2011年7月31日 (Sun)

世の中の矛盾?!


先日、車の事故で検診先までお送りした女医先生の「あやこ先生」のブログを時々読ませていただいている。
私もあやこ先生も普通のおばさんではないので思考も似ている所があると感じます。

彼女のブログより
父がまた天皇様と美智子皇后様にお会いしたと言う。目の前で、またまたバスの席から御二人共、立ち上がられ、手を振って下さったとの事。父がうれしそうに言っていたので、私までうれしくなった。父は今年の11月末には完全に故郷に帰ることにした。父がいる所の管理組合の中村理事長の発言の中に、ここは老人ホームではないとの言葉があったからだ。そこまで言われては仕方ない。私も父を返すことにした。那須に来て、せっかく娘と同じ所に晩年住めて喜んでいた父。この世とは、何と無情なものだろう。今までは医師として多忙な人生を生き、今やっと娘と緑の多いこの地でのんびりできると思ったら、中村理事長のこの発言。全くもって、人生の矛盾を感じる今日この頃である。だからこそ、父にとっては両陛下にお会いし、優しくしていただいた事が余計に身に沁みたのであろう。父からも那須の最後のすばらしい思い出との言葉が出た。感激したとの事。良かった。本当に良かった。

私も同じマンションに住み。この理事長にはかなりのお怒りです。
「住んではいけないマンション!」と昨年公の場で発言したのである。
素晴らしいマンションなのに変なおじさんが理事で困ったものである。

私がAEDの設置を要求した時にもこのおじさんは驚きの発言があった。
「もし設置して緊急時に機械が壊れていたり、扱いを間違えて死んじゃたら保障問題になちゃうので設置には難しいものがある。」って言ったんです。
嘘~・・・・。このおじさん遅れてる~・・・・・。と言うのが私の第1印象でした。今時にAEDの設置にこんな事を言っている人は???ですよ。
私がこのおじさんと戦してやっと・・本当にやっと・・・ですがAEDが設置されたのは7ケ月後です。私が意見書を出してから9ケ月後でした。
私はこの6月にこのマンションンの理事に立候補しました。
「高齢者や子供たちでも安心して住めるマンション!」を作り上げたい。と考えたからです。

人は誰にでも老いがやってきます。
今、元気でもいつか私にも老いが必ずやってきます。
その時の自分の為にも今頑張れる時に1つ1つやっていかなければと考えたからです。
しかしこのおじさんによって水面下で私の立候補を消されてしまいました。唖然~・・・・でした。こんな汚い手を使うんだ~・・・・。
今時、こんな汚い事が行われているリゾートマンションであります。
素晴らしいロケーション!設備充実(温泉、サウナ、露天風呂、プール付)
那須高原の素晴らしいリゾートマンションなのに・・・。ばきゃろ~!!!

私は「住んではいけないマンション」と言った事を撤回と謝罪の要求を意見書で出していますが1度も謝罪がありません。

あやこ先生も負けないで!!お父様と共にこの那須で残りの人生を有意義に過ごしてほしいと願いします。高齢者が住んでいる事に対して理事長が自ら「ここは老人ホームでは無い。」と言った言葉を撤回させましょう!!


おじさ~ん。理事長の立場で自分の意見をボンボン言ちゃ行けないよ~・・・。と私は思うのであります。ちゃ~んと誤ってそして「住んでも良いマンション!」と訂正すべきです。

♪女はこわいよ~・・・・ね!!(笑)
(特にあやこ先生とさちこ先生は普通のおばさんじゃないから・・・。)




2011-07-31 07:09 in カテゴリー1 | Comments (1) #

2011年7月30日 (Sat)

自然災害の日本列島


3.11の大震災、その後の放射能、そして又、今この瞬間にも新潟が大水害に襲われそうです。
私の生まれた新潟県五泉市、避難命令が出ているようです。
子供のころ遊んだ阿賀野川が今、ギリギリの所まで水位が上昇しているようです。自然災害には人間は勝てません。
阿賀野川沿いには私の大好きな温泉旅館があります。
親戚もいっぱいです。最後に行ったのは今年の5月でした。
来月又来るね。って言ったけどその約束が果たせませんでした。

近いうちきっと行くから皆さんご無事でいてください。
(今は祈ることしかわたしにはできません。「神様~どうか新潟の人々を水害からお守りください。」)

日本列島を次ぐから次へと試練が襲ってきています。
悲しいですが運命なんでしょうか?


