、雅彦。私は愛とフェアと言う言葉は信じてないの。
頼れるものはパションよ」

そして今読んでいる本
「自分の中に毒をもて」岡本太郎著にも・・・

「ぼくは、ほんとうに自分を貫くために、人に好かれない
絵を描き、発言し続けてきた。
一度でいいから思い切って、ぼくと同じになる方の道を
選ぼう、と決意してみてください。
そうすれば必ず自分自身がワァ~~~ッともり上がってくるに
ちがいない。
それが生きるパッションだ。」

やはり現在は情熱の意味として捉えていいのであろうか。
2007-03-19 23:59 in カテゴリー1 | Comments (0) #

2007年3月18日 (Sun)

木蓮の花



 綿帽子のような真っ白な木蓮の花が
青空に映えるそんな季節だと言うのに、
今年の花は見るも哀れな茶色の花と化した。
○○植物園カード会員第1号の私は
社長さんを捕まえて質問攻め。

「どうしてこんなことになったのですか?」
「花が開いてから急に冷え込んだ為でしょう!」
暖かいと思って開いた花も、この冷え込みに
絶えられかったと言うことなのだろうか。

自然の真実を見せ付けられた想いがする。
白い花はより白く
赤い花はより赤く
青い花はより青くあって欲しい。
それにしても自然はこうもあからさまに
現状を見せ付けてくれるのか!

又来年
来年こそ・・・・
本来の真っ白な花を青空にアレンジしよう!

(したがって木蓮の写真がありませんので、
木瓜の花ですいません。)


2007-03-18 17:26 in カテゴリー1 | Comments (4) #

2007年3月17日 (Sat)

チューリップ



 毎年春になって
チューリップの花を見ると、想い出すのは
何故か母が描いた宿題の事。
ある日、一枚の画用紙を渡された。
遊びから帰って気がついたら、そこにはチューリップの
絵がすでに描かれていた。
子供心に葉のラインが何とも本物に近いなぁ~~~と
思ったが
特に深くも考えずそれを学校にもっていった。

その後数日してその絵は「大変良くできました」の
金太郎の判子が周り中を囲んで返された。

何を思ったか、その絵は
家が取り壊されるその日まで飾られていた。
それが小学一年生の出来事で、
やがて中学生のときの先生が、
美術と体育の担任だった。
ともかく晴れたら野外授業と言う毎日で、
生徒を前にして、こう言った。
「体育はどうしても出来ない子と出来る子に別れる。
出来ないのは仕方ないが、やらないのは許せない。
私の通信簿は一所懸命やった者には3以下はつけない。」

個々の性格も好く把握していた。
ある日こんなことを言われた記憶がある。

「あのなぁ~~~一枚の絵を仕上げるのに最低10時間かけて
やってみな!」
夏休みの宿題は言われた通り、時間をかけてやった。
それを見て係りの人が職員室に持って行き帰るや
「何々さんの絵面白い絵だって言っていたよ」
面白い?可笑しい???
二階から見える牧場の絵を描いたのに何が可笑しいのかなぁ~~~
???

その後子供の絵を誉める時には
決まって
「面白い絵だね!」と言う自分がいる。
2007-03-17 16:42 in カテゴリー1 | Comments (0) #

2007年3月15日 (Thu)

沈黙の春



 有機農法と言っても実際は、
農薬を幾分減らす程度又は散布の回数の減少に留まっているのが
現状と言う中で、今現代人の身体は農薬漬けだろう。
微々たる摂取でも一日三食重なればかなりの量が身体を蝕んでいる
計算になる。

春がきても自然は黙りこくっている。
小鳥も歌わず、
ミツバチの羽音も聞こえない。
レイチャル・カーソンの「沈黙の春」の中の一節である。

ミミズもいない土壌から美味しい野菜が取れるはずもなく、
ただ生産性だけを追い求めてつけが今巡り巡って
様々な被害をもたらせている。
一日狭い檻の中で生きている鶏は可愛そうだ。
近所の子供達が拾ってきたチャボがある日卵を産んだ。
玉子焼きにしてみんなで分けて食べた味は最高だった。
昼間は外で放し飼いだったのだから。
何が苦労だったかと言えば、
ある朝
「こけっこっこーーー」と鳴いたその日の朝からである。
その防音防止に布団の重ねがけ。
しかも郊外といえど東京の世田谷区である。
多分大家さんも知って見ゆふり聞かむふりをして下さったのだろう。

本来の味を知っていれば
薬剤漬けにはもっとも敏感になれるであろう。
いやだ!いやだ!春はやはり華やかな春がいい。

2007-03-15 22:38 in カテゴリー1 | Comments (0) #