2016 03月 24日

company funeral



今日はホビージャパン・ポストホビーの創業者である佐藤光市氏の社葬のため、午前から中野坂上の宝仙寺へ。

そもそも学生の頃にバイトしていた会社だったんですが、専務や社長と何度も面識はあったんですね。で、ある時「卒業してもウチに来るなら同じだよ」と言われたので、即決。
まだ大学に籍はあった時点で辞令が来たってのが、入社の経緯だったりします。

当時はまだホビージャパンも売れていなかったし、のんびり店番程度って意識だったと思うんだけど、そのうちに店舗も全国に増え、ガンダムやSTAR WARSなどのブームも相まって、後になって会社員という自覚が出来てきたという、けっこうなダメ社員っぷりの@naiでした。

その後、モデルガン・エアガンの修理・カスタムやガレージキット等の製作もやってたら、「そんな事も出来るんだな」と、ちょっとは使えると思われたのかもしれないけど、肩書きだけは管理職って状態でして・・・1999年に名古屋、2001年に吉祥寺に転勤したあたりから、やっと期待してもらえる仕事も出来るようになった感じでして・・・。



軽井沢で社員研修も兼ねた出張があった時に、「別荘地を散歩しよう」と自分が連れ出したくせに、途中で「ここはどこかな?」と迷っちゃった事もありました。

吉祥寺店のリニューアルの日、予想をかなり超えた売り上げになっちゃって、気を良くした社長が急遽来店しちゃって、超忙しいのに「@naiくん!食事に行こう!!」と連れ出された事もありました。

小さくて童顔な方だったんですが、とにかくパワフルで、茨城訛りの早口が聞き取れない事も多かったな~。しかも、毎回とんでもない事を即決しちゃうので、大損害も何度もあったんですが、結果的に正解が多かったらしく、会社はどんどん大きくなったという印象です。

その大損害のひとつ。海外の見本市で見たあるオモチャを「いける!」と20万個輸入しようとした社長に、当時の部長が「私をクビにしてもいいから、5万個にして下さい!」と嘆願したんですけど、やっぱり全く売れず。保管しておく倉庫費用もかなりな額になっていたらしく、部長は田舎の農家の納屋を格安で借りて移動したんですが・・・。

「オレは建築は詳しくないけど、あそこの納屋はあの重量に耐えられると思えないんだ。もし納屋が崩壊して誰かが亡くなっちゃったら、オレは犯罪者になるのかな?」なんてこぼしてました。
とても優秀な部長だったので、このまま一気に社長?って勢いだったんですが、そうはならなかったので、潔く辞めちゃったのでした。尊敬してた方だったので、この会社大丈夫?と不安になったよね。
その(元)部長も葬儀に来られていたので、20年以上ぶりに再会。

海洋堂の社長など、取引先の代表も多数参列していて、懐かしい再会もいくつかありました。
オレは佐藤社長が引退するタイミングで早期退社しちゃったんですけど、その後も会社とは何かとご縁があるので、まぁ円満退社と言える気がするんですが、男の仕事の場合、寿退社ってのも無いから、現在在籍していない人達は何かしらの遺恨があったり、遠方で暮らしていて今の仕事を休めなかったりするのかもしれませんが・・・オレみたく元社員だった人で参列していたのは4人くらい?

あの人もあの上司も来ていないんだな~と、勝手にそれぞれの思いみたいなのを想像しちゃいましたよ。いろんな意味で感慨深い日でございました。





22:49 in @nai's | 編集
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