今の那須高原は雨は降っていますが、穏やかです。(7月30日5時AM)
12年前の那須高原の大水害を思い出します。あの試練も乗り越えて・・・・。3,11の大震災を乗り越えてこびとの森と私は生きて来ました。

小さな幸せを毎日感謝しながら生きて行きたいものですね。
昨日の私の小さな幸せは通常280円の松屋の牛丼が今250円と30円引きで食べれます。紅しょうがいっぱいのせて食べました。美味しかった~・・。私の小さな幸せでした。



明日の命は誰にもわからないよね。だから1日、1日精一杯小さな幸せに感謝して生きて行きましょう。



2011-07-30 05:10 in カテゴリー1 | Comments (0) #

2011年7月28日 (Thu)

???疑問????ばかやろう税務署


昨日、私は会計事務所→ 銀行→ ハローワーク→ 社会保険事務所→税務署と、かた~い所を一気に回りました。
そこで感じたことがあります。

まずハローワークと社会保険事務所の対応は本当にとても親切でした。
ありがたい!!
しかし???O市にある税務署の対応は怒りと悲しみでもう2度とこんな所には来たくない。と思うほどまだまだ古い形態のお役所仕事です。
職員の人も震災があっても給与減らないから親身になってくれない。
昔と全く変わっていない。上から見くださした態度!!行かなきゃよかった。

震災後宿泊のキャンセル続き、そこへ来て源発の風潮被害に悩ませられている那須高原です。こびとの森も復興に向けて全力投球中です。
3,11あの日、那須高原には震度6の大揺れが襲いました。
しかし「がんばろう日本」「がんばろう那須高原」と頑張ってきました。
日本人は強いと言われながら本当にがんばっていると思います。
こびとの森も「被災していますよ」那須町からは証明書も出ています。

しかし皆さん知っていますか?そんな中でも税金は容赦なく本当に容赦なく、たとえ売り上げが無くとも被災した人間にも被災した会社にもやってきます。震災直後に数百万もの固定資産税は減額されることもありません。しかし那須町の税務課はとても丁寧な対応をしてくれて延滞税免除で10回の分割にしてくれました。ありがたかったです。

会社経営しているといつくもの税金を支払わなければなりません。
震災でも何でも支払わなければなりません。
昨日又襲ってきた税金に分納又は8月1日までの期限の1け月の延長のお願いに対して0市の税務署は「延滞税」を加えると言うのです。
???復興とは全くかけ離れた対応に怒りと疑問でいっぱいです。
「ばかやろう税務署!」
これが今の日本の実体!?呆れてしまいます。
税務署相手に喧嘩しても勝てる見込みはないでしょうが、皆さんはどう思いますか?おかしいと思いませんか?もっとこの事実をTVやマスコミが取り上げてほいしと私は思いながらくたくたになって帰路に着きました。


放射能問題で農業、魚業、酪農家にはある程度の保証が得られるようです。
しかし風潮被害の那須高原の宿泊施設経営者には何もありません。
本当に何もありません。あるのは容赦なく襲ってくる「税金」
日本政府も何もしません。
一人ひとりの人間が精一杯復興に向けてがんばっていてもこんな事実では復興が進みません。

どこかのマスコミさ~ん!TV局~もしこのブログを見ていたらこの事実をもっとしっかりと報道してほしい。と強く思います。

あ~・・・・。経営者の自殺が増えて行くのもわからないではないな。でも私は決して自らは死ないよ。世界中の海にも潜って又頑張ると思う。きっと・・・。生きるぞ~・・・・。

もう1度大きな声で「ばかやろう税務署!」
hoto1>


2011-07-28 20:53 in カテゴリー1 | Comments (0) #

2011年7月26日 (Tue)

世界最速?で那須まで戻ってきました。


昨日デルタ航空97便で成田空港第1ターミナルに到着したのは定刻より43分も早い12時32分でした。
それから滑走路を移動して12時41分にシートベルトのランプが消えてすぐに荷持ちを持ってビジネスシートも飛び越えて出口にトップで辿り着きました。私は事前にエコノミーの最前列を取ってありました。
乗務員がジョークで「何処から来たの}」と私に質問してきました。
私は「12時59分発の京成スカイライナーの乗りたいのよ~」と答えると
彼も空港内が詳しいと見えて「多分大丈夫だろう!」とドアが開くなり私を「それいけ~」と1番で出してくれました・飛行機のドアが開いたのは12時43分でした。

