2011年10月4日 (Tue)

Goodbye Flickmania



我が湯布院映画祭の常連参加者。浜松の映画狂:富安 要さんが9月11日に膵臓癌で亡くなったそうです。享年88歳。
今年の映画祭にも全日券を購入されていて、「入院のため不参加」と聞いたので、常連参加者や映画祭スタッフで寄せ書きして送ったんですよね。
とにかく強烈な映画ファンで、全国の映画祭で「富安さんが行かないところはモグリだ」と言われるくらい。とはいえ、ご高齢だったので、10年ほど前から足が悪く、荷物を入れたカートを押して日本中を行脚して映画で遊んでおられました。
とにかく劇場で見る!って世代なので、たぶん死ぬまでビデオやDVDを見なかったんじゃないかな?

新作も見るけどやっぱり古い作品が好きだったので、全国の名画座のスケジュールをどっさり持って移動していて、年間の半分以上は映画で旅していたんだと思います。
インターネットなんか絶対縁が無いから、情報は紙媒体か記憶・メモです。
もともとどんなお仕事をしていたのかなんて聞いた事がないんですが、隠居してからは「オレの人生だ!」って感じで、家族も彼の映画三昧を見守っていてくれていた様です。
新人監督の作品でもシンポジウムでは最初に挙手して、自分の感想を伝えていました。そんな意外な観客の感想を聞き、監督達は一様に喜んでいました。
映画の話で熱くなるとガンガン唾を飛ばして話すので、ベテランの映画人達はけっこう気をつけていたんじゃないかな?

オレが初めて秋田十文字映画祭に行った時、雪に埋まった夜道をぽつぽつと歩いて宿に帰って行く富安さんを見て、寂しそうだけど素晴らしい人生だな〜と思ったのでした。
逆に夏の湯布院の夜、1人でカートを押して帰って行く姿の方が見ていて辛かった印象があります。

十文字映画祭が終わって、横手駅で一緒になったので、そのまま大垣〜新幹線と同行した時に、オレは東京駅に到着するまで寝ようと思っていたのに、分厚いファイルの資料を出して「@naiくん、このラインナップだったら阿佐ヶ谷と横浜のどっちが良いと思う?」と聞くので、富安さんっていつ浜松に帰る予定なんですか?と聞くと「う〜ん2週間後くらいかなぁ」なんて、ずっと映画の話をされて寝られなかったのが懐かしく思い出されます。
毎年年賀状に「今年はこの映画に期待!」と達筆な字で送ってくれました。

昨年『キャタピラー』を上映した後で、戦争体験者である富安さんにいろいろ教えてもらいました。かなり以前に亡くなった祖父からも聞いた事が無い戦争体験。なんだか自分の爺ちゃんだった様な気がしていた存在でもありました。
凄い人生だな〜。

内田吐夢監督が名作『飢餓海峡』のエンディングのシーンを脚本の鈴木尚之さんと話していた時の事。
鈴木さんが「雲が映っていましたね」と言うと、内田監督は「瑞雲(ずいうん)と言ってくれよ。良い事の兆しと言われる薄紫の雲だよ・・・。」

富安さんは瑞雲になったのかもな。
あの世に行っちゃった映画人達捕まえて、唾飛ばしまくって話してるのかもな。



2011-10-04 16:50 in @nai's #