それから私はイミグレ、税関と全く空いていて人の居ない中をスムーズに通過して飛行機のドアが開いてから京成のチケット売り場に辿り着いたのはな・な・なんと7分後でした。
無事私は余裕で12時59分発の京成スカイライナー18号に乗って最短で上野駅に到着しました。

このスカイライナーは新型で空港第二ビルから日暮里駅までたったの39分です。すごい~・・・びゅーん「あ」という間でした。

それから14時26分発「やまびこ」に乗って那須へ戻りましたとさ・・・。

多分この記録は私の人生でも初!!最短新記録です。もしかしたら世界最速の記録かもね。
さ~今朝も良い天気の那須高原がんばるぞ~






2011-07-26 06:36 in カテゴリー1 | Comments (0) #

2011年7月25日 (Mon)

充電完了!!帰国します。


ここに来た20日は心も体もぎりぎりの所で精いっぱい生きていた。って感じでした。だから思いっ切ってやってきました。

やっぱりここは癒されます。青い海コバルトブルーに輝いています。
友人とそんな海を見ながらお茶したり、海に潜ったり、 雄大なゴルフ場パーマーINそしてジャッツクニクラウスINコースを回りました。

日本でこんな時間はまず過ごせません!
日本は戦場?ここは充電の地です。

「元気120%」充電完了
さ~本日 デルタ航空機で成田へ向かいます。それから上野ー那須と駆け足で戻ります。これで又夏を乗り切っていかなければ・・・・。がんばろうSachiko




2011-07-25 04:51 in カテゴリー1 | Comments (0) #

2011年7月24日 (Sun)

TVの報道を見て皆さん冷静な行動をしてください。那須高原は安全です。ぜひこの夏は那須高原に来てくださいね。


ここ数日TVで那須塩原市の藁を食べた牛の事が大きく問題になっています。
その為にすでにこびとの森にご予約されている皆さんやこれから計画させる皆さんにぜひ読んでいただきたいページを見つけましたので読んでみてください。
下記の内容を読んで冷静な行動をお願いします。パニックにならないでね。
那須町と那須塩原市は違います。
比較的那須高原は放射能数値は他から比べると実際には低いようです。


今回話題になったホットスポットは那須塩原市です。
那須高原のある那須町とはちょっと違います。
実際に各市町が公式に発表している数値を比較しますと、
確かに那須塩原市では1μsv/hを超える観測値がありますが、
那須町では(特に那須高原のほうは)0.3~0.5μsv/h弱くらいです。
(黒田原や芦野など山とは反対側のほうは数値が少し高めです。)

仮に3日間那須高原へ行った場合、
那須高原の放射線量を仮に0.5μSv/h
あなたのお家の放射線量を仮に0.05μSv/h(都心平均値)とすると、

増加分0.45μSv/h*24時間*3日間=0.03mSv
つまり普段家にいるより0.03mSv多く放射線量を浴びる計算です。
(実際には屋外にいる時間は半日もないでしょうからもっと少ないですが。)

ご参考までに、
・胸のX線集団検診の放射線量は0.05msv/回、
・東京ーニューヨーク飛行機旅行往復した場合0.2msv(高度による宇宙線の増加)
・ラドン温泉に1時間入ると、0.3msv
です。
X線や海外旅行、温泉に行かれるときには放射線量を気にしないのに、
なぜ那須旅行だけ躊躇するのですか?

もっと言うならば、きっと那須旅行で0.03mSv多く放射線量を浴びたことにより、健康被害が出る確立は、
普通に生活をしていて交通事故や怪我にあう確立より低いと思います。
なぜ、外出やスポーツは躊躇しないのですか?

世間やマスコミでは騒ぎすぎだと思います。
冷静に数値を分析することが大事だと思います。
どうか無知によるパニックを引き起こさないでください。
お願いします。

【那須町】環境放射量の測定結果
http://www.town.nasu.lg.jp/hp/page000001900/hpg000001815.htm
【那須塩原市】環境放射量の測定結果
http://www.city.nasushiobara.lg.jp/icity/browser?ActionCode=content...






★マスコミの異常な報道によって観光客がどんどん減ってしまいます。そうなれば旅館、ホテル他観光名所はどんどん倒産に追いやられていきます。皆さん復興ですよ!!日本はがんばらなければなりません。このまま那須塩原市~とTVで聞いたからと那須高原の旅行を取り消すような行動を多くに皆さんがしてしまうと素晴らしい那須高原はダメになってしまいます。那須高原は復興に向けて今までも頑張ってきました。これからもがんばっていくのでどうか報道に迷わされず冷静に考えて安全な那須高原に遊びに来てください。
こびとの森は鉄筋コンクリート作りです。館内はより一層安全です。小学6年生までも無料で宿泊できる。という大きな決断で経営を続けてきました。もし多くの皆さんがキャンセルするようになるとこびとの森も存続はできなくなります。もう小学6年生まで無料で宿泊できる宿が今後どれだけでてくるでしょうか?皆さん~お友達、親戚、兄弟誘い合ってこのは夏は那須高原に遊びに来てください。待っていますよ!!!

那須高原もそしてこびとの森もあの3,11から懸命に復興にがんばってきました。
私の大好きな歌♪「瑠璃色の地球」を聞くと勇気が湧いてきました。苦しい時にいつも聞いてきました。

震災から必死に立ち上がろうとしている人々の姿とこの名曲が重なります。今こそ力強く歩き出さなければ・・・・。再建のために。
日本は強い国です。こんな時だから皆さん「旅」をしましょう。
私も時間をみつけて「旅」をして元気を充電しています。
このブログを見てこびとの森に来て下さった人は必ず私に「ブログを見てここに来たよ、」って声をかけてください。
2011-07-24 11:49 in カテゴリー1 | Comments (0) #

2011年7月22日 (Fri)

竜宮城へ行ってきました。



体の中からどんどんと「ストレス」というものが抜けていくのを感じます。
世界中の海に潜ること!!それが私の生きる証です。
今日もその夢を叶えることが出来ました。
私の真横を1匹のカメが泳いで行きました。
サメも優雅に私のすぐ横を泳いで行きました。
(競馬とパチンコが趣味でなくって良かった。笑・・・ね。)

音をたてて私の体の中から「ストレス」が流れていきました。
私は又生きて行けそうです。

ボートの上で雄大な海をみていると「私はやっぱり海が好き~」って叫びたくなりました。
海から大きなエネルギーをもらった1日でした。




2011-07-22 18:56 in カテゴリー1 | Comments (0) #

2011年7月21日 (Thu)

神様からの天罰?


こちらに来て疲れがど~と抜けていくのがわかります。
日本での睡眠時間も本当に少なかった毎日でしたが、昨日と今日で日本の2倍も眠ることが出来ます。環境を変えて美味しいもの食べていっぱい寝る事で元気が出るものです。

ところで先日、日本で起きた本当の話をこれから書きます。
きっと神様の天罰が・・・・・。

さかのぼって10年以上も前に起きた本当のお話からまず書きます。
当時の私の夫Tとこびとの森の元スタッフMは良い中になりました~・・。
「不倫」ってやつです。
2人は「競馬」「パチンコ」が趣味で???(バカみたい!と私は思うのです。
ちなみに私の趣味は世界中の海に潜ること!世界中のゴルフ場でラウンドする事!世界中を旅する事!彼らとは全く違う趣味と生き方です。)

だから私は離婚しました。これは10数年もの遠い昔。私の過去です。
その時に私は那須塩原市にあったの4LDKの家を捨てました~・・。家に執着していたら私の幸せがない!とそう考えたのです。捨てる時に大事なピアノと大好きな着物など・・それだけを持って出ました。そして心の中で誓った事がありました。「いつかもっともっと素晴らしい家を手にする!」と・・・・・。
私がその家を出て離婚が成立すると待っていました?とばかりに元スタッフMが私が捨てた家に入り込んで二人の生活がスタートしました。

その後、私は一生懸命こびとの森の経営を続けて来ました。
昨年3月19日に素敵な家を手に入れました。

神様は見ていてくれました。そして二人に天罰を与えたのです。
もうすぐ8月2日に競売にかけられます。元夫Tはすでに夜逃げした。と言う噂が入ってきました。私は勇気を持って行ってみました。すると女だけがまだ残っていました。
女は履歴書を書いていました。50歳過ぎて職もなくなり、もうすぐ家も失う。
女が50歳過ぎてすべてを失う。ということは何とみじめな事でしょう。

家の大変汚く、庭は荒れ果てていました。だから靴を脱いで上がると私の足がよごれちゃうので靴のまま家にあがりました。「良い子の皆さんは御家に上がるとこは靴を脱ぎましょうね。」家中を確認した所、元夫は噂どおりに夜逃げして男物の荷物は全くありませんでした。

私は女と向き合いました。やっとその日が来ました。
そしてずーといつか会うことが出来たら言いたかった事がありました。
その言葉を私ははっきりと言うことができました。
「ありがとう!あなたのおかげで私は元夫Tと離婚でき、そして今の幸せがあります。」とそしてもう一つ付け加えら事があります。「職も失い、もうすぐ家を失い大変ですね。これからの人生がんばってください。お幸せに。」笑顔で言えました。

あ~すっきりした!!! ♪~じゃんじゃん「笑」 これは先週那須塩原市で本当に起きた、おもしろ~いお話でした。
神様ありがとう!! (聖書の中に書いてあるよ。仕返しはあなたの仕事では無い。神である私の仕事であるって・・・。

昔、私は二人を殺してやりたい。と思ったこともあったけど、2人の為に刑務所に入って私の人生が終わるなんて何てバカの事だから全てを神様にお任せして私はあれからずーと頑張ってきました。

神様の天罰って本当にあるんですね。
良い子の皆さん人の物、者?は決して取ってはいけませんよ。神様は悪い子には天罰が下されましたとさ・・お・わ・り!



2011-07-21 19:38 in カテゴリー1 | Comments (0) #

2011年7月20日 (Wed)

今、成田空港の私の秘密のオフィースからです。


目が回るほどに忙しく「人」を育てる事に悩み?!自分自身も心と体がくたくたになちゃいました。私の育て方が悪いのか?それとも・・・・・・。
企業は人なりというけどいい人材を探して教育、育成していく事は本当に難し事です。会社経営をしている以上は永遠の課題です。

学校ならばともかく・・。企業となると・・?????
自分より年上の男性を1から教育して一人前にさせていく?
現場は動いている!!そんな時間がない?悩みます!!
私自身そんな人生は送りたくない・人として・・・・・。

少しだけ日本を離れて8月末まで乗り越えられるエネルギー充電の為に10:00AMデルタ航空648便で飛び立ちます。
昨日は那須ー上野ー成田空港と来ていつも利用するマロウドインターナショナルホテルで1泊朝食付きシングルで4,700円でゆっくりと眠ることが出来ました。
朝食も空港の景色を見ながらひとりのんびりとした時間を過ごすことが出来ました。さ~私の元気を取り戻してきます。
この頃、ブログも書けなくって・・・・。
これから数日でまとめて書くから・・・。
だから楽しみに待っていて下さい。

それではいってきま~す。



2011-07-20 08:35 in カテゴリー1 | Comments (8) #

2011年7月16日 (Sat)

こびとの森農園だより


こびとの森の農園も夏の収穫期を迎えはじめました。
新鮮でおいしいお野菜をお召しあげれ~・・・。
きまぐれ朝食をお楽しみにね。

きゅうり君が毎日大量に収穫されています。



新鮮なナス君でどんなお料理になって朝食に登場予定です。



パリパリと新鮮な音が出る程のサラダ菜ちゃんたち



本当に美味しいきゆうり君です、

2011-07-16 06:57 in カテゴリー1 | Comments (0) #

2011年7月14日 (Thu)

出会い


私は先日一人の女性と不思議な出会いをしました。
あとでわかった事ですが、この出会いはきっと私の人生にもこれから大きく影響を受けであろう素晴らしい女性でした。
素晴らしい生き方を切り開いてきた女性です。

彼女は私の自宅の近くで運転中にめまいを起こして単独事故をおこしてしまいました。どか~ん!とすぐい音が聞こえました。
ちょど朝の出勤でマンションのエントランスに居たので音の聞こえた方に早足で走って行きました。
(その間2台の車がすれ違って行きましたが、事故車を横目で見て行ってしまいました。悲しい事です。)

私はすぐに運転手の様子を確認して幸いにも車だけでお体の方はご無事でした。彼女は事故の後も本日の重要なお仕事の事を大変心配されていて結果私が彼女のお仕事先まで東北道那須ICから西那須ICと通って最短でお送りしました。それも何かのご縁だとおもって・・。

あとでいろいろと不思議な事がわかりました。

まず同じリゾートマンションの最上階に住む方でした。
本を出されているので読ませていただいたところ・・・・同じ女性としてびっくり!!うわ~すごいお方!!!しばらく言葉が出ませんでした。

アメリカハーバード大学を卒業された女性医師。卒業後は140ケ国の先進途上国を回って海外で医療を行ってきた女性医師だったのです。
帰国後夢であった自分のクリニックを開業されて・・・そのクリニックもわずか6年で人にゆづり那須が大好きで移り住んだとか?!

ハーバード大学の留学も65歳まで東北の病院に勤務すれば学費は返金しなくとも良かった。そんな条件を断って自費で留学!!なぜなら拘束される人生がいやだったとか・・・でもその決断があとになって140ケ国ものグローバルな医師としての人生になっていくわけで・・・・・。

ぎゃ~・・・!!「出会い」刺激いっぱいもらちゃいました。
そんな彼女が自身のブログで私を書いて下さいました。

★あやこ先生のブログより
那須町の川村さんと、(株)星組さんへ御礼
私が家を出てすぐに、フワーとして、公道に出る前に、車のタイヤを溝に落としたことを書いたが、あれは温度の違いからか、元々、めまいがちだったせいか、どちらも考えられる。その日、私は「案外、私の人生も間もなくかも。」などと、主人に言っていた。「でも長くする気もおこらない。」とも言って、外に出た。そのくらい、今回の人生も自分では大変だったと、実感していた。その途端だった。でも、それだけで終わって、命には何ら別状はなかったし、今のところ、何の症状も出ていない。相変わらずだ。しかし生き残っている事は事実だ。それにしても、私は実に親切な方々と縁をした。一人は川村さん。車を上げようとして下さったり、御自分の予定を変えてまで、私を仕事先まで送り届けて下さった。あまりのテキパキとした対応に、医師である私でも驚いたが、川村さんは海難のレスキューや地上のレスキューもしておられるらしい。以前にも、複数の人たちを助けておられた。本当にすごい。家に帰ってから、主人に車の方は、あの後、たまたま通りかかった軽トラか類する車に乗っていた方が、すでにその前に来ていた業者の人たちを呼び、溝から上げて下さった由。それを聞いた私は、昨日はそちらにも挨拶に出かけて行った。(いろいろ聞いて、やっと(株)星組さんに辿り着いた。)また私たちが御世話になっている保険屋さんも、すぐに自ら足を運んで下さった由。提携していた修理工場に車はすぐに運ばれた由。帰ったら代車もすでに届いていた。それと私が電話をかけて、助けて下さいとお願いをした別荘の管理人さん。こちらもすぐ来て下さり、車を主人や川村さんたちと、溝から上げようとして下さった。父も心配して出て来てくれた。もう二人、来て下さった女性がいた様に感じたが、どなたかは良く存じあげない。心配そうに見ておられた様にも感じる。皆様、本当にありがとうございました。こうして私の寿命は本当に延びたのかもしれない。その命をこれからどう使うか。思案の時である。

oto1>


2011-07-14 08:56 in カテゴリー1 | Comments (0) #

2011年7月10日 (Sun)

南の思の家族の「絆写真」あなたも撮影してみませんか?



ママとふたりの幸せの瞬間!ママの夢だった南の島のビーチ撮影



同じ写真を「セピア色」にしてみました。
(私は1枚1枚に心を込めて撮影してアートを追及しています。
だから納品までちょっと待っていてね。



ビーチで遊んじゃいました。



もう1枚遊んじゃいました。

★私のウエディング撮影はかっぷると私と心を通わせながら良い写真を撮影する為に事前の打ち合わせ、準備をしっかりとしています。





2011-07-10 13:47 in カテゴリー1 | Comments (0) #

南の島で素敵な家族の思い出を写真に残しませんか?


私はグアムで鍛えられたウエディングフォトグラファーでもあります。
今はフリーで撮影します。
先月撮影したクライアントからこのブログでの掲載の許可をいただくことができましたので数百枚もの写真の中から本の数枚をご紹介させていただきます。私はこどものいる方のウエディイング撮影が得意です。
今回も親子3人の幸せを撮影することが私の使命でした。


グアム恋人岬のベルの前で3人の幸せを撮影しました。



定番のカップの手で作るハートのフレームの中に通常なら2人ですが、
3人にチャレンジ!!難しかった~・・・。



憧れのチャペルの前に二人の花嫁さん?
新郎は幸せですね。二人の花嫁さんを一度にもらえて??



かわいかったね。今までママと生きて来た。でも今度からは
パパとママと3人で生きて行くんだね。
2011-07-10 13:35 in カテゴリー1 | Comments (0) #

2011年7月7日 (Thu)

東北の旅!最終目的地「恐山」


遅くなりましたが最終目的地の「恐山」の報告です。
昨年は「恐山」で不思議な体験をしてその後もあれ~・・・・・。ということがあって今年はそのお礼に最終目的として行ってきました、


極楽浜です。静かです、風車が何とも・・・・。



宿坊の朝ごはんです。精進料理です、



境内の中にはこんな小屋があちらこちらにあります。
これは温泉小屋?



中はとっても良い温泉が何回も自由に入れます。
私は何回も入りました。


東北の旅を終えて・・・・1日も早い復興を祈ります。
2011-07-07 20:48 in カテゴリー1 | Comments (0) #

2011年7月3日 (Sun)

東北の児童養護施設のこどもたちからいっぱい元気をもらいました。



幼児のこどもたちにも1つ1つプレゼントを手渡しました。
喜ぶこどもたちも姿を見て遠く遥々来て本当に良かったな~と思いました。



こどもたちと過ごした時間は私に「人生の宝」です。



又来年もこどもたちに会いに来たいな~と思いました。
がんばろう東北!!がんばろう施設のこどもたち!!



この車は米軍のひとからのプレゼントだそうです。
この施設では震災後こどもたちに食べるものがあと3日分という危機の時にアメリカ軍の人々が食料を持って助けに来てくれたそうです。
多くに外国人がパニックのように日本を出て行ったときに「誰がこの子たちに食べ物を与えるの?」と言ってアメリカへ帰らず日本に残って子供たちの命を救った米軍の奥様達の影に力があったことをどれだけの日本人が知っているのだろうか?
沖縄では基地問題で大変だけどこの地区では住民は皆、米軍に感謝していた。
施設の庭には「ツリーハウス」が建っていた。これも基地の軍人さんが休日に来て作ってくれたそうです。
女の子のプレールームの壁をピンクに塗ってしまったのも米軍さんのしわざだそうでした。爆笑!!

この素晴らしいドキメントをもっとマスコミが取り上げるべきです。
そして多くに人々にこのドラマ知ってほしいと思いました。

★こびとの森に遊びに来てくれたこどもたちの約束をさちこ先生はしっかり守りましたよ。これからも東北の被災地の施設の子供たちを守る活動を継続させていきたい。と強く思い施設を後にしました。



★施設名は複雑な事情で施設に入所しているこどもたちの為に書きません。また正面からの写真やみんなで撮影した集合写真もこのブログでは公開できません。

私はとっても素晴らしい時間を過ごして最終地「恐山」へと向かいました。
2011-07-03 17:47 in カテゴリー1 | Comments (2) #

児童養護施設を訪問して・・・・。


那須に戻ってきて、ど~んと疲れが出てしまいました。
がんばらなくちゃね。
東北の旅の続きです。


こどもたちにプレゼントを手渡しました。
1つ1つにメッセージが入っています。
「大きな地震が来て怖かったね。でもこれからは頑張って勉強して大人になったら弱い人にやさしくしてあげられる強い人間になってくださいね。Sachiko先生より」



夕方小学生も続々と学校から帰ってきました。
こどもたちの言葉に1つ1つ耳を傾けます。



中学生や高校生はしっかりと「夢」を持っている子もいます。
一人の高校2年生も女の子は幼児時代からずーとこの施設で暮らし今回大きな地震に遭遇しました。でもとっても明るく私に将来に夢は「韓国で暮らしたい!」と笑顔で話してくれました。どんな境遇にあっても「夢」を持ち続け笑顔で生きるこの子たちから私が逆に元気と勇気をもらうことができました。



こどもたちが学校へ行っている時、施設の保育士たちはこどもたちのお母さん?となって名前付けや縫物をしていました。
日々こどもたちの心の支えとなって共に生きている施設の保育士さんたち、これからもこどもたちの心に寄り添いながら頑張って支えてあげて下さい。
先輩保育士のさちこ先生からほんの少しのアドバイスでした。
2011-07-03 17:29 in カテゴリー1 | Comments (1